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第三話

 なぜ彼女が選ばれるのか――最初に現れたのは嫉妬でした。どうして彼女が選ばれる。どうして私は選ばれない。選ばれなかった少女達の嫉妬が向日葵へと襲いかかりました。


 しかし逆境であればあるほど、それを覆すために力も大きくなってゆく。


 お嬢様も他人事ではありませんでした。徐々に徐々に軋んでいた歯車が動きだしてしまったのです。


 王太子と少女が過ごす時間が徐々に徐々に増えてゆきました。最初は生徒会として接していた皆様の輪に、彼女が迎えられてゆきます。


 どうして彼女が生徒会へ選ばれる――上級貴族である自分達を差し置いて。

「リタはいれてくれなかったのに……。ごめんねリタ」

「気にしておりませんよお嬢様。私に生徒会は荷が重すぎます」

「でも。どうしてあの子なの? 全然貴族の仕来りはわからないし、生徒会の仕事だって全然できないのよ?」

「お嬢様はお優しいのですね。ありがとうございます。お嬢様。こんなにも気遣っていただいて、リタは幸せです」

 初めては皆上手にはできないものですと、私は告げませんでした。

「……嫌味を言いたかったわけじゃないの。嫌な女になっているわよね。ただ、リタと、一緒に、生徒会の仕事がしたかった」

「至らず、申し訳ありませんお嬢様」

「もう。謝らないでよリタ。貴女は良くやってくれているわ。私は貴女を労いたいの」

「お嬢様……」

 そっと身を寄り添わせて抱きしめます。

「ありがとうございます。お嬢様。そのお心だけで十二分なのです」

「リタは優しすぎるわ……。もっともっと怒ってもいいのよ。貴女は上級生なのだから。ごめんなさい。全然何もできなくて」

「十分頂いておりますよ。お嬢様」


 学院全体にひどい不穏が巻き起こっておりました。小さな渦が、それは構わなければただ過ぎるだけのものでしたのに。


 放課後――廊下で止まったお嬢様の視線の先には、王太子と微笑み笑う少女の姿がありました。去年私が眺めていたお嬢様の場所に向日葵の少女は佇み――。


 それを眺めているお嬢様の。


 母親が、父親ではない他の男性と親し気にしていたと言う古傷が。


 脆く、暗く、羨ましい――瞳に映るその光景すらも。王太子もそうなのではないか――将来を誓い会おうとも、別の誰かへと気持ちを移すのではないか。疑念がお嬢様を蝕み始めていたのです。

「お嬢様」

「ん? どうかした? ……行きましょう」

 何も気にしない。苦味を帯び痛みを帯び。まるで指に棘が刺さっているかのように。


 徐々に徐々に、お嬢様との時間が、向日葵の少女との時間へと置き換わってゆくのを眺めているしかありませんでした。そのたびにお嬢様の心の傷は悲鳴をあげ。何もできませんでした。


 可哀想だから――それが友達だからへ変わってゆくのを眺めているしかありませんでした。


 私はお嬢様の心労を気にするばかりで、その原因を気にしてはおりませんでした。男爵家の令嬢と王太子の恋愛は成り立たない等と……考えていたのです。奥様との関係が苦く苦く――口の中に残っておりました。


 教室の中でぽろぽろと――お嬢様は。

「友達だからって。言われたの。君とはこれから何時でも時間を取れるけれど、彼女とは友達で、今しか時間が無いからって……」

 光すら重く。

「ただ、ただ少しでも一緒にいたいと願うのは、そんなに贅沢な事なのかしら……今は今しかないのに。それは私だって同じなのに……」

 私は言葉を口にできず、ただお嬢様を光から遮り、日陰を作るしかできませんでした。


 貴族の子女は平民のように自由な恋愛が出来ません。決められた相手と結婚しなければなりません。逃げられません。変えられません。代えられません。受け入れなければいけません。だからこそ、相手とのより良い関係を皆願います。


 一歩が未来を沈ませてゆく。貞淑であればあるほどに。


 奥様がそうだったように。欠けて脆く壊れてしまう。


 お嬢様がただの子女であったのなら、ここまで傷を重ねる事などなかったのです。公爵令嬢様のように少女を受け入れ庇護し、共に歩める未来も存在しておりました。


 しかしながらお嬢様には深い傷があり、そして王太子の婚約者でした。


 失礼ながらお嬢様の痛みを王太子が理解できるわけもありませんでした。


 一学期終わりのパーティー。王太子はお嬢様を会場へエスコートはしたものの、気もそぞらに。向日葵の少女が会場に参りますと側へ行き、真っ先に踊らなければならないお嬢様を退けてエスコートを始めてしまったのです。一人残されたお嬢様の気持ちを考えていただけませんでしょうか。


 貴方が見るべき相手はお嬢様ではないのでしょうか。


 気持ちはどうにもならないものでしょうか。そう易々と覆せないからこそ、お互いがお互いを思いやり大事に扱うべきではないのかと。


 そうは考えても私の父も、お嬢様の父も――。


 決してそのような方ばかりではないのは理解しているのです。


 使用人にとり、それは命綱でもありますから。


 一人となられたお嬢様に声をかける男性の中には良く無い噂の方もおられます。女性の扱いにはなれておりますから。一体何人の女性を使い、その動作や仕草、言葉使いを覚えたのでしょうか。


 部屋の隅で不器用に佇んでいらっしゃる方の方が、よほど信用があります。


 王太子と彼女の距離もあまりにも近い。友達と語るには距離が近すぎます。それは恋人だけに許される距離ではないのでしょうか。


 私を含め彼女達が仲良くなることで突出する不満や妬み恨みは、徐々に募ってゆきました。


 その不満は形となり、向日葵の少女に対して無視をする、ぞんざいに扱う等の行為が増えてゆきました。


 嫉妬や気落ちからお嬢様が他の男性の手を取らぬように気を付けなければいけません。それは火遊びでは済まないからです。

 私はあまり人と話すのが上手ではありません。基本的に受動型だからです。相手の問いに対する答えを用意する型だからです。自分から話かけるのが苦手です。

 自分の言葉を相手に伝える事で相手との関係が悪化してしまうのを恐れ、反撃を想像し封じるために何も言わない臆病者です。話の応えに苦笑いばかりを浮かべてしまう。それを鑑みても、今回だけは何とか、何とか、近すぎるのを伝えたい。

「あの、すみません」

「はい‼ 何でしょうか?」

「このような事を申し上げるのは、大変申し訳ないのですが、王太子との距離をもう少し取っていただけないでしょうか?」

「どういう意味?」

「王太子には婚約者がいらっしゃいます。その方が貴女と王太子の距離に対してひどく傷付いているのです」

「ただの……友達、だよ?」


 王太子と友達だなど、男爵令嬢に許されるべき言葉ではないのですが。無邪気と申しましょうか、神経を逆なでされたように私の中でも血が上ります。

「恋人が他の女性と必要以上に仲良くされるのを眺めるのは、嫉妬や妬み、苦しみを帯びるものではないでしょうか? 申し訳ありません。想像なさってみてください。恋人が自分以外の女性と近しい距離におり、微笑みあっている。遠くから眺めて辛くはありませんか? 誤解しませんか? 友達なのは重々承知しているのです」

