第一話『空がとても青いから』第三章
バイト先である話を聞いた風切は、事件の全貌に気付く…。
第三章
翌日の放課後、まだ校内は不穏な空気に包まれていた。
それでも皆、それぞれの日常を生きようとしている。
「バイト行くか」
「塾行かなきゃー」
秋葉も、千夜も。
一人になった風切は、文化部棟を目指した。
漫研のドアを叩くと、「はーい」とるるの声が返ってくる。
「よう、この間は助かったよ」
ドアを開けると、三人は描いていたものを机の下にさっと隠した。
「どうしたんですか? 風切先輩」
瞳の問いかけに、風切は拳を握り締め、息を整える。
「あのさ、先月退学したやつの情報、教えてくれねえか?」
三人は顔を見合わせる。
そして、おずおずと風切に向き直ったのはリナだった。
「その……、何のために、ですか……?」
「明里のことを、知るためだ」
平井のように真っ直ぐな目で見つめると、リナは下を向いてしまった。
「でも、もうあたしたちが首突っ込んでいい問題じゃないですよ」
瞳は風切から目を逸らす。
「分かってる。でも、知りたいんだ。どんな危険が伴っても」
すると、るるが「もーいいじゃん」と肩を竦めた。
「教えてあげましょうよ。その代わり、海戸先輩にあたしが協力したってちゃんと伝えてくださいね、風切先輩」
「るるったら、もー。ま、ここまできたら仕方ないか」
その言葉に、風切はほっと息をついた。
風切が足を踏み入れたのは、所謂クラブという所だ。
薄暗いフロアにガンガンと頭が痛くなるほどの音量で奏でられるロックミュージック。そして煙草の匂い。
――ここにいるやつら、半分ぐらい十代じゃねえかよ。
しかし、今はそのことを気にしている場合ではない。風切は漫研で見せてもらった写真の顔を探した。
「いた!」
丸テーブルの周りに集まって何か飲んでいる――恐らくアルコールの類だろう――数人の少年たち。
「なあ、お前ら晴常生だろ?」
風切は踊っている男女を掻き分け、彼らの中で一番体の大きな者の肩を掴んだ。
「あ?」
髪を赤に染めたその少年は、気怠げな目で風切を見る。
「ドラッグのことで、話がある」
その言葉を聞いた瞬間、彼の目付きが変わった。
「ここじゃ話せねえ、場所移そうぜ」
そう言って、他の少年たちに何やら目で合図すると、彼らは歩き出した。
風切はその後ろをついて行く。
ドアを開け、階段を下り、たどり着いたのは地下駐車場だった。
「ここなら今は人もいねえ。お前、どこまであの話を知ってる?」
赤毛はポケットに手を入れ、風切を見る。
「この間退学になったお前らのダチ、葛原がドラッグやってたってことぐれえかな」
風切はそう言うと、相手を睨み付けた。
「ドラッグは、誰から買った?」
「お前もドラッグが欲しい……って感じじゃねえなあ。じゃあ、教えられねえよ」
緑髪の少年が、後ろから風切りに殴りかかる。
「っ!」
風切は振り返りもせずその拳を片手で受け止めた。
「なっ、なに!」
そしてそのまま、驚いた様子の緑頭を投げ飛ばす。
「俺は普通に話をするつもりで来たんだ。でも、そっちがその気なら相手になるぜ」
冷たい視線で、残りの四人を見つめる風切。
「はっ、一人で粋がってんじゃねえよ! ボコボコにしてやっかんな!」
赤い少年がそう言うと、後の三人が風切りに殴りかかる。
一人目の拳を腰を沈めて避けると、風切はそのまま相手に足払いをかけた。
そして次の攻撃を右に避け、相手の顔面に拳を叩き付ける。
三人目が怯んだところでその青い頭を掴み、腹に膝を入れた。
リーダー格に視線を移す。
「なあ、そろそろ教えてくんねーか?」
険しい顔で、彼に歩み寄った。
――残るは、こいつ一人。
