プロローグ ~古物店の台所~
あのときの私は、マジでどうかしていたと思う。
今も大して変わらないけど――。
例えば、夜の『めが古物店』。
店は閉めてるのに、空気は日中とほとんど変わらない。
ヤニと埃と、どこか甘い香り。甘い匂いはタバコの成分と、あとは抹茶系のスイーツ。たぶん昨日の残り香。彼女が隠し忘れて、私がそれを見つけて食べて、彼女がキレて、私が雑に「ごめん♡」とか言って、またキレられるやつ。お決まりの日常。
狭い台所は、洗ってない食器のせいでいつも狭い。
自分で散らかしてるのに「台所が狭いせい」みたいな顔をする女がいる。
妻賀ナユハ。
片づけられない系ダウナー女子。
いつも胸元ゆるゆるのTシャツに、パンツがうっすら見えちゃってるボロボロのショーパンで私をドギマギさせる罪な女だ。
洗われない食器が、また洗ってない食器を呼ぶ。皿の上に皿が積まれ、コップとコップの隙間にさらに皿がねじ込まれ、シンクの底にスプーンが沈む。浮かぶ島と同じ目線に立つと、なぜかそこが沼みたいに見えてくる。
その畔でナユハが料理をしている。
料理というか、作業をしている。
酒のあて。
自分に供給するための、酒のあてを作っている。
包丁を握る手だけが機嫌良さそうで、顔は相変わらず無表情。目つきが「早く終われ」って言ってる。ほんとに終わってほしいのは、たぶん今日という日そのもの。
で。
隣のリビングで、私はせんべいを片手に横たわっていた。
ローアングル。
台所には穴の開いたゆるゆるのショートパンツ。グレーのパンツがうっすら覗く。
揺れる。ご機嫌なお尻と共に、ふりふりとパンツが揺れる。
――ついでに私の心も。なんちって☆
布という存在意義がギリギリで保たれている。
それを観察する私。
いや、観察なんて生温いもんじゃない。
それはもう、血眼になって目に焼き付けている。
こいつ、誘ってんのか?
たぶん、誘ってはいない。だが、そう見えるのが問題。私の脳の方の問題。常に問題を起こすタイプの面倒な脳。
「ねぇー、ナユちゃーん?」
せんべいをバリッと噛む。顎が痛い。ナユハのおじいちゃん用に供した、お下がりのやつ。硬すぎて、口の中がケガしそう。
「ん。どした」
ナユハは振り返らない。でも律儀に返事だけはする。そういうところが、なんか夫婦っぽい。十年来っぽい。いや実際長い。体感だけど。
「なに作ってんの」
近づいて、手元を覗く。
なんてことはない。切って、混ぜて、焼いてる。私のためじゃない。彼女自身のため。
自分のために作ってる酒のあてだけど、なぜかちゃんと美味い。
こういう無駄な才能があるからちょっと腹立つ。
「んー、適当に。カヨも食う?」
「はぁ……食べたい」
私はすぐに頷く。腹と下心だけはいつも正直。
そして、余計なことが口に上る。
「ついでにさ、揉ませろよー」
言った瞬間に思う。
あ、言っちゃった。
あとで絶対死にたくなるやつだ。これ。
でも言ったからには引けない。引いたら負けだ。何に負けるのかは分からないけど、とにかく負けだ。
ナユハがやっと振り返った。
半目。
「は? 何言ってんの」
「いや、だって……目の前に薄い尻が……」
「薄いは余計だろ」
それはそう。
でも余計なことを言うのが私だ。
私はナユハの横にぬるっと入る。距離を詰める。詰めてしまう。これができる相手ができたのは、たぶん奇跡だ。言うと安っぽいから言わないけど、安物の私にはちょうどいい奇跡だ。
ナユハの鎖骨のあたり。
二の腕のあたり。
私は指先でわざとらしく、いやらしく、撫でる。
ショートカットに鼻を埋めると、ダークブルーのインナーにもヤニの匂いが染み付いていて、いい匂いがする。汗とタバコとヘアソープ。ちょっとフルーティ。
これがナユハの匂い。
「ちょ、やめろって」
「やだ」
完全に子どもの駄々。
これがアラサーの所業。
人として終わってる。自分より若い女の子からエッチな成分を吸って生きる妖怪。
でもナユハは本気で嫌がらない。本気で嫌がるときは、もっと分かりやすい顔をする。心底うざがるときは私の額に容赦なくデコピンを入れてくる。あれ地味に痛い。愛とかじゃなく、普通に痛い。
されるがままに、ナユハがぼそっと言った。
「……こんな貧相なもん、触っても面白くないだろ」
声が小さい。
投げやりで、雑で、どうでもよさそうなのに、そこだけちゃんと私に刺さる。
頬と耳がほんのり赤い。
腕を抱く。俯く。包丁を握っていた手がすっと下がる。
――は?
