ペリットを飲み下すと言うのなら
――小国に雇われた傭兵団「灰梟」。敵国を圧倒する快進撃を続けていた彼らは今、無残な半壊状態にあった。
逃げ延びた先は石造りの寂れた教会。天井は一部崩落し、窓硝子は割れ落ち、かつて祈りを捧げるために並べられていた長椅子には煤と灰が厚く積もっている。壁画も黒く爛れ、もはや聖者の顔すら判別できないほどだ。
崩れた祭壇の前に、負傷者が次々と横たえられていく。煤けた髪を一つに束ねたリーリエも、その前で膝をついていた。
「大丈夫ですよ。すぐに痛みは治まりますから……!」
リーリエは後方支援を担う衛生兵だ。穏やかで、誰に対しても慈しみ深く接する彼女は団内の誰からも慕われている。今は血に濡れた手で包帯を押さえ、必死に負傷者の名を呼び続けていた。
その背中を見つめながら、アニエッタは確信を抱いていた。
この地獄を招いた元凶は、彼女である、と。
アニエッタは副団長という立場にある。二十五歳の平民上がり。設立時からの同志ではない、所謂「外様」ではあるが、抜きん出た剣の腕と、冷徹と評されるほどの判断力でその地位を掴み取った。
そんな彼女に今夜与えられた役目は、裁定者だ。
涙を堪えながら懸命に怪我の手当てを続けるリーリエ。……彼女こそが、帝国に情報を売った張本人に違いない。
「リーリエ」
アニエッタの声が欠けた石畳に冷たく落ちる。リーリエの肩が、びくりと跳ねた。
「答えなさい。どうしてこちらの進軍路が筒抜けだったのか。どうして伏兵の位置まで正確に把握されていたのか。どうして、あの瞬間に帝国の火矢が、あつらえたように補給隊だけを射抜けたのかを」
以前から、予兆はあった。物憂げな表情を浮かべるようになり、何かに怯えるような素振りを見せることが増えていた。
そして決定打となったのが、退却の混乱の最中だ。取り乱したリーリエが「私のせいで」と何度も繰り返していた姿を、アニエッタだけではなく他の団員も目撃していた。
アニエッタとて身内を疑う真似は本意ではない。ましてや敗戦の混乱の中、誰もが余裕を失っている。
だがそれでも。原因と責任は明確にせねばなるまい。
取り囲む団員たちの視線がリーリエに突き刺さる。憎しみと悲しみ。そしてそれ以上に切実な、期待が込められた眼差しだ。
彼らは願っているのだ。何かの間違いであってほしいと。彼女の清廉な弁明で、その疑惑を否定してほしいと。
リーリエは唇を噛み、やがて震える唇から、小さく息を吐いた。
「……私が、渡しました」
消え入りそうな声が、水を打ったように静まり返った教会内に響く。
全員の視線が跪く女へと注がれた。
「何を」
「薬屋で声をかけてきた男に……灰梟の進路を」
どよめきが走る。誰かが「嘘だ」と力なく呟き、別の誰かが怒りに任せて剣の柄を握りしめた。それらを遮るように、アニエッタはさらに一歩、踏み込む。
「いくらで」
「……五枚」
「金貨五枚か?」
リーリエは弱々しく首を振った。
「……銀貨です。残りは情報次第だと。怖くなって、それ以上はもう、何も」
金額の小ささが、かえって場の空気を凍らせた。銀貨五枚。多くの仲間の命がたったそれだけで売り払われたのだ。笑い話にもならない。
周囲の怒りが爆ぜるより早く、リーリエが被せるように言葉を繋ぐ。
「弟が、病気なんです」
彼女は顔を上げず、血に汚れた両手を強く握りしめた。
「薬が高くて……お医者様が、次の月までに払えないなら治療は続けられないって……」
「だから帝国に売ったと? 弟一人の命のために、ここにいる仲間たちを売った。そういうことか」
リーリエの肩が、大きく揺れる。
「違う……違うんです!」
「何が違うの」
「こんなことになるなんて思わなかったんです! だって、あの男は商人の格好をしていましたし……『販路を検討するためだ』って。帝国が、こんなふうに横槍を入れてくるなんて……それに、あの程度の情報で、戦が、こんなことになるなんて……」
