ep.1-5
それからしばらく歩いて、ようやく小屋の前まで辿り着いた。
周囲に他の建物は見当たらず、どうやら山奥の村に住んでいるというわけではなかったらしい。
「どうぞ、お入りください。」
「お邪魔します」
シンファが扉を開いてくれて、厚意に甘えて先に中へと入らせてもらう。
外見通りの一部屋しかない小屋だが、数人で住むには困らない広さがある。
奥の方には、二段になった寝台が二つ設えてあった。
……しかし、シンファの他に人の姿はない。
ひょっとして、他の人達もこんな夜更けに寒い中を出歩いているのだろうか。
「他に人はいませんから、気兼ねなくお過ごしくださいね」
「……いない?」
「はい。ここに住んでいるのは、私だけです」
「でも、ベッドは四人分……」
「あ、それですか」
シンファはベッドの方に視線をやって、困ったような、どこか悲しげな笑みを浮かべた。
「ちょっと前に魔物に襲われて、死んじゃったんです。父も、母も、妹も。私だけが、助かって……」
「そ、そっか……」
僕にはそれ以上返す言葉が見つからなくて、それっきりお互いに黙り込んでしまう。
気まずい沈黙が続き、部屋には暖炉の木が燃える音だけが響いていた。
嫌に長く感じられた、居心地の悪い沈黙。
それを破ったのはシンファの方だった。
「……すいません、変な話しちゃって。そうだ、何か温かいものでもお飲みになりますか?」
「それじゃあ、お願いするよ」
「では、こちらにおかけになってお待ちくださいね」
暖炉の前まで動かした椅子に僕を座らせると、シンファは部屋の一角にあるかまどに鍋を置いた。
そしてかまどに薪を入れると、暖炉にくべられていた薪の一本を抜き取って、かまどへと放り込んだ。
火はすぐに燃え移り、かまどの薪がパチパチと音を立てて燃え始める。
彼女はそれを見届けると、今度は鍋に氷の塊を入れた。
あれを溶かして水にするのだろう。
こんな場所では水も凍ってしまい、飲み水の確保も一苦労というわけだ。
暖炉の火にあたっている体は段々暖まり、次第に感覚も戻ってきた。
指や耳の血流が良くなってきて、なんだかチクチクする。
暖まると垂れてきた鼻水をズルズルとすすり、椅子から身を乗り出してさらに火に近づく。
火にあたっているという安心感はすごいもので、これまでの疲労も相まって急に眠たくなってきた。
しばらくうつらうつらとしていると、すぐ近くから物音がした。
なんだろうと思って目を開くと、それはシンファがカップを机に置いた音のようだった。
大きめのカップからは湯気が立っていて、とても温かそうだ。
「どうぞ」
「いただきます」
のっそりと右手を伸ばしてカップを掴む。
少しだけ白みを帯びた透明の液体が並々と注がれている、木製のカップ自体も温かい。
ゆっくりと手繰り寄せ、両手で包み込むようにして口へと運ぶ。
一見ただのお湯のようなその液体を飲んでみると、口の中にほのかな甘味が広がった。
これは……蜂蜜かな?