「……そう、ですね。頭では、頭では理解しているんです。ごめんなさい。これからは気を付けます」

「そうよ‼ 貴女がどれだけ周りに迷惑かけているのかわかっているの⁉」

「っ」

 急に女子生徒が会話に割り込んできて頭が真っ白となってしまいました。そのような激しい言葉を使っては。

「今までどれだけみんなが我慢してきたかわかる!? ただの男爵令嬢の癖に‼」

「男爵令嬢がなんだっていうの? 下らない。貴方達は本当に下らないわ。身分に囚われて」

「なんですって⁉」

「貴族だからって偉そうにしないで‼」

 そのような話ではなく。貴族や身分の問題ではなく。純粋な恋愛として――お嬢様は本当に王太子殿下を好きなのだろうか。

「生意気なのよ‼」

「離して‼」

 ――手をいけません。手は。手を出してはいけません。

「……何をしている」

 こんな時に限って生徒会の面々が。

「いえ……ただ」

 貴族社会において自分を罰する権力を持つ相手に見つかった場合、罰が下るかもしれない行動、言動には十二分に気を付けなければいけないのに。相手への悪口や相手の嫌う行動等には気を付けなければいけないのに。


 一度失った信用を取り戻すのは容易ではありません。

「……なんでもありません」

「自分達が何をしているのかわかっているのか? 恥ずかしくはないのか? よってたかって一人の子女を」

 上級貴族の中でも特に権力をお持ちの方々に言われると何も言い返せません。

「君は……リタコートニーか。去年生徒会に入れなかったのは君の実力不足のせいだ。彼女は違う。彼女を妬むのはやめろ」

 そうではありません。そうではありませんけれど。何も言えません。言ったところで言い訳となってしまいます。

「行こう?」

「はい……」

「お前達に忠告しておく。下らないイジメはやめろ。俺を始め、生徒会は彼女を全力で守る。傷付けさせはしない」

 あぁ……。空回りしてしまいました。こんな事なら最初から話すべきではなかったのかもしれません。私の名前を憶えられていた。去年の生徒会でのやり取りがこんな所で響いてくるだなんて。お嬢様に風評被害を与えてしまう。話さなければ良かった。本当に何をやっているのだろう。


 ただお嬢様を気にして欲しいだけなのに――。


 悔しいやら辛いやら悲しいやらで、自室に戻り大きなため息ばかりを吐き出してしまいました。口が上手くないのだから。


 私みたいな人間は、誰かが言ってくれるのを何時も待っている卑怯者だ。代弁してくれるのを待っている。誰かに言わせて自分は無関係を装いながら同調している。責任は全て言った人間に向けられるのだから。そんな自分が好きじゃないけれど。


 お部屋へと帰って来たお嬢様の表情は芳しくありませんでした。私は膝を付いて頭を下げるしかありません。

「申し訳ありませんお嬢様」

「何をやったのよ‼ 貴女は‼」

「申し訳ありませんお嬢様……」

「一から説明して頂戴」

「王太子に物申す事は叶いませんから、彼女に対して王太子と距離を取るように言いました」

「……なっ。別に私は気にしてないわよ‼ それより、言われた内容と随分違うけれど?」

「途中で……周りに介入されてしまいまして。同じ下級貴族の方々が同調してしまったのです。ただ恋人がいる男性との距離感を考えてほしいと告げただけなのですが、それが階級やら特権やらの話にすり替わってしまいまして……」

「まったく……なんてことっ。余計な事しないで‼」

「申し訳ございません……」

「貴女はもうあまり発言をしないで頂戴‼ 私は気にしないけれど、貴女の立場はかなり悪いわよ。下級貴族を先導して責めた事になっているわ」

「決してそのような事は……」

「わかっているわ‼」

「申し訳ございません。お嬢様の立場も考えず。申し訳ございません」

「……貴女が良くしてくれているのは理解しているの。婚約者だから王太子と仲良くできればいいと考えていたわ。婚姻したら……子供も産むわけだし。王太子もそれは良く理解していると思うの。確かに……歯がゆかったわ。それは認める」


 私の行いが結果的にお嬢様の評判を下げてしまった。私はお嬢様の一部とみなされているのです。余計な事をしてしまいました。


 下級貴族は彼女の存在が恨めしいのです。どうして彼女だけ。どうして彼女だけ特別で自分達は違う。どうして彼女だけが護られて私達は守られない。


 上級貴族は嫉妬に駆られています。どうして彼女が選ばれる。上級貴族である私達ですら近づけない相手に、どうしてそれが許される。


 仮面の裏に隠した素顔。

「どうせ私のためって思ったのでしょう? でももう余計な事はしないで」

「……お嬢様。お願いですからお傍に」

「心配性ね。確かに男性から声をかけられているわ。それを危惧しているのでしょう? そこまで馬鹿じゃないわ。今日もね。呼び出されたのよ。そしたら男がいて、嵌められたわ。今頃噂になっているでしょうね。私が殿下ではない男と二人で逢引していたと」

「……申し訳ございません」

「くだらない。でもそれが貴族の世界なのよね」


 王太子殿下は女性と二人きりで会っていても許される。


 でもお嬢様は……男性と二人きりで会えば――。


 もっと気にしていれば。


 学院内の空気が、私は苦手でした。


 二学期も始まり、湧き上がってきた思想が元よりある思想と混じり合い紅茶にミルクを足すように。紅茶にレモンを足すように。強すぎるミルクは紅茶を台無しにします。強すぎるレモンは紅茶を台無しにします。


 台無しになった紅茶が量を増し、丁度良い塩梅へと変わってゆきます。


 二学期はそのようなものでした。それに伴い皆学習します。今のやり方ではダメだと。公爵令嬢様の周りもにわかに騒がしくなって参りました。


 隣国の帝国では女は宮入を望みます。奴隷であろうと農民であろうと宮に入れられさえすれば飢えも難も逃れられます。それが隣国では許されている。


 奴隷の少女が宮へ入り、王に見初められ太子をなし、国母となられた逸話は古いものではありません。国母となれば、王の母ともなれば、国を支配するも同然です。


 私の国ではそれは許されませんから。次代の子らに思想が燻ってしまっているのです。


 私は静かに過ごすしかありませんでした。侯爵令嬢に見捨てられた令嬢として、誰も私に関わろうとはなさいません。事実は異なります。しかし噂や組織はそれを是とします。


 放課後は馬車を雇い洗濯物や荷物を持ち、ロゼッタの下を訪れます。

「おっ。おねーちゃん。いらっしゃい」

「えぇ、洗濯物をお願いね」

「はい。銀貨五枚です」

「はい」

「ありがとうございます。ねーさん呼びますか?」

「忙しそうなら無理しなくても」

「今接客中ですね。なんだか、キラキラしたお姉さんが来てますよ。お菓子貰いました」

「良かったわね」

「でも私はあの人、苦手です」

「ピーマンと一緒?」

「あっ。おねーちゃんは意地悪です」

 焼き菓子を袋から一つ取り出して、口に含ませます。

「あっ。あまーい」

「ふふふっ」

「でも、私はドングリの奴の方が好きですよ?」

「あら、そうなの? でもあれは……」

「貴族の方々のお菓子はちょっと甘すぎます」

「そうなのね。そうね。甘すぎるわね。良く歯磨きしないと虫歯になっちゃう

わ」

「そうなんです。もー」


 ロゼッタが談笑しているのを遠くから眺めておりました。相手は――向日葵の令嬢でした。知り合いだったのね。ロゼッタも明るい性格ですし人懐っこいので周りに馴染むのも早かった。それは構わない。それは構わないのですが――。


 二人が談笑している。その姿に。なぜだか、それを見た瞬間、異常に仄暗い感情に支配させるのを感じました。心が冷めるような、それは私の友達だから取らないで。そう感じたのかもしれません。それは私の……。ため息が漏れてしまいます。ロゼッタの一番の友達は私でいて欲しいなどと……。


 手を振り合い別れる二人を眺めておりました。そしてロゼッタがこちらに気付いて手を振って参ります。

「いよっ」

「……うん」

 ロゼッタにとって私はどれくらいの友達なのかしら――誰かと比べたくなんかないのに誰よりも優先して欲しいと考えてしまう。嫌な物です。


 もう一つの懸念も私に暗い影を落としておりました。


 兄が婚姻なさるそうです。通常は貴族の令嬢を娶るものですが、どの令嬢にも相手にされない兄は、その辺の女性を妊娠させたので娶るそうです。


 そうならぬように学院があるというのに。


 令嬢は特に、きちんとした相手を見つけるために学院に通う節があります。兄は学からも領地からも逃げておりますし、父も似たようなものなので四方の貴族に簡単に篭絡されてしまいました。


