ep.2-3
「……ん?」
シンファがいる左側ではなく、右側の太ももが軽く叩かれた。
そっちを見てみると、そこには無邪気な目で僕を見つめる子供達がいた。
「ねーねー、おにいちゃんって"ゆうしゃさま"なのー?」
舌足らずな言葉で、女の子が聞いてくる。
僕がそれに答える前に、隣にいた男の子が女の子を軽く小突いた。
「何言ってんだよ、勇者様だからじっちゃんもちょーろーも騒いでるんじゃんか。なっ、勇者の兄ちゃん!」
「そう、だね……ハハ、ハ……」
そのあまりにキラキラとした目をした子供達の期待を裏切れず、僕は否定することができなかった。
しどろもどろになりながらも認めると、口からは自然と乾いた笑いが漏れていた。
「じゃあさ、あのでっかい猪も倒せるんだよね!?」
三人目の、赤みがかった羽の男の子が詰め寄ってくる。
この子達の中で一番年上なのか、体も一回り大きい。
「どう、だろうな……やってみなきゃわからないよ」
「えー、本当はどうなんだよ勇者の兄ちゃん」
今度も誤魔化そうと思ったが、そう上手くはいかなかった。
もう一人の男の子が食い下がってくる。
「きっと大丈夫、勇者様なら大猪だって倒せちゃうよ」
「え」
「そうだよなシンファ姉ちゃん!」
「いや、ちょっと」
「やっぱり勇者の兄ちゃんはすげーよなー!」
「ゆうしゃさまかっこいー!」
シンファの一言を皮切りに、子供達がわいわい騒ぎ始めた。
『これでは逃げ場がありませんね』
まったく、その通りだ。
子供達がホールの方へ戻っていくと、騒ぎはすぐに大人達にまで伝播した。
「助かった」だの「これで村は救われる」だの、ろくでもない言葉はがり聞こえてくる。
……どーすんのこれ。
「ごめんなさい」
喜び騒ぐ村の人達を眺めながら、シンファがぽつりと呟いた。
「私の勝手な判断で、颯真さんにご迷惑をかけることに……」
「まあ、ね」
「ですが、私からもお願いします。どうかこの村を救ってください」
「そうは言われても……」
「お願いします、お叱りなら後でいくらでも受けますから……!」
ついには、シンファまで頭を下げて懇願してくる。
『どうするんです? 颯真様』
「えーと」
『女性にここまでお願いされて、断るのが殿方なのですか?』
「それは……」
『あの日、颯真様は彼女に勇者の名を語ったのではないですか? ここで勇者としてやらず、いつやるというのですか?』
「だああああああ! もういい、わかったよ! やればいいんだろ、やれば!」
半ばヤケクソになって、両方の掌を机に叩きつけながら立ち上がる。
それに続いて、シンファもお礼を述べながら椅子から立った。
僕はヤケクソになったまま彼女の方へ向き直り、指を突き付けながらキッパリと言葉を投げ掛ける。
「その代わり!」
「は、はい!」
「猪狩りの手伝いは頼むよ!」
「もちろんです、元よりそのつもりですから!」
狩りの対象は魔物とはいえ、馬鹿でかい猪だ。
長い年月を山奥で過ごし、狩りに精通したシンファの助けが得られるならきっとなんとかなるはずだ。
ちょうどいいタイミングで村長が部屋に戻ってきて、僕が依頼を受けると言うとそれはもう喜んだ。
あまりに大げさに喜ぶもんで、僕もシンファも思わず苦笑いしてしまうくらいだ。
そしてすぐに近隣の地図を持って来ると、お爺さんが突き止めたという大猪の寝床について説明を始めた。
大猪は夜な夜なやってきて、畑の作物を食い荒らすらしい。
そのため、討伐作戦の実施は昼間と決まった。
休んでいるであろう昼間に奴が寝床にしている森を急襲し、一気に討伐するという作戦だ。
「幸い、今は正午です。できれば今すぐ討伐に……」
「あー、そのことなんですが、討伐は明日にします。」
「はて、それまたなぜ?」
「僕も彼女も午前中の下山で疲れてますし、それからいくつか用意して欲しいものもあります」
