-8 『夜のお遊び』
アーシェをゲームセンターの沼に沈めてから仕事に戻り、バイトが終わったのは午後の八時ごろだった。
昼からの休憩ありのシフトとはいえ、遠慮なくこき使われているのは身内だからだろうか。その分だけ給料も入るので文句は言わないが。
帰ったら千穂の晩御飯を作ってやらないとな。
そう考えていると、我慢ならなかったのか千穂の方から旅館まで迎えにやってきていた。
特別に来館が許可されてから、千穂はこうして度々俺を迎えに来るようになった。急かす意味合いもそうだが、異世界の住人たちを見て楽しがっているのも本音だろう。
俺は仕事着の作務衣から私服に着替えて荷物をまとめると、千穂と一緒に従業員用入り口に向かって館内を歩いていった。
「おーい、ハールー!」
ふと、大きな声に呼び止められる。
女の子のような可愛らしい甲高い声に、しかし俺はげんなりとため息を吐きながら肩を落として振り向いた。
声のした方を見るとエルナトがいた。
いつもは片側で括っている長髪をほどいているせいで、エルナトだと気づくのに少し時間がかかってしまった。おそらく風呂上りなのだろう。
面倒なヤツに捕まってしまった。
エルナトはなにが楽しいのか、いつも俺で遊んでくるのだ。
顔を近づけたり素肌を見せたり。
男だと言い張りながらも、どこからどうみても美少女のような容姿でそれを無遠慮にやってくるから性質が悪い。
そのまま通り過ぎようかと思ったが、エルナトの側にあったもう一つの人影に思わず脚を止めてしまっていた。
「シエラも一緒なのか」
「はい。こんばんは、ハルさん」
エルナトの傍らに立っていたシエラが姿勢よく身を傾けて礼をする。
一挙手一投足に彼女の淑やかさが滲み出ていて、日本で言う大和撫子のような上品さに満ち溢れている。
二人とも普段は私服が多いのだが、今日は珍しく館内着の浴衣だ。
白地に紺の柄が入ったよくある温泉地の浴衣だが、ブロンド髪で細身なエルナトや黒髪だが鼻が高く端正な顔立ちのシエラがそれを着ると、縁日などに着る派手な浴衣よりもずっと綺麗で品のある着物のように見えた。
ちなみにシエラの浴衣だけは背中から翼が出せる特別仕様だ。
浴衣は何よりも身体のラインがくっきりと出る。
肌に密着したシルエットがシエラの豊満な胸をかたどったように浮かび上がらせていた。彼女はそんなことをまったく意識していないのだろうが、健全な思春期男子としては目に余る光景だ。
エルナトも胸のふくらみは一切無いが、普段の可愛らしい仕草もあって、丸みをおびた小桃のような尻が女の子のように浮き立って見える。
お前は男だろ、と内心で突っ込みながらもつい目をやってしまいそうになった。
「それにしても珍しい組み合わせだな。二人とも仲がよかったのか」
「ボクたちもこの旅館で最近知り合ったばかりだよ。ここって同年代が少ないでしょ」
「まあ確かにそうだな」
客で言えばエルナトにシエラ、それと詳しい実年齢はわからないアーシェくらいか。小人族の家族もいるが、彼らはそもそも全員が小さすぎて年齢の判断ができない。
「それで私たち、話が合いまして」
「仲良くなったんだよね」
二人が向き合うと、「ねー」と可愛らしく笑いあった。
まるで俺たちの世界の普通の女の子たちと同じようで微笑ましい光景だ。
どこの世界だって女の子という生き物は変わらないのだろう。いや、一人は男だが。
エルナトたちがいるのは館内に設置されているアミューズメントコーナーだった。
ゲームコーナーと壁を一つ挟んで隣り合っているのだが、大浴場から出て客室とは正反対の方向にあるせいであまり人目につかないため、ゲームコーナー共々寂れたスポットになっている。
遊具はエアホッケーや古いパチンコ台などの手軽にできるものがいくつか並んでいる程度だ。その中でエルナトたちがいたのは、一角に置かれた卓球台の前だった。
「卓球するのか」
俺が尋ねると、しかしエルナトもシエラも困ったように顔をひそめた。
「そうなんですけど……」
「仲居さんから遊べるものがあるって聞いて来たんだけど、せっかくだからやってみようって思っても、実はボクたち、これってよく知らなくて」
「ああ、そうか。説明書きもなにもないんだな」
向こうの世界に同じようなスポーツがあるかはわからないが、卓球のルールなんて知らなくて当然だ。卓球台を前に、二人はどうやって遊ぶものなのか把握しかねているようだった。
側に置かれた籠にはラケットとピン球がいくつか入っているだけ。これでは多少の察しはつくかもしれないが理解は難しいだろう。
異世界人向け旅館としてできた当初から置かれているのにこの問題が放置されているあたり、これまでまったく使われることがなかったのだろう。
これでは温泉旅館の定番も、異世界人にはただの分厚い横板だ。
口で伝えるよりも実演するほうが早いと思い、ラバーの干からびたシェイクラケットとピン球を手に取った。
千穂に声をかけ、ラケットを持たせて反対側に立たせる。
二人とも、小さい頃からこれで遊んでいるため手馴れたものだ。
「いくぞ、千穂」とピン球を打ち出すと、プラスチックのピン球が卓球台に当たって甲高い音を打ち鳴らした。
千穂も身体が小さいながらに背伸びをして打ち返す。
山なりの弧を描いたゆっくりなラリーだが、温泉卓球といえばこんなものだろう。
俺と千穂の間を行き来するピン球を、エルナトとシエラは眼を輝かせながら見守っていた。
「なるほど。その球を一度だけ跳ねさせて交互に打ち合う遊びだね」
「おもしろそうですね」
「じゃあ二人とも、やってみて」
「お姉ちゃんたちがんばれー」
俺は得意げに鼻を鳴らすエルナトにラケットを渡した。
シエラも、正反対に自信なさ気に千穂からラケットを受け取った。
細かいルールはまだ先でいいだろう。
今はとにかく、少しでも触って楽しいと思ってくれればそれでいいと思った。




