復讐の始まりは、幸せの破棄
※この話には性的描写が含まれています。
苦手な方はご注意ください。
シャワーの音が反響している。
ザアアアアアアァァァ……という水音。
12月24日。クリスマス・イヴの、午後9時半。
美咲は、五味の家の浴室でシャワーを浴びていた。
今日は朝から、五味とデートをした。
彼はずいぶんと気合いを入れて今日の準備をしたようで、連れ回された店は、どこも高級店ばかりだった。
昼食は、ランチメニューにも関わらず2人分の会計は2万を超えていた。
夕食時に渡されたプレゼントのネックレスは、どう安く見積もっても10万はするものだった。夕食の会計は、2人で4万を超えていた。
美咲は、五味の行動ひとつひとつに、大袈裟とも言えるほど喜んで見せた。本当は、彼の顔に唾でも吐きかけ、渡されたネックレスを引き千切り、夕食時のナイフで肉ではなく彼の顔面を切り刻んでやりたかったが、自分の衝動を必死に抑え込んだ。心の憎悪は顔に出ることはなく、練習した作り笑顔が自然に浮かんでいた。
洋平と過ごしていたときには恨めしかった、感情が表に出せない自分。今は、その特徴のお陰で、憎悪も殺意も隠し通すことができる。
このまま五味とセックスをし、彼を満足させ、彼が眠りにつけば、簡単に殺せる。
持ち歩いている鞄には、購入したサバイバルナイフが入っている。鞄の中を覗き込まれたときの対策で二重底にし、簡単には見つからないように細工して。
五味を地獄に叩き落としてやりたい。死ぬ寸前の彼に、絶望と落胆を味合わせてやりたい。そのために、最後に吐き捨てる言葉も考えてきた。
もう少しだ。もう少しで、洋平の仇が討てる。
頭からお湯を浴びながら、美咲は両拳を握り締めた。ブルッと手が震えた。それは、恐怖からではない。初めてのセックスに対する緊張でもない。もちろん、これから人を殺すことに対する不安でもない。
気持ちが高ぶっていた。高揚していた。誰よりも何よりも大切な、自分の命よりも大切だった洋平。彼の仇を討てる。そのことに、喜びに近い気持ちを抱いていた。
これから人を殺すのにこんな気分になる自分は、きっと、もう、壊れてしまっているのだろう。心の片隅で、美咲はそう自覚していた。洋平を失ったショックが大き過ぎて、まともではいられないのだ。
でも、それでいい。洋平のいない世界で、まともな自分を保っていたいとは思えない。狂っていてもいい。むしろ、発狂して自我すら失ってしまえれば、どんなに楽だろう。
自我を失うこともできず、平静でいられるはずもない。だから、復讐するしかない。そうすることでしか、もう生きられない。
美咲はシャワーの蛇口を閉め、お湯を止めた。
浴室のドアを開けると、湯気がムアッと外に出た。
浴室を出ると、目の前に洗面所がある。美咲は洗面台に手を置き、鏡を見た。少し前に髪の毛をショートにした自分が映っている。濡れた髪の毛から、水滴が落ちている。鏡の中の自分と、目が合った。
初めてのセックスは痛いという。まだ経験はないが、誰もがそう言うのだから、凄まじく痛いのだろう。
その痛みの中でも、五味の信頼を失わないような言葉を口にする。鏡の中の自分を見つめながら、美咲は自分に言い聞かせた。これが最後の詰めだ。ここで彼を満足させ、気分のいい眠りにつかせなければならない。
大丈夫だ。自分ならやれる。多少苦しくても痛くても、自分なら、それが表情に出ることはない。どこかの官能小説のような、初めてでも悦ぶ女を演じられるはずだ。
体のお湯をバスタオルで拭き取り、そのバスタオルを体に巻いて、美咲は洗面所から出た。そのまま、五味が待っている寝室に足を運んだ。
五味の寝室は、常夜灯の薄暗い光に照らされていた。
五味はベッドの上の羽毛布団から上半身を出して、美咲を待っていた。布団の外に出た部分はすでに裸だった。おそらく、布団で隠れている部分にも、何も着ていないだろう。
美咲がベッド付近まで行くと、五味に、強引に引き寄せられた。息が荒くなっているのが分かる。彼の呼吸音が耳に届いて、暖房が効いているこの部屋でも、寒気がした。
引き寄せられた美咲は、そのままベッドに押し倒された。
五味が上に乗ってくる。思っていた通り、彼はすでに全裸だった。
