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第4話 秘密の花園

 翌日。あの放課後の出来事は全部夢だった! ……なんてことにはならず。

 お昼休みに俺は湊さんに連れ出され、文化系の部室が集まる離れの校舎を訪れていた。


「……手芸部? そんな部活、紹介パンフレットにあったかな……」


「三年生が卒業して、部員がいなくなり去年廃部となったそうです。部室は、まだ残されているみたいでして。特別に鍵をお借りしています。先生から、ここでなら視線を気にせず安心して過ごせるだろうと」


「そういえば。うちのクラス担任、手芸部の元顧問だった……のかな?」


 自己紹介の際に、そんな話を語っていた記憶が薄っすらある。

 湊さんのトラウマの件は、担任も把握していて。席替えも配慮してくれたのだとか。


 湊さんは休み時間に教室を出ていくことが多かった。

 残っていると男子が集まってくるから、手芸部の部室に隠れていたんだ。


「こうして誰かをお招きするのは、遠坂くんが初めてです。二人だけの……秘密ですよ?」


 人差し指を唇に乗せて、お花畑が似合う幼子のように笑いかけてくれる。


「わっ、わかった。だれにも言わない! ぜったい! 破ったら画鋲千個飲むから!!」


「そこまで気負わずとも……千は危険ですので十に減らしましょう!」


 彼女の秘密の花園に案内され、俺は緊張で吐きそうになっていた。

 弱者とはいえ男の俺を連れ込む湊さんは肝が据わっている。さすが清楚系武士。


 あと十個でも多分死ぬだろうなぁ……。湊さんは割と天然さんだった。


「それでは手始めに。お互いの目を見る練習から進めましょう」


「い、いきなり難易度設定……高くない?」


「互いを理解するうえでも、きちんとお話ができるようにならないと。これは準備運動のようなものですよ」


 それはそう。コミュニケーションにおける基本のキだ。

 目を合わせようともせず、逃げてばかりな俺という陰キャは無礼な生物だった。


「……え、あの、それで俺、どうすればいいかな」


 これまで同年代女子と関わる機会なんてほとんどなかった。

 意識すると、視線の置き場すらわからない。あれ普段はどうしてた。 


「落ち着いて、一度深呼吸しましょう。ゆっくりと時間を掛けてもいいので。前を、目を見てください」


 そっか、目でいいんだ。……俺はなにを言ってるんだ。混乱して思考が取っ散らかってた。

 椅子と机が並んでいる部室内は、空気中の埃がカーテン越しの光を反射していて。向かい合う彼女もまた、キラキラと輪郭から輝く。


 頭ひとつ分以上の身長差。湊さんは自ずと上目遣いになる。それを俺は見下ろしていて。慢性的な不眠症の俺の眼には、もはや痛みすら覚えるほど。彼女の姿が鮮明に焼き付いている。心なしか身体が震えているようにも見えた。多分、俺が震えているからだろう。


「み、見た……見たよ!」


「ふふっ、ようやく私を見てくださいましたね? 遠坂くん、おはようございます」


「うぐっ……おはよう……ございます」


 今まで散々挨拶を無視してきた、俺へのちょっとした意趣返しだろうか。

 かわいらしい復讐と共に、湊さんが満足した様子で笑っていた。凄まじい破壊力。

 黒髪ばかりに目が向いていたけど。とにかく顔が強い。なんかいい匂いもしてくるし。五感からわからされている。俺なんかが同じ空間にいて、本当に申し訳なくなってくる。


「あっ……目を閉じちゃった。遠坂くんの苦手意識は、私以上に深刻な気がします」


 うん、そうだね。俺の方が遥かに重症だったよ。前途多難だ。

 そうして、湊さんによる逃げ場のないパワーレベリングが続いた。


「これで、限界……もうムリ……」


 女子に視線を向けるだけの作業に、どうしてここまで、精神力を削られるとは。

 眼球疲労で目が霞んできた。特訓の成果で、なんとか薄めで見られるようにはなった。


「遠坂くん頑張りました。確実に前進していますよっ」


「……そうだといいけど」


 湊さんのトラウマを克服する訓練のはずが。いつの間にか俺の訓練が中心になっていた。同じ土俵にすら上がれていない俺の不甲斐なさ。湊さんは気にする様子もなく楽しそうにしているのが救いだ。


