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 -10『三人目の少女?』

 異世界交流旅館「あやめ荘」の大浴場は、男女ともに夜の十二時で終了となる。


 翌日の朝五時から男女の風呂を入れ替えて再開するのだが、それまでの間はスタッフによる清掃などが毎日深夜に行われている。


 俺も週に二度ほどそれを担当させられており、今日が丁度その日だった。


 本来のバイト時間は夕方、残業しても八時くらいまでなのだが、掃除がある日は一度家に帰って千穂と晩御飯を済ませてからもう一度出勤だ。


 労働基準法で十八歳以下は二十二時以降の就労は禁止されている。だが俺の場合はバイトと言ってはいるが、実質は雇用関係というよりも親の家業をただ手伝っているに過ぎない。


「まあ、働かせてもらってるだけ文句は言えないよなあ。なにより断然給料もいいし」


 感覚的には給料というよりもほとんどお小遣いのようなものだが。


 旅館経営における事務処理などはふみかさんたち正規のスタッフがすべて行っている。

 そもそも元からそれほど従業員が不足してるわけでもなく、俺の仕事はせいぜい他の従業員たちの過密スケジュールを少しでも減らせるようにと立ち回るのが基本だった。


 朝の仲居さんと一緒に客室の布団やゴミの片づけをして回ったり、昼には敷地内の庭や館内の掃除、簡単なお客様への接客応対に加えて夜は夕食での配膳の手伝い。勤務時間帯は日によってまばらだ。


「将来、後を継ぐときのためにも色々と経験して勉強を重ねておくといいわよ」とは、俺が働き始めた時にふみかさんが言った言葉だ。


 そんなつもりは毛頭ないのだが、俺のような何の知識もない高校生が急に働くには、些細な裏方の仕事などを箒で掃くように隅々まで掻き集めないと見つからないのだった。


 家から旅館に向かう真夜中の県道沿いの家々はすっかり寝静まっている。

 ぽつりぽつりと点在する外灯の脇で、田んぼの蛙の鳴き声だけが重奏のように響いていた。


 旅館にたどりつくと、従業員入り口から音を立てないように入る。

 事務所でまだ仕事をしていたふみかさんや母さんたちに挨拶をしてから大浴場へと向かった。


 消灯した真夜中の館内は、俺が昔から大好きな場所だった。

 足元からかすかに零れ出る間接照明と、非常口の緑のライトだけが周囲を照らすだけの、ノイズや薄い暗幕がかかったような奇妙な薄暗さ。


 まるで時間が止まったかのように静かで、廊下を歩く自分のわずかな衣擦れの音と、軋む音をあげる床の音が、ずっと遠くの向こうにまで届いていく。


 自分だけがこの場所を占有しているようで、不思議な優越感に満たされる。


 大浴場前にたどり着いたのはちょうど十二時を迎えようとしていた頃だった。

 近くの壁掛け時計で十二時を回ったことを確認すると、両方の暖簾を取り、物置から掃除道具一式と清掃中の看板を取り出した。


 と、ふと男湯側に館内スリッパが残っていることに気づいた。


「あれ?」


 中に入ってみると、脱衣所の棚の籠にも一着の着物と荷物袋が残されている。やはり誰かがまだ入浴しているようだ。


 口うるさく時間厳守というわけでもないのだが、この時間まで客が風呂に入っていることは非常に稀だ。


 浴場内にも時計はあるはずだ。

 もしかすると気づいていないのかもしれない。掃除のことを伝えるためにも浴場へ顔を出してみることにした。


 二十人は同時に入れるほどの自慢の大浴場には誰もいない。

 ならばサウナに入っているのかとサウナ室の丸窓を覗き込んだが、香草サウナにもミストサウナにもやはり人影は見当たらなかった。


 となると後は露天風呂だけだ。


 浴場の奥にある厚手の二重扉を通って外に出る。

 湯気に蒸されて汗をかいた肌に夜風があたり、若干の肌寒さを覚えた。


 露天風呂も当館の自慢の一つだ。

 館内での逗留がメインである異世界人たちへのアピールのためにも、政府に買収された時に大幅に改修されたのだ。


 まず裏山の傾斜面を削って敷地を広げ、従来からある大風呂は二倍ほどの大きさになった。隣には檜風呂があり、綺麗な木組みの屋根に天井が覆われている。


 どこかに客がまだ残っていないかと見回していると、ふと、大風呂の一角で湯からキノコが生えたようにひとつの頭が浮かんでいることに気づいた。


 湯気が漂いよく見えないが、やはり誰かがいるらしい。

 金色で、照明を浴びて煌くほどの艶のある髪を下げた、人間と同じくらいの大きさの後頭部。リザードマンやゴーレムなどではなさそうだ。


「あの――」


 もう終わりの時間ですよと声をかけようとすると、ほぼ同時にその頭が持ちあがり、激しい飛沫を騒がせながら立ち上がった。


 途端、俺は我が目を疑った。


 背を向けたまま立ち上がったその人影は驚くほどに色白で、四肢は細く、肩より長いブロンドの髪に水を滴らせていた。


 それだけならばいい。だが人影の持つややくびれた腰といい、丸みのある尻肉といい、その後姿はどこからどう見ても『男性』のそれではなかったのだ。


 シエラと混浴した時のことを不意に思い出してしまう。

 彼女の雪のように白い肌と女性らしい前にも横にも凹凸の激しい肢体。


 しかし今目の前で立ち上がったその人影の後姿も、胸の膨らみこそはなさそうだが、負けず劣らずに綺麗な肌をしていた。肉付の少なそうな華奢な体だが、尻は小ぶりながらも桃のように丸みがあった。


 ――なんでだ、俺が間違って女湯にでも入っちゃったのか?


