-8 『つん』
基本的に来客は『門』のある敷地裏の建物からだが、従業員には個別の出入り口がある。そのためフロント前の自動ドアが開くことは珍しい。
外出には許可が要るせいもあって客たちはみな館内での逗留ばかりで、ほぼほぼ無用の長物となっていた。
ロビーは増築改装前の普通の旅館だった頃に使われていた当時のままだ。
今後、もしも異世界の住人との関係が広まり世間に公にされた頃には、この旅館も一般客の来訪を受け入れ異種混合の異世界間交流旅館として活用されるのだろうが、そうなる未来はまだ先らしい。
今ではフロントが鍵を預けたりするだけの事務窓口として利用されているだけだ。そんな寂れた玄関口だが、ここ最近は昼と夕方の二回、とある客によって利用されている。
俺がフロントのカウンターに肘をつきながら宿泊者名簿を眺めていると、滅多に動かない自動ドアが開いた。外からやって来たのは、以前盛大に俺を突き飛ばした少女だ。
気圧差で噴き出した風に当てられて、彼女の白銀の髪が派手やかに揺れる。
お帰りなさいませ、と目の前を通り過ぎる少女にマニュアルどおり声をかけようとしたが、この前も安易に声をかけて吹き飛ばされたことを思い出し、途端に言葉を喉から引っ込めた。
触らぬ神にたたりなし、というものだ。ここは気づかなかったことにしよう。
ふみかさんに聞いた話だが、異世界には西洋ファンタジーでよく見かけるドワーフという種族も存在するらしい。男性は若くから老人のような老けた見た目になるが、女性は反対に成人しても小さい少女のようなままなのだそうだ。
そうであれば、あの少女が俺に子ども扱いされて怒ったことも納得できる。彼女が外見にそぐわず大人だとすれば確かに失礼だ。
名簿を見ながらやや顔を埋めるように身を伏せていると、少女の方も俺に気づいていないのか――それともただ無視しているのか、無言のまま一瞥もせず通り過ぎていこうとした。
が、彼女が外履きの下駄から館内スリッパに履き替えて通りがかった途端、
「っふぎゅ」
潰れたような声と同時に、何かが床に叩きつけられる音が館内に響いた。
何事かと思って咄嗟に様子を覗き見やる。
そこには、いつの間にか腹這いになって倒れている少女の姿があった。
着物を着慣れない人は裾を踏んづけてしまうことはよくある。
まさにその典型のように、裾を踏んだせいで足が絡まり思いっきり顔面から目の前に倒伏したらしい。
少女が赤らめた顔をばっと慌てて持ち上げる。
しきりに辺りを確認する。やがて誰もいないと思ったのか、短く息を吐いて襟元をただし、またいつもの凛然とした表情に戻っていた。
俺はというと、見てはいけない物を見てしまったような気がしてつい陰へと隠れてしまっていた。何事もなかったかのように立ち上がる姿が盗み見える。
平然としながらも目尻は潤んでるように見えたのは気のせいだろうか。
気を取り直してそそくさと部屋の方へ戻っていく彼女の背中を眺めながら、俺は妙な申し訳なさに心を痛めていた。
○
それから一時間も経っていない頃。
俺は館内の掃除のため、ちりとりと箒を片手に客間へと続く廊下を歩いていた。
途中には壁で隔たれていない休憩室があり、旅館が管理してる専用のコインで買える自動販売機と皮のチェア、申し訳程度の観葉植物が置かれている。風呂から戻ってきた館内着の客がよくそこで涼んでいるのだが、今日は珍しい背中が見えた。
さっきの特別扱いされている女の子だ。
椅子に腰掛けながら天窓から見える外の景色をぼうっと眺めている。
「そこは風通しがいいから、あまりいすぎると風邪をひきますよ」
声をかけてみる。だがやはりというか、一瞥をくれる気配もない。
「あの――」
「私は客じゃないわ」
何度か声をかけた後、ようやく彼女が口を開いた。
てっきり意地でも喋らないものと思っていた俺は思わず面食らってしまった。
しかし少女は俺に一切見向きもせず、まるで独り言のように続ける。
「私は正式な客じゃないの。だから接待する必要もない。無理に私と接してくる必要なんてないのよ。他の従業員たちにもそう言ってるから」
「客じゃないって言われても」
