第14話 お互いに脳が焼かれていた
元々距離感がおかしかった湊さんだったが。
連絡を取り合うようになって、更に距離が近くなっていた。
「和樹くんどうでしょう。コースターの完成です」
「うん上出来。すぐ次のステップに進めるよ」
手芸部の部室ではない、いつもの教室で机をくっつけて編み物の続き。
俺たちの友人関係はバレているとはいえ、堂々とし過ぎではないだろうか。
「では、こちらは記念に受け取ってください。和樹くん」
「あ、ありがとう。せっかく綺麗にできたのに。いいの?」
「最初からそのつもりでしたから。もちろん自分用にも残してあります」
お花の形をしたコースターをその場でプレゼントされる。紅白でお揃いだった。
男子の視線が怖い。女子からは、琴吹さんを筆頭に生暖かい目を向けられている。
「冬までに間に合えば……手袋を編んでみたいです」
「星斗くんはすぐに大きくなるだろうから。サイズを合わせるのが大変そうだね。三トンやフィンガーレスなら初心者でも編みやすいけど、どうかな?」
「それなら――」
湊さんが椅子を流れるように動かして、こちらの椅子とくっつけさせて。
彼女の指が俺の指を捕まえる。机の下で、もうほとんど恋人繋ぎの状態に。
「和樹くんのでしたら……どうでしょう?」
「調整はしやすいとは思う……よ?」
しばらく見つめ合う形になった。湊さんの息遣いまで届く。
手袋なんてもう必要ないほど。彼女の体温に包み込まれていて。
予鈴の音が、俺たちを正気に戻してくれる。
「ま、まだ早いですよね! もっとたくさん……経験を積んでからで」
「う、うん。その気になったらすぐに教えて。なんでも手伝うから!」
ちなみにこの間、本来の座席の主である勉はというと。湊さんに席を譲り渡してからずっと、廊下をたむろする上級生にダル絡みしていた。普通に柄が悪かった。おかげさまで、湊さん目的で教室を覗きに来る野次馬がかなり減っている。
――そんなことなどがありつつ。夏休み前の期末考査が近付いてきた。
早朝、教室に入ると。湊さんがペンを持って駆け寄ってくる。
「おはようございます。和樹くん」
「おはよう。今日も早いね。テスト対策?」
「はい。中間考査ではなんとか平均点を超えましたが。それでも和樹くんの背中はまだまだ遠いので。次こそは一教科だけでも上回ってみせます。和樹くんも……今回は本気を出してくださいね?」
「前回だって、特別手を抜いてるつもりはなかったんだ。限りある時間の中では本気を出していたから。ただ、今回は余裕があったから。ご期待に沿えるとは思うよ」
鞄から教科書を取り出し、机に入れようとして――身に覚えのない紙が中から飛び出てきた。床に落ちたソレを拾おうとした俺は硬直して、湊さんも動きが止まって。ただ視線のみ紙に注がれている。
丁重に文字がしたためられていた。一枚の便箋。
「わ、私……自分の席に戻りますね。ごめんなさい」
反応から察するに、湊さんは関係ない。つまり――
それから休み時間になっても、湊さんは自分の席でぼんやりとしていた。
時折、こちらに視線を向けては、俺と目が合うと避けるように俯いてしまい。
こちらとしても、どう声を掛けていいのかわからず。
手紙の内容を反芻しながら。時が過ぎるのを待ち続けた。
そして、お昼休みになる。
四月からほぼ毎日通っていた部室の前へ。初日の緊張を思い出す。
俺は手紙を持ったまま、ドアに手を掛ける直前に深呼吸して。覚悟を決めて開く。
「失礼します。湊さん」
「和樹くん……」
湊さんは椅子から立ち上がり。俺の表情と、それから手紙に視線を向けて、悟ったように目を閉じる。
「……えっと、ごめん。今日は待たせている人がいて。これからすぐに出ないといけなくて」
「――今の時代に恋文だなんて、とても素敵ではありませんか」
湊さんは、手紙の内容を察していたらしい。
あからさまだったし、気が付かない方がおかしいか。
「そうだね。結果によっては――しばらく手芸部には顔を出せないかもしれない」
もし俺が告白を受け入れ、晴れて彼女ができたとしたら。
彼女以外の女子と二人っきりになる状況は避けるべきだろう。
あくまで現状の手芸部は非公認の活動なのだから。どちらに対しても誠意を欠いてしまう。
