ep.1-3
一瞬で炎に包まれたスライムは数回バウンドし、ゴロゴロと転がってようやく止まった。
ぶよぶよと身体を激しく蠢かせ、地面をのたうちまわっている。
あれは……炎を嫌がっている?
「大丈夫ですか!? 勇者様!」
さっきの声と同じ声がして、僕の肩に誰かが触れた。
触れられた左肩の方を振り返ってみれば、そこには一人の女の子がいた。
フードを深く被っていて顔はよく見えないけど、声からして同じくらいの年齢か。
「お怪我は!?」
「な、なんとか大丈夫」
女の子はほっと胸を撫で下ろすと、吹っ飛んでいったスライムへと目を向けた。
スライムは完全に焼け焦げていて、もうピクリとも動かない。
辺りには、なんともいえない臭気が漂っている。
「これでもう大丈夫です。立てますか?」
「た、たぶん」
近くにあった木に手をつき、支えにしながらどうにか立ち上がる。
い、生きてる……。
自分の足で地面に立つと、ようやくそう実感できた。
力が抜けてまた倒れそうになるけれど、今度はどうにか踏みとどまった。
「お話ししたいことがいくつかあるのですが、夜の森は危険です。勇者様さえよろしければ、私の小屋にお招きしたいのですが……」
「……じゃあ、お願いします」
渡りに舟とはこのことだ。
事情はまだよくわからないけど、どうやら小屋に招待してくれるらしい。
ここは素直にご厚意に甘えさせてもらおう。
こんな場所で野宿なんてしたら、間違いなく凍死してしまう。
「では、着いてきてください」
そう言うなり、毛皮のローブを羽織ったこの少女は、踵を返して早足で歩いていく。
背中には弓と矢筒も背負っていて、さながら狩人だ。
思ったより足の早い少女の背中を遅れないように追いかける。
●聖暦512年、白霜の月第4水曜、午後11時23分●
少女は慣れた様子で森を抜け、雪の積もった山道を歩いていく。
斜面から見下ろす景色はちょとした絶景だ。
『……よかったのですか?』
「なにが?」
『この子、本当に味方なんでしょうか』
「さっきもだし、今も助けてくれてるよ?」
『ではお聞きしますが、年端もいかぬこの少女が、どうして真夜中の森にいたのでしょうか?』
「……あ!」
緩やかな山道を登る足が、思わず止まりかけた。
言われてみればその通りだ。
「どうかされました?」
「あ、いや、なんでもないよ……」
「そうですか……あ、そこ足場悪いのでご注意を」
岩が飛び出て足場が悪い部分を踏み越え、リッカと話を続ける。
『罠なんてことありませんか?』
「どうだろ……でも、罠だとも思えないし」
『助けてくれてるのも信用させるため、なんてことは……?』
「うーん……」
言われれば言われるほど自信がなくなってくる。
もしもこれが罠だとしたら命が危ないかもしれないのだ、慎重にならざるを得ない。
「……あの、一つ聞いてもいいかな?」
「なんでしょう?」
意を決して、少女に話しかける。
少女はピタリと立ち止まり、振り返って僕を真っ直ぐ見つめる。
目深に被ったフードから、赤みを帯びた大きな瞳が覗いた。
斜面の下から見上げる格好になり、整った顔立ちまではっきりと見える。
「助けてくれたのはありがたいけど、なんでこんな時間にあんな場所にいたの?」
「それは、あなたをお助けするために……」
「会ったこともないこの僕を?」
「…………」
続けて質問すると、少女は押し黙ってしまった。
少しうつ向いて小さく肩を震わせている。
「バレてしまっては仕方ありません」
「なっ……!?」
唐突にそう呟いたかと思えば、少女の左手は弓を握っていた。
そして右手で矢をつがえ、矢尻をピタリと僕の方へ向ける。
少女との距離は二、三メートル。
矢を放たれるより先に斜面を駆け登り、少女をどうにかする……なんて芸当、僕にはできない。
さっきのスライムのことといい、僕はどこまで迂闊なんだ……!
どうすることもできずため息をつき、降参の意味を込めて両手を上げた。
しかし、少女は弓を下ろさない。
……ダメか。
最期の瞬間まで見る勇気がなくて、僕はゆっくりと目を閉じた。
「勇者様、覚悟!」
少女の声と同時に矢が放たれる。
「……あれ?」
放たれた矢は風を切り、明後日の方向に飛んでいった。
当然、僕にはかすり傷一つない。
恐る恐る目を開けてみると、少女は口元に手を当ててクスリと笑っていた。
「からかってごめんなさい、ちょっとした冗談です」
「え……」
……冗談?
この少女は強盗か何かで、一見旅人風の僕を罠にかけようとしていたー!
とか、てっきりそんな感じかと思ったんだけど……。
「……どういうこと?」
「盗み聞きしてたわけではないんですけど、勇者様の独り言が聞こえてきてしまいまして。」
「うっ……」
「それで、用心深い勇者様をちょっとからかってみました。ごめんなさい」
「いやいや、冗談ならいいんだけど……」
張りつめていた緊張が解けて、ホッと胸を撫で下ろす。
どうやら、さっきリッカと話していた、罠かもしれない云々の話を聞かれていたらしい。
『一応言っておきますと、私の声は颯真様にしか聞こえません』
……ということは、僕の声だけ聞こえていたらしい。
この少女も独り言とか言ってたし、間違いない。
絶対に聞こえないように気をつけていたのに、まさか聞こえているとは……。
「それにしても、あんな小さな声がよく聞こえたね」
「当然です。だって私は……」
そう言いながら、少女がフードを脱いだ。
フードに収められていた長い金色の髪が、ふわりと風になびく。
月明かりに照らされた顔はまだ幼さが残っていて、僕と同じくらいの歳のようだ。
そしてその頭からは、とがった大きな耳が真っ直ぐに伸びていた。
さらにはローブの隙間から、ゆらゆらと揺れる大きな尻尾まで覗いている。
「狐族ですから」
「……え?」
髪と同じ毛色のその耳と尻尾は、どこからどう見ても狐のそれにそっくりだった。