 動揺のあまりに考えるが、しかし確かにここは男湯だ。

 暖簾だって取ったし、女湯側はまた別の造りの露天風呂になっている。


 ならば向こうが間違って入ってしまったのか。


「誰ですか」


 鈴を鳴らしたように綺麗な澄んだ声がした。

 注ぎ口から排出されるお湯の音が響く中でもよく聞こえた。


 声と同時にその人影が振り返ろうとする。ちょうど爽やかな夜風が通り過ぎ、人影を隠す湯気が綺麗に霧散して見通しをよくした。

 覆い隠すものがなくなり、その人影の裸体が露になる。


「す、すみませんでした!」


 俺は反射的に、そう叫んで身体を反転させた。

 急いで露天風呂から出て、脱衣所から廊下までを一目散に駆け抜けた。


 廊下の窓枠に手をかける。


 急なことに荒ぶった呼吸を落ち着けようとするが、先ほどの綺麗な素肌が目に焼きつき、一度頂点にまで昂ぶった心臓の鼓動はなかなか収まらない。十数回と深呼吸を繰り返して、ようやくどうにか平静を取り戻し始めた。


 これはまずい。大問題だ。

 でも見てない。ちゃんと見てないからセーフだ。

 冷静になった頭が、それでも事態の把握に追いつかない。


 俺が入ったのはたしかに男湯だ。間違えるはずがない。

 それなのにどうして――。


「ボクになにか御用かな?」

「……うわあっ!」


 耳元をいきなりほんのり温かい風がくすぐったかと思うと、同時に囁くような声が優しく鼓膜を揺らしてきた。


 虚を突かれた俺は、お化けを見た子どものように驚いて大声を出してしまった。静間の広がる館内に声が反響し、しまった、と慌てて口を噤む。


 振り返ると、目の前には湯船で見かけたその人物が佇んでいた。


 ブロンドの髪に翡翠色の瞳。

 俺より十センチくらいは低い小柄だが、顔立ちは凛々しく整った美人な風貌だ。長いまつげと丸い瞳にまだ幾分か幼さが垣間見える。


 あのあとすぐに追いかけてきたのか、まだほとんど髪も乾いていなく、浴衣は羽織っただけで腰紐は巻いていない格好だった。そのせいで鎖骨の下から、ぎりぎり胸の先っぽが見えないくらいの辺りまで肌が露になってしまっている。


 少しでも身体を傾けようものならば、垂れ下がった衿先も一緒に傾いてほぼほぼ胸元の全てが見えてしまいそうなほどだった 温泉で肌の血行がよくなり上気してるせいか、言葉にできない色っぽさまで漂わせている始末だ。


 そんな破廉恥痴女を前にどうやって冷静さを保てばいいのか。

 俺は必死に目を逸らして煩悩と戦いながら、どうにか理性を働かせて言った。


「こ、こっちは男湯ですよ」

「知ってるよ」

「……え?」

「うん、知ってる」


 その半裸の女の子はけろりとした表情であっさりと返答してくる。


 男湯だと知ってて入ったのか。やはり本当に痴女ではないか。


 目の前に半裸の女の子がいて、その子の裸を思い切り見てしまったという事実が、俺の思春期の心を果てしなく騒ぎ立たせる。


 ――静まれ、俺。静まれ、俺。


 必死に言い聞かせる。


 女の子が、俺の目を覗き込むように息のかかる距離まで顔を近づけてきた。

 そのせいでせっかく収まりかけた動悸をがまたも激しい律動を再開させる。


 ふと、彼女は何かに気づいたように目を見開き、おもむろににまりと笑んだ。


「ああー、もしかしてボクを盗み見ようとしていたのかな?」

「ち、違う! そうじゃなくって。その……」

「こっちの世界だと、覗きはどこに通報すればいいんだろう。警備団とかあるのかな」

「いやいや、だから覗きじゃないんだってば」

「でもボクに見つかった途端に逃げていったよね。怪しいなあ」


 余裕に膨らんだ妖艶な笑みを浮かべる女の子の物言いは、攻め立てるというよりも、まるで一言一言の俺の反応を楽しんでいるようだった。


 急な冤罪への焦りと、おまけに彼女から漂ってくるほんのりとした花のような女の子の香りに、俺の頭がカチ割れそうだった。


「――じゃなくて、あなたはどうして男湯にいるんですか」


 やっとの思いで話を切り出す。

 だが少女はやはり不敵に笑いながら、さも可笑しなものでも見たかのような顔で言った。


「え? どうしてって言われても……だってボク、男だし」

「…………え?」


 予想だにしない返答に、俺はただ呆然と口を開けることしかできなかった。

 しばらくしてようやく頭が回り始め、保留されていた言葉の理解が追いつく。

 そして、


「な――」

「な?」と首をかしげた眼前の少女に、俺は般若面のような大口開きで腹の底から叫んだ。


「なんだそりゃああああああああああああ!」と。


 男の劣情を打ち砕かれ、俺はただただショックと後悔の念に押しつぶされそうだった。


 こんなのまでアリなのか、異世界。


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