美咲の鞄は、ベッドのすぐ近くに置いてある。サバイバルナイフが入った鞄。
鞄の位置を確かめてから、美咲は、鼻息を荒くしている五味の耳元で、甘えるように囁いた。官能的な吐息とともに。
「何度も言ったけど、私、初めてだから。優しくしてね」
優しくしてくれるはずがない。気遣いなど絶対にない。自分の欲望と承認欲求に塗れた五味に、自分以外の他者を思いやる気持ちなどない。それが分かっていながら、美咲はあえてそう口にした。その言葉が、彼を興奮させると分かっていて。
「ああ」
頷くと、五味は、自分の思うままに美咲の体を弄り始めた。こうすることで女は悦ぶというマニュアルが、彼の頭の中にあるのだろう。そう容易に推測できるような触り方だった。
当然のように、美咲は悦んでなどいなかった。寒気がするほど気持ち悪く、これ以上ないというほどの不快感を覚え、しかも乱暴で痛かった。
自分が感じている痛みも不快感も顔には出さず、美咲は、意図的な甘い声を口から漏らした。
その声が、五味をさらに興奮させていた。
「ねえ……」
五味に体を弄られながら、美咲は、彼の耳に口が触れる距離で言った。
「ゴム、しないでね」
五味の手の動きが止まった。常夜灯の薄暗い光を背に、驚いた顔で美咲を見ていた。驚きと、それ以上に興奮した顔。
「私、あんたの子なら産みたいから」
どこかの本で読んだことがあった。上手に嘘をつくコツは、本当のことを織り交ぜた嘘にすることだと。本当のことが混じっているから、話に真実味が出るのだ。
そういう意味では、美咲のこの言葉は、これ以上ない上手な嘘だと言えた。
避妊のことをまったく考えなくていい。それを意味する美咲の言葉は、五味の興奮を最高潮まで高めた。
興奮を抑え切れなくなった五味は、強引に、美咲の中に入ってきた。
「……っ!」
裂けるような痛みに、美咲は、苦悶の声を漏らしそうになった。想像以上に痛い。それでも、五味を制止させたりしない。
五味は、自分の欲望のままに動いた。こうすることで女は悦ぶ。そう信じて疑わないように。その推測の正しさを証明するかのように、美咲に聞いてきた。分かりきった答えを確認するような顔で。
「どうだ? 美咲」
痛い。気持ち悪い。死ね。
本心を胸中で繰り返しながら、美咲は微笑んだ。
「嬉しいよ。あんたとひとつになれて。凄く気持ちいいの」
微笑んで、五味の頬に触れる。美咲の指先に、五味の表情が緩む感触が伝わってきた。彼は、満足気に笑みを浮かべていた。
せいぜい、今のうちに楽しんでいればいい。悦んでいればいい。高いところに昇れば昇るほど、落ちたときの衝撃も大きいのだから。
五味が、さらに激しく動いた。
ギシギシとうるさい音を立てるベッド。興奮で汗ばむ五味の体。次第に荒さを増してゆく彼の呼吸。
甘く小さな吐息を漏らしながら、美咲は、まるで他人事のように今の状況を見つめていた。感じている痛みは本物で、全身を包む不快感は明らかに自分のものだ。通常であれば泣きながら拒否しても不思議ではない苦痛に襲われながら、それでも美咲は冷静だった。感じている痛みなど、どうでもよかった。
ただ、確信していた。
こんなに興奮して、これだけ激しく動き、最終的に満足すれば、五味はきっと、すぐに眠りにつくだろう。
五味は、結局、2回も美咲の中で果てた。1度だけでは満足せず、興奮も治まらずに、そのまま2度目に突入した。
2度目が終わると、さすがに五味の息は切れていた。激しく動いて体が火照ったのだろう、羽毛布団も掛けずに、ベッドの上で大の字になった。大きく呼吸をしながら、薄暗い部屋の中で、満足気な顔をしていた。自分だけが満足し、自分の世界だけで達成感を覚えている。そこに、美咲を気遣う様子は微塵もなかった。
荒くなっていた呼吸はやがて落ち着き、五味は、冷めた体に羽毛布団を掛けた。口元の笑みは消えていないが、瞼は重くなってきているようだ。美咲の思惑通り、眠気に襲われている。
しばらくすると、五味の寝息が聞こえてきた。スースーと、気持ちよさそうな寝息。幸福の絶頂の中で落ちた眠り。
これから地獄に落ちるとも知らずに。
五味が眠ったことを確認し、美咲は、そっと、ベッドから抜け出した。




