第17話 これからも末永く
「ごめんなさい! 魔法が解けてしまったみたいで。もう一度、協力していただけませんか!」
「事情はよく理解してるよ。……災難だったね」
一学期最後の体育授業。湊さんが男子を豪快に投げた。俺も近くで目撃していた。
確かにトラウマが再発していて、拒否られた男子も心身共にトラウマになったと思われる。
男子が偶然を装って湊さんの手に触れようとした結果なので、自業自得ではあったけど。
秘密の関係が突如として復活、延長戦へと突入した。
「和樹くん……早速ですが手を繋いでいただけませんか?」
「大丈夫? 再発したばかりなのに」
「どうかお願いします」
「それじゃあ少し、触れるね」
俺も先輩からの告白を経て自信が付いた。迷わず湊さんの指に触れる。
熱くてやわらかい。同じ人間の身体でこうも感触が変わるのは不思議だ。
「指にマメが。ずっと身体を鍛えているのですね」
「もはや生活の一部って感じ。なんだか触れていても平気そうだね」
「和樹くんとの訓練の成果です。きっと貴方限定ですね」
「それは……このままだと、俺相手だと訓練にならなくない?」
「私は、今はそれだけで充分……です」
「夏休みが明けたら体育祭もあるし、ほら男女ペアの種目があるかも」
「天に祈りますね。和樹くんとペアになれますようにと」
「あはは、前向きなのか後ろ向きなのかよくわかんないの」
二人っきりで会話するのも一週間ぶりで。
これまで三日以上空くことがなかったから。会話も自然と弾む。
以前は地獄の無言タイムに苦しんだのに。今では会話の間すら楽しめる。
「最近はずっと暑いですね」
「そうだね。衣替えも意味をなさないというか、これ以上脱ぐこともできないし。日焼け対策も大変」
「最近は四季も、特に秋がなくなったとまで言われていますし。あ、もちろんハロウィンはお祝いですよ」
「その前に湊さんの誕生日は――」
「和樹くんの新作スイーツ、家族みんなで楽しみにしています!」
これは、完全に湊さん宅に招待される流れだ。
気合入れて準備しないと。次はなにを作ろうかな。
「…………えいっ、和樹くん隙アリです」
「つめたっ……湊さんっ! 夏休み前でテンション高くない!?」
あらかじめ用意していたんだろう濡れたタオルを首元に押し当てられる。
悪戯が成功して喜ぶ湊さんは、ごめんなさいと、自分にも当てて涼んでいた。
椅子に座りながら、濡れタオルを首に巻く。汗ばんだ身体に染み入る。
湊さんが濡れた指で俺の頬に触れてきた。タオル越しにお返し。お互い変顔に。
「ぷっ」
「ふふ」
二人っきりなので、遠慮なく笑い合う。
「実は私……音痴で金槌で、朝もときどき寝坊しそうになってしまうのです」
「何故だかよーく存じてますよ」
「私の弱点をたくさん知られちゃってますね。和樹くんは、泳ぎはお得意ですか?」
「人並みかな。クロールで端から端まで泳ぎ切れる程度だけど」
これは俺が教える流れだろうか。モーニングコールも付けた方がいいのかな。
「うちの学校水泳授業ないし。無理して泳げるようにならなくても」
「それが……星斗が通う小学校には水泳の授業がありまして。本格的に泳ぐのは当分先の話になりますが。誰よりも一番に上達してお友達に自慢したいそうで」
「一年生から向上心の塊だ。さすが湊さんの弟くん」
「両親は夏休みも仕事ですし。近くの市民プールで……練習ができればと。その、星斗も、和樹くんと会いたがっていますし。いかがでしょうか」
それは、保護者が泳げないと万が一があるか。
「うん、わかった。俺も星斗くんと会いたいし。是非、参加させてください」
「ありがとうございます。今から夏休みがとてもとても待ち遠しいです」
よし決めた。温水プールがあるジムに通おう。
有酸素運動は筋肉が落ちるっていうけど別にビルダーを目指してるわけじゃないし。呼吸の質が向上してむしろトレーニング効率があがるらしい。何事も挑戦だ。
「陽和も誘っていいかな? アドバイスできる人は多い方がいいだろうし」
「もちろんです。私の方から陽和ちゃんをお誘いしますね」
