第7話 我が家のおひよちゃん
どうしよう、どうしよう、どうしよう!!
とうとうこの日が来てしまった。GW初日だ。
「ちょっと兄貴。朝っぱらから、いつまで床を磨いているのさ。これからVIPでも招き入れるつもり? 休みなんだし、いっぱい休めばいいじゃん」
妹の陽和が、ラフな格好――白のYシャツ一枚で歯ブラシを咥えて出てきた。
気にせず清掃を続ける俺の背中をヒナ鳥のようにくっついてきては、はよ休め~と妨害してくる。
「ひよは、今日はどっか出掛ける?」
「ん~? どこもいかないけど。もしかして足りないものでもあった? にひひ、兄貴がデザート用意してくれるんだったら、ひよが代わりに行ってあげてもいーよ」
「あっ、こら。掃除の邪魔しないの」
回り込んできた陽和にモップを奪い取られる。胸に抱いて返してくれない。
「やーだ。あとはやっとくから、兄貴はもうちょっと寝てなって。目のクマ酷いよ? ひよ今日部活休みだし。お昼は生姜焼きでい~い?」
染めた髪を揺らし、蒼のカラコンに覆われた瞳。誰かさんに影響を受けた男っぽい言葉遣い。まさに現役の中学二年生って感じ。不良のようでいて実際は外面が良く、成績も常に上位と優秀。教師からの信頼を得ていて、家の手伝いも難なくこなす。
中二病なんて言葉があるけど。うちの妹は率先して兄の手伝いをしてくれる。多少生意気なところがあるけど。思春期なんてそんなもの。
家族や仲の良いお友達からひよ、もしくはおひよちゃんと呼ばれていた。
湊さんが和のお姫様なら、陽和は洋のお姫様だろうか。
兄目線でも、顔は良い方だと思う。正しく母さんの才能を受け継いでいて。
俺が受け継いだのは、親父の人見知りくらいだというのに。神様は不公平だなと思う。
「なになに、ぼーっとしちゃって。朝からひよに見惚れちゃった? 兄貴はシスコンさんだもんねー!」
「ははっ」
「あー愛想笑いした! ひどーい!」
中学でもかなりモテるようで、告白自慢をよくされる。しかし彼氏を作るつもりはないらしい。本人は年上好きを公言していて、歳の近い男子は全員子供に見えるからだとか。選べる立場とは羨ましい限りです。
「生姜焼きも悪くないけど、お昼はもう考えてあって下ごしらえも済んでいるんだ。デザートが欲しければひよの大好きなブルーベリーパンナコッタ用意してあるから。隣にある枝豆、親父のだけど一緒につまんでいいよ。あと部活で使うユニフォーム、アイロンかけて置いてあるから部屋に持っていって。そうそうお風呂場の洗剤が切れそうでさ、二階の照明も怪しいし。明日買い出しに行く予定。ひよも足りないものがあったらあとでメモにまとめておいて。あとは――」
「ちょ、ちょっと、兄貴さ……今朝は何時起き? 当然親父の弁当も用意していたんだよね?」
「んと、四時半くらい?」
「パンの仕込みでもしてるの!? どうして休みの日の方が仕事量多いわけ!?」
「時間に余裕があるからだよ。親父も見送りがないと寂しいだろうしさ。あ、パンが食べたいなら焼こうか?」
「え、ご家庭で作れるの……てかイースト菌を常備してるの!? いらないけどすごいね!?」
笑顔、練習、料理、色々とネットで調べていたら、好奇心に負けてしまった。味はどう足掻いても本家に勝てないし、火力が足りないというか単純に材料費、特にバターが高い。実際に膨らんでいる様子を見るのは面白いから。過程も含めての美味しさだと思いました。
「それより見てみて。じゃーん。親父のDIYセットを借りたんだ。あとで本棚増設します。できればリビングの方も大胆に模様替えしようかなって。ひよも希望とかある?」
「あのさぁ、兄貴はもっと男子高校生らしくあろうよ……入学祝いになにもらったんだっけ?」
「フライパン」
「……親父裏でメソメソ泣いてたよ。うちの息子は青春を諦めてしまったって。俺が不甲斐ないせいだって。ひよも……ちょっと引いたし」
いやいやダイヤモンド加工なんだぞ。結構お高いんだぞ!
