ep.2-2
聖暦513年、恵雨の月第2土曜、午後1時46分
それからなんの進展もなく、さらに二日が経ったある日のこと。
僕達は朝早くに小屋を出て、雪もかなり溶けてきた山道を下っていた。
しかし、旅に出るために山を下っているわけではない。
山の中腹に住んでいるという、梟族の集落に向かっているのだ。
シンファ曰く、狩りで集めた毛皮と日用品を交換してもらうためによく行くらしい。
けれども、雪が深い冬の間は行けなかっただけあって、毛皮の量は相当なものだ。
こんな量、とてもじゃないが一人で運びきれるものではない。
大きな背嚢に山ほどの毛皮を詰め込み、シンファの後に続いて山道を下っていく。
出発して早数時間。
下りだから楽だろう、なんて甘い考えはとっくに覆されていた。
背嚢の重量もあり、一歩一歩踏ん張って歩かないとすぐにバランスを崩して転けてしまうのだ。
もし一度でも転けてしまえば、無事で済む保証はない。
最悪、そのまま止まらずに転がって滑落死……なんて事態になりかねないのだ。
ただでさえ危険の多い山道だ。
気をつけて損ということはない。
太陽がどんどん高くなっていき、頂点に達するかという頃。
ようやく目的地に近づいてきたらしく、シンファの歩くペースが少し早くなった。
幸いにも今日は天気が良く、視界もかなり良い。
そのおかげで、遠くの方に小さく集落の姿が見えてきたのだ。
「あと一息で到着ですよ、頑張ってください」
「そう、だね……」
シンファの応援に、どうにか応える。
当然のことながら彼女は山を歩き慣れていて、まだまだ余裕がありそうだ。
時折、風に乗って鼻歌まで聞こえてくる。
……カッコつけて重い方の背嚢なんて持つんじゃなかった。
そのままさらに歩き続け、数十分くらい経った頃。
僕達はようやく梟族の集落に到着した。
集落といってもかなり大きく、大きな柵に囲まれた土地には数十の家が建っている。
畑なんかは柵の外にまで広がっているし、そこら中に見たことない羽色の鶏みたいな生き物もいる。
あれは家畜の類いなのだろうか。
畑に生えた雑草を啄んでいたが、近づくと羽をばたつかせながら走り去ってしまった。
どうやら、飛べないところまで鶏にそっくりらしい。
人の出ていない畑の間を抜けて、村の門までやって来た。
大きな木の門は右半分だけ開けられていて、左側は閉じられていた。
シンファは迷わず開いている門の中へと入っていき、僕もそれに続く。
入ってすぐのところには小さな小屋が建っていて、壁には格子窓がついていた。
さながら、検問所といったところか。
検問所には誰かいるようで、当然のことながら僕達を呼び止めた。
「何奴じゃ?」
「妖狐族のシンファです。こんにちは、お爺さん」
「おお、シンファちゃんかね! 今年は来るんが遅いんで心配しとったんじゃよ」
検問所のじいさんはその長い髭をしごきながら、さも愉快そうに笑う。
梟族というだけあって体毛(というか羽)が多く、皮膚はほとんど露出していない。
例外があるとすれば、移り行く時間に抗えずに寂しくなった頭頂部くらいだろうか。
口だってクチバシだし、髭を触る手もどこか翼に似ている。
「……ゃ殿?」
「へ?」
気がつけば、じいさんがジッとこちらを見つめていた。
目が隠れるほど長い眉毛(?)から、黄色い瞳がぎょろりと覗いている。
その迫力に気圧されて、僕は思わず一歩後ずさった。
じいさんは格子窓を開け、落ちるんじゃないかというくらいに身を乗り出して迫ってくる。
「その黒き瞳、やはり間違いない……! 貴殿は勇者殿で間違いありませぬな!」
「え? いや、僕は……」
「こうしてはおれん! 勇者殿、後で必ず長老の家まで来てくだされ!」
おじいさんは僕の返事も聞かずに検問所を飛び出すと、村の中央の方へと走って行ってしまった。
遠くから、「必ずですぞおおおおおお」と声が聞こえてくる。