 そして婚姻するのでお金を寄越せと手紙が参りました。私をお金を生みだす道具か何かだと考えているのかもしれません。ため息ばかりが漏れてしまいます。


 自由に使えるお金は確かにありますけれど、使い道があるのかと言えば否でした。いざと言う時のために残しておきたいのもあります。

「コーヒーでいいか?」

「えぇ。大丈夫よ。これ、焼き菓子よ」

「なんで二つあるんだよ」

「新しいお菓子屋さんの焼き菓子と、何時もの焼き菓子よ」

「おっサンキュー」

 ロゼッタに貸した家。ここはロゼッタが寝泊まりしている実質ロゼッタの家です。床や棚を眺めます。

「なんだ? どうした?」

「ここにお金を置かせてもらおうと思って」

「はぁ? 有り金を隠すって事か?」

「えぇ」

「んじゃ。ちょっと貸してみそ」

 お金の入った袋を鞄から取り出し、差し出された手に乗せます。

「おっも。こんなに持ち歩くなよ。あぶねーなー。金貨じゃん。どうりで重いわけだ」


 ロゼッタは金貨を何袋かに分割致しました。暖炉の灰を掻き、レンガの一部を何個か持ち上げてその下に袋を押し込めます。ドアの下の床板の下を開き収めます。分別した銅貨等をわかりやすい棚の上などに放り投げました。泥棒にはわかりやすい銅貨を奪ってもらうのだそうです。

「これでいいな。つうか、あたしが使っちゃうよー?」

「困ったら使って頂戴」

「……なんだよもー」

 そして焼き菓子とコーヒーを机に並べてくれました。

「……何時もの焼き菓子は食べないの?」

「あれはあたしんだ。やらんぞ」

「私が作ってるんだけど」

「新作の焼き菓子なんだろー。一緒に食おうぜ」

「新しい子が増えたわね」

「あぁ、その辺のガキを拾ってんだ。スリさせるよりマシだろ」

「相変わらず面倒見がいいわね」

「そうだぜ。へへへっ」

「ん……このコーヒー。ローストしてあるわね」

「水出しとか色々試してんのよー。へへへっ。うまいだろー。お高いんだぜ」

「ちょっと貰えるかしら」

「いいぜー」

「……さっきのって」

「あぁ? あぁ、最近仲良くなったんだよ。お前と同じ貴族の令嬢らしいぜ。話易い奴だぜ」

「そうなのね」

「お前の後輩じゃないか?」

「そうね」

「なんかそっけないなー。お前、気を付けろよ」

「何を?」

「あぁ言う令嬢にだよ」

「どういう意味?」

「あぁいう光です。みたいな人間ってたまにいるんだよ。男にも女にもな。あたしの母親がそうだったけど。そういう人間には敵対しないのがタメだぜ」

「……そういうもの?」

「親しくし過ぎるのも難だからな」

「そう」

「なんだよお前。もっと興味持てよな。親しくし過ぎず、敵対もするなって話だろー?」

「……ロゼッタは親しそうだったわね」

 自分で言ってて拗ねているみたいで嫌になってくる。

「まぁな。親しくしてて損はねーからな」

「そんなもの?」

「もう一度言うけれど、敵対はすんなよ。あぁいう女は男を引き寄せるんだ。お前学院に通ってるだろ。自然と人が集まる奴っているだろ? あれはそういうタイプの人間なんだよ。本人に悪気はないんだぜ。でも周りが過保護になりやがる。あたしもお前もそんなに力がある方じゃない。睨まれたら事だぞ」

「気を付けるわ」

「そーしとけ。えっ⁉ お前……枝毛があるぞ。ちょっとそのままでいろ」

「枝毛ぐらい、いいわよ。放っておいて」

「いいから動くなって。ほらっ切ってやるからさー。あたしに枝毛切られるのってお前ぐらいなもんだぜ」

「良く言うわ」

「へへへっ。お前の髪ってやわらけーよな。触っているといい気持ちだぜ」

「私は猫じゃない」

「ははははっ。お前っ。はははっ。猫じゃないって‼ そりゃそーだろ。ははははっ。可笑しい奴。ははははははっ」

「笑い過ぎよ‼」

「だってお前っ。はははっ。そーだよな。猫じゃねーよなっ。はははははっ」

「もう‼」

 首筋を流れる腕。ロゼッタの香りがした。頬に触れる柔らかい頬の感触。形の良い腕と指先。

「くれぐれも無理はすんなよ」

「わかってるわよ」

「ほんとかなー?」

「なによっもう」

「あはははっ。ははははっ。お前は大変だなー。ほんと」

「どういう意味よ?」

「あたしの可愛い子猫ちゃん」

「揶揄わないでよ‼」

「あはははっ。あはははははっ」


 肌を伝う指のなぞり。奥様の瞳にも力が戻って参りました。

「愛しているわ」

 腕を掴まれ、瞳を覗かれ、奥様は私にそう告げるのです。少し困惑してしまいます。腕に指の跡が。


 奥様に仕える方が増えたような気がします。見知らぬ方々です。私を眺めても何も申しません。ただ私を眺めますと、礼儀正しく頭を垂れます。こちらも頭を垂れますと、優しく微笑みを浮かべ、通り過ぎてゆくのです。謎です。男性の方はとても静かです。野暮ったい服を着用している方が多いです。こちらは終始無表情です。


 奥様に対して何か申せる立場ではありませんので何も申せません。


 鍋をかき混ぜる手を掴まれて――時間が出来ましたので最近は夕食等を作るようになったのですが。

「あのっ……奥様。まだ……」

「こちらを向いて」

「奥様」

「リタ。私のリタ」

 波のように揺れ水面を連想させるような瞳に、引きずりこまれそう等と。腕に伝わる指の圧。胸に寄せられる頬。

「奥様……お料理が」

 指がスカートの縁をなぞるのです。


 ミーティアからの手紙に懐妊したと報告がありました。名実ともにミーティアは側女となるでしょう。そうなれば良いとは考えておりましたが、実際にそうなると感慨深いです。


 不思議なのですが、弟様や妹様が奥様よりもミーティアに懐いているのだそうです。奥様はもう滅多に領へは帰らないようですので、仕方のない問題なのかもしれません。


 私も後半年もすれば、伯爵の下へと行かなければなりませんから――奥様を眺めます。頬を撫ぜ、まつ毛を重ねさせていただきます。今だけですから。奥様の側にいられるのは今だけですから。ですがもうこれだけ力の戻られた奥様には、私は必要ないのかもしれませんね。


 ベッドの上――胸に埋もれる奥様の髪を撫ぜていました。

「リタ。愛させて。お願い……」

「奥様」

 額に何度も唇を寄せ。奥様の体をほぐすのにも触れるのは丁度良いです。


 旦那様との関係。ミーティアとの関係。ひどいように扱わないで欲しいと奥様にお願いしたいのですが、それを口にして起こるかもしれない問題を恐れています。

「奥様……領についてなのですが」

 なぞるように頬を包まれて、その視線を向けられて。何度も奪われながら。

「……もういいの。もう終わったのよ。もう……。何もかも。ミレーユは王家に嫁ぐと決まったわ。申し訳ないのだけれど、あの子は……夫との子供ではないもの。ちゃんと理解しているわ。もう……どうにもならない」