「今後も妹と仲良くしてもらえると助かります。俺と親父だけだと、女の子ひとりで苦労させていると思うから」
「はい、お任せください。陽和ちゃんの話になると、和樹くんやっぱりお母さんみたいですね」
「託された大事な妹だからね」
あれよあれよと夏休みの予定が埋まっていく。
去年は勉と陽和、あと陽和のお友達と遊んだ記憶しかない。
それはそれで楽しくあったけど。今年はもっと楽しめるはずだ。
「ところで和樹くんは――いつになったら私を名前で呼んでくださるのですか? ずっと……その、ずっと待っているのですが」
「この話は一度持ち帰り、じっくりと検討して――」
「ダメです。帰しません。私たちお友達ですよね?」
湊さんが俺の言葉を遮り、手をガッチリと捕らえる。
お友達を強調して、キラキラと期待の眼差しを向けてくる。
「和樹くん。どうか姫華と、呼んでください」
「……」
「じー」
「――ひ……ひ、ひめきゃ、ひめかさんっ!」
あーダメだ。これだけはどうしても慣れない。
前回は雰囲気に背中を押されたけど。平時は照れが勝つ。
「和樹くん赤くなって、かわいい……もう一度、お願いします」
「勘弁して……ひ、姫華さんだって、顔真っ赤じゃん。絶対無理してるやつじゃん!」
「気のせいです。部屋が暑いからではありませんか?」
ちなみにこの間、ずっと手は握られたまま。確かに熱い。
「ごめんなさい。このままで質問させてください……人伝にですが、和樹くんが告白をお断りしたと聞きました」
「……うっ、背中押して貰っていたのに。いい報告ができなくてごめん」
「謝らないでください。一番大切なのは和樹くんの気持ちですから。お相手の方は、和樹くんの理想としていた上級生だったそうで。理由を……知りたくて」
「それがね。あれから時間を置いて考えてみたんだけど、わからないんだ。もしかしたら、自分が想像していた好きとは違っていたのかもしれない」
年上が好きなら、学生である限り遠距離になるなんて簡単に想像付いたはず。
単に母親の影を追っていただけで、恋愛対象となる異性は、また別の話なのかもしれない。
『男子は付き合う付き合わないで思考が止まっている』
優騎さんの言う通りだった。好きなタイプの女性とお付き合いできても、そこがゴールじゃない。その先も関係は続いていく。
もしも理想の彼女が、理想から外れそうになったら。冷めて別れるのか?
推し活のように次々別人に乗り換えるなんて。俺のような人間には到底できない。
これまで遠い世界の話だと思っていた。告白だとか恋愛だとか。
漫画やアニメで都合のいい情報だけを摂取して、わかった気になって。
いざ当事者となって、本番でそれらの知識が役立つことはなく。正常な思考もできなくなった。
恋人が欲しいという願望すらも、周囲に流されて生まれたものかもしれない。
「要するに……自分を見つめ直す時間が欲しい、のかも。相手からの好意を断った挙句、なにを偉そうなことを言って、とは思うけど」
「慎重になって当然だと思います。私も、これまでたくさんの想いを断ってきました。悲しまれ、恨まれ。告白を受ける側の苦しみ、痛みを知っているつもりです。それでも、譲れないものがあることも。個人だけではなく将来的に家族も関わってくる話ですし。たとえ傷付いて、傷付けたとしても妥協すべきではないと、私は考えています」
「家族か……そうだね。関係が続いていけば、いずれはそうなるんだよね」
姫華さんは先の先まで考えてる。生涯でたった一人の相手と添い遂げる覚悟で。
今の時代だと、勉に言わせると子供っぽい考え方なのかもしれない。
でもその考え方は俺は好きだ。性に合っているといえる。
「俺もいつか……心からそう思える、一緒に居たいと思える相手が見つかるといいな。いや、待ちの姿勢なのがよくないのか。自ら探し出す勢いで前向きに、コツコツ頑張ります」
「それでは手始めに――苦手なタイプの女性とより親交を深めてみませんか? 和樹くんにとって黒髪の女性です!」
黒髪清楚系女子代表みたいな子が、そんなこと言う?
