-4 『堅牢な動く城塞』
「本当にすみませんでした」
部屋まで案内する道中、俺は二人に何度も謝罪の言葉を投げかけた。
その度に翼の生えた修道服の女の子は「気になさらないでください」と優しく微笑みかけてくれた。
後ろに付き従えている従者はなおも俺を見て不満そうではあったが、女の子になだめられると素直に指示を聞いて大人しくしていた。
「えっと……たしかシエラ様、でしたっけ」と俺は女の子に尋ねた。
彼女がこくりと頷く。
「私はシエラ=ミステイル。向こうの世界のラナティアという国の教会で働かせていただいています。後ろの彼女は私の世話役として付き添っていただいているんです。それとこちらは――」
「マリーディアと申します」
威嚇するように口を尖らせながら従者のマリーディアも答える。
シエラの背中についている翼のようなもの――いや、おそらく本物の翼なのだろう。柔らかそうなその翼が、彼女が歩くたびにわさわさと揺れている。
「気になりますか?」とシエラがほくそ笑んだ。
「それは、自分の羽なんですか」
「そうですよ。私は天族と呼ばれる種なんです。まあ、天族と言っても翼がある以外は人間とほとんど変わらないのですけど」
俺もこれまで何人かの異世界人に出会ったが、まだまだ知らないことばかりだ。
部屋にたどり着くまでの間に、彼女たちの人となりを知るためにもいろんな話を聞いた。
シエラは教会のシスターであり、民衆から『神の使いの聖女』とまで称されているほどの人気を持っているらしい。ラナティアという国は神への信仰心に厚い国らしく、天族はその信仰を象徴する対象ともなっているようだ。
シエラ自身も天族に代々伝わる神の教えを説くために従者を引き連れて各地を転々としているらしい。この旅館には休息のための逗留と、異世界という新たな見聞を深めるためにやって来たのだという。
話を聞いて、なるほど、と俺は納得した。
豊満な体つきをしているにも関わらず多分な色気やケバさを一切感じられないのは、歩く姿や微笑む表情、その一挙手一投足すべてに優雅な品を感じられるからだろう。
――こんな可愛い子を担当できるなんて最高じゃないか!
と鼻の下が伸びそうになるが、しかしそんな楽観的な気分ではいさせてもらえないようである。
「ちょっとあなた」と従者のマリーディアに呼び止められる。
彼女は鬼のように凄みの利かせた顔を向けて言った。
「この休暇中、シエラ様にもしものことがあったならば、あなたには地獄を見るよりも恐ろしい思いをしていただくことになります。具体的には釘で口や鼻だけでなく手足や背中などにも釘を打ち込んで穴を開けたり、聞き分けの悪い耳に蝋を流し込んで通りの良い大きな穴に広げてさしあげたりでしょうか。本来でしたら貴方のような下等な市民が気軽に声をかけられる御方ではないのです。そのありがたみを噛み締め、しっかりと職務を果たしてくださいませ」
「も、もちろんです」
マリーディアにひどく恐喝され、俺は尻の穴が窄まるような恐怖を覚えた。
「二人とも、なんのお話ですか?」とシエラは首を傾げるが、マリーディアは先ほどの物騒さが嘘のように満面の笑みを浮かべる。
「いえ、今後の接客に対してほんの少しのお願いをさせていただいておりました。些細なことですので、シエラ様はお構いなく」
些細なことで身体を穴だらけにされてはたまったものではない。
「そうでしたか。私からも、どうかよろしくお願いいたします。えっと……」
「ああ、高野春聡っていいます。そのまま呼び捨てでも、気軽にハルって呼んでもらっても構いません」
「ではハルさんで。私のことも、お気軽にシエラって呼び捨てにしてくださいね」
「いやあ、さすがにお客様を気軽に呼ぶのは――」
サービス業として問題な気もするし、なにより彼女が提案した瞬間、マリーディアの眼光が鷹のように鋭く光ったようなき気がして躊躇った。
命は惜しい。とても。
彼女たちを案内する間、この先、五体満足で帰れるだろうかと不安になるばかりだった。
○
「ああん、いいわっ……そう、そこお……上手ねっ」