「じゃあそこらへんの石ころとでも思っていればいいわ」
少女は俺に一切の目もくれず、適当にあしらうようだった。
まるで相手にされていないことに少し腹が立ってしまっていたのもあるだろう。俺はまったく後先のことなど考えず、開き直ったように語気を強めて言い返した。
「そうか……じゃあ客じゃないんだったら遠慮なく言わせてもらうぞ」
様子の変化に気づいたのか「なによ」と少女がやっと顔を向けて不快そうに口を尖らせる。
「たしか、何か探し物をしているんだっけか」
「そうよ」
「何を探しているのか知らないけど、いつも不機嫌な顔で帰ってきては、そんな辛気臭い仏頂面で館内をうろつかれると恐いんだよ。俺のことも問答無用で殴りやがって」
「な、なんですって――」
「おまけに他の人たちに聞いたところ、旅館にいる時はずっと部屋に篭ったりしてばっかりらしいじゃないか。ここには温泉だって美味い飯だってある。出かける用事があるのは別にいいとしてもせっかくこの旅館に来てるんだ。そんな仏頂面ばかりしていて楽しいのかよ」
別に怒っているわけではない。口調だっていたって穏やかだ。
そんな俺の言葉に、少女は鼻を鳴らして顔を背けた。
「私は別に楽しくなりたいと思ってここに来たわけじゃないわ」
探し物をしているからここにいる。それはわかるが、俺はどうにも納得できなかった。
「別に他に用があるのは構わないけどさ。そっちばっかに躍起にならないで、もっとこの旅館にいる間を満喫したらどうだ」
「勝手ね。人がどんな気持ちでいようと関係ないじゃない」
「……まあ、たしかに勝手だけどさ」
正論だ。少女に言われて、俺は自分の身勝手な言動に疑問を抱いてしまった。
どうしてこのようなことを言ってしまったのだろう。
こんな片田舎の寂れた旅館なんて好きでもなんでもなかったはずなのに。
「なんでだろうな。でも、この旅館でそんなつまらなそうな顔をしている人を見るのはなんかイヤなんだ。俺の勝手な感情なんだけどさ。なんていうか、よくわからないけど、寂しい気持ちになってくるんだよ。だから気になったんだと思う」
少女を見ているうちに、そんな気持ちがふと俺の中で芽吹いていることに気づいた。
「否が応にも客を楽しませたいだとかいう綺麗ごとかしら。随分と殊勝な従業員ね」
「別にそんなつもりじゃないって。……ただ、さ。誰とも喋らずにそうやって独りで塞ぎこんでいたら、心が病気になっちまうぞ」
おせっかいな言葉だとはわかっている。
俺も、こんな説教じみたことを言うのはらしくないと思う。少女にとっても大きなお世話だろう。いっそのこと「うるさい」とまた俺を突き飛ばしてくれれば格好悪くオチも付くというのだが。
間近で見る少女の顔立ちはまるで西洋人形のようで、銀糸のような長い白髪を繕いもせず垂れさせている風貌はまさに幼い子どもそのものだった。
目尻の鋭さにいまだ気迫は残るものの、こうして相対すると、なんてことないただの普通の少女のようだと思った。
「こっちの世界で友達がつくれずに気を許す相手が居ないっていうんなら、俺ぐらいだったら仕事の片手間に相手してやるぞ」
にへら、とわざとらしく俺は笑顔をつくった。するとやっと少女は我を取り戻したように瞬きをして、見慣れた仏頂面へと一瞬で様変わりする。
「うるさいっ」と俺に渾身の右ストレートを叩き込んでくるのだった。
馬鹿力の鉄拳を腹に受けて俺の身体が壁へと叩きつけられる。
途方もない激痛に襲われ、気づかないうちに意識を失っていた。
気が付いたのは数分後だった。休憩所にはすでに少女の姿は無く、壁にもたれて座り込んだ俺だけになっていた。
「はあ、とんだ暴力少女だな」
溜め息まじりに立ち上がろうと手に床を付いた時、何かにぶつかった。
それを手に取る。
休憩所の自動販売機で売っている缶ジュースだった。
誰が置いたのかはわからないが、従業員が倒れていて騒ぎにもなっていないあたり、そういうことなのだろう。
『無添加冷製かぼちゃスープ』
「これは……美味いのか?」
これも一つの異世界交流の仕方なのかな、と苦笑を盛らす俺だった。




