第11話 弱さだってその人の個性です
『男、苦手なんだろ? 俺が克服に協力してやるよ』
――それを目撃したのは偶然だった。
大型連休も終わり五月病も抜けた、ある日の放課後。家に帰る途中忘れ物に気付いた俺は、急ぎ足で部室へ向かっていた。湊さんの迎えも遅れると聞いていたので、もしかしたらまだ編み物の練習をしているかもと、期待して。
そんなささやかな期待を台無しにする、見知らぬ男の声が聞こえてきたんだ。
手芸部のある廊下で、二人の男女がかなり近い距離で向かい合っていた。
ネクタイの色的に二年生だろう先輩が部室の入り口前に立ち、湊さんの行く手を塞いでいた。
「あ、あの……わたしは……!」
「警戒はしなくても。まずは友達からでいいからさ、てか連絡先教えてよ」
遠目から見ても顔立ちは悪くない。俺が偉そうに言える立場じゃないけど、イケメンの分類だ。しかし陽キャというのはどうして、関係性の薄い女子相手に顔を近付けられるんだろうか。パーソナルスペースという概念がないのだろうか。
湊さんの男性への苦手意識が露呈するのも、時間の問題だろうと予想していた。
また、治療と称し関係を迫る者が現れることも。いつか危惧していたとおりの状況だった。
「へーそれ君が編んだの? 上手いね」
先輩が、湊さんの手にある作品に許可なく触れようとする。
湊さんは咄嗟にそれを背中に隠した。俺が見本として置いていったものだ。
「……ごめんなさい。今は学業に集中したくて。貴方のご期待に沿うことはできません」
「学業に集中か。今もただ遊んでいるようにしかみえないけどな。君がいつも同じ男と密会しているのは知ってるんだよ。…………同じ一年の遠坂? だっけか」
先輩の口から自分の名前が唐突に出てきて。俺は息を殺して耳を澄ます。
「いやーでもあれはちょっとなぁ。やめといた方がいいよ。男が男に自作弁当を渡すとか普通にヤバいっしょ。しかもボタンの修繕? 服まで洗ってるとか女かよって」
「なにが……おかしいのですか? お友達を大切にする。とても素敵ではないでしょうか」
「あーもしかして同性として見ちゃってる感じ? 気を付けないと。女子に近付く度胸がないから、女趣味で共感させてワンチャン狙ってるんだよ。あーいう手合いは。同じ男として情けないつーか。みんな裏では気持ち悪がってるから」
耳に入った音を上手く処理できず。眩暈がしてその場にしゃがみ込む。
俺が、中学時代に言われた心無い言葉たちが幾つもフラッシュバックする。
「それでさ、まぁ興味本位でちょっと声を掛けてみたら。まともに目も合わせようとしないし。打ち上げられた魚みたいになっててさ。マジで笑いを堪えるのに必死だったよ」
……思い出した。つい先日いきなり声を掛けられて、面識のない上級生に囲まれたんだ。どうして呼ばれたのかわからず困惑している様子を、彼らはただ笑って、値踏みするように俺を見下ろしていて。
「君は優しいからアイツと一緒に居るのかもしれないけど。正直、分不相応に見えて哀れというか。逆に可哀想じゃん? 釣った魚は海へ帰さないと。恥をかいて死んじゃう前にさ」
そうか。また、ずっと馬鹿にされていたんだ。
環境が変わっても、人は変わらない。どこまでいっても俺は俺でしかない。
「ああいう一見大人しそうに見える奴こそ、えっぐい下心あるから。しかもつるんでいる木場は過去に暴力事件起こた問題児だろ。進学できたことが奇跡というか。裏金でも積んだんじゃねーのかな。とまぁどちらも元不登校児ときた。俺は、優等生の君が連中に染まらないか心配なんだよ」
「……」
湊さんが無言で立っていた。先輩の話を聞いてどう思っているんだろうか。
彼女はこんな悪意に満ちた与太話を鵜呑みにして他人を幻滅したりはしない。そう信じられるだけの時間を過ごしてきたはずなのに。
でもさ――俺の弱い心が先に折れそうになるんだ。