「申し訳ありません。奥様」

「謝らないで。私が悪いの。私が悪かったのよ。もう貴女だけよ。貴女だけ……。それだけでいいわ」

 再び傷口をえぐってしまったのかもしれません。弟様と妹様のお気持ちを考えると複雑ですが。奥様の心の傷が早く癒えるようにと、そのお体を包み込み、何度も口付けを繰り返すしかありませんでした。


 私が気付かないだけで学院内にも色々なやり取りがなされておりました。物事を円滑に進めるための協力、打算、教唆、根回し、讒言ざんげんがやり取りされていたのです。


 二学期も終わりへと――お嬢様が、ただ茫然として帰って参りました。何も告げず、私を眺め震えた指で私を掴みます。耐え切れず崩れ落ちるように。瞬間体は動き、お嬢様の重さを支えておりました。


 王太子の移ろ気を見てしまったのです。それはお嬢様の最後の砦を壊してしまいました。


 見える人全てが自分を貶めているように見える。周りの人全てが信用できない。二学期、お嬢様はそのような雰囲気の中、お一人で立ち回れていたのです。


 公爵令嬢様がそれを望んでいたわけではありません。しかしそうなると理解できなかったわけでもないはずです。周りも己の都合の良いように物事を動かそうとします。公爵令嬢様がそれを望まなくとも、王太子様がそれを望まなくとも、忖度なさる。そうなれば自分にとって都合が良いと動くのです。そのために言葉を尽くし、行動を尽くします。私にはできない行動でした。結託し噂を流し裏を取り持ち上げ貶め物事を進めます。

「お願い。貴女まで私を拒否しないで」

「お嬢様。大丈夫です。大丈夫です。お嬢様。リタはここにおります」

「リタッ。リタッ……」

 泣き叫ぶお嬢様を、私は拒否できませんでした。


 平民の中には使用人として学院に潜入し、学生達の信頼を得て動かそうとする者達もおりました。特権階級は悪だと信じている。向日葵の少女は平民とも分け隔てのない世界を夢見ている。彼女が王の配偶者ともなれば都合が良かったのです。


 少女は男爵家の人間です。男爵家では身分が低すぎます。簡単に上級貴族の養子になれるものでもありません。公爵令嬢様がそれを望んでいるとは考えておりませんが、お嬢様が配偶者足らなければ、公爵令嬢様が王妃として選ばれる未来もあるでしょう。


 そのために動く人々もおられます。


 学院内における小さな炎は、いずれ国全土を抱え込む炎にもなりえます。


 三学期が始まり、お嬢様の待遇はより悪くなる一方でした。今までの行い全てが反転しお嬢様に襲い掛かります。向日葵の少女に対する数々の非礼な行いの責任をお嬢様に求めたのです。


 さらにお嬢様が度重なり不貞を重ねたと噂が出回りました。


 悪意とは振りまかれるものです。たった一人が行うものではないと思い知りました。感化された正義感も持つ人間がもっとも厄介な相手なのだと思い知りました。


 一斉に裏返りました。それが事実であるかどうかは関係ありません。


 不貞を行う女性はより嫌われます。なぜならば、一般的に受け入れる側が女性だからです。男性がいくら迫ろうとも、女性が断りさえすれば不貞は成立しません。男性は笑って許されます。なぜならば最終的に受け入れるかどうかを判断したのは女性側だからです。


 お嬢様は学院の風紀を乱したと生徒会から追放となり、自室にて謹慎を言い渡されました。それが事実かどうかは関係ありませんでした。


 傷つき心を痛めたお嬢様に反撃する力はありませんでした。何よりも王太子がお嬢様の話に耳を貸しませんでした。すでに聞く姿勢がありませんでした。王太子自身が向日葵の少女と結ばれるのを望んでいたのです。この流れに抗う術はありませんでした。


 部屋から外へ出られない。ベッドの上――膝の上のお嬢様。指と手の平で触れるしか、私にはできませんでした。一人になるのを極度に恐れ、お嬢様はひどく無気力になられて。


 強大な流れ、悪意に飲み込まれて流されるしかない無力感に苛まれておりました。支え、支えられるべき王太子は喪失し……敵意さえ抱かれる。


 それでも日々は進みます。

「お願いリタ。傍にいて」

「大丈夫ですお嬢様。リタはここにおります」

 悪意は私にも。

「貴女も身の振り方を考えた方がいいわよ?」

「お構いなく」

「生意気‼」

 頬に痣が残る日もあります。水をかけられる日もあります。私に何があろうと周りは自業自得だと見なします。許される人間と許されない人間がいる。私は慣れていますので気にしてはおりませんが。


 奥様に残された跡。それを見られますと私も男と遊ぶ女だと見なされてしまいました。お嬢様もその跡を眺め、強く心を痛めているようでした。重ねるように跡を強く残されてしまいます。心細いのでしょう。

「大丈夫ですよお嬢様。大丈夫大丈夫です」

「リタッ」

 求められるのを受け止めるだけではなく、求められれば自らも求め、お嬢様が必要な人間だと肯定を促します。貴女が大切です。貴女が必要ですと、言葉ではなく態度でお伝え致します。その柔肌に傷を付けぬように気を付けなければいけませんけれど……。


 三学期の最後には卒業パーティーがあります。殿下から出席するようにと招待状が来ておりますから、お嬢様と言えども拒否等できませんでした。

 お嬢様のドレスを準備すると共に、ロゼッタが私のドレスを仕上げてくれています。


 お店に伺いますと、ロゼッタが純白よりやや黄色を帯びたドレスを着付けておりました。飾り気は無いのですが意匠が凝っており、派手ではないのですが細かく見れば、それがどれだけ手間のかけられた衣装なのかが窺えます。

「すごいわねぇ……」

「へへへっ。そうだろ? すげー気を使ってるからな」

 ドングリの焼き菓子を差し出します。

「おっサンキュー。ちょっと着てくれよー」

「いいの?」

「いいも何もお前のドレスだろー?」

「こんな立派なドレス……もったいないわ」

 服を脱いで袖を通します――ロゼッタは私の体を眺め、少し渋い顔をしておられました。

「……なんでだろうな。傷付いたお前の肌を、すげー綺麗だと思っちまうんだよな」

「それ……けなしているの?」

「素直な感想だろうが‼ ……初めてお前を見つけた時も、こんな肌してたな。お前は川で体を洗っててよー。日差しが水面でゆらゆら揺れてさ。肌に映って太陽みたいだったよ」

「見てたの? あれを? めちゃくちゃ冷たかったのよあれ。傷で痛いのか冷たくて痛いのかどちらなのかわからなくなって。暗くなったら寒いし見えなくなるしで急いで洗っていたのよ?」

「あはははっ。お前はそういう奴だ。あはははははっ」

「なによもう。そんなに笑う事ないでしょう?」

「おっ。イイ感じだな」

「こんな豪華なドレス。いいのかしら」

「材料も別にシルクじゃねーよ。全部リネンだしな。古着の再利用だよ」

「すごいわね。リネンでこの質感」

「まぁ、二度と作りたくはねーけどなっ」

「……本当に着ていいの?」

「お前用に作ったのにお前以外の誰が着るんだよ」

「ありがとう……」


 だけれども――私がそのドレスをパーティーで着る事はありませんでした。

「ごめん。ごめん。どうしてもって。どうしてもって乞われてさ。断れなくて」

 謝るロゼッタを受け止め、癒します。

「大丈夫よ。その代わり、大金を受け取ったのでしょう」

「金なんか別に‼」

「去年貴女が作ってくれたドレスがあるわ。それを着るから平気よ」

「今からでもそれを持って来てくれ。ちょっとでも手直しするから」

「無理してない? 大丈夫よ?」

「無理なんかしてねーよ‼ ごめんな。ごめんな」


 お嬢様を伴いパーティーに出席致します。本来なら殿下がお嬢様をエスコートするべきなのですが、殿下は迎えに来られませんでした。失礼ながらお嬢様の手を取り、エスコートさせていただきます。僅かに震えた指先が、お嬢様の恐怖を物語っておりました。