その油断がいけなかった。最初に投げ飛ばされた少年が後ろから忍び寄るのに、風切は気付かない。
リーダー格がニヤリと笑った瞬間、彼はナイフを握った手を振り上げた。
「ぐあっ!」
しかし、悲鳴を上げたのは彼の方だった。
慌てて振り向いた風切の目に映ったのは……。
「秋葉!」
その少年は秋葉の力強い回し蹴りを側頭部に受け、数メートル先で気絶していた。
「風切君、話を聞くんだから気絶はさせちゃ駄目だよ!」
車の影に隠れている千夜の冷静な言葉に「おう!」と返した風切は、一気に赤毛の少年との間合いを詰めた。
反応できないでいる彼に足払いをかけ、その腹を踏み付ける。
「ぐっ!」
「さあ、話せよ」
「わ、分かった……」
風切の後ろでは、秋葉が他の少年たちが完全にのびているかを確かめている。
「じゃあ、まず一つ」
風切は少年を見下ろし、問いかけた。
「お前らは、誰からドラッグを買った?」
「あ、明里だよ。この間自殺した……」
――やっぱり。
風切の頭の中で、パズルのピースが嵌っていく。
「二つ目、ドラッグは普通に流通してるもんじゃなかった。そうだよな?」
「ああ、明里が言ってた。特製だから、中毒性は低いし他のよりよくトベるって」
「明里は、それを誰が作ったか言ってたか?」
「そりゃあ、俺たちだって知りもしねえやつの特製ドラッグなんて使わねえよ」
「誰が作ったんだ?」
「それは……」
彼の口から出た名前を聞いた時、全てのピースがあて嵌った。
「これから、どうする気?」
クラブを出ると、千夜は風切に問いかけた。
「学校に戻るわ。まだあいつ、いるかもしんねーし」
「そうか」
秋葉は頷いた後、下を向く。
「お前がやる必要は、ないだろ」
「うーん、なんかほっとけないっつーか」
「風切君らしいね」
千夜は苦笑した。
「でもさ、お前ら、バイトと塾は?」
「俺たちだって、お前のことほっとけねえんだよ」
「一日ぐらい休んでもどうとでもなるしね」
「そっか……」
風切は、頭を掻く。
「サンキュ」
久々に、本気で笑えた気がした。
南校舎の屋上へと通じる階段、そこに彼はいた。
立ち入り禁止のテープが張られたドアの前に、座っている。
「よう、平井」
風切はそんな彼を踊り場から見上げた。
「大体のこと、分かっちまった。明里が死んだ理由とか、さ」
平井は無言で風切を見る。
「見上げて話すのもなんだから、そっち行くな」
風切は一歩、また一歩と階段を上っていった。
その足取りは、非常に重い。
平井の所までたどり着いた風切は、その隣に腰を下ろした。
「なあ、違ってたら言ってくれよ。今から俺、すっげー失礼なこと言うから。殴ってもいいぜ?」
そう前置きして、息をつく。
「竹田を殺したのは、お前か?」
平井は下を向いたまま口を開いた。
「そうだって言ったら、どうします?」
「そうだなあ、自首しろって言うかな」
「先輩が俺を警察に突き出したら、ヒーローになれますよ」
風切は苦笑した。
「そういう柄じゃねえよ、俺は」
「そうですか」
平井は顔を上げると、閉じられたドアを振り返って見つめた。
「飛び降りにきたんですけど、竹田を殺したせいで屋上に入れないんです。まだ捜査が完全には終わってないらしくて」
「明里が死んだ時点で、鍵はかけられてただろ?」
「はい。でも、竹田にドラッグのことで話があるから屋上に来いって言ったら、簡単に開けてくれましたよ」
自分が殺されるとも、知らずに……。
「竹田は、自作のドラッグを明里に売らせてたんだな?」
平井は頷いた。
「あいつ、バイトしなくて済むようになったからバスケ部に入ってみたいって、言ってたんです。俺、すっげー嬉しくて、何でバイト辞めたのかも聞かなかった……」