苦手な男性がいる共学に飛び込んだ姫華さんらしい提案だけれども。
「うーん」
「やはり初恋の方が忘れられない……ですか?」
「少し違って。初恋を引き摺ってるとかではなく。トラウマと紐づいてしまっているから。ふとした拍子に思い出して顔に出てしまいそうで。俺って考えていることが結構わかりやすいみたいで」
「そうですね……和樹くんは今でも私が声を掛けると、緊張して固まることがありますね」
言い訳すると、姫華さんの顔が良すぎるのもあるんだよ。
最近は距離が近過ぎるくらいだし。多分、俺じゃなくても固まる。
たとえばこれがデート中なら、当然相手を不快にさせるだろう。
しかも初恋の子と重ねてしまっているという、二重に失礼な状態だ。
姫華さんは下顎に人差し指を乗せて、
「和樹くんのお母様は、元は黒髪の和服美人さんですよね。もし目の前の相手がお母様でしたら……緊張します?」
「さすがにならない。いや、ずっと母さんを思い浮かべてるのも、マザコンっぽくない……?」
「? 変でしょうか。私はいつも弟や両親のことを考えています。最近は……和樹くんと陽和ちゃんのことも」
「それなら俺も、陽和だっていつも姫華さんの話題で持ちきりだよ」
主に陽和が姫華さんへ対抗意識を燃やしていて。修行に付き合っている。
「お互いがお互いを想い合って。もはや家族みたいなものですね。えへへ」
指を怪我したときに姫華さんが毎日通い詰めていたもんで。
親父から『今日は湊ちゃんは来ないのか?』と毎朝聞かれるくらいだ。
親同士の交流も続いているそうで。実際それに近しい間柄ではあると思う。
「過去の辛い出来事も、たくさんの好きで上書きしてしまえば。きっとまた、好きになれると思うのです。私がそうでしたから」
「そうかな……そうかも」
姫華さんに力説されると、なんとなくそう思えてくる。
「試しに身近にいる、一番仲の良い黒髪の女性を思い浮かべてください。では五秒以内――はいっ誰を思い浮かべました?」
「待って短い! 三秒もなかったよ!?」
「和樹くん、どうぞ」
黒髪で思い浮かぶ身近な女性なんて、当然――これ本人の前で答え辛くない?
「――く、黒崎さん」
「どなたさまですか……?」
「たまに遊びに来てくれる陽和のお友達…………ダメ?」
姫華さんの無言の視線が痛い。ダメみたいです。
「じゃあ、優騎さん……?」
「どうしてそこでゆーきちゃん……? 黒髪ですらありませんよ!」
「ちょっ、くすぐった、あはは、くすぐったいって!」
姫華さんがムスッとした表情で、俺の脇腹を突っついてくる。
優騎さんが絡むといつもと雰囲気が変わる。幼馴染って感じだ。
「もう、もうっ、いじわる……和樹くんいじわるです。ここに、お友達っ。一番のお友達っ」
「ごめん。本当は姫華さんの名前を出そうとしたんだよ……さすがに本人の前では恥ずかしくなって」
「それは……誘導した私も悪いですけれども。けれどもっ」
「一番だよ」
「……はうっ」
「しばらくこうして会えない間。どうにも落ち着かなくて。もう一緒に居るのが当たり前になっていたんだなって、思った」
「……あ……あうっ……ず、ずるい、です」
プイっと顔を横にして、髪が掛かる耳が真っ赤だ。
そして俺も。発言の後からじわじわ効いてくる。また似合わない台詞を勢いで、黒歴史量産してさぁ……。
「あと、ゆーきちゃんとはいつから名前で呼び合う仲に?」
急にスンっと冷静になる姫華さん。百面相かな?
