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はじまり

「三号室のフリード様、前菜をすぐに完食しそうから早く次のコースの用意して。五号室のお客様にお酒は駄目よ。酔っ払うと口から火を噴くから。理由をつけてでも意地でも拒否して。あとは――」


 旅館の厨房は、夕食時になると戦場と化す。


 数人の板前が所狭しと行き交い、包丁で魚を捌いたり肉を焼いたりと大忙しだ。

 そんな白帽を忙しなく揺らす彼らに、スーツ姿の眼鏡の女性が手元のメモ帳を見ながらてきぱきと指示を出す。


 魚の調理は鮮度が命。

 板前達は、額に汗を流しながらも拭く暇すら惜しんで手を動かす。


「えっと、こいつの刺身は六号室のお客様でいいんだっけか」

「ばっか野郎。六号室は魚人のお客様だ。それじゃ共食いになっちまうだろうか。そいつは二号室だ」


 新米の板前に板長が怒鳴りつける。


「それと四号室はゴーレムのお客様だ。岩塩をたっぷりまぶしといてやれよ。好物だ」

「了解です」

「あとは……おう、ふみかさん。鳥人族ってのは鳥は全部駄目なのか」


 板長がスーツ姿の女性に尋ねる。


 ふみかと呼ばれたその女性は、手に持ったボールペンの頭を甘噛みしながらメモ帳をめくっていった。少ししわの入った三十代女性の眉間に、むっともう一つしわが増える。


「駄目、それは情報がないわ」

「おいおい。聞いてるんじゃなかったのかよ。しっかりしてくれ。これじゃ用意して良いのかわかんねえよ」

「入館時のアンケートにも書いてなかったのよ。もう、担当の仲居が聞きそびれたのね。ちゃんと注意しておかないと」


「なにやってんだよ。紙になんて頼らずにちゃんと口で聞けばいい話しだろうが。宗教上の理由か、それとも生物的に食べれねえものはないですかってな。んで、どうすんだ」

「すぐに聞きに行くわ」


 ふみかという女性が厨房を出る。

 それと入れ替わりに、着物を汗で湿らせた仲居が駆け込んできた。


「大変です。三号室のフリード様、もう前菜を食べ終わって、次はまだかとお怒りになってます!」

「三号室は確かリザードマンか。くそ、あの連中は気が早いからな。あー、もう。いま準備してるから意地でも待ってもらえ!」


 板長の怒鳴り声に、板前達全員の背筋がぴんと伸びる。


「おい、三号室を優先だ。四号室は……ゴーレムのお客様だな。少し待ってもらえ。詫びはハルにでも行かせろ。お気に入りだ」

「わかりました!」


 板長の指示で板前達が自分達の作業を確認し、実行に移す。


 旅館の厨房の一風景にしては奇妙な単語が飛び交ってはいるが、それに誰一人として訝る者はいない。


 流れるような所作で魚を捌き、肉を削ぎ、焼いたり炙ったり、煮込んだり。

 小鍋とセットで野菜と肉を盛り付ける膳もあれば、新鮮な身をぷりぷり輝かせる刺身ばかりが並んだ膳まで。お客様によって食材や品を変え、手間もその分増えている。


「できあがりました!」


 新米が品を膳に移す。


 ミディアムに焼かれた牛の分厚いもも肉を薄切りにし、黒胡椒そっと一振りさせた鉄板焼き。肉の下には、染み出た油で肉がふやけないよう、スライスした玉ねぎを敷いている。熱と牛肉の脂が甘く絡まり、飴色になった玉ねぎは柔らかく美味しそうだ。