「聞かれても明里は言わなかっただろうな。ドラッグを売って稼いだ金で生活してる、なんて」
「あいつ、最初はきっと軽く考えてたんだと思うんです。ただ、普通の高校生活を送れるのが、すっげー嬉しかったんだ」
その目に、涙が溜まっていく。
「一年の頃のあいつを、俺は全然知りません。学校にいる時間が少なかったから……。俺らみたいに部活したり、放課後ダチと寄り道したり、カラオケ行ったり……、みんなが普通にしてることを、あいつはできなかった」
「うん」
風切は、平井の言葉をただ受け止める。
「あいつにとって、この二ヶ月はきっと輝いてたんだ」
「でも、見ちまったんだな。退学した葛原を」
「はい、ちょっと前に俺ら、街で葛原とすれ違ったんです。声かけても反応しなかったし、虚ろな目えしてた。ドラッグの、せいで……」
「副作用が他より軽いなんて、竹田の嘘だった」
「葛原、廃人みたいだった。それを見てから、明里はおかしくなったんです。自分の青春が、何を踏み台にしてるか、気付いて」
平井は拳を握り締め、自らの膝を殴った。
「一番悪いのは、竹田じゃねえか! 明里は唆されたんだ! 俺たち、まだ高校生なのに……、なんで、明里だけが」
「明里はお前に、ドラッグを売ってることを話したのか?」
「最後の日に、話してくれました。でも俺、何て言ったらいいか分からなくて、部活に行くからって、あいつを一人にしちまった。自殺するなんて、思わなかった。何であの時、もっとちゃんと話さなかったのかって、今でも思います……。だから、俺があいつのためにできることは……、竹田を殺すことだけだった」
そこで彼は、首を横に振る。
「いえ、最初は、殺すつもりはなかったんです。ただ、侘びの言葉が欲しかった。ちゃんと警察に行って、罪を償って欲しかった」
何となく、想像はついた。
竹田はきっと、笑ったのだろう。自分がドラッグを作っていたことが明らかになれば、明里がそれを売っていたことも皆に知れる。それは、死者に鞭打つ行為じゃないか、と。
「竹田を突き落とした後、怖くなって逃げました。後になって、大変なことをしたんだって気付いて、死のうと、思いました。でも、屋上には入れなくて……」
平井は初めて笑った。自嘲げな笑みだった。
「変ですよね、他の死に方が思い付かないんです。あいつと……、明里と同じ、死に方しか……」
「空がとても青いから」
風切は、ぽつりと呟いた。
「はい?」
「明里の最後の言葉、俺なりに考えてたんだ」
風切の夢に出てきた明里は、青過ぎる空で溺れそうだと言っていた。
「比べちまったんだと思う。自分が過ごす青春と、空を」
「自分の過ごす、青春?」
「明里の過ごした青春は明るいもんじゃなかった。でもあの時の空は明るくて、透き通るほど青かった……」
きっと彼の望んでいた青春は、あの空のように明るく、青いものだったのだろう。
風切は平井の手を掴んで立たせた。
「ちょっ! 先輩?」
そして、屋上のドアを思い切り蹴り開けた。
「鍵かかってても、意外と簡単に開くんだな」
風切はそう言い、平井の手を引いて屋上へ出る。
空はもう、暗くなり始めていた。沈みかける夕日は、郷愁を誘った。
「ここはもう、明里が飛び下りた屋上とは違う。あの日と全く同じ青空は、もう見られねえよ。だから……」
平井の腕を、強く握った。
「だから、死のうなんて思うな」
平井は、空を見上げる。
「俺、生きてていいんですかね?」
その頬を、涙が伝った。
「俺はお前を受け入れるよ。生きろ」
「はい……。俺、警察に行ってきます」
平井は決心したように頷く。その顔には、どこか晴れ晴れとした笑みが浮かんでいた。