どこか懐かしい味わいに、思わずほっと息が漏れた。
嚥下した液体はゆっくりと食道を下っていき、体を内側から暖めてくれる。
その味わいに今度こそ我慢できず、二口目で一気に半分も飲み干してしまった。
「お気に召していただけました?」
「うん、すごく美味しいよ」
「これは狐族伝来の飲み物で、甘露樹の蜜と体を暖める薬草をお湯に溶いたものです」
「なるほど」
蜂蜜かと思ったが、どうやら似たような味の木の蜜があるらしい。
さらに続けて飲んでいると、徐々に体の芯からポカポカと暖まってきた。
暖炉の火もあり、若干暑くなってきたくらいだ。
「……それで、勇者様はこれからどうなさるおつもりで?」
「これから、か……」
僕の最終的な目的は、もちろん魔王を倒し無事に帰ることだ。
しかし、僕は魔王がどこにいるかすら知らない。
そもそも、スライムにすら殺されかけた今の僕に、そんなことできるわけがない。
……となると、当面の目標はレベル上げとなる。
幸いというべきか、この世界にはわけのわからないレベル制度があり、やりようによっては短期間で強くなることも不可能ではない……はずだ。
しかし、経験値を稼ごうにも大きな問題が二つある。
まずは魔物の強さだ。
魔物の全てがあのスライムみたいな強さなら、レベルが上がる前に僕が死んでしまう。
蘇生に頼れない以上、一か八か戦いを挑むなんていうのも却下だ。
さらに、今の僕は丸腰なのだ。
せっかく神様から授かったあの剣は、さっきのスライムに潰されてしまった。
武器があっても敵わない相手に、素手で挑もうなんて正気の沙汰ではない。
無一文の僕にはその武器を買うためのお金なんてないし、稼ごうにも魔物は倒せない。
完全に八方塞がりだ。
それでも、僕は一応勇者ということになっている。
この誤解を解く手立てを持たない以上、この役割を演じた方がなにかと都合がよさそうだ。
……騙すみたいで悪い気がするけれど、結局は魔王を倒すことが目的なんだ。
やることは勇者と変わりないわけだし、大目に見てもらおう。
「僕は、魔王を倒す。そのために旅をしてるんだ」
「なるほど。でしたら、なんでこんな場所に?」
「……道に迷っちゃってね」
「勇者様は方向音痴なのですね」
シンファはくすくすと笑うと椅子から立ち、戸棚の方へと歩いて行く。
そして一枚の古ぼけた羊皮紙を慎重に取り出すと、バサリと机の上に広げた。
それはどうやら地図のようで、花のような形をした大陸がでかでかと描かれていた。
他に陸地は見当たらず、どうやらこの世界の大地は全てが地続きになっているようだ。
「勇者様もご存知の通り、魔族の住処たる南方大陸はここ」
本当は全く知らないのだが、あたかも知っているかのような素振りでシンファの説明を聞く。
魔族の住処と言ってシンファが指差したのは、東西南北に四つあるうち南の花弁だった。
「そして、勇者様がいまいるのはここです」
そう言うとシンファは指を真っ直ぐに動かし、北にある大陸を指差した。
それも、北方大陸のさらに北の端っこを。
……なんてこった。
よりによって、魔王がいるであろう南方大陸から一番遠い場所にいるらしい。
シンファは方向音痴と言ったが、まさにその通りだ。
『地図がありますね。いい機会ですし、私からも説明を』
どうやって南方大陸まで行こうかと地図を睨んで頭を悩ませていると、突然リッカの声が聞こえてきた。
一旦考えるのをやめて、話を覚えるためにもリッカの声に耳を傾ける。
『まず、現在颯真様がいるこの北方大陸は、シンファ様のような獣人族が暮らしています。
同じく西方大陸には人間族、東方大陸には妖精族が。そしてさっきも聞いた通り、南方大陸には魔族がいます』
リッカの話を聞きつつ、地図を目で追っていく。
また独り言を言っていると思われるのは嫌だし、相槌は打たない。
リッカもその意図をわかってくれているようで、意に介さず説明を続ける。
『大陸同士は、真ん中にある中央大陸でのみ繋がっています。行き来する場合は、ここを通るか海路で行くことになるでしょう』
真ん中真ん中……あった。
花弁のような形をした四つの大陸の真ん中に、他と比べるとえらく小さな円形の大陸がある。