喉の奥で嗚咽でも詰まったのか。リーリエは咳き込むように息を乱し、涙を床に落としながら必死に言葉を絞り出した。
「私だって皆が死ぬなんて思わなかった。だって私は皆が好きで……灰梟が、大好きで……」
「そう」
アニエッタの冷めた眼差しに怯みながらも、リーリエは必死に食らいつく。
「どうか……償わせてください。どうすれば罪を許してもらえるか、言ってください。何でもします」
それを考えるのは貴女の役目だ。
そんな言葉を、アニエッタは飲み込んだ。
沈黙が落ちる。団員たちの迷いが手に取るように分かる。その証言が全て真実であるならばリーリエに悪気があったわけではないことは明確であったし、彼女が優秀な衛生兵であることは疑いようのない事実だった。
折れた骨を繋ぎ、血を止め、死の淵に立つ者を何度も引き戻してきた。彼女の手がなければ、今ここで息をしている数名もとうに土の下だっただろう。
「……リーリエがいなきゃ、俺は三年前の傷で死んでたはずだ」
そのうちの一人であろう団員が、重苦しい沈黙を破った。
「俺もだ」
「俺も助けられた」
声が重なり、教会の空気がわずかに変質していく。怒りが悲しみに、悲しみが赦しへと静かに形を変えていく。
彼らは『仲間』である以上に『家族』という言葉を好んで用いていた。家族を自称する集団にとっては、糾弾する痛みよりも寄り添う優しさを選ぶ方が楽なのだろう。しかもその対象が誰からも慕われるリーリエであれば、なおさらだ。
それまで黙ってやりとりを見守っていた団長のガランが、額を押さえ、唸るように言った。
「……リーリエ。弟の件は、最初に相談しろ。言ってくれれば俺たちだって……」
「言えるわけないじゃないですか……!」
リーリエは悲痛な声を上げ、首を振った。
「国だって報酬を出せない状況なのに。それなのに、私だけが弟のためにお金が必要だなんて……とても、言えなくて……」
「今さらだろう、そんなこと。お前が仲間を売ったとは思わんが、どんな些細な情報でも安易に渡すべきではなかった」
苛立ち混じりの声が飛ぶが、語尾には力がない。金のない困窮は雇い主である国のせいであり、リーリエ一人の責任ではない。何よりも、彼女の頬を伝う涙が団員たちの剣を鈍らせる盾となっていた。
「団長」
アニエッタが、迷いを断ち切らせるようにガランの視線を射抜く。
「殺せ、とまでは言いません。ですが、このまま不問とするわけにもいかない。……彼女を、除団させましょう」
場に、今度は反発のどよめきが走った。
「待てよ、アニエッタ」
「除団って……」
「リーリエは創設メンバーだぞ。正気か」
リーリエは灰梟の立ち上げ時から在籍しており、古参と呼ばれる者たちにとっては、それこそ家族も同然の存在だった。彼らは事あるごとに『絆』を唱え、祖国への忠誠を誓い合ってきた。
だから、この反応はアニエッタにとって想定内ではある。それでも内輪の情という名の甘えに軽い失望を覚えながら――彼女は己の役割を果たすため、言葉を継いだ。
「理由は二つあります。一つ。彼女は一度、金で仲間を売った」
アニエッタはリーリエを見下ろした。泣き腫らした瞳が、恐怖に揺れている。
「二つ。彼女は、次も必ず売る」
「そんな……っ! もうこんな愚かな真似はしません! 二度と、絶対に!」
「いいえ。あなたはやるわ」
アニエッタは、ためらいなく断じた。
「弟の容態がまた悪化したら。あるいは、帝国が弟を人質に取ったら。あなたはまた取引に応じる」
そして、淡々と続ける。
「リーリエ。あなたは決して悪い人ではない。ただ、致命的に弱いだけ」
「弱いって、お前……!」
憤ったのは古株の一人だろう。
「リーリエは精一杯やってくれていた! 弟のためにだって、誰よりも……!」
「弟のためなら何をしてもいいの? 弟のためなら、灰梟の仲間が死んでも仕方のないことだと?」
