そして、これから
中條という監視の目がなくなってからというもの、従業員たちの接客の様子も徐々に元の賑やかさを取り戻しつつある。
それもこれも、今回の騒動において俺がアーシェのような異世界人と協力して大成功を収めた事実を参考に、ふみかさんが「もっと積極的で親しみのある異世界間交流を」と銘打って従業員に勧めたのがきっかけだった。
「暇よ」
仕事の最中、中庭に新しく植えられた木に水をやっているとアーシェが声をかけてきた。
「探し物とやらは見つかったんだってな」
「ええ、おかげさまで」
知らぬ間に探し物を見つけたというアーシェは、しかしどういうわけか今でも旅館に留まり続けている。
しかし以前のように旅館の外へ出かけることはなくなり、適当に館内をうろついて俺を見つけては、下らないことで声をかけてくるようになっていた。
先日の事件の時に初めて知ったが、彼女はここから通じる『門』の先の領地を統べる魔族の王、いわゆる魔王とも呼べるような存在だったのだという。
おそろしく物騒な肩書きを持っているが、しかし今更それを聞いても、アーシェへの印象が変わるものでもない。
銀色の長髪をたなびかせ、菖蒲柄の浴衣を纏った小柄の少女の姿を見て、誰がそんな物々しい人物とわかるだろうか。
「いい加減向こうには帰らないのかよ。長いこと帰ってないんだろ。領地の主のくせにここにいていいのかよ」
「領地の管理は配下の者が滞りなくやっているわ。私は長期の休暇中なの。それに、まだ貴方にげえむで勝っていないわ。勝ち逃げは許さない」
「まだやるのか……」
「当然よ。早くあのげえむのところに来なさい」
「今は仕事中だ。せめてもうちょっと待ってろよ。ああそうだ。風呂にでも入ってればいい」
「い、イヤよ」とアーシェがたじろぐ。
「なんでだ。風呂が好きになったんだろ。あの時、自分から入ってたじゃないか」
「あれは違うわ。一時の気の迷いよ」
「風呂が嫌いって、ほんと犬じゃないか」
「だ、誰が犬ですって!」
頬を膨らませたアーシェが右ストレートを放ってきたのを、俺は寸でのところでかわす。
裏山で変身した姿からしてもまさしく犬じゃないか、と思ったことは彼女の二撃目を誘発しそうなので喉の奥に引っ込めておいた。
「――なあ。お前が探していたものって」
しゃがみ込んで雑草を毟りながら俺は呟く。
怒っていたアーシェの表情が一変し、凛と据えた。
「六年前、私は配下の魔族に襲われ、玉座を終われてこちらの世界に逃げ延びてきたわ。満身創痍の中で無我夢中に『門』をこじ開け、ここの裏山にたどりついた。それからはほとんど覚えていないけれど、森を歩いているうちに深い川に落ち、気がついたら光り輝く滝つぼがある洞窟の中にいたの」
「どういうわけか俺も寝ぼけて山に入り、同じように流されて、そこでお前が倒れていたってことか」
「そこで貴方は私を介抱した。傷口を洗い流し、痛みに苦しむ私を励ました。傷はあっという間に治ったわ。今にして思えば傷が治った理由もわかる。あれは私が『門』を繋げた際に放出した大量のマナが温泉に溶けたものだったのね」
「俺が見た蛍の光ってのも、濃縮されて温泉に溶け込んだマナの光だったわけか」
「成分か何かの相性がいいのでしょうね。温泉はマナとの融和性抜群。これはおそらく、貴方の世界の政府も、いえ、私たちの世界の連中ですらまだ知らない事実だと思うわ」
とんでもない話だ。それが本当だとすれば両世界間の交流の仕方が大きく変わりかねない事態ではないか。
温泉の成分がマナと溶け合うのならば、人為的にマナを融和させて大量保存ができるかもしれない。そういった方向の研究が始まるだろう。
マナの貯蓄が可能であればこちらの世界でも制限無く魔法が使えることになる。
どちらの世界からしても、これは知っておきたい情報だ。
そんな大事なものが、まさかただのアルバイトでしかない俺の目の前で判明してしまうとは。
「世紀の発見かもしれないわよ。貴方の行動で世界が変わる。文字通り、ね。魔法の研究に重宝されるだろうし、単純にマナを携帯できる水として温泉が活用されるかもしれない。場合によっては戦にだって使えるわ。貴方の情報が、世界間の戦争すら起こしうるかもしれないの」