 誰もがこちらを一瞥致します。落ち目の侯爵令嬢とそのお付きの男爵令嬢。ただの談笑が、お嬢様には嘲笑に見えるのでしょう。

「お嬢様。ほらっ。笑わなくてはダメですよ」

 頬をムニッと解して差し上げます。

「……ありがとう。ダメね。全てが敵に思えてしまうの。誰からも笑われているように思えて」

「そのような事はありませんから」

「殿下だわ」

 にわかに会場が漣のようにざわめきます。皆の無意識に発せられた感嘆の声が大きく響いたのです。


 現れたのは殿下と――向日葵の男爵令嬢でした。


 その衣装に深く深く息が漏れてしまいます。その男爵令嬢の着ている衣装は私のために作られた衣装でした。少し元のデザインを崩し採寸が合わせられている。


 ロゼッタと言えど、殿下の申し出を断る事はできなかった。殿下は許しても家臣はそれを許しません。殿下が諦めても部下は諦めません。ロゼッタにそれを断れと言うのは酷と言うものでした。


 向日葵の男爵令嬢が遊びに来て綺麗だと認めたドレス。殿下がぜひにとの申し出をロゼッタは断った。しかし家臣はそれを許さなかった――。


 向日葵に向日葵のドレスは色合い的にも似合わないのに――。


 そう考える私は性格がブスなのかもしれません。


 ロゼッタの気持ちを考えると申し訳なくなります。ロゼッタにも守る者が沢山ありますから。自身のプライドをへし折ってでもドレスを差し出したのでしょう。屈し条件を飲むのは悔しかったでしょうに。


 私の考えは甘いものでした。私はこのまま卒業すると考えていました。愚かでした。


 断りが入り、殿下より壇上へとお嬢様が呼び出されました。殿下に呼び出されたのなら、応じなければいけません。お手を支えながらお嬢様を壇上へと。冷たくなった指が、お嬢様の緊張をお伝えして参りました。


 どうすれば良かったのでしょう。どうすればこうならなかったのでしょうか。


 婚約破棄を言い渡されたのです。お嬢様のお気持ちを考えると額を甲で押さえるしかありませんでした。崩れ落ちるお嬢様を支えます。それよりも殿下のあまりの言いぐさ。強い言葉に唇を噛んでしまいます。それでも何も言い返せません。それはただの見苦しい言い訳となってしまいますから。もはや何を語っても言い訳にしかなりません。そして王族が認めた事象に誤りはないのです。


 周りの視線を考えていただきたい。このような辱めをお嬢様に与えるだなんて。怒りは湧きますがそれを殿下に向けるわけには行きません。歯がゆいばかりです。


 ――さらに言葉が続き。目が。瞳孔が、動きが、止まってしまいます。お嬢様はそのような行いはしていない。お嬢様はそのような悪行など――。

「お嬢様はそのような行いはしておりません‼」

「黙れ‼ 証拠はそろっている‼ お前もだ‼ リタコートニー‼ お前達の悪行は全てわかっている‼」


 どうして――。

「連れてゆけ‼」

 連れて行け? 何処に――。


 その日のうちに牢へと幽閉されました。それほどの罪を犯したと言うのか。お嬢様が。違うのだ。殿下がお嬢様と婚約破棄するにはそれ相応の理由がなければならない。殿下が求めた結果、家臣がそれに応じた。ではそうなるように理由を設けたのだ。

「大人しくしておけ‼」

「お嬢様‼」


 お嬢様は無気力のように。糸の切れた人形のようになってしまいました。抗う気力もない。殿下の言葉がどれほど辛かったか。このままでは処刑されるのが目に見えておりました。旦那様はどうなさるでしょうか。奥様は……。


 もはや道はあまり残されておりませんでした。即断即決をしなければいけない。


 数時間後――現れたのは奥様でした。

「リタ。大丈夫?」

「奥様‼」

「手酷くやられたわね……。急いで支度をして」

「私は大丈夫です。お嬢様を……」

 奥様の表情と口調より、これが正規の解放ではないのがすぐに理解できました。布を被った女が二人――野暮ったい男達に担がれて参ります。降ろされた姿。私とお嬢様に背格好だけはそっくりなのです。

「奥様っ」

「逃げるのよ。このままでは貴女が……」


 あぁ、これではダメだ。これでは逃げきれないとすぐに悟ってしまいました。

「何もおっしゃらず。奥様」

「何を言っているの?」

「私はここに残ります」

「何を言っているの⁉」

「奥様。何も申さず。片方のその子だけを置いて行ってくださいませ」

「リタ……?」

「それで数日は稼げるでしょう。どうかその間にお逃げになられてください」

「何を言っているの⁉ リタ‼ 私は貴女を‼」

「それ以上申してはいけません。奥様……。奥様にとり大事なのはお嬢様です」

 奥様にとりお嬢様よりも私が大事であってはならない。そしてその逃げる先が侯爵領ではないのが理解できました。奥様は二人分の囮を用意なさった。領でお嬢様を匿うのは不可能なのです。旦那様はお嬢様を差し出すでしょう。


 奥様は帝国の出身です。それを鑑みれば行き先はわかってしまいました。それを私に言ってはいけないのです。

「リタっ。お願いよっ。リタ‼」

「奥様。愛しております。奥様――それと同じぐらい、貴女の娘も愛しているのです。奥様」

「あぁ……リタッ」

「お嬢様……お早く」

 この方達は奥様を、お嬢様と呼ぶのね。

「わかっているわ‼」

「奥様。お早くなさってください」

「すぐに助けに来るわ。決してッ。決して諦めてはダメよ」


 降ろされた少女は痩せこけておりました。お嬢様とは似ても似つかない。それは決して褒められた事ではありません。ただこの少女に感謝を致します。


 時折食事が運ばれて参ります。なるべく少女へと差し出しました。

「ゆっくり食べて大丈夫よ。誰も取ったりしないわ」

 少女は自らの境遇をお話してくれました。平民の子なのだそうです。父親に不幸があり、母親だけでは立ち行かず捨てられてしまった。街で奥様の従者に拾われ、これを終えたら面倒を見るとの約束だったようです。


 時たま尋問がありました。お嬢様はひどく傷付き話が出来ないと、布を被せて誰かわからぬようにし、私が通訳するように内容を伝えておりました。


 内容はよろしくありませんでした。罪を犯したありきで進めるからです。王太子がお会いに来ることはありませんでした。


 罪はあり、どの罪が誰のものなのかを二人のうちどちらの罪なのかを延々と認めさせるだけのものでした。


 しかし三日もすれば、布の中の少女がお嬢様ではないのが露呈してしまいました。お笑い種ですね。少女には釈放後ロゼッタを訪ねるようにと告げておきました。


 ロゼッタならば彼女の面倒を見て下さる事でしょう。


 お嬢様が何処へ行方を眩ませたのか私は尋問を受けました。


 腕に鉄の輪をはめられ裸にされ、吊るされ、鞭で打たれ、熱した鉄の棒を押し当てられます。痛みに呻くしかありません。私はお嬢様方の行く先を予想は出来ても答える事などできませんから。痛みには慣れています。恐怖にも。

「ぁあああああああああああああああああ‼」

 それでも悲鳴をあげるのをやめられない私を許して欲しい。


 業を煮やしたのか、それとも同情なのか、公爵令嬢様が私に会いに来ました。私を見るなり公爵令嬢様は口に手を当てて驚いておりました。

「何を……何をやっているの⁉ 貴方達は何の権利があってこのような事を‼」

「尋問して吐かせるようにと通達が来ております」

「ここまでをするのを許しているわけないじゃない‼ 尋問よ‼ 拷問じゃないわ‼ なんてことを‼ 何てことをしてしまったのよ‼ 彼女は敵国の間者なの⁉ 彼女は国家反逆罪を犯したとでもいうの⁉」

