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いずれ消えゆく夢の形骸

作者: 野山日夏

 深い森の中、夜闇に紛れるようにして進む人影がある。ざ、ざ、と深夜だというのにも拘らず、野宿の用意すらせず歩みを止めない一人に、もう一人の咎めるような声がかけられた。

「おいアル、いい加減止まった方がいいぞ。体力が持たん」

 その身を案じて出た心配の言葉だというのに、言葉をかけられたアルの方は不快げに歩を止めその言葉の主を振り返る。返答にも苛立ちが透けて見える。

「うるさい。お前はただ俺の後を着いてくればいいんだ」

 そもそもどうして俺が魔族なんかと一緒に行動を……。

 直後に続いたアルからの悪態にも、彼の旅の道連れである青年、バートはただ苦笑を浮かべただけだ。数年来の付き合いだが、これでも多少ましになった方だ。今更そんな些細なことに怒りも浮かびやしないらしい。

「そんなこと言うなよ。魔族が仲間にいた方が力もあるし、いざってときには俺を囮にすればいいんだからいいだろ?」

 平然とそんなことを述べるバートに、しかしアルは言葉遊びを楽しむ余裕すらない。ばっさりとバートの言葉を切って捨てた。

「お前は本当に何を考えているんだか分からなくて信頼できない」

「ひっどいなぁ」

 アルが何を言っても、バートは穏やかに笑って流してしまう。そんな様は、年の程こそ異なっているがその二人の顔立ちも声音もよく似ていることも相俟って、ともすれば我侭な弟とそれに振りまわされる兄のように見える。

 だが、彼らが似通っているのは顔立ちだけだ。ぶつぶつ呟くアルの生まれ持った色彩は金髪碧眼。憎しみを浮かべ鋭く世界を睨むその瞳を除けば、どこにでもいそうなごく普通の人間だ。それに対して、アルに声をかけた方はといえば、持ち合わせているのは鈍色の髪と赤の瞳。どちらも魔族の証だ。だから普段彼らが似通っていることに気がつくものは、アルを含めてほとんどいない。精々声が似ていることに気がつくくらいだろう。

 特に魔族特有の色彩はアルの嫌悪するものであるので、アルはこの数年を共に送っているというのにバートの顔立ちすらしっかりと見たことがないに違いない。

 そもそもアルは魔族という存在が大嫌いだった。それはある事件をきっかけとし、原因となった事件から数年が経った今でも尚褪せることなくアルの中に在り続ける憎しみだ。

 アルは小さな村の出身だった。何もない、けれど幸せで穏やかな日々が流れていくだけのありふれた村だった。その頃もうすぐ幼馴染との結婚を控えていた彼は、しかし全てを一夜にして失うことになった。魔帝が彼の村を滅ぼしたからだ。村人たちは皆命を落とし、彼の花嫁となるはずだった娘はその美しさゆえに魔帝に攫われた。

 彼はそのときからありとあらゆる魔族を憎んでいる。一人きり残されたアルの傍に現れて以来その身を守り続けているバートすら、恩があることは分かっていてもアルは受け入れていなかった。それに対してバート自身が何も言わないから傍にいることを許しているが、それに不満を漏らされていたならばアルはすぐにでも、

『誰がお前に傍にいてほしいと言った!』

 などと言ってバートを追い出してしまっていただろう。

 だが、もうすぐそれも終わりだ、とアルは思った。世界の果て、と人間達が呼ぶところ。魔族の住まう帝国までの長かった旅路は、この森を抜ければ終わりだ。攫われた幼馴染は帝国にいるに違いないのだ。愛しくて堪らない彼女をもう一度この腕にかき抱く、そのためにアルはこの数年という年月を注いできた。

 そして、とうとう彼らの視界が開けた。夜とは思えないほど灰色に濁った空の下に広がる、モノクロームの世界。そこにあるのは魔族が暮らす帝国だ。魔帝が統べるその国が漸く視界に入る。

「ああやっと、やっとだ……。やっとメディが帰ってくる……」

 愛しい相手の名を口にしアルは陶酔したようなうっとりとした表情で、灰色の世界に聳える城を見つめていた。




 そんなアルを彼の連れであるバートは、痛ましいものを見るような眼で眺めていた。世界は彼らに優しくなどない。長く恋人を求めてきたアルには悪いが、バートはこの先アルがどんな経験をするかを分かっていた。

 攻め込んだ帝国で、すぐに彼は長年追い求めた愛しい恋人と相まみえることが出来るだろう。けれど、再会した彼女の変わり果てた姿にアルは絶望するのだ。魔帝の気まぐれで、メディは人間でない存在へと変貌してしまっているからだ。

 憎んだ色を身に纏う彼女にアルは動揺し、その隙を突かれる。皮肉にもそんなアルを庇い命を落とすのは魔族に変貌させられたメディその人。長年追い求めた彼の宝物は、一瞬でアルの手をすり抜けていってしまうのだ。

 何故そんなことが言えるのか。それらは全てバートが経験してきた(・・・・・・・・・)ことであるからだ。

 バートは本当の名をアルバートといった。小さな田舎の村の出身で、愛した娘を助けるために魔帝に戦いを挑んだ。旅の道連れの青年の命すら犠牲にして魔帝を倒した先に得たものは何もなく。

『どんな代償を払ってもいい、もう一度彼女に会うことを』

 愚かにもそんなことを心の底からバートは願い、そして神はそれを叶えた。人であることを捨てるという代償の下に、バートは過去へと時を渡ることを許されたのだ。

 そして、あれほど憎んでいた魔族の色彩に己が身を染めバートと名乗って、数年に渡り復讐に燃える幼い自身との旅を続けている。何が待ち構えているのかを全て知っている旅を。

 バートは複雑な表情で魔帝城を見つめた。そこでの戦闘中にバートは死ぬ。全てが終わり、徐々に冷たくなっていくバートの体に、アルは縋りついて初めてバートの名を呼ぶのだ。

『メディももういないのに、俺を一人にしないでくれよ……! バート……!』

 嘗ての自分が発した慟哭は、体感で五年が過ぎた今もバートの耳に残っている。何度も何度もその名を呼んで、それでもバートの命は決して戻らなかった。

 アルとの旅は神が与えたチャンスなのかもしれない。この旅を始めて以降、バートは時折そう思うことがあった。十六からの五年間を復讐だけに染めた彼を憐れんで神が与えた時間なのではないか、と。

 不思議とバートは穏やかな気持ちでいられた。子供の己は一々突っかかってくるが、そのときのことを思い出せば切なさでいっぱいになる胸はアルへの怒りなど宿さなかった。自分自身との旅は魔帝との決戦で傷ついた己の心を確かに癒していったのだ。世界は彼らに決して優しくないけれど、その優しくない世界でバートは生きていくことができた。

 願わくば、アルが避けられないバートの死を悲しまなければいい、と切に願う。バートはアルを守って死んでいくことに何ら不満はない。メディを失い、目前で未来の己を死なせてしまったバートが生きてこられたのはアルがいたからなのだ。アルに助けられたのだから、アルを守って死ねるのは本望だと思う一方で、それはただ単にバートの自己満足であることもバートはきちんと分かっていた。

 己はあれほど聞いていて耳に痛い慟哭を発していたのだから。

 何にせよ確かなのは、この奇妙な旅はもうすぐ終わりを迎えるということだ。そして、アルは過去に遡及し、バートが誰であったのかを知るだろう。そして、アルは、結局アルバートという存在にはメディと幸せになる道など初めからなかったのだと知ってしまうのだ。




 これは繰り返す世界の中の出来事。

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