「そういうひよだって。誕生日に掃除機買ってもらってたじゃん。あれって、家のが壊れかけてたからだよね」
しかも高い外食は断って、家族だけでお祝いしたいとか殊勝なことを言って。世界一自慢の娘だと、親父がワンワン泣いていた。泣いてばっかだなうちの親父。
「ひよはいいの! 自分用にしてるし。そりゃ必要だったら貸してあげるけどさ……。てか、力仕事くらい親父に任せればいいじゃん。兄貴に頼られたら、きっと張り切ってやってくれるって」
「現場仕事で疲れてるのに、家の仕事まで押し付けるのはなぁ……。それに親父が手伝ってくれたあとはいつも……後片付けが……その、ね?」
「……はぁ。いつものことだけど、どっちが保護者なんだか。でもさ、兄貴は将来立派な専業主夫になれるよ。もちろん、相手さえ見つかればっ!」
そんな気持ちのいい笑顔で言うことある? 俺がモテないことを知ってる癖に。
「はいはい。どうせ俺は男らしくないし、一生独り身ですよっと……あんまり強い言葉を使われると親父みたいに泣くぞ」
「別にぃ、兄貴が悪いんじゃないよ。兄貴の良さをひとつも理解しない世界が悪いんだから。世の中顔じゃなく中身だよねー。兄貴が一生独り身でも、ひよは一生の理解者だよ! 将来家政婦として雇ってあげるねっ」
「それフォローになってる!? まぁ……気持ちだけは受け取っておく。ありがと。で、モップ早く返して」
「だめっ返さない。ひよが部活休みの日は働くの禁止! 兄貴はそこに座ってる!!」
「俺は家政婦じゃなかったの?」
仕事を奪われ、俺は椅子に強制的に座らされる。あ、換気扇のフィルター代えないと。立ち上がろうとしたら、陽和に睨まれた。座り直す。残念ながら力関係では妹の方が上だった。
妹を持つ兄はどこのご家庭でもそんなもんだろう。
「あれっ、そういえば勉は? GWはいっつもタダ飯食らいに来てたじゃん。勉も働かせようよ。馬車馬のごとく!」
「あー、いつもの人間嫌いを拗らせてる最中。しばらく来ないよ」
「ま~た女遊び? はぁ……懲りないというか。どうせすぐ破綻するのによくやるよ……」
「人間嫌いの癖にやたらモテるし彼女作るよなぁ。これで……六人目? 聞くところではお金持ちの社会人だったような。ヒモ男ってやつ?」
同年代、同じ学校の生徒はお断りという謎のこだわりがあるそうで。そこも妙に手慣れていて嫌だった。本人は二股などの不貞行為はしてないけど。なんだかなぁって感じ。相手側の社会人は完全にアウトだし。
「男は、多少荒々しくて交際人数が多い方がモテるって聞くけど、ひよもそういうのに惹かれる?」
「兄貴はそれ、鵜呑みにしちゃだめだよ」
陽和は掃除の手を止めて、俺に人差し指を向ける。
「不良は昔からの人気ジャンルだし、確かに憧れてる子もいるけどさ。それって要は無個性よりマシというだけであって。ひよは、やっぱり一途で優しい人の方がいいし。周りの子も、そういう男子と付き合ってるよ。野球部とかサッカー部とかいい人多いし。女子が困ってたら率先して手伝ってくれてさ」
「それって女子だからでは? ひよがかわいいからだと思うけど」
「ちょっ、いきなり……ありがとだけど。兄貴は本当にシスコンなんだから。家の中なら許すけど。そういうの外ではやめてよねっ」
事実だから。シスコンとかではないです。
「兄貴は金髪ギャル好きでしょ? 不良だってひとつの属性なんだよ。クラスに刺さる子が一人や二人いてもおかしくないし。それをモテると表現するならモテるんじゃない? でもそれって特別なことじゃないし普通だから。不良がモテるのではなくて、不良もモテるってだけ。変に真似しようとせず、自分らしくいる方がいいよ」