「しっしかし……王族に害をなした女です」

「あぁ、これは……ただ事では済まないわ。なんて事……。こんな……これはもう。最後に教えて頂戴。ミレーユは何処へ行ったの?」

「……知りません」

「まだ庇うと言うの⁉」

「知らないのですよ」

「何を……」

「知らないのです」

「貴女は……あぁ。ごめんなさいは言わないわ。リタコートニー……。もはや止められないわね。止められない」

 見捨てられたと考えているのでしょうね。哀れだと眼差しを向けられます。残念ながら私は哀れではないのです。拷問でも口を割らなかった自分が誇らしい。


 ただの男爵令嬢に拷問まで行っただなんて王家の醜聞でしかないのでしょう。それは私でも理解の及ぶ問題です。それが王太子の指示と見なされれば残虐性を見出されかねない。残虐な王は忌諱されます。王位が揺らぎかねません。


 私の処刑が決まりました。火あぶりとなるそうです。王家の威信を護るために拷問したと言う醜聞事、燃やして浄化なさるのだそうです。もうどうしようもありません。


 私は貴族用の牢から罪人用の牢へと移されました。


 皮肉なものです。傷口が焼かれる事によって、私は感染症になっていないのですから。ですが、私はもう長くないのだそうです。風が少し吹くだけて猛烈な痛みに襲われます。唇は震え渇き、血の味すら理解できない。


 夜でした。鉄格子の外に見える星を眺めていたのです。牢の扉が開く音がして、ついに最後の時が来たのかとそちらを眺めました。

「リタッ……」

 その小声には聞き覚えがありました。

「ロゼッタ?」

「リタッ‼」

「……どうしてここに?」

 抱き留められて驚いてしまいました。あぁ、寄りかかっても良いのですね。ロゼッタには、甘えていいのね。

「お前が、明日処刑されるって聞いて、逃げよう。早く……」

「ロゼッタ?」

「いいから‼ 逃げるんだ‼」

「ダメよ」

 貴女が来てくれただけで十分よ。

「なんでだよ‼ お前、明日殺されちまうんだぞ‼」

 なによ。そんな必死になって。

「どうやってここに来たの?」

「あたしのコネを使えばこれぐらい‼ そんな事どうでもいいだろ‼」

「またムダ金を使って」

「ムダ金じゃねーよ‼ 早く‼」

 ダメです。私はどうせ長くはないのです。ロゼッタ。貴女を巻き込みたくもない。逃げきれません。お嬢様を逃がした事で、警備は厳しくなっているでしょう。奥様とお嬢様は逃げ切れたのでしょうね。これで良かったのです。

「私ね。貴女のドレスを着たかったのよ」

「……悪かったって」

「違うのよ。去年の話ね。貴女の作ったドレスをどうしても着たかったのよ。だって貴女の作ったドレスはこの世界に一着しかないのだもの。誇らしかった。嬉しかった。無理言ったわよね」

「何言ってんだよ‼」

 ロゼッタは私のために泣いてくれている。ロゼッタになら騙されても良かった。裏切られてもきっと許してあげられる。

「何もなかった私に、貴女は与えてくれたよね」

「頼むっ。頼むよっ。なぁ。一緒に逃げようっ? 頼むよっ。逃げようっ。この国にいられなくなったって、他に国なんかいっぱいあるだろ?」

「ロゼッタ。ありがとう」

「だのむよぅ。リタ。一緒に。だのむよぅ」

 私は黙ってロゼッタに服の下を見せました。ロゼッタはそれを眺め、触れ、そして震えるように膝を付き、顔を伏せ、嗚咽を漏らしていた。

「私のお金。使っていいから」

「あたしは、商売に失敗して、だから……もう」

「一回か二回の失敗が何よ。貴女ならまだまだやれるわ」

 最後まで縋ろうとするロゼッタが愛おしく堪らなかった。

「お前、死んじまうんだぞ……」

「どんぐりの焼き菓子ね。貴女が食べたいって言ってくれて嬉しかったの」

「なんで今そんな事言うんだよっ。なんでいまっ。あたしだって、お前の作ってくれた焼き菓子を食べたくて。お前が作ってくれなきゃ、ダメなんだよ……」

「貴女だけよ。何もなかった私に、無償で何かを与えてくれたのは……」


 朝日と共に私は括りつけられ、皆の前に置かれました。平民にとって処刑はうっ憤晴らしですから。みな暴言や罵声、石を投げます。

「最後に何か言う事はあるか?」

 その言葉に私は笑いました。最後に笑ってみたかったのです。大声で笑うのは、はしたないからと大声で笑った事が無かったので。笑われてばかりの人生でしたから。

 もし生まれ変われるのなら、また母の元に生まれたい。母はきっと、私を愛してくれるから。思えば、私は誰かを燃えるように愛したことがなかった。次はきっと、誰かを愛せますように。

「うるせぇ‼」


 男は昨日仲間と酒を飲みすぎて二日酔いとなり頭が痛かった。処刑される女が笑うものだから、それが感に触ったのだ。持っていた鈍器で女の頭を殴った。女はぐったりと頭を垂れて黙った。

「馬鹿野郎‼ なぜ殴った⁉」

「へへっ。すいませんね。罪人があまりにも生意気だったのでつい……」

 早く終わらせて休みたい。早く終わらせてまた酒を飲みたかった。


 ロゼッタはその様子を眺め、涙を零すしかなかった。鼻水が垂れるのも気にしなかった。火がつけられ燃やされてゆくのを眺めるしかなかった。あのドレスをどうして着せてやれなかったのか。どうして譲ってしまったのか。後悔の念ばかりだ。何の見返りもなく二回も助けてくれたのに。なのに自分はたったの一回もリタを助けられなかった。貴族に睨まれれば商売は立ち行かなくなる。孤児の面倒も見られなくなる。ひどい目に会わされるかもしれない。本当は突っぱねたかった。でも自身のプライドか誰かの命かを天秤にかけた時、プライドなんかクソくらえだと思ってしまったのだ。それは今でも変わらない。膝から崩れ落ちても。泣き叫んでも。もう、彼女は帰ってこなかった。


 燃え尽きた灰と欠片は乱雑に扱われ、ロゼッタをお金を払いそれをかき集めて瓶へと収めた。


 河原の近くで一人。


 母親は放浪するのが好きな根無し草だった。生きるのに必要だったとは言え、母親の性格があまり良くなかったのは覚えている。殺しても死なない人だと考えていたが、賊に襲われてあっさりと亡くなった。


 少女を眺めていた――汚れた身なりを綺麗に整えていた。夕日の中。泥や砂に汚れたその身が瞳の中に栄えていた。何度も、何度も、雑草のように、踏み潰されても、笑っては、川でそれらを洗い流すように涙を零し流して送っていた。友達になりたいと思ったのだ。

「母親がいたけど、こないだ野盗に殺されちまったから、今は一人だぜ」

 そう告げた時、彼女の瞳は弱弱しい光へと変わりその意味を理解しているのを知った。自分とは違う感情を抱きながら、同じ痛みを共有している。母親が亡くなっても泣きすらしなかった自分と、苦しいよねと共感してくれる彼女。嬉しかった。


 ヘマをして吊るされた時、助けてくれるとは考えていなかった。自分のために泣いてくれる人がいる。それだけで生きて行けるような気がした。


 商売は何時も失敗の連続だった。儲けるほどに誰かに足を引っ張られる。騙される。奪われる。挙句に借金を背負わされ娼婦として売られた。

「そこまで間抜けなつもりはなかったんだけどなー……」

 仲間だと考えていた。でも女性である体の陰影を隠し切れなくなっていた。ロゼッタが女性であると知ると、仲間の目の色は変わった。それは男性であっても女性であっても形は違えど変わらなかった。