「一旦休憩を挟みましょうか。こちら粗茶ですがどうぞ。熱いのでお気をつけて」


「ど、どうも」


 休憩時間となり、ここで問題が生じる――最初から問題しかなかったわけだけど。




「「…………」」




 特に話すことがないのだ。秘密の花園には二人しかいない。

 つまり俺からも話題を振る必要があるわけで……一体なんの話題を?


「……きょ、て、天気……は、晴れだね、すごい明るい! 朝から洗濯日和だった」


「夕方から曇り空になるそうですよ。帰りは傘が必要になるかもしれません」


「そ、なんだ。それは……怖いな。あの日を思い出すというか」


「あの日、ですか…?」


「む、むかしこの辺りに、隕石が落ちてきたの……覚えてる?」


「懐かしいですね、もちろん覚えています。確か初等部の頃に、私も実際に目撃しました。大きな雨雲を貫いて、世界が一瞬真っ白になって。隕石が引き起こす火球現象と呼びましたか。全国ニュースにもなりましたね!」


「……平和な日常が非日常に変わるのは、やっぱり怖いよ」


「安心してください。隕石は途中で燃え尽きましたし、あれほどの規模は一生に一度あるかないかだそうです。黄昏時の流れ星。空に向けてお願い事をした記憶があります」 


「そうなんだ。叶うといいね」


「ふふっ、ありがとうございます。ただ、お洋服が濡れてしまわないか、心配ではありますね」


「そうだね。服が濡れると困るよね」


 ここで話がストップ。俺は思考がまとまらず、息苦しさから逃げるように窓を開けて青空を見つめる。伝家の宝刀、天気デッキすらまともに扱えない。ここからどう広げろと。話題……共通の話題が一個もない。また沈黙が続く。


 ぐ、ぐるじい。誰か、勉助けて!

 

 いつも春のように朗らかな湊さんの表情が、俺の軽率な発言で曇るかもしれない恐怖に打ち震えていると。風に乗って教室の方からお昼の放送が流れてきた。談笑する生徒たちの声も届いてくる。湊さんがもうひとつ隣の窓の前に立ち、空を見上げながら耳に掛かった髪を直していた。


「訓練に夢中で忘れていましたが、今はお昼休みでしたね。遠坂くんお腹空いていませんか? 私は次の予鈴まで残りますが、もし購買に向かわれるのでしたら、遠慮なさらずにどうぞ」


 湊さんがお弁当箱を取り出す。渡りに船だ。俺も袋から取り出す。

 事前にお昼休みを使うと聞いていたので、念のため持参していたのだ。 


「遠坂くんもお弁当でしたか」


「う、うん。今朝は慌ただしくて、見栄え……そこまで良くないかも」


 配色も茶色のおかずばかりが目立ち、湊さんの彩り豊かなお弁当と比べると。コスト面でも健康面でも見劣りする。いつもはもう少しマシなんだけど。今回は親父のリクエストだったからなぁ。


「もしかして、ご自分で用意されているのですか?」


「ま、まぁ……親父が、放っておくとコンビニ飯ばかりで。ひよ――妹も、似たような感じになるから。あっ、妹は偶に手伝ってくれるんだよ。学業や部活で忙しいのに、買い物とか付き合ってくれて。ちょっとだけ生意気だけど、とてもいい子で。親父も感謝を言葉で伝えてくれるし、食費も多めに出してくれていて――」