冷静に考えてみると、恋人がいる人たちって特定の属性に偏ってないし。一見大人しそうな子も意外な相手と付き合っていたりする。てか一番身近な親父なんて不良と真逆の存在だし。
何故か世間ではやんちゃな男がモテるイメージが染みついている。そうであって欲しいという願望もあるんだろうか。酸っぱい葡萄的な。自分にできない理由を他者に押し付けているとか。
てか俺が不良を真似しても、男視点の不良しか真似できないわけで。当然、女性視点では不良の見え方も変わるだろうし。ただ行動をなぞるだけだととんでもない化物になりそう。うん、俺には無理。
「あと交際人数って2人目以降は失敗した回数でもあるし、それを誇られても反応に困るよ。男子って変なところで見栄っ張りだよね」
そういわれるとそうだ。万年0の俺には考えも及ばなかった。
「ちなみに忠告しておくけど。優しいだけでなにもしない人が一番モテないからね。本当の優しさは行動も伴うんだよ。あと、誰にでもいい顔する人って誰かの特別にはなれないから」
「……ぐふっ、抉られた。心の臓を抉り取る一撃だった」
「えっ、どうして兄貴がダメージ受けてるの?」
誰かに嫌われたくないというのは俺の根底にあるもので。メガネの数値に振り回されてその結果、湊さんに酷い対応を取ったわけで。本当に心から反省しております。
「話を聞いていると、勉が異常にモテるのが不可解になってくるんだけど」
「勉は……人間が嫌いだからかな。こんなものかと簡単に割り切れるんだと思う。相手に過度な期待をせず。自分にとっても相手にとっても都合のいい人間を演じ分けられる、とか。同じような人種や、人生に疲れた大人と波長が合うんじゃない? あとは単純に回数をこなしているから扱いに慣れてるとか」
「そこに愛はないのか……」
陽和はじーっと俺を見つめ「理想が高すぎるのもよくない」と、至極真っ当な意見を零す。やめて。いつだって正論は人を救わないんだ。傷付けるだけなんだ。誰か俺の冷え切った心を暖めてください。
「でも、さすがに未成年が社会人と付き合うのはどうかと思う……相手もどうかしてるよ」
「もしものときは、問題になる前に俺が連れ戻すよ」
「喧嘩はやめてね……勉って中二のときに大学生グループをぼっこぼこのふるぼっこにしてたじゃん。あまりにも強すぎて、報復を恐れた被害者側から被害届も出されなかったくらいの暴の化身じゃん」
厳密を言えば、最初に喧嘩を売ってきたのが大学生側で、勉は被害者だったんだけど……まぁ過剰防衛なのはそう。大学生たちが中学生に返り討ちに合ったというあまりに惨い事実を、世間に広めたくないと泣き寝入りしたのが真相だけど。
「というか兄貴も、ついでみたいにぼこぼこにされてたよね。またぼこされるよ?」
「あれは……最後は俺の勝ちだったから。勉も素直に負けを認めてくれたから」
「うそだぁ信じない。兄貴はひよにすら強く言い返せないくらい人畜無害なのに」
俺では天地がひっくり返っても勉に勝てない(ことになってる)が、そんな勉も陽和にだけは弱い、というかベタベタに甘い。つまり三竦みの関係――いや別に俺も陽和に強いわけじゃないから……順当に一番立場の弱いのが俺だった。かなし。
「あ、そういえば、兄貴最近身体鍛えてるみたいだけどさ。お弁当どころか献立も鶏肉尽くしなのやめてよ。私まで意識しているみたいで、友達からも『おひよちゃんの前で高カロリーのお菓子食べるのは控えよう!』って、変に気を遣われ出したんだよ!?」