 結局は母親と同じ運命か――そう考えていたが、偶然出会った彼女にまた拾われた。


 逃げ出すつもりだったけれど、不思議な話、一目見てそれがリタだとロゼッタは気が付いた。助けてくれるとは考えていなかった。リタが自分のために躊躇わずお金を出すのに涙が零れそうになった。

「お金はまた稼げばいいわ」

 金に使われていない。お金をちゃんと使っている。嬉しかった。


 変わっていなかった。佇む仕草。髪の撫でかた。驚いた時の表情。肩をすくませる様子。笑った顔。仕草。少しお嬢様っぽい所。これは母親の影響なのだろうなとロゼッタは感じていた。そこだけは自分とは異なる。まるで似たようで違う自らの半身のよう。


 リタの作るドングリの焼き菓子が好きだった。美味しいわけじゃないのに。


 古着を解して得た糸で戯れにドレスを作った。意図しないのにモデルはリタだった。あの背筋に沿うラインを描き出していた。


 パーティーに着て行くって。


 嬉しかった――。


 自分が作った物を誰かに望まれたのが嬉しかったわけじゃない。不格好で地味で、女性なら選ばないような色合いなのに、リタはそのドレスを着こなして、とても嬉しそうに眺めていた。


 リタが自分のドレスを選んでくれたのが嬉しかったのだ。


 思い起こすたびにロゼッタの顔は歪み、咽び、ふと――。

「……そうだ。商売をしよう」

 そう言って立ち上がり。そして歩もうとする道の先に、彼女がいないのを思い出す。立ちすくみ、膝は折れ、抱えたツボに、雲も無いのに雨がぽつりぽつりと。何が苦しいのかも理解できずに顔が歪む。


 彼女に会えないのが苦しいのか――会えなくたって胸の内にいるじゃないか。


 彼女がいないのが苦しいのか――あいつはきっと笑ってよって言うはずだ。


 それなのに。どれだけ理由を考えても止めどなく溢れ出て零れて動けなかった。

「あたしは……お前に、お前が」


 彼女がどうとかじゃなくて。ロゼッタ自身がただ、リタに会いたかったのだ。触れて、触れられたかった。その声を聞き、そして言葉を紡ぎたかった。それが二度と叶ぬ夢だと悟り、何度も脳裏を過る彼女の笑顔が焼き付いて苦しかった。

「クソウ……クソウッ」

 このクソッたれな世界の中で、彼女の傍だけが安らぎだった。もう二度と、その安らぎには触れられない。


 ある日ある時に出会った少女に街を案内した。愛想が良い。根性もある。負けず嫌い。地金も悪くない。気兼ねもない。運動もそこそこ。お前に似て、お前に似ていない。きっと仲良くなれる。何かを成す予感があった。この子について行けば、きっと大成するだろう。その予感がある。こういった生まれ持ち何かを持った人間が時たま現れる。誰からも愛される。子供達も懐いている。甘えたくなる。頼りたくもなる。助けたくなる。助け合いたくなる。その輪に加わりたくなる。


 訪れたリタの少し不満そうな表情を眺めて笑みを隠せなかった。


 嫉妬って言うんだぞ。それ。


 加われば大成するのだろうな――だけれど、ロゼッタはその輪に入ろうとは考えなかった。大成はするだろうな。だけれど、そのために何か、誰かは犠牲になる。


 その犠牲を身近に置きたくない。置きたくなかった。


 むしろ彼女が恐ろしかった。自分にとって一番身近なコイツが、何よりもその犠牲になりそうだったから。この嫌な予感が拭えなかったから。


 地面を何度も叩く――その予感はあったのに。その予感は感じていたのに。何度地面を叩いても痛みではその痛みを拭えなかった。


 自分には縁の無い世界だと口笛を吹きながら、彼女の作った焼き菓子を食べていた。あんまり美味しくねーんだよな。でも好みの話は別だ。美味しいのと好みは違うから。一口頬張る。苦さと一緒にリネンに針を通していた。


 そのドレスを偶然眺めた少女がいた。

「こちらにいます。ねーちゃんお客さんだよ」

 雇っていた孤児が無邪気に通してしまったのだ。まるでそれが運命なのだと言わぬばかりに。


 少女の隣へと並び立つ男の素性がロゼッタには手に取るようにわかってしまった。仕草、こちらを眺める視線、そして多数の気配。ババを引いた。この輪の中に入れば、味方となれば大成するだろう。


 しかし――その裏側を垣間見る不安が拭えなかった。敵には容赦がないのだろうな。少女が望まなくとも、そして男が望まなくとも。

「これ、貴女が縫っているの? すごい器用だね。私も縫物するんだよ。うわーここ、とっても繊細だね」

「頼まれてね。へへっ」

 頼まれてね。先に言っておく。これには持ち主がいると。

「気に入ったのか?」

「すごい丁寧に作られているもの。とっても素敵。きっと大切な人を思って作っているのね」

「腐れ縁みたいなもんさ」

「いいなー。こんなドレスが着られたら、きっと幸せなのでしょうね」

「いくらだ?」

「いや、こりゃ売り物じゃなくてね。へへへっ」

「ちょっと‼ 頼まれたって言ったよね⁉ そういうとこだよ⁉ 売り物のわけないでしょ‼ ごめんね。まったく……」

「そうなのか。すまなかった」

「いや、いいよ。へへっ」

「でも、本当に綺麗……」

「いくらだ?」

「だから違うって言ってるでしょ‼」

「はははっ」

 冷や汗が止まらなかった。口から着てみるかと言葉が覗いていたから。ドレスに因縁が染みついてしまうかもしれない。


 このドレスに因縁が染みついてしまうかもしれない。いや、もう……染みついているのだろう。それなら手離した方がいい。こんなドレスよりもアイツの方が大切だったから。ドレスを着たアイツを、少女は見つけるだろう。ドレスを着たアイツを、この男は見つけるだろう。関係性を探られてしまう。腐れ縁だと言ってしまった。睨まれるよりはいい。

「着て……見るか?」

「え? でも」

「ちょうどモデルが欲しかった所さ……」

 結局ドレスを手離してしまった。

「感謝する」

 金を払うと言うが、その金にすら関わりたくなかった。権力という物に関わりたくなかったのだ。ただ毎日飯が食えればそれでいい。余ったなら分け与えればいい。そうして引き取る孤児が増えていった。屋根があり飯が食えれば生きて行けるから。


 だから関わりたくなかったんだ。だから、関わりたくなかったんだ。


 天を仰ぎ見る――気分がどうなろうと世界には関係ない。歪んだ視界の先には憎たらしいほどに妬ける色合いを見せる空があるだけだったから。

「こんな事なら……こんな事なら」

 着て欲しかった。


 拘束されたと小耳に挟み、嫌な予感に苛まれた。情報を集めると本当に拘束されていた。しかし貴族が入る牢屋には賄賂を積んでも入れそうにない。少女や王子に頼み込んでも、力にはなれないと告げられた。いや、仕方がない。自分は一般市民なのだから。一般牢に移されたと聞いて、賄賂を積んで会いに行った。

「死罪が確定している。今回だけ特別だ」

(は? 何言ってんだよ。コイツは……死罪って)