「わざわざそれだけを伝えに。和樹くんは……いつだって誠実で優しい人ですね」
湊さんがゆっくりと目を開けて、覚悟を決めた表情で、胸に手を当てた。
「私――ずっと、和樹くんに隠していたことがあります」
「湊さんの隠し事……?」
もうすべてをさらけ出していたように思うけど。
「実は和樹くんのことを、秘密の関係を結ぶ以前から知っていて。ずっと気になっていたのです」
「以前から……えっ、学校は違ったよね? 湊さんはずっと女子校だったって」
「もちろん、実際に関わったのは高校生になってから――入学式の日です」
高校の入学式なんて、それこそ自己紹介くらいで終わったはず。
俺は当たり障りのない内容で終わらせて、湊さんと会話した覚えもない。
「式が滞りなく終わり、下校時間となって。和樹くんが……体育館裏でお友達の木場くんと、制服の違う女の子と一緒にお話しているところを、偶然目撃しました」
「……目撃って。ええっ、あの場に湊さんが!?」
今も――鮮明に覚えている。俺にとって一生忘れられない優しい想い出。
高校生としての初めての登校日。親父は仕事で休みが取れなかった。
それはいつものことで。保護者参加型イベントは常に席が空っぽだった。
寂しいと言えるほどもう子供でもないし。だから特に感慨もなく。退屈な式をどう過ごすか、俺はそんなことばかり考えていた気がする。
体育館に入った瞬間、見覚えのある目立つ金髪頭が目に飛び込んできた。陽和が保護者席に座っていたんだ。俺に内緒で、驚かせようと参加していたらしく。通り過ぎる際にしてやったりの笑みを向けられ、実際とても驚かされた。
「陽和ちゃんから直接、あの日の出来事を教えていただきました。陽和ちゃんの中学の入学式では、和樹くんが保護者として参加していたことも。自分は引き篭もりだったから、和樹くんの式には参加ができなかったと。陽和ちゃんずっと悔やんでいたそうです。だから今度は、絶対に兄貴を泣かせてやりたかったんだと」
「……あはは。でもそれさ、言ってる本人が式の最中に我慢できず泣き出したんだよ。周りの保護者が心配して集まるくらい。誰よりも一番目立ってたし。俺も気になって集中できなくてさ」
「ふふ、和樹くんだって泣いてましたよね? 下校時間になるまで、赤いカーネーションの花束を持ってずっと待ってくれていた。大切な妹さんを優しく、それは情熱的に抱きしめて」
「うぐっ、そういえば見られてたんだっけ。は、恥ずかしいな……アイツがさ、おにぃって昔の呼び方で『いつも家族のために頑張ってくれて。傍に居てくれてありがとう』だって、言うから。ズルいんだよ。生意気でも、元気でいてくれるだけで十分で……ありがとうだなんて、ずっと、俺の台詞なんだから」
母さんの死に責任を感じて、部屋に引き篭もって。
もうダメかもしれないと。俺も何度諦めかけたことか。
勉の協力もあって、震える足で一歩ずつ歩きだしてくれて。
母さんと同じ髪色に染めて、一緒に生きるんだと言ってくれた。
中学ではお友達に囲まれて、部活も精力的に参加して、勉強も頑張って。
あの日、あの特別な場で、これまで積み重ねてきた全部が、一気に、感情に押し寄せてきて。普段は辛辣な勉も『よかったな、兄貴』と、妙に優しくなってて。逃げ場なんてなくなって。
あぁもう、我慢できなかったんだよ。思い出すだけで熱くなる。
陽和と一緒に泣いてしまったんだ。泣き虫なところまで親父そっくりだ。
「でも、どうしてあんな僻地にみたいなところに湊さんが?」
「私は……式のあと、上級生の方に呼び出されていました。好きだと、一目惚れしたのだと。まだ名前すら知らない相手に強く迫られて、怖くて、逃げてしまいました。すべて覚悟して共学を選んだつもりでした。それでも実際に男の人を前にして、一方的な想いをぶつけられて、心が折れそうになって。体育館裏の茂みに隠れて……小さくうずくまっていました。そのあとに……和樹くんたちが」
「……そうだったんだ」
まったく気付かなかった。陽和のことしか見えてなかったのもあるけど。
湊さんはこれまでもずっと、たくさんの想いを断り続けていて。相手にとっては一生に一度の勝負であっても。湊さんにとってはもう何度目かもわからない。その立場にならなければわからない苦悩を、一人で抱え込んでいた。