アーシェが話すスケールの大きさに眩暈がしてくる。
これらが現実味のある話なのだから身の毛がよだつ。
あまりの突拍子のなさに、俺はまだ夢を見続けているのではないかと思った。
もしかすると異世界のことすら夢なのかもしれない。
ずっと子どものころから夢を見てて、まだ眠りから醒めていなくて、俺はずっと、幼い時にテレビで見た剣と魔法の世界に憧れて存在を信じ込んでいる。
という夢。
だって現実にはあり得ないさ。
エルフがいて、天族がいて、大きな犬に化ける魔族の王様までいるだなんて。夢にしても豪勢過ぎる。
きっともうすぐ目が覚めて、何もかも忘れた小学生の俺がランドセルを背負って学校に向かうんだ。異世界のことも、旅館で会った向こうの人たちのことも。そして彼女たちのことも忘れて。
「なにぼうっとしてるのよ」
「いてっ」
くだらないことを考えていたらアーシェに頭を小突かれてしまった。
「ちゃんと私の話を聞いてたの?」
「聞いてたよ」
「じゃあ、なんでニヤついてるのよ」
アーシェに指摘され、俺は自分が知らずににんまりと笑顔を浮かべていることに気づいた。驚く反面、隣で覗き込んでくる少女の顔を見て、なんだか合点がいった。
「いんや。なんか、夢にして忘れちゃうにはもったいないなって思ってさ」
「なに言ってるのよ。意味がわからないわ」
納得できない様子のアーシェは不機嫌に顔を歪ませる。
俺はそんな彼女を余所に立ち上がり、快晴の空を見上げた。
目を閉じてから大きく息を吸い、肺に酸素が満たされる感覚を味わう。初夏の兆しを見せ始めた太陽が肌を焦がしてくる。
「さあて、仕事だ仕事」
大きく伸びをしてから、俺は雑草の入ったゴミ袋を片手に旅館へ戻ろうと足を進めた。
「ちょっと。さっきの答えを聞かせなさいよ」
「なんだよ。別にどうでもいいじゃんか」
「よくないわよ。貴方がどっちの味方をするかって聞いてるの」
「別に俺がどっちの味方しようと構わないだろ」
「…………せっかく見つけたのに。それでもし戦争して敵にでもなったら、貴方と、もう一緒に――じゃない」
途端にしおらしくなったかと思うと、アーシェは消え入るような声で呟きながら顔を俯かせる。何故かひどく紅潮していて、それを必死に隠しているようだ。
しかしあまりにも声が小さくて最後がうまく聞き取れなかった。
「え、なに?」と聞き返した途端、俺の眼前に素早い何かが迫る。
油断していた。右ストレートだ。
「ふんぐっ」
アーシェの拳が顔面にのめりこみ、俺の顔がひしゃげる。
すっかり慣れて回避も余裕だと奢っていたのに、気を抜くとすぐこの様だ。
しかし悪い意味で慣れてしまったのか、それとも彼女が手加減してくれているのか、痛みはほとんど感じない。
殴った本人はというと、顔を赤らめて激昂したまま、
「あ、貴方ともうげえむでリベンジできなくなるのがイヤなだけよ!」と叫びながらそのまま走り去っていってしまった。
遠ざかるアーシェを目で追いかけながら、俺はなんとなく微笑ましく思った。
「ボクは別に戦争になっても構わないよ。ハルと一緒ならどんな世界でも生きていけるもん」
いつの間にかエルナトが俺の背後に現れ、身を寄せ付けてくる。
「戦争なんていけません。平和がいちばんですよ」とシエラまでが一緒だった。
自愛の天使のように微笑む彼女に目をやると、途端に俺の首筋に何か冷たいものが当てられる。それがナイフのような刃物だと気づき、一瞬にしてマリーディアに背中を取られたのだと理解して冷や汗が流れる。
「シエラ様に仇なすようでしたら、一切の容赦はいたしません」
「こら、マリーディア。乱暴はいけませんよ」
「ですが」
「ですがもなにもありません。暴力は悪党に対してだけです」
悪党ならいいのか、と俺は思ったが突っ込まないでおいた。
彼女たちを眺めていると、妹の千穂が空色の風呂敷に包まれた弁当を持ってやってきた。
「お兄ちゃーん、お昼のお弁当忘れてたよ」
俺に渡そうとした千穂の手が止まる。