 発言の途中で、家族の話題だけ舌が回る己の交友関係の薄さに絶望した。

 こんなの仲の良い友達ですらドン引きものでは。恐る恐る薄目で彼女を見る。


「……尊敬します」


 意外なことに、湊さんは真剣な眼差しで俺のお弁当を見つめていた。


「私も先を見据えて自炊する日を設けていますが。時間のある休日にあらかじめ用意された材料で、レシピ通りに進めているだけで。レパートリーも少なくて。当然、毎日のお弁当までは……やはり遠坂くんは、とても家族想いの方なのですね」


 湊さんは率直に感心していた。俺が見栄を張ってついた嘘の可能性だってあるのに。……そういえばこの子、家族のために男性嫌いを克服したいんだった。家族ネタは問題なさそう。


 ――俺にドン引きするほどの、元の関係値が深くないのもあるかもしれない。


「やってることは俺も変わらないよ。献立は基本ローテで回しているし。朝もお米を炊いてから一品ほど追加して、あとは晩御飯の残り物で埋めて。大した労力じゃないから」


「いいえ、毎朝決まった時間に起きないといけない大変さは、身を以て知っています。私、どうしても朝が弱くて……両親が心配するあまり、階段を使わない一階にある部屋をあてがわれているのですから。小一の弟は二階部屋なのですよ……?」


「……あはは、昨日も聞いたけど。やっぱり意外」


「それは、皆さんが想像される優等生の湊姫華とは別物で、やっぱり落胆しましたか……?」


「ううん。噂で聞く人物よりもずっと、親しみやすいと思った」


 そう答えると、湊さんが箸を置いて。俺のことをどこか不思議そうに、じっと見つめてくる。


「……遠坂くんは今の私でも、私を湊姫華として認めてくださるのですね」


「えっ? どんな湊さんでも……湊さんじゃないの? それって哲学的な話?」


 たとえ印象が当初から大きく変わったとしても、俺にとって高嶺の花には変わりないわけで。むしろ彼女の人間らしいエピソードを聞くたびに解像度が上がっていくものだから、より緊張も増しているのですが。だって欠点すらかわいいんだもん。


「なんだか要領を得ないけど。他人から期待されるのがしんどいのは、わかる。俺は全然まったくされない方だけど。でも、好き勝手言われるのは誰だって辛いし……」


 周りから期待されることがいいことだとしても。本人がどう思うかは別だから。

 

「それでも勇気を出して伝えてくれたのは、誰にでもできることじゃないし。湊さんはすごいし尊敬するよ。ごめん……こんな当たり障りのないことしか言えないけど」


「いえっ、こちらこそごめんなさい。戸惑わせるようなことを言ってしまって」


 実際俺も勝手なイメージを彼女に押し付けていたんだ。容姿が優れていると、それに付随して中身まで期待されるのだから。湊さんの心労は凡人には計り知れない。そして、重圧を物ともしない心の強さに感服する。


「でも……偽物の私に負け続けるのも悔しいので、一歩でも理想に近付けるよう努力しますね。遠坂くんの言葉……本当に嬉しかったです」


 常に前向きであり、努力家で負けず嫌い。いい意味で同じ学生とは思えない。

 そんな湊さんと比べて、気楽に過ごしている俺は……このままでいいのだろうか。


 彼女と会話していると、まだ高校生活が始まったばかりなのに。謎の焦燥感に駆られる。


「それにしても立派なお弁当。男の子の手料理、実は興味がありまして……ちら」


「……味見してみる?」


「はい、では私は卵焼きの方を、交換ですねっ」


 女子とお弁当のおかず交換。渇望していた青春の一幕。

 罪人である俺が、こんな青春を浴びても許されるのだろうか。


 心の奥底に隠した罪悪感と戦いながら、その日はお弁当を食べて解散となった。

 今後も、お昼休みはお互い都合が合えば、手芸部の部室に集まるという約束をした。

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