甘い声がミストの充満する部屋に反響した。
嬌声のような途切れ途切れの声に、かすかな水音。
ひとたび雫がぴちゃりと音を立てれば、感嘆に震えた女性の声が柔く響く。
声の主は、俺の目の前でベッドにうつ伏せているうら若き女性だ。
「あぁ……いい……」
色気を孕んだ声に耳を傾けていると、それだけで意識が研ぎ澄まされてしまいそうになる。
四畳半ほどの一室に、女性とベッドで二人きり。
思春期真っ只中の男子にはたまらないシチュエーションである。
男子高校生であれば、さもアダルトビデオのように繰り返し聞こえる甘い声に興奮冷めやらぬことだろう。
しかし当の俺はと言うと、まったくそのような桃色の気分にはなれず、むしろ正反対に悟りを開くような無心さで機械のように身体を動かし続けていた。
ひどく永遠のように思える前後運動を十数分と続け、俺の全身はすっかり汗でまみれている。一糸纏わず寝転んでいる女性の肌にも、結露のような大きな粒の汗が浮かんでいる。
「あああぁ、生き返るわぁあ」
「そ、それはよかったです」
「あなた、本当に上手ねえ」
「ど、どうも」」
俺にだってもちろん人並みの性欲はある。しかし人並みであるが故に受け入れられない事実が目の前にあった。
――なぜなら彼女は、ゴーレムなのである。
ベッドに横たわっているのは、傍から見るとただのテーブルのように横長い巨石なのだ。
人間と同じように顔や肩や腰などもある 胸もあるし尻もある。
しかしゴーレムという全身が岩でできた種族であり、女性らしい丸みなんてものはほとんどない。部位のことごとくは鍛え抜かれたレスラーの胸筋のような四角形だ。
俺は残念ながら岩を見て性的興奮を覚えられるほどの上級者ではない。
それに彼女に行っているのはただのマッサージなのだ。
ゴーレム嬢の肩から腰へ、岩肌をやすりで削るように押さえつけて擦り、前後にそれを繰り返す。ゴーレム族にとっての垢すりのような感覚らしい。
「ふう、終わりました」
側に置いていた砂時計が空になったのを見て、俺は動きを止めて声をかけた。
「あらそう」と名残惜しそうに呟きながら、横たわっていたゴーレム嬢が身体を持ち上げた。
純情な乙女がごとく上着を急いで羽織って岩肌を隠す。
だが安心して欲しい。そんな艶美な仕草にも欲情しようはずがない。
「あなた。ねえ、もしよかったらここの仕事をやめて、あたしの屋敷にこない?」
「ええっ」
「あなた、すっかり気に入っちゃったあ。いい部屋を用意するわよお。仕事は毎日夜だけ、湯上りに相手をして頂戴。大丈夫、よくしてあげるからあ」
妖艶な声色で囁きながら、ゴーレム嬢が顔を近づけてくる。
「いやあ、あの。自分には勿体無いお話ですよ。はははっ」
「うふふ、シャイな坊やも好きよお」
笑みをこぼした彼女のねずみ色の岩肌がほんのり紅潮する。
「以上で15分マッサージコースは終了なります。延長は無しでいいですね」
「ええ、けっこうよお。ありがとう。でも、気が変わったらいつでも言ってねえ。お姉さん、こう見えて懐が広いからあ。どんな勝手な子でも受け止めてあげちゃうわよお」
――こう見えても何も、貴女の身体は下手な相撲取りよりもでっかいだろ!
と俺は心の中で突っ込まずにはいられなかった。
ああ、どうしてこれが、あのシエラという女の子相手ではないのだろう。
そうでもあれば、男としてついつい興奮することもあっただろうに。役得であると思えただろうに。
弾む足取りで部屋を出て行ったゴーレム嬢を見送り、長い溜め息をつく。
部屋の外に設置された名簿で予約の名前全てにチェックが入ってることを確かめた。
「はあ、もういやだ……」と俺は肩を落としながらここを後にした。
将来のためにお金が欲しいからと親を頼って家業の手伝いをしてみれば、何故か石像を磨くような気分でマッサージをさせられ、よくもわからずゴーレムに言い寄られる始末。
――もうイヤだこんな旅館。はやく上京してえよ!
と心の中で叫んでみても、答えてくれる優しい人など現れるはずもないのであった。