俺にずっとくっ付いているエルナトが気になるらしい。
それを見た千穂は目を丸して、少しのけ反るように頬を引きつらせた。
「……お兄ちゃんたち、ほんとに結婚するの?」
「もちろんだよ千穂ちゃん。ボクたち、もう初夜もすませてるもん」
「しょや?」と首をかしげた千穂に、俺は「なんでもない」と大慌てで誤魔化した。
「ちょっと、そんな話聞いてないわよ!」
と、どこかへ立ち去ったはずのアーシェが知らずの内に戻ってきていた。
「あれ、アーシェには言ってなかったっけ。ボクたちもうとっくに関係が進んでるんだよ」
「なによ、どういうことなの!」
挑発するようなエルナトの声調にアーシェの怒声が食って掛かる。
そんな酷く耳に響く姦しい喧騒も、海で聞く潮騒のように自然で心地よく感じ始めている俺がいた。
空は夏が近づいて日差しが強くなっていた。
海面のように青く澄んだ空の足元で、入道雲が山の縁にかかっている。
陽光にアスファルトが焼け、温められた土の香りが鼻腔をくすぐる。これからもっと暑くなり、陽炎が大地に揺れるのを飽きるほど見ることになりそうだ。
きっと俺は、今後一切、温泉とマナの関連性のことを口外しないだろう。
異世界人である彼女たちといると、少し戸惑ったりはするけれど、不思議と悪い気持ちはしない楽しい時間が過ぎていく。
そんな夢のような空間を壊したくない。
変な大人たちの都合で汚されたくない。
いつかは温泉とマナについての事実も知られるだろう。
だが、そんなことは俺の知ったことではない。
俺はどんなときも、ただただ、心からお客様を迎え続けるだけだ。
現世のいざこざも厄介ごとも全て忘れて、誰もが心の底から楽しく笑顔になる。
――そう。ここは温泉旅館「あやめ荘」なのだから!
正午ごろ、旅館の中は急に慌しくなる。
一列に並ぶ仲居たち。
目の前には『門』に繋がる裏玄関の扉。
今日はどんな出会いがあるのか。今日はどんな笑顔を見れるのか。
プレゼントの箱を開けるような、そんなわくわく感を滾らせ、仲居たちはその瞬間を待つ。
「す、すみません、遅れました!」
息を切らしながら駆けつけて列に参加した俺に、ふみかさんが背中を叩く。
「もう、しっかりしなさいよ。そんなのじゃ跡継ぎ襲名できないわよ」
「途中でエルナトに捕まっちゃって。面目ないです」
俺は肩を落として頭を垂れた。
「これじゃあ将来が心配ね」とふみかさんが苦笑を浮かべながらぼやく。
他の仲居たちもくすくすと笑みをこぼして茶化してくる。
「しっかりしてよ、未来の若旦那」
「頑張れ、若いの」
「高校出て若旦那になったら私たちのお給料上げてね」
「ち、ちょっと。なに言ってるんすか。継ぐのも悪くないなって思い始めただけで、まだ将来を決めたわけじゃ」
笑われ、気恥ずかしさで逃げ出したくなった。
と、『門』に続く扉がゆっくりと開く。お客様のお目見えだ。
襟元をただし、従業員全員が一斉に深く礼をする。そして満面の笑顔を言葉に乗せ、扉の奥からやってくる彼らにいつもの挨拶を口にする。
『ようこそ! 温泉旅館あやめ荘へ!』
休暇の際はぜひ当館へ。
最高の異文化交流で、笑顔溢れるお持て成しをいたします。
完
ここまでご覧いただきまことにありがとうございます。
ハルと異世界の少女達の物語はひとまずここで区切りとなります。
この作品のキャラクターや雰囲気は気に入っているので、彼らのその後が自分ながらに気になるばかりです。
個人的には愛着のある作品。少しでも多くの方に気に入ってもらえたら嬉しい限りです。
さて。
新作長編『おいでませ あやかし旅館! ~素人の俺が妖怪仲居少女の監督役?!~』の連載が開始しております。
幼い妖怪の少女達との、少しドタバタ、ほっこりハートフルストーリーです。
もしよろしければ、こちらのほうにも足を運んでいただけると幸いです。
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ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
またぜひお越しくださいませ。




