-2 『なまいき男の娘』
「あっ。おーい、ハルー!」
昼下がりの廊下を歩いていると声をかけられた。
振り返ると、以前に深夜の男風呂で出くわした美少女――もとい美少年がいた。
名前はエルナトというらしい。
エルフ族とよばれる森の中で生活する色白の人種だ。
一見すると普通の人間族と変わらない印象だが、彼らは中性的で美形な顔立ちをしていることが多いらしい。
今日は風呂上りの浴衣姿ではなく、緑を基調とした薄着の私服を纏っていた。
カーディガンのような薄地の上着の下に七部丈の白いシャツ。ベージュ色のホットパンツと黒のニーハイの間からはほんのり淡い肌色の絶対領域が窺える。
艶のあるブロンドの髪はサイドアップで一つにまとめて結っていた。
エルフ族の特徴であるとがった耳もある。ほっそりとした四肢にくびれのように見えるボディラインはやはりどこからどうみても女の子なのだが、これで男だというから信じられない。
手を振りながら駆け寄ってくる。
俺と肩が触れそうなほどの距離まで近づいてきた。
エルナトはちょうど男風呂の事件があった日に来館したばかりだった。
あれからすでに数日ほど経ったが、それからというもの、こうして道すがらに俺を見つけてはどういうわけか一目散に駆け寄ってくるようになっていた。
エルナトが密着させた身体をあからさまに押し付けてくる。
小柄なエルナトを真上から覗き込むような形になり、浮き出た鎖骨から下に視線を落とすと、衿が弛んで広がった胸元の奥の方まで見えそうになった。
本人曰く男なのでもちろん凹凸のない胸なのだが、どうしてかそれ以上は見てはいけない背徳感に襲われ咄嗟に視線を逸らす。
「ふふっ、ドキドキする?」
頬を持ち上げ、茶目っ気のある声でエルナトが微笑む。
出会って間もないというのに、エルナトはまるで壁を感じさせなかった。気さくに話しかけてくる彼に、同性や同じくらいの年齢ということもあって、いつしか俺も同級生の男友達と接しているような感覚で話すようになっていた。
「ドキドキなんてするか。ありえないだろ」
「ほんとかなあ?」
「当たり前だ」と俺は至って平静を装って返す。
たとえ男とはいえ、一見すると美少女にしか見えない風貌を目の前にしては、イヤでも意識してしまうのが男の性というものだ。
薄い服越しに伝わってくる生々しい体温や、触れた腕に感じる滑らかな肌触りだけでも本能が反応してしまいそうになる。
それをエルナトも理解しているのか、まるで俺の一瞬の感情の機微を楽しむかのように表情をにやつかせてばかりいた。反応を見て遊んでいるらしい。
更に身体を押し寄せて顔を覗き込んできたエルナトを肘で押し返す。
「なにやってるんだよ。やめろ」
「いいじゃん。だって暇なんだもん。かまってよ」
「俺は暇じゃない」
「ぶぅ、ケチんぼ」
言葉で突き放すと、エルナトは人差し指を立て、頬を膨らませてぶうたれた。
「それにしても、この前は何であんな時間にいたんだ。清掃時間は知らされていただろ」
「いやあ、だって露天風呂の木組みの屋根って素晴らしいじゃない? それとかを見てたらいつの間にか時間が過ぎちゃってたんだ」
「屋根?」
「あの外観を壊さぬように考え抜かれた柱の組み方。あれはそんじょどこらの素人にはできないよ。この世界にはああいった木造の建物がたくさんあるだってね。素晴らしいよ。それに湯船の囲いに使われている材木。驚くほど精巧に同じサイズ同士の木を繋げて一本の柱のようにし、隙間なく正確に敷かれているのは見事なものだね。僕も一度、こんなすごいお風呂を作ってみたいって思ったよ」
エルナトは急に鼻息を荒げて語り始める。
「なんだ。建築とか、そういうのが好きなのか」
「建築が好き、というわけではないけどやっぱり惹かれるところはあるかな。ボクたちエルフは森に住んでいるから、木を使った加工や細工をすることがとても多いんだ。森で生きていくためには必要だから細工方法なんかは子どもの頃にみんな習得するんだよ。それで家の建築や修理をしたり、工芸細工として品物にして森の外で売ったりしてお金を得るんだ」
「へえ、すごいな」
「ボクたちエルフは人間よりも手先が器用って言われているからね。簡単なものだったら、一度見ただけで同じ物を同じ形で精巧に再現させたりなんてのもできたりするし」
「じゃあエルナトも何か作れたりするわけだ」
「もちろん」
エルナトは得意げに意気込むと、どこからともなくいきなり長さ十五センチくらいの木片と短刀のような工具を取り出した。そして目にも留まらぬ速さで手元を動かし、あっという間に木彫りの何かを彫り上げてしまった。
「さあ、これはいったいなんでしょう」とエルナトがその完成した木彫りを差し出してくる。
置物だろうか。丸い土台から少し曲線にしなるような細長い棒状の突起が伸びており、先っぽだけはまるできのこの傘みたく少しだけ丸く膨らんでいる。
やや先端のつくりが雑だが、エルナトが持っているせいもあって、どう見てもそれは男性のアレのようにしか見えなかった。
果たしてこれは言って良いものなのだろうかと俺の中の自制心が歯止めをかける エルナトのにやついた表情は、あからさまに俺からその言葉を誘っているようにも見えた。
「ねえ、なんだと思う?」
息を吹きかけるようにエルナトが耳元で囁いてくる。
わかっているのかいないのか、女の子のように細く白い指でわざとらしく木彫りの突起部分を撫で回している。
――女の子のような見た目の子が、アレを撫でくり回している。
エルナトの手つきを見ないように目を伏せるが、その先には彼の下半身があり、結局はおそらくエルナトにもあるだろうアレを想起してしまった。
余計に頭が沸騰しそうになる。
視線に気づいたエルナトが「いやん」と身を捩じらせた。
――お前は本当に男なのか。と服をひん剥いて問いただしたいが、我慢だ。あくまで彼は大事なお客様である。
「ふふっ……えっち」
エルナトは存分に楽しんだと言うように満足げに笑うと、木彫りの突起を手に掲げた。
「これはボクたちの世界にいる動物の角を模した弓掛けだよ。僕たちが森での狩りで使う弓を引っ掛けておくんだ。獲物を引っ掛けられるようにっていう験担ぎの意味もあるんだよ」
「お、おう。なるほど」
もちろん俺もそんなことだろうとは思っていた。嘘ではない。断じて。
「ねえ、ハルはいったい何を想像してたのかな?」とまたもエルナトは悪戯な笑みを浮かべる。
「な、なにも想像してない」
「本当に?」
「本当だ」
「本当の本当に?」
「当たり前だ」
と、唐突にエルナトが一瞬だけ俺の下半身の方へと視線を落としてすぐに戻す。
「おい、何を見た」
「ううん。なんでも」
エルナトが手で口許を隠すようにしてほくそ笑んだのを、俺はしっかりと見逃さなかった。