面白いに決まってんだろ?
私は一瞬でカッとなった。こういうときだけ瞬発力がある。他の場面で出せとか言わないで。
「面白いに決まってんだろ、このヤニカスダウナー女!」
ナユハが顔を上げる。目が細くなる。「ヤニカス?」みたいな顔。
私は勢いのまま続けた。
「ジト目ダウナー女子の貧n――」
「言うな」
ピシャリ。
怖い。叫ぶより、静かな声のほうが怖い。
私は止まるべきだった。でも止まれない。それが私なんだよ、って言い訳しながら止まらない。
「……いや、でもさ。需要しかないんだよ。需要過多で頭がどうにかなりそうだよ……」
言ってから遅れてくる――恥。
死への希求。
自己嫌悪。
うわ、私、何言ってんの? 死にたい……!
脳内で大勢の自分が自分に拍手喝采してる。満員御礼。煽りじゃなくて、完全にお葬式の拍手。「お疲れさまでした!」っていうお見送りのやつ。
私はその場で固まった。
そして、膝から力が抜ける。
「……はぁ……死にたい」
出た。いつもの。
自分で言って自分で萎える。
ナユハはため息をついて、包丁を置いた。手を洗って、タオルで拭いて――
こっちを見る。
「……カヨ」
呼び方がいつもより少しだけ柔らかい。
それだけで、胸の奥が変なふうにきゅっとなる。心臓が勝手にやる気を出す。ダメ、またキちゃう。
「死にたいって言うの、やめろとは言わないけどさ」
ナユハは言った。
言い切らない。押しつけない。断定しない。
その代わり、変な一言を足す。
「……せめて、あったかいもん食ってからにしろよ」
それが、ナユハなりの励ましだった。
彼女に上手い励ましなんてできない。けど、できないなりに捻り出した不器用な言葉は、なぜか一番効く。
鼻の奥がつんとした。泣くな。泣いたら負けだ。気を引けるかもしれないけど。
「……なにそれ」
声が掠れた。
ナユハは目を逸らしながら、続けた。
「腹が膨れるとさ、ちょっとだけマシになるだろ。……そういう日もある」
確かにある。
断言しないところが、むしろ本当っぽい。
私は息を吐いた。
せんべいを持っていた手が震えて、バリッと割れた。硬い。口の中に入れると少しだけ甘い。米の甘さと塩のしょっぱさ。
生きてる風味。
最悪だ。
でも、彼女の味がするなら、今はそれでいい気がした。
私はやはり調子に乗る。
それが私だ。
「……じゃあさ」
私は半笑いで言った。
「抱いて? ついでに食べさせて」
「順番が逆だろ」
「いいでしょ?」
「よくねぇよ、バカ」
ナユハがほんの少しだけ笑った。
笑い方が、ずるい。
だから私はまた言ってしまう。
「ナユちゃんってさ、ほんと――」
やめろ。余計なこと言うな――言うなって。
でも言う。
言って、また死にたくなる。
死にたくなって、ナユハが慣れない励ましをして、私が調子に乗って、また死にたくなる。
そこまでが、いつもの日常。
……笑える。
いや、笑えないか。
この程度の温度で、私は生き延びてしまう。慣れてしまった意地汚い私に腹が立つ。
でも。
どうしても生き延びてしまうなら――。
あの頃の私は、どうしてあんなことをしたんだろう。
冬の夜。
公園。
白いマフラー。
青い光。
――あの頃の私は、マジでどうかしていたと思う。
今もそう変わらないけれど。
それでも、あの夜は。今よりずっと、ひどかった。
お読みいただきありがとうございます!
『異世界出張買取ナユちゃん』
毎日更新を約束すると後で死にたくなるので、ちょっとずつ更新していきます!
メンヘラ女子の独白が苦手でなければ、今後ともよろしくお願いします。
百合あり。異能バトルあり。異世界復興あり。
何より、現実での生活を立て直すために主人公たちは奮闘していきます。
少しでも気になった方は、ブックマークと評価(1でも)お願いします。作者のやる気が上がります。