 仲居がそれを受け取ると、配膳台に乗せて大慌てで厨房を出て行った。


 一つ終わってもまだ終わりではない。次の料理を用意するため、息吐く暇もなく次の品へと取り掛かる。


 まさに戦場。

 格闘技のような熱さ。


 そんな目まぐるしい厨房に顔を出した俺――高野春聡こうのはるさとは、思わず心が気圧されそうになっていた。


「えっと、四号室のお客様、もうすぐお造りを完食です。焼き物の準備をお願いします。あと、ビール一瓶の追加注文です」


 暖簾をめくって顔を出し、恐る恐る声を出して伝える。

 そんな俺に、板長は眉間の血管が切れそうなほど浮きたたせて怒鳴り返した。


「すぐ用意するからちょっと待ってもらえ! それとビールはいちいち報告しなくていい。伝票に書いたら冷蔵庫からさっさと持ってけ!」

「は、はい! すみません」


 大慌てで、厨房入り口の冷蔵庫からビールを一瓶取り出す。


「板長はこの時間は誰に対してもこうだから気にするなよ」と、中堅の板前のお兄さんが教えてくれた。


「ありがとう」

「おいお前ら! なに喋ってサボってやがる!」

「すみません!」


 怒鳴り声から逃げるように、俺は大急ぎで厨房から飛び出していた。


 忙しいのは厨房だけではない。


 旅館の廊下を仲居たちが忙しなく歩き回っている。

 人目につかない裏口などでは走ってすらいる。いつも綺麗な落ち着いた所作で客を出迎える彼女達の印象とは大違いだ。


 みんなが汗を流してぜえぜえ悲鳴を上げていた。


「接客って、大変だな」


 キンキンに冷えたビール瓶をお盆に乗せて運びながら、俺は呼吸を落ち着けた。


 ただでさえ大変な接客業。

 しかし、この職場にはもっと忙しい要因が存在する。


「おい、いい加減次の飯はまだなのか!」

「ああお客様、困ります。どうかお部屋にお戻りください。すぐに用意いたしますから」


 部屋から客が飛び出してくる。

 しかしその客、人間ではない。


 相撲取りのような巨漢であるが、肌はくすんだ紺色。

 全身にうろこがあり、馬のような細長い顔立ちとトカゲの尻尾が特徴的な、いわゆるリザードマンと呼ばれる人型の生き物だった


 小さい頃にやっていたゲームに出てきたファンタジーなモンスターが、今、俺の目の前で鋭い牙をちらつかせながら騒いでいる。


 慌てて他の仲居も駆けつけ、半ば力ずくでそのリザードマンは客室へと返されていった。


「……やべえ」と思わず声を漏らしてしまった。


 そして俺もしばらくして目的地である四号室へたどり着く。

 ノックをしてから中に入ると、そこには巨大な石が立っていた。

 男子高校生である俺よりもずっと大きな一枚の岩。しかも浴衣を羽織っている。


 その岩が、ふと振り返った。


「あらあ、待ってたわあ」


 岩が色っぽい女の声を上げる。

 巨大な一枚岩の上には、顔のような形をした更なる岩が乗っかっていて、声はその動かない口許から出ていた。


 そう、この岩も客ではあるが人間ではない。

 ゴーレムという、体が岩石でできた種族である。


「お、お待たせしました。ビールでございます」

「あらあ、ありがとお。ほおらあ、こっちきて注いでちょうだあい」


 無機質なその見た目からは想像もできないほど艶かしい声で誘われ、しかし俺は内心苦笑しながら満面の笑顔を作っていた。


 どれだけ色っぽく言われても、表情筋のないねずみ色の岩の言葉には、さすがの男心もくすぐれない。これがバニーガールが似合いそうな人間のお姉さんの台詞だったらどれだけ有頂天だったことか。


 空しさに心の中で涙を流しつつ、俺はそのゴーレム嬢の隣でビールの栓を抜いた。


「あなた、柔らかそうな肌してるわねえ」

「いえ、そんなに太っては」

「これくらいがちょうどいいのよお」

「そうなんですか」


 背中と腰の辺りをすりすり摩られながら、俺は我慢して笑顔を作ってビールを注ぐ。

 性別によってはセクハラである。いや、立派なセクハラである。しかし異種族の彼らにこの世界の法が通じるのかどうかは疑問だ。


 そう、彼らはこの世界の住人ではない。

 異世界――この世界ではないどこかからやってきた、異世界人なのだ。


 俺達はそんな彼らを接客し、温泉旅館として迎え入れてる。


 この地球で唯一の異世界交流温泉旅館『あやめ荘』。

 これは、俺と、そんな異種族の連中との交流を描いた物語である――。


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