「死罪って、何をしたんだよ」

「罪人を逃がし王族を害したのだ」

 指が震えていた。


 あっ。来たんだ――そんな表情だった。僅かに笑ったんだ。目の奥に、弱弱しい子供のあの子がいた。


 今ここで逃げなければ一生後悔する。


 だけれど、彼女は逃げなかった。理解してしまっている。そうだよな。コイツはそんな事は言わない。なぜって、そんな事をすればあたしの身に危険が生じるからだ。


 でも別にいい。殺されたって構わない。二人でなら。二人でなら殺されたって。


 だけれど、彼女が露出させた肌を視界に入れて、打ちひしがれるしかなかった。なぜまだ生きているのかわからない。


 頬を撫でられる。まるで自分の方が駄々っ子のようだと。


 彼女は頭を打ち据えられて――。何も出来なかった。こんなひどい事が他にあるか。こんなひどい仕打ちが他にあるか。だけれど、世界が理不尽で溢れているのを、二人は良く理解しているはずだったのだ。


 まだ日も暮れてはいないと言うのに、月ばかりが大きく。燃え盛る炎だけが天へゆらゆらと。まるで空に飛んでゆくように。月に吸い込まれてゆくように。


 東方を旅をした時に聞いた話を思い出していた。帝が愛した女性が病にかかり、帝はその病を治そうと国中から宝物を集めた。けれどそのどれもが病を治せず、女性は亡くなり、天へと帰ってしまった。煙だけは天へと昇るように。亡くなったとは認められず。きっと彼女は月へと帰ってしまったのだと、帝は彼女の愛した月を見上げている。

「月に帰っちまったのかよぉ……。帰って来てくれよぉ……」


 打ちひしがれた所で彼女は帰って来なかった。もう二度と、彼女は月から帰らない。


 元貴族の罪人が泣き叫び苦しむ様を眺めさせるのが平民に溜飲を飲ませる手段の一つだった。しかし罪人が意識を失い苦しまなかったので、その処刑は過去一盛り上がらなかった。


 それからのちに口実を探していた帝国からの宣戦布告を受け、王国と帝国は長い戦へと乱れていった。戦況は泥沼化し、貴族や王族は供給よりも多い消費を賄うために、それらを商人へと求めた。商人は貴族に物資を売り金を貸し金を作り権力を増やした。そして金銭を担保に土地や貴族証までもを取り扱うほどに強大となっていった。


 ある商人が廃れた土地の貴族証を手に入れた。四方を有力な貴族に支配されていたが、かつてほどの力が彼らにはなかった。さらに彼らに金を貸す事で黙らせ支配するまでに至った。長い戦乱で国は疲弊し王は威信を失っていたのだ。商人の時代が来たのだった。


 だが貴族は王を唆し、商人から金と土地を奪った。


 反発した商人と貴族の内乱がはじまり、彼女は先頭に立ち王家と交渉をして貴族制を廃した。すでに疲弊していた王族や貴族がそれに抗う術はなく、王家は形のみが残り新しい制度、民主制へと変わっていった。


 博物館にはそんな彼女のドレスが一着保管されている。そのドレスのスカートの裏にはリタコートニーと名が刻まれており、それはのちに彼女が縫ったものだと判明している。それは彼女がリタコートニーに贈ったものなのだろう。胸にブローチがあるはずなのだが、そのブローチは内乱のおりに消失してしまっている。まるで妖精を閉じ込めたかのような琥珀のブローチはもはや陰影しか存在していない。



 「はぁはぁ……」

 朝の水汲みは私の仕事だ。だけれど、霧の降りた朝は冷えて。悴んだ手に息を吐き出しても指の感覚が戻ってこない。

「ふーふー」

 何度も息を吐き出して感覚を戻すの。じゃないと指がダメになってしまうから。

「リタ‼」

 名前を呼ばれて驚く。お母さんだ。

「お母さん?」

「リタ」

「どうしたの?」

「貴女が心配になったのよ。あーやっぱり、こんなに手が冷たくなって。ほらっお母さんが温めてあげるわ。はーはー」

「お母さん。大丈夫よ」

「大丈夫じゃない。私の可愛いリタ」

 お母さんは私に滅法甘い。

「過保護だよ」

「そうよ。私の大事なリタ。大事な大事な私のリタ」

「もう」

「いいじゃない」

 お母さんにぎゅっとされるのが好き。お母さんの匂いがする。

「さぁ、早くお家へ帰りましょう」

「いいから。お母さん。水桶は私が持つから」

「もう。強情なんだから」

「お母さん」

「なぁに?」

「大好きだよ」

「ふふっ。私も大好きよ」


 村には珍しく旅人が来ていると聞いた。こんな辺鄙へんぴな所まで来るなんて本当に珍しい。何でも探し物があるのだとか、ずっと探しているらしい。

 あっ。旅人さんだ。

「やぁ、リタ」

「こんにちは。探し物は見つかりそうですか?」

「どうかなー。もう長い事探しているからね」

「何を探しているのですか?」

「友達を探しているのさ」

「なんで友達? ずっと疎遠なの?」

「大切な友達だったんだ。僕は助けられてばかりでね。次は僕が助けてあげたいと思って。でも余計なお世話だとも思うんだ。そう考えると、やっぱり僕がただ彼女に会いたいだけなのかもしれない」

「ふーん。彼女ね。はいはい。好きなのね」

「君、何か勘違いしてないかい? 友達だよ。友達」

「男の人ってみんなそう。恥ずかしいからって本当の事は言わないのよ。お父さんがそう。はっきり言って、傷付こうが恥だろうが好きな気持ちははっきり言わないとダメだよ」

「だから違うってば‼」

「そうやってムキになるのは本気な証拠よ」

「……むぅ。違うって言っているのに。人の話を聞かないね君は」

「まぁ、元気だして。焼き菓子食べますか?」

「これは……」

「私が作ったの。どんぐりの焼き菓子よ」

「……この辺りのドングリは渋くて食べられないはずだが」

「伝統のドングリの渋抜きがあるんだよー。旅人の癖に知らないんだー」

「そうか。この辺りは……琥珀の」

「それは知ってるんだ。でも保護されているから琥珀は取っちゃダメだよ」

「はははっ。そうか。……頂くよ。これは……はははっ。なるほど……。あぁ。この味だ。はははっ。まずいな。ほんと。苦くて。ボロボロで。パサパサしている」

「まずいってひどくない? 泣くほどじゃないと思うけど?」

「あぁ。まずいな。まずいよ。この味だ」

「ひどい‼ もう食べさせてあげないから‼ わっ」

 憂いを帯びた瞳。流れる涙はせせらぎのよう。腕を掴まれて。優しく。抱き留められる。最初は冷たくて。徐々に温かくなってゆくの。

「……そんなに不味かった?」

 心臓の鼓動だけが強く伝わっていた。

「そうじゃない。そうじゃないんだ。ごめんね。ごめんねリタ。ごめんね」

「……そんなに謝らなくてもいいよー」

「そうじゃないんだよ」

「お腹痛いの? なでなでしてあげる」

「あらあらあら。あーどうしましょう。お母さん嫉妬でメラメラしてしまうわ。出かけてなかなか帰って来ないから見に来て見れば……。うちのリタの手を出すなんてね」

「あ、お母さん」

「あっ。いや、そのっ。あっ違くてですね。お母さん」

「誰がお母さんよ‼ 貴方のお母さんではないわ‼ きぃいいい。お母さんのリタなのに‼ お母さんにもハグしなさい‼」

「もーお母さん」

「お母さんにもハグ‼」

「リタ。また会えるかな?」

「またも何も何時でも会えるでしょ?」

「は? 二人の世界に入ろうだなんてお母さん許さないわよ‼」

「もーおかーさん」

「焼き菓子のお礼をしなくちゃね。このブローチをあげるよ」

「……いらないよ。何言っているの。こわっ」

「そこは受け取ってよ‼」

「なっ……。そっそれは、婚約しようって事なのね? 私の大切なリタと。私の大切なリタを物にしようって言うのね‼ そんなブローチで愛を誤魔化せるほどうちの娘は安くないわよ‼」

「ちっちが。違います。お母さん」

「お母さんて呼ぶな‼」

 二人の様子が可笑しくて。私はお腹を抱えて笑い転げてしまった。


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