まったく、元気なおじいさんで───
「───って、ちょっと待ったあああああああ!」
悠長におじいさんの背中を見送っている場合ではなかった。
『村を上げて勇者様を歓迎』みたいなことになったら、偽勇者としてはすごく申し訳ない気持ちになる。
それどころか『勇者様にお願いが……』なんてことになったら、なおのこと最悪だ。
慌てておじいさんの後を追って走り出すも、もうかなり距離が開いてしまっている。
おじいさんは年齢に相応しくない素晴らしい走りを見せ、いくら頑張っても彼我の距離が縮まる気配はない。
そればかりか、おじいさんは走りながら「勇者殿が来なすったぞぉー」などと叫び回っている。
その声を聞いた他の人達もぞろぞろと家から出てきて、僕の後を着いてくる。
村はさっきまで静かだったのに、一瞬のうちに大騒動になってしまった。
「長老! 勇者殿が来なすったぞ!」
おじいさんが一際大きな家の扉を開き、叫びながら中に飛び込んでいった。
数秒遅れて建物に駆け込み、僕に続いて他の人達まで中に入ってくる。
石と木を組み合わせたその建物の一階は、大きな集会所になっていた。
数十人は入れるであろう空間があり、前の方には高い段まで設けてある。
さながら学校の体育館にそっくりだ。
そしてその段の前には、一人の老婆の姿があった。
鳥の顔つきなんてわかったもんじゃないが、どこか優しそうな顔のような気がする。
老婆はおじいさんの話に頷くと、こちらを向いてゆっくりと歩み寄ってきた。
おじいさんもそう呼んでいたし、どうやらこの人が長老のようだ。
「あの───」
「ありがたや、ありがたや……こんなところによくぞお出でくださいました、勇者殿」
またも言葉を遮られ、何も喋らせてもらえなかった。
老婆は両手で僕の右手を握り、しきりに上下に振っている。
それが握手だと気付き、とりあえずは僕も握手に応じて手を握り返す。
老婆はそのまま僕の手を強く握りながら、身を乗り出して真っ直ぐに瞳を覗き込んでくる。
丸眼鏡の奥の落ちくぼんだ黄色い瞳が見開かれ、やっぱりちょっと怖い。
「このようなことを突然言い出すのは失礼と、重々承知の上でお願い申し上げます! どうか、どうかこの村をお救いくだされ……!」
「そ、そう言われましても……」
本当に突然の頼みに、僕の思考は完全に固まってしまった。
どうしたらいいのかわからなくなって、老婆の必死な目から逃げるように視線をさ迷わせる。
「お願い申し上げます。このままでは村が滅んでしまいます」
「は、はぁ……」
「ですからどうか、どうか……!」
いくら頼まれたって、こちとら偽勇者なのだ。
そこらのスライムにも歯が立たないこの僕が、村の存亡に関わるようなことをどうにかできるわけがない。
どうせ、こういうお願いは『強い魔物を倒してください』みたいなことを言われると、相場は決まっている。
ほぼ初期レベルで貧弱装備の僕が立ち向かったところで、すぐにゲームオーバーになるのが関の山だ。
しかし、この老婆の懇願を聞き入れず、きっぱり断るようなこともできなかった。
さらにはお爺さんや、他の人達まで頭を下げて口々に「お願い申し上げます」と繰り返す始末。
僕は完全に断れなくなって、嫌な汗をだらだら流しながら棒立ちになるしかなかった。
そうして進退窮まっていたその時、出入り口から一人の少女が入ってきた。
半狐半人のその少女は真っ直ぐこっちに歩み寄ってきて、長老の頭を上げさせる。
た、助かった……。
彼女は僕の頼りなさ過ぎる実力を知っている。
よもや引き受けるようなことは……
「長老さん、その仕事は勇者様にお任せください」
「そうそう、お任せくださ……って、え?」
「おお、ありがとうございます! これで村は救われます……」
老婆はまたも手を握りながら、曲がった腰をさらに曲げて頭を下げる。