今の俺がどれだけ変わろうと努力しても、過去の俺までは変えようがない。
俺には学生らしさというのがわからない。不登校期間も長く、ずっとクラスで浮いた存在だったから。だから空気の読めない行動もするし、相手の顔色ばかり窺っていて、いらないお節介をかけてはウザがられる。人見知りだって治っちゃいない。
でも、それでも改善しようと。環境に適応しようとしていたのに。変わるための行動すら馬鹿にされてしまうのなら、もうなにもできなくなってしまう。
陽和が引き篭もりから脱して、陽の当たる道を歩きだしたのに。俺はずっと過去に縛られていて、悪夢を見続ける。
悲しいはずなのに涙はでなかった。怒りも沸いてこない。
ただ今すぐにでもここから消えてしまいたい。なにもかも投げ捨てて。
「私は――泳ぐのが苦手です。」
突然、湊さんが先輩の言葉を遮った。
「音痴で歌うことも苦手ですし、朝が弱くて一人では起きられません。学力も、最近になって、ようやくクラス平均を超えられるようになった程度です」
「へ、へぇ……意外だね。でも女の子は欠点があった方がかわいいと思うよ」
「そうですね。誰しも得意不得意がありますから。はい。私は、たった今さらけ出しましたよ? 今度は先輩の欠点を教えてください」
「え? いや……俺にはそういうの思い浮かばないというか。てか、よくアイドルに似てる言われるんだけどさ。最近流行ってるグループなんだけど、知ってる?」
湊さんは無視して言葉を続ける。
「わかりました。きっと貴方も――自分に自信がないのですよね。親から与えられた、生まれながらの才能を頼りに生きてきたから。それを失えば、本当の自分にはなにもないのだと。見透かされるのが怖いから。だから見栄を張って自分を必要以上に大きく見せようとする」
「…………は? それは、君こそその容姿で得をしてきた側の人間だろ!?」
「だからこそ、気持ちがわかると言っているのですよ。裏で馬鹿にされるのが怖いのでしょう。普段、偉そうにしているのに、実際はこの程度の器なのだと。誰かから指を差されるのが怖くて仕方がないのでしょう? もし、見た目以上に誇れるモノがあるのであれば、貴方は最初にそれを提示しているはずです」
図星を突かれたのか、先輩は言い淀む。
「残念ながら、良いところだけを見るのであれば、貴方よりも、私よりも、より優れた人は世界中大勢います。容姿も、能力も、財産も。ですが人は誰しも、弱い部分も持ち合わせていて。それも含めてその人を表す唯一無二の個性なのです」
苦手な男性を前に、湊さんの声が震えている。けれど一歩も引かずに。
「私は遠坂くんと共に過ごしてきて彼の強さを、弱さだって知っています。その気になれば学年上位を目指せる学力があるのに、手を抜いていること。本当は話すことが好きなのに相手に遠慮して聞き手に回ることが多いことも。家族を大事にしているのに、自分のことは大事にできないところも。過去の出来事を今も夢に見るまで悔いていて。自分を苦しめるほど、とても優し過ぎるところも……」
俺の作品を胸に抱いて、湊さんは必死に語り続ける。
「ただ優しいだけの人なら代わりはいくらでもいます。けれど私が、一緒に居たいと心から思える、遠坂くんの代わりになれる人は世界中どこにもいない! そして……私にも下心くらいあります。勘違いされているようですが、私から遠坂くんに協力をお願いしたんです。私もきっと、貴方から言わせれば気持ち悪い人間なのでしょうね」
湊さんの言葉にはいつだって人の心を動かす力があった。
先輩の心無い言葉にはなにも感じなかったのに。
湊さんが紡ぐ言葉には、感情をぐちゃぐちゃにされる。
「そもそも貴方は、どうして放課後のこの時間に現れたのでしょう。私がひとりになる、遠坂くんがいなくなったタイミングを狙ったのでしょうか」
「君と話すのにアイツが邪魔だったからだよ。それ以外に理由なんてない」