「健康に気を遣うのはいいことだよ。女子も筋肉がないと、脂肪だけだとスタイルは良くならないらしいし。痩せるにしても筋肉量を維持したまま、たんぱく質を摂り続ける必要があって。一日に必要な量は体重に依存していて、これが結構意識しないと届かないんだ。陽和はテニス部だし運動量も多いから計算上は――」
「ちょっキモっ、妹の体重を把握してるとか、これだからオタクは! ひよをどうしたいわけ!?」
「健康で長生きして欲しい。そう願っていつも献立を考えてる」
「それは……その、キモイって言ってごめんなさい。いつもありがとう……だけどさ! でもやっぱ過保護っ!! てか兄貴こそ健康のためにもっと寝ろっ! 長生きしろ!!」
「ははは、ひよも過保護じゃん」
ぽこぽこ背中を叩いてくる陽和を受け止めながら、時刻を確認。もうすぐ約束の時間だ。陽和にお金を渡して、しばらく買い物に行ってもらおうか。ちょうどブロッコリーも切らしてるし。
……いや、湊さんと二人っきりになる方がマズいか。部室ではいつも二人だけど。学校と自宅ではまるで違う。湊さんにとってはアウェーで、同性がいないと安心できないと思うし。しかし妹同伴で迎えるのも変じゃないか。せめて保護者――親父は仕事だしなぁ。
「……? 家の前に車が止まったみたいだけど。兄貴、アマゾンでまた変なの頼んだの?」
結論がでないままインターホンが鳴る。陽和がうがいをして玄関に向かおうとする。
「予定より十分早い……お、俺が出る! とりあえず部屋に戻って――てかまず着替えてきなさい!」
「……急に慌ててあやしいの。ははん……まったく、親父が不在だからって。ひよがいるのにやらしぃんだ!」
「やらしぃのはその恰好の方だから! しかも上下で下着の色違うし、やっぱ女子ってそういうもんなの!?」
陽和が変な勘違いをして、駆け足で玄関の鍵を開ける。俺も同時にドアノブに手をかけ、開けた。
「あっ、おはようございます! 遠坂くん見てくださいよ。空がとっても広い、雲一つない快晴ですっ!」
「う゛っ゛」
朝の日差しを背に受けて、とびっきりの笑顔が飛び込んできた。
いつもの挨拶なのに、いつもの制服姿ではなくて、一瞬脳が混乱する。
私服姿の湊さんは――それはもう、年頃の男子には直視できない輝きがあった。
コットンレースの白いワンピースには、春らしいカーディガンがふわりと羽織られていて。黒髪には、服に合わせた淡い色のカチューシャが飾られている。髪型もサイドを編み込みにしていて。足元は白のソックスに、上品なストラップシューズ。
清楚オブ清楚。庶民がイメージする深窓の令嬢をそのままお出しされて。息をするのも忘れて見入る。学生らしさ、女の子らしさももちろんあって。とにかく輝いている!
「そしてこれが――じゃじゃーん。私の大好きなショートケーキです。ティータイムを楽しみにしていてくださいね!」
かわいい効果音付き。ケーキの入った白箱を大事そうに抱えて近付いてくる。これから異性のお宅にお邪魔するテンションじゃないよ。初めて遊園地にきたお子様のようだ。中二の妹とさほど背丈が変わらないからか。私服だと更に年下に見える。つまりかわいい。
早朝からずっと悩んでいた俺がバカみたいに、湊さんは開幕から超上機嫌だった。
「……お、おにぃが……お、おんな……び、びしょうじょを、いえ、つれこんで……な、なんでぇ?」
隣で陽和の魂が抜けかけていた。油断してか兄貴から昔のおにぃ呼びに戻っている。気持ちはわかる。俺も妹が見知らぬ美少年を連れ込んできたら、パニックになる自信あるし。
しかし当事者以上に取り乱す陽和が面白くて、おかげさまで落ち着いてきた。あとはよ着替えて。