そして頭を上げると、僕の手を引いて奥の部屋へと向かう。
「ささ、勇者殿。詳しい話は奥のお部屋で」
「あの、ちょっと……!」
「早く行きましょ、颯真さん」
後ろからシンファにも押され、仕方なく長老に着いて行く。
さらに後ろには他の人達まで着いてきていて、僕に逃げ場はない。
奥の部屋には大きな長机が置かれていて、卓上には独特な模様の布が敷いてあった。
机は十数人も座れるほど大きく、ここはさながら食堂のようだ。
長老は僕とシンファを真ん中らへんに座らせ、自身は反対側に座る。
他の人達は周囲に立ち、成り行きを見守る構えだ。
「さて、それではお話を始めさせていただきます」
長老は咳払いを一つすると、真剣な眼差しで僕らを見つめて語り始めた。
魔王の復活に端を発した、魔族による侵略戦争。
人間、妖精、獣人による同盟は、これを正面から受けて立った。
当初こそ数の利によって優位に戦局を進めていたものの、次第に個々の力の差により同盟は戦力を減らしていく。
魔族の奇襲戦法もあり、同盟は中央大陸を失うに至った。
そして、問題はここからだ。
同盟はこの難局を数の力でもって打開すると判断。
各国より徴兵を行い、軍団の増強を実施した。
とりわけ、同盟を構成する三種族のうち、白兵戦最強の獣人からは多くの戦力を排出することになったらしい。
そのせいで、こんな辺境の村からも多くの男手が取られてしまったのだ。
「……本当だ」
話を聞きながら集まった村人を見回してみると、確かに若い男性の姿はなかった。
女性か、子供か、お年寄りか。
こんなのでどうやって生活していくというのだろうか。
……しかし、長老曰くこんな状態でもどうにか村を運営できていたらしい。
寒さに強く、手入れも簡単な優れた作物があり、女手だけでも十分に食べていけるだけの量を獲れていた。
けれどもここ最近、収穫が近くなったこの時期に事件は起きた。
収穫間近で作物が実った畑が荒らされているというのだ。
門番のおじいさんの調べによれば、犯人は近隣に生息している猪型の魔物のようだ。
それも、足跡の大きさからして、山の主クラスの大物だとか……。
「そこらの猪は私どもでなんとかできます。しかし、あの山の主はとてもとても……」
「つまり、僕にそいつを倒せと?」
「その通りです。このままでは食料が無くなり、多くの犠牲が……」
「なるほど、話はわかりました」
ついでに言えば、僕には無理なこともわかった。
ここの人達は気の毒だけど、山の主を倒せない以上は別の手段を講じてもらうしかない。
「僕は……」
断ろうと口を開いたけど、結局言葉を続けられなかった。
「僕、は……」
できません。
その一言が言えずに、視線を落として自分の掌を見つめる。
……できっこない。
こんなに弱いこの僕に、そんな大きな仕事ができるわけがない。
「……そうだ、そろそろお腹も空いておられるでしょう。すぐに昼食をお持ちします」
僕の様子を察してか、長老は席を立って部屋から出ていった。
他の村人達も、もといたホールに戻っていく。
「……僕に、できるかな」
シンファとリッカ、二人に向けてそう問いかける。
「颯真さんなら、勇者様ならきっとできます!」
『無理ですね』
「……そっか」
曇りのない赤い瞳を、真っ直ぐに向けてくる彼女から目を逸らす。
彼女は、未だに信じているのだ。
あれほど情けないところを見せたこの僕を、迷惑かけっぱなしのこの僕を、立派な勇者だと。
今すぐ本当のことを打ち明けたくもなるが、僕の瞳が黒色な以上、信じてもらえないだろう。
……いや、本当はわかってもらえるかもしれない。
けれども、偽りで勇者の名を語ったことが知れた時、彼女はどんな顔をするだろう。
落胆する? それとも怒り? はたまた軽蔑?
いずれにせよ、そんな感情を向けられるのが恐くてたまらなくて、僕は真実を言えなかった。