「違いますよね? 遠坂くんが――彼のお友達である木場くんが怖かったのではありませんか? それはもう、とても恐ろしい不良生徒ですものね」
「……ちがっ、びびってなんかいない!!」
……明らかに声色から怖がっているように見えるけど。
それならどうして、先日俺を囲って馬鹿にしてきたんだろう。
もしかしてあの先輩――俺と勉が親友同士だったことを当時は知らなかったのでは? 過去にも何度かあった。俺が勉のパシリだと勘違いされることが。いつもお弁当とか渡しているし。そういう風に見えなくもないけど。
弱い者を狙ったつもりが、自分より強い者の影が見えて、引くに引けなくなったのだろうか。それって……とても情けない気がする。
「それすらも正直に答えられない。自分の弱さを認めることすらできない、まだ何者にもなれない貴方が、どうして遠坂くんより優れていると言えるのでしょうか」
ハッキリと怒りの感情を露わにして。湊さんが先輩を睨みつける。
「馬鹿にして笑ったことを謝ってください。私にではなく、遠坂くんに!」
……ダメだ。必要以上に責めては。湊さんの言葉には力がある。それ故に。
正論は人を傷付ける凶器だから。そして相手は、明らかにプライドの高い上級生。
以前の湊さんであれば、この場を立ち去り他の同性の子や大人に助けを求めていたはずだ。だけど訓練を経て、ある程度異性に慣れてきたからこそ、ひとりで立ち向かえる勇気を手にしてしまい――
「っち……なんだよ。マジになってやんの! まだ手付かずだと思ってたのに、清純派気取ってやることやってんじゃねーか!!」
――逆に相手も、より強く攻められるようになってしまったんだ。
「綺麗な顔に騙されたが、裏ではこんな生意気な女だとは思わなかった。ここまでコケにされて今さら「はいそうですか」と帰れるかよ。この際、二番目でも構わない。君が誰と遊んでいようとも、他の男のお手付きでも。俺ともさ……遊んでくれるよな? そういうの慣れてるんだろ!?」
扉に拳を叩きつけて、先輩が威圧的に迫る。さすがの湊さんも勢いを失う。
「……か、かえってください。これ以上は……先生を呼びます」
「知らないとでも思ってんのか。部室の使用許可、教師から取ってるらしいが。それって湊ちゃんだけだよね。他に男を連れ込んでいることを誰も知らないんだろ? いいのかなぁ? 男女のあれこれを疑われて、お気に入りの遠坂くんの居場所がなくなるかもよ。もう二度と学校に来てくれなくなるかもなぁ」
「っ……それは……待ってください、遠坂くんは関係ありません!」
「ははっ、俺優しいしさっきの発言も全部聞かなかったことにする、黙っててやるからさ。いいっしょ。お気に入りくんとも仲良くしてやってもいい。まぁいずれその生意気な口を塞いで――すべて奪い取ってやるけどな」
徐々に距離が縮まっていく。
「……あ……あぁ」
湊さんが胸を押さえ、苦しそうにしていた。その目尻には涙を浮かべていて。
……やめろよ
一歩ずつ、小さな歩みかもしれないけど。俺は一緒に歩んできたんだ。
湊さんが大切にしているもの知って。全力で応援したいと思った。彼女もそれに応えてくれて。……自分のことしか考えられない赤の他人が、土足で踏み込み、全部、無茶苦茶にされて。台無しにされて。
ああ、気に喰わない。このまま黙って見てられるかよ。
自分を馬鹿にされても、どうでもいいと思っていた。我慢すればいいだけだ。
でも、俺のことをあんなにも想ってくれている人を、勇気を、尊厳を、涙を、踏みにじられるのだけは我慢できない。震える足を、拳で叩いて鼓舞する。
今度は俺が勇気を出して立ち向かう番だ。男を見せるときだ。
その子は俺の大事な、友達なんだよ。幸せにならないといけない人なんだ。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
拳を握り締め俺は、獣のように叫びながら飛び出していた。