「当時はお二人が兄妹であることも、これまで歩んできた歴史も知りませんでした。でも……事情なんてなにひとつわからなくても、互いを心から祝福し合う姿を、絆を目の当たりにして。胸の奥が、感情が大きく揺さぶられて。私は……溢れ出るものを我慢できなくて。だってそれは、私にとって理想の形だったから。とても愛おしいものだったから――あの日の光景が、今もずっと目の奥に焼き付いたまま。挫けそうになるたび私を励まし、奮い立たせてくれました」
その言葉をそのまま証明するかのように。湊さんは毅然としてこの場に立っている。
「苦手を克服する第一歩として、まずは挨拶から始めようと。最初に……勇気を出して、和樹くんにお声を掛けたのですよ?」
いつからか、湊さんはクラスメイト全員に声を掛けていた。初めからそうであったかのように自然体で。まさか俺が最初の一人目に選ばれていただなんて。俺たち兄妹が、彼女の心の支えになっていただなんて。
「私に勇気を与えてくれた和樹くんと陽和ちゃんは、私の理想とする兄妹であり、ずっとずっと憧れでした。貴方をもっと知りたくて、お友達になりたくて。実は木場くんにも協力していただいていて……ちょっと……強引だったかもしれませんが」
ん? 勉が協力者……? ま、まぁ今はいいか。
「俺は、湊さんにとっての憧れでいられたのかな。今は割とマシになったと思うけど……最初は、それはもうどうしようもなく酷かったような」
「そうでしたか……? ごめんなさい。私はずっと和樹くんと陽和ちゃんを、推しと呼ぶのでしょうか。どこか神格化させていたところがありまして。ただ――直接お話して、とても親しみやすい方だとは思いました」
そうなんだ。俺のやらかしが消えるわけではないけど。
湊さんが気にしていないのならよかった。救われた気分になる。
「それに私だって大した人間ではありませんよ。外見を褒められるのは……もちろん嬉しくはあるのですが。昔からずっと、自分自身を見てもらいたかった……本当の私を認めて欲しかった。――かっこいい。他の誰でもない和樹くんからそう言ってもらえて……嬉しかった。和樹くんには恥ずかしいところを、ダメなところもたくさん見せてしまっていたのに……」
「長所も短所だって。どちらも合わせてその人の個性。俺の目標としているかっこいい人の言葉だよ」
俺が伝えると、湊さんが顔をあげる。視線が重なる。
「私もっ、憧れがいつしか目標となって。和樹くんと隣り合わせで歩めたことも、陽和ちゃんと出会えたことも。全部、全部……宝物です。とても幸福な時間でした」
湊さんは涙を堪えようとして、それでも、溢れ零れる光の粒子を風に乗せる。
唇が震え、声が掠れていたとしても。不思議と耳に届く。彼女の言葉にはいつだって力があった。
「和樹くんなら、素敵な理想の方と結ばれます。きっと上手くいきます。ずっと近くで、ずっと貴方を見ていた私が保証しますから。訓練は卒業ですね!」
「うん。一緒に卒業だ」
俺は真っ直ぐ見つめ返す。彼女の姿を、しっかりと目に、脳裏に焼き付ける。
こんなにも自分をさらけ出してくれた親友に全力で応えたい。俺も精一杯かっこつけないと。
「その、今までありがとう湊姫華さん。これまで過ごしてきた時間、とても楽しかった! 一生の想い出になったんだ。絶対に忘れない。君は俺のおかげだと言ってくれたけど。俺に勇気とチャンスを与えてくれたのは貴女です。だから――姫華さんもいつか素敵な人が見つかります。俺が保証するよ!」
俺は感謝の気持ちを告げる。きっとこの時のために鍛えてきた表情筋を、フル稼働して。
「……っ! 最後にズルい……です。いつもいつも、それはこちらの台詞なのに……遠坂和樹くん………………和樹くんっ……!」
上手く笑えただろうか。答えは、すぐに返ってきた。
「でも、そんな私も……とてもズルい女ですから。お相子ですねっ」
指で涙を拭って、応えてくれた湊さんの笑顔は――いつか見た母さんの横顔と匹敵するくらい素敵なもので。さすが俺の笑顔の師匠。完敗だ。
こうして俺たちの秘密の関係は、終わりを告げたのだった。