「わかりました、できる範囲でお手伝いさせていただきます」
「では、まずは……───」
こんなことは初めてするのに、なぜかすらすらと口から言葉が出てきた。
自分が必要だと思うものをいくつか挙げ、長老に手配してもらう。
●聖暦513年、恵雨の月第3日曜、正午●
そして日付は変わり、翌日の正午。
僕は革の鎧を身に纏い、僅かに雪の残った森を歩いている。
前を歩く門番のお爺さんとシンファに着いていくだけで精一杯だ。
「さすがに荷物が多すぎるのではありませんかのう、勇者殿」
「全部……ハァ、必要……なんです」
「無理はしないでくださいね、言ってくだされば手伝いますから」
「ありがとう……けど、まだ大丈夫、だから……」
昨日のうちに村長にお願いし、集めてもらった物は昨日のうちに全て加工しておいた。
それらを大量に背嚢へ詰めたはいいが、荷物が多くなりすぎて二人に着いていくので精一杯だ。
用意してもらった槍を杖の代わりにし、どうにか緩やかな斜面を登っていく。
「この先に森がありますでの、そこに奴は住み着いております」
「ありがとうございます」
「なんのなんの。それでは、ジジイはここらで退散させてもらいましょうかの」
最後に声援を送ると、門番のお爺さんは元来た道を戻り始めた。
お礼を言いながらその背中を見送り、シンファと二人で森の中へと入っていく。
生い茂る葉はまだ少し淋しく、森の中だというのにかなり明るい。
しかし木々の数が少ないというわけではなく、視界良好とも言いがたい。
あとは彼女の索敵能力が頼りだ。
狩猟となると彼女の腕前はすごいもので、次々に手掛かりを見つけては獲物を追っていく。
折られた朽木、大きな足跡、食われた野草など、初めからそこにあるのがわかっているかのように見つけていく。
「……近いです」
僕にだけ聞こえる大きさで、彼女が小さく呟いた。
こういった彼女の予測は、僕の知る限りでは外れたことがなく、非常に頼りになる。
弓を左手に、矢を右手に持ちながら腰を落とし、ゆっくりと草むらの中を進む。
僕もそれに習い、槍を低く持ち後ろに続く。
どうやらこの先は開けた場所になっているらしく、例の大猪がいるかもしれないようだ。
息を潜め気配を殺し、極力物音を立てないよう気を付けながら草むらを進む。
最近少し上手くなってきたし、そろそろシンファから合格も───
「足下、枝にご注意を」
「え?」
下ろしかけた足を止めて、真下に目を向ける。
そこには、いかにも物音立てますよと言わんばかりに、大きめの枝が転がっていた。
「まだまだ甘いですね」
「……精進します」
彼女は小さく笑うと、また狩人の顔に戻って前へ進む。
僕も枝を踏まないように注意しながら、顔にかかる草を払って着いていく。
……いた。
森の中にひっそりと広がる、半分凍てついた湖畔のほとりだ。
高さ三メートルはあろうかという巨体を横たえて、そいつは静かに佇んでいた。
……それにしても、この世界の猪は凶悪な外見をしている。
基本的には僕のよく知る猪に似ているのだが、頭の額にあたる部分が異様にゴツゴツと盛り上がっている。
遠目から見ただけで、かなりの強度を備えているのは明白だ。
あいつの額は、素人の僕でもそう思うくらい硬そうなのだ。
『レベル判定を行います』
リッカの声に、無言で頷いた。
この世界に降り立ち、初めて戦ったあの苦い記憶が脳裏をよぎる。
『対象、Lv17です。真正面からやり合えば勝ち目はありません』
そんなこと重々承知の上だ。
そのためにわざわざ時間を取り、倒す手段を講じてきたのだ。
「準備できましたか?」
「うん、いつでも大丈夫」
逃げ出そうとする自分を鼓舞し、背嚢から準備しておいた"あるもの"を取り出した。
それは薄い緑色の硝子瓶で、口にはしっかりと栓をしてある。
そして、肝心なのはこの中身だ。
全てはこの、たっぷりと注がれた薄黄色の液体にかかっている。