第二話『どうか心の片隅に』エピローグ
千夜を突き動かすものの正体とは。
エピローグ
「危ないことすんなって、言ったよな?」
海戸は、千夜の頭に拳をこつりと当てた。
「ごめんなさい」
千夜は項垂れる。
警察から保護者である海戸に連絡がいったのか、部屋に戻るとすぐに海戸が訪ねてきた。
「大体、何でこんなことしたんだ? お前のことだ、ただの好奇心とかじゃねえんだろ? 誰に頼まれたんだ?」
そう訊かれ、千夜は口篭った。
少し彼女の過去の話をしよう。
千夜は父親を知らずに育った。
子供の頃、母は千夜にこう言った。
――お父さんはね、お星様になったのよ。
ああ、父は死んだのか、と子供心に思った。
たまに遊びに来てくれる祖父はとても優しく、父の日に幼稚園や小学校で絵を描かなければならない時は彼の絵を描いた。
母の弟である海戸も千夜を気にかけ、よく遊んでくれた。
母は厳しくも優しく、愛情を注いでくれた。
金銭的な苦労もしなかった。決して不幸ではなかった。
むしろ幸せだった。
愛されて育った彼女は、父も同様に自分を愛してくれていたのだと信じ込んでいた。
そう思えば、父の不在も些細なことに思えたのだ。
だがそんな幸福は、ピアニストの母がコンサートに行く最中事故で他界したことから崩れ始める。
葬儀の後、祖父と海戸は千夜のマンションでこれからのことを話し合っていた。
疲れとショックで一人早めに眠った千夜だが、ふと目が覚めた時、その会話を聞いた。
「あの男に知らせるべきじゃねえか?」
「いや、もしあれが千夜に会いにきたらどうする」
「でも、父親なんだぜ? 会いに来るべきだろ」
父は、生きている。
思えば気付くべきだったのかもしれない。父の名前すら口には出さない母に、叔父に、祖父に、不信感を抱くべきだったのだ。
今という時代はとても便利だ。千夜は戸籍謄本を取り寄せ、初めて知った父の名前をインターネットの検索ボックスに打ち込んだ。
エンターキーを押して出てきたのは、大学のホームページだった。彼の名と写真は講師一覧の中にあった。
どこにも故人という表現は見られない。ホームページは最新のものだ。
――やっぱり、生きてるんだ。
千夜はすぐその大学へ向かった。幸いというべきか、電車で一時間ほどの所にある大学だったのだ。
大学内で迷っていた千夜に声をかけてきたのは、偶然にも写真で見た父だった。
「あの、私……、千夜です。貴方の、娘の……」
「ああ、千夜か」
父が自分の名前を呼んでくれた。
それが嬉しかった。
きっと何か理由があって共に暮らせなかったのだろう。父は自分を愛してくれている。そのはずだ。
――父親が娘を愛するのは、当たり前のことだ。
愛されて育った少女は、そう信じて疑わなかった。
「私には家族がいるから、会いに来るな。迷惑だ」
「え?」
「もう、来るんじゃない」
父はそれだけ言うと、去っていった。
――何で? 家族ってなに? 私は、家族だろ? 娘なんだから。
何かの間違いだったのかもしれない。
まだマンションに滞在していた祖父に、大学でのことを打ち明けた。
「それは人違いだったんだろう。お前の父親は別の人で、千夜のことを愛してくれているよ」
そう言われるものだと、思っていた。
だが、祖父は苦々しい表情を浮かべ全てを語る。
父が母に暴力を振るっていたこと。
母が千夜を連れて逃げたこと。
その後、父が再婚したこと。
祖父はもうあの男と関わらないように言った。
千夜は頷いた。
だが、一度ついた殺意の炎は消えることはなかった。
――娘を愛さない父親なんて、死ねばいい。
その気持ちが、いつも心の中にあった。
――いや、死ねばいい、じゃない。私が、殺してやる。
父を殺す夢を何度も見た。
――私は、蛹……。
ふいに、スマートフォンがメールの受信を告げた。
「ごめん、ちょっと」
千夜は海戸から目を逸らし、メールを確認する。
『大丈夫か? 明日、学校来られそうか?』
秋葉からだった。
「大丈夫、行くよっと」
千夜が返信すると、すぐにまたメールが返ってくる。
『帰りにドーナツでも食いに行こうぜ。みんな暇だから』
帰ってきた言葉に、千夜はふふふと笑う。
「嘘つき」
風切と秋葉は明日、バイトがあったはずだ。
「は?」
「ううん……」
千夜は笑顔を見せた。
「私はまだ、大丈夫だから……」
海戸はやれやれと肩を竦め、苦笑した。
「当たり前だ、お前はたくさんの人間に愛されてるんだからな」