リッカの言う通り、見る限りでは地続きになっているのはここだけだ。
「ま、いっか」
どうせ、魔王城が近くにあったところで、今の僕が攻めれるわけがない。
レベルを上げるためにも旅をする必要はあるし、それならむしろ遠い方がいい。
ここからじっくり旅をして、十分に強くなってから魔王に挑もう。
「ところで、勇者様はこれからどうするおつもりですか?」
「……明日から、また旅に出ようと思う」
明日もまた彼女に迷惑をかけるわけにはいかないし、出発するならなるべく早い方がいいだろう。
……なにより、できることならなるべく早く日本に帰りたい。
だからとりあえずは早いとこ旅に出て、レベル上げなり路銀集めに励むとしよう。
まず最初は山を下りて街を探してみようかな。
「張り切っていらっしゃるようで、申し上げにくいのですが……」
「うん?」
「もうすぐこの山は本格的な冬を迎えます。登山なり下山なりを試みるのは自殺行為……だったりします」
「まじっすか」
なんてこったい、計画が最初から頓挫してしまった。
そればかりか、まずはこの厳しい冬を乗りきらなければならなくなった。
登山経験なんて皆無だし、雪山での越冬なんてもちろん初めてだ。
シンファの言う通り、これでは本当に自殺行為だ。
「あの、勇者様さえよければ、なんですけど……」
どうしようかなぁと、半ば停止した頭でぼんやりと考えていると、彼女の方から口を開いた。
さっきまでとは違い目は泳いでるし、少し躊躇いがちな様子だ。
「春が来るまでの間、ここに滞在されてはどうですか?」
「えっ!?」
思いがけない提案に、思わず立ち上がりかけた。
寝床を提供してくれるのなら、これ以上ありがたいことはない。
「もちろん、ご迷惑でなければ……ですけど」
「迷惑だなんてとんでもないよ! 本当にありがとう!」
机に身を乗り出して、額を擦りつけるくらいの勢いで深々と頭を下げる。
シンファは止めようとしたが、お構い無しだ。
そのまま頭を下げ続け、たっぷり数秒間経ってからようやく頭を上げた。
「でも、本当にいいの? 冬の間ずっとだなんて、かなり迷惑じゃ……」
「大丈夫ですよ、こう見えても狩りは得意ですし備蓄もありますから」
「そっか、ありがとう」
寝台は好きなのを使っていいみたいなので、今日はなんだか疲れたし、もう休ませてもらうとしよう。
欠伸をしながら立ち上がり、寝台に向かおうとするとシンファに呼び止められた。
「最後に一つ、お聞かせ願えますか?」
「……何を?」
「名前ですよ、名前」
「あ!」
言われて初めて気がついた。
ここに至るまで、僕は自己紹介すらしていなかったのだ。
つくづく抜けてるなぁ、と思いつつも彼女に謝り、異国情緒丸出しな自分の名前を口にする。
「僕は桐原颯真、改めてよろしくお願いするよ」
「キリハ……えーと……」
……どうやら、上手く発音できないらしい。
日本名には慣れていないだろうし、それも当然か。
「難しかったら颯真だけでもいいよ」
「そーマ……えーと、ソーま……」
何度か言い直しているが、どうにも変な発音になってしまっている。
シンファは眉間にしわを寄せて、小さく唸りながらも発音を直そうとしている。
「……やっぱり難しいかな」
「んー……ソーマ、さん?」
「ちょっと違うけど、難しかったらそれでいいよ」
「やです、ちゃんと呼びます」
シンファは小さく膨れつつも、さらに回数を重ねる。
僕もそれを聞きながら、ちょいちょい訂正を入れていった。
「うー……そ、颯真、さん?」
「そうそう、合ってるよ」
「やった! やりましたよ颯真さん!」
ようやく正しい発音にいきついた彼女は、口元を綻ばせて小さくガッツポーズを作ってみせた。
そして、机越しに手を差し出してくる。
「それじゃあ、改めてよろしくお願いしますね、颯真さん!」
「こちらこそ、よろしく」
差し出された彼女の右手を、しっかりと握り返す。
小さいながらも、秘めた強さを感じさせる彼女の手。
そうして目が合って、お互いににっこりと微笑み合った。
こうして僕に、この世界で初めての友達ができたのだ。