「それは、姫華さんと連絡先を交換した翌日の朝……いけなかった?」
『ヒメと交換した後なら、二番目なら文句ないよね~はとこだし』と。
優騎さんも距離の詰め方が異常だった。今ではカズちゃん呼びされてる。あとはとこは関係ない。
今度三人で遊びに出掛けようよと誘われていて。男子一人は荷が重いので、勉も入れてもらえないだろうか。
他に仲の良い異性がいなかったので咄嗟に出てきてしまった。あとで本人たちに謝っておきます。
「いけなくないです。ですがっ、私より先に名前で呼び合っていたのですね。私が和樹くんの……最初の異性のお友達ですのに………………初恋を除いて……初恋の方には一生敵いませんが……」
もはや俺以上に初恋の子を引き摺ってるような。
薄々気付いていたけどさ。姫華さん独占欲強いな?
「……ゆーきちゃんの他に仲の良い異性の方を、教えてください」
この場合、告白を断った先輩は入れない方がいいのかな。
「陽和のお友達。二人組でよく遊びに来てくれてね。四人でボードゲームとかしたりするんだ」
「例の黒崎さんと、もう一方……陽和ちゃんの中学生女子グループに、年上の和樹くんが?」
「お、おかしいかな? ただの数合わせだと思う。あとはお料理教室みたいなものを開いたり。陽和が企画を立ててお菓子作りに挑戦したり。去年もハロウィンにカボチャのプリンを作ったんだ」
「そうですか……ハロウィン当日に。ではバレンタインも当然ありましたよね? チョコも貰ったのですね」
「うん。手伝ったお礼として完成品をひとつ。もちろん義理だよ。あの子たち好きな人がいるらしいから。そういえば結果は聞いてないけど。うまく渡せたかな」
「…………………………多分、渡せているとは思いますよ?」
姫華さんのジト目の圧が。なんか色々と誤解されてるような。
「……和樹くんそろそろ迎えが到着するそうです。帰りましょう」
「あ、うん。あの、手は離してくれない感じ? 徒歩なんだけど」
「今日の私はスパルタですから。和樹くんも一緒ですよ」
それって、自分もダメージを負うのでは。
表情は見えないけど、微かな震えを直に感じる。
放課後の茜色に染まる廊下を二人で歩く。
途中、誰かに出くわさないかドキドキしながら。
吹奏楽部の演奏とグラウンドからの掛け声。上靴の音が。息遣いが続く。
さすがに――いくら鈍感な俺でも、姫華さんを今さらただの異性のお友達だとは思っていない。
こんなの誰から見ても、友達よりも一歩先に進んだ関係にしか見えない。
ただ……ひとつ疑問なのが。姫華さんの性格を考えれば、変に引き延ばそうとはせず関係を明確に、言葉に表す気がするのだ。
姫華さんは俺たちの関係をずっとお友達という言葉で括っていた。
それに告白の件も背中を押してくれた。それがどうしても引っ掛かる。
――ダメだ。女の子の気持ちがわからない。俺が自意識過剰なだけなのか。
俺は好感度が視えるメガネを使って一度大失敗した人間。慎重になってしまう。
それとも、俺が答えを出さないといけない? 待ってくれている?
……あの、完全にタイミングを失っているんですけど。
告白を断り、さっき自分を見つめ直したいと語ったばかりだぞ。
ここで『姫華さんは俺のことをどう思ってるの?』なんて聞けるか!
秘密の関係も結び直したというのに。壊してしまうリスクは避けるべきで。そういう身勝手な男らしさは、姫華さんが苦手とするものだ。つまり機会を逃してしまったといえる。
そもそも俺はまだ黒髪清楚系への苦手意識が残っていて。姫華さんもトラウマが完治していない。でも……こうして会話して、触れ合って。先に進むのが怖いなと感じつつも、どこか期待感もあって。
「和樹くん……これからも、どうか末永くよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。姫華さん」
今は――深いことは考えず目の前の青春を全力で楽しみたい。
それは姫華さんだって同じ気持ちだと思うから。