――もっとも、命を落としたのは最近入団した者ばかり。戦力としては既存の団員と比べても遜色はなかったが、天秤の傾きは、彼らの中で明確に存在しているのだろう。
再び沈黙が落ちる。リーリエの啜り泣く声だけが虚しく反響する。
その横顔を一瞥し、ガランが絞り出すように言う。
「……今、リーリエを失うわけにはいかん。衛生班はあの奇襲で二人失った。これ以上欠ければ、部隊として機能しなくなる」
「必要かどうかの話ではない。信頼の話です」
他の連中はすでに情に流され始めている。この場で冷静な判断ができるのは、自分だけだろう。
それが分かっていたからこそ、アニエッタは、殊更に冷たい声音で言葉を繋げた。
「一度信頼の崩れた部隊は、戦場では二度と勝てない」
「信頼、信頼って……俺たちは絆で結ばれているんだぞ。リーリエだって仲間を売りたくて売ったわけじゃない。卑劣な相手に騙されただけだ。それなのに、お前は冷たすぎる」
その絆はすでに砕け散っているはずなのに。その事実から目を背けたままの若い団員が、歯噛みした。
「リーリエがこれまでにどれだけ尽くしてくれたと思っているんだ。それに、弟が死にかけているんだぞ。そんな時に放り出すなんて……」
「……梟が、なぜ獲物を丸呑みにするか知っている?」
団のモチーフである梟。それに見立てたわけだが、あまりに唐突な問いかけだったのか、不意を突かれた相手は言葉を失った。他の誰も答えようとはしない。アニエッタは構わずに続ける。
「彼らは肉だけを消化し、骨や毛といった不要な異物は塊にして吐き出す。それをペリットと呼ぶのだけれど――」
アニエッタは、足元の汚れた石畳に跪くリーリエを冷ややかに見下ろした。
「消化できない異物まで栄養だと言い張って飲み下し続ければ、待っているのは内側からの死だ。今の私たちはまさにそれをやろうとしている。……今回の戦いで命を散らした仲間たちの犠牲が、無駄になる」
動揺が場に広がる。ぐずぐずと鼻を鳴らす音だけが響く。ぐるりと周囲を見渡すと、皆、迷いを含んだ目で俯いている。
……あと一息か。今は情に流されそうになっているが、これまでに失ったものとこれから失うものを並べて示せば、渋々ながらも納得するだろう。
そう算段をつけたアニエッタが口を開こうとした矢先、リーリエがガランに縋り付いた。
「私、働きます。どんな危険な任務でも、泥にまみれても。治療だって一睡もしないでやり遂げますから。だから、ここから追い出さないでください。ここは私の居場所なんです……!」
「治療はあなたの義務よ。罪の償いではない」
淡々とした指摘に、リーリエの表情がはっきりと絶望に崩れた。
その場の誰もすぐには言葉を発さない。
ただ、彼女の指先だけが石床を力なく掴んで――
「……お願い……家族で、いさせて…………」
その一言が、決定打だった。
周囲の空気が、また一気に赦しへと傾く。誰かが「もういいだろ」と言い、別の誰かが「十分に反省している」と庇う。
アニエッタだけが、その流れの外に立ち続けていた。
……どうやら、話の筋道を間違えたらしい。
絆を叫ぶ者たちにいくら道理を説いたところで、効果などあるわけもなかったのだ。
ガランが目を閉じ、重い吐息を漏らす。
「……アニエッタ。お前の言い分は筋が通っている。だが、俺は今ここでリーリエを切る判断は下せん。……彼女はまだ、俺たちの仲間だ」
「ならば、私が抜けます」
「待て、どうしてそうなるんだ」
「副団長がこんな時に抜けるなんて無責任だろう!」
責め立てる声が飛ぶ。アニエッタはそれらを雑音として聞き流し、血と煤と包帯の白に染まった教会内を見渡した。
自分も彼らの言う『家族』であったのなら、この混沌も飲み下せたのだろうかと、どこか他人事のように思いながら。
「こんな時だから抜けるの。一度崩れた信頼の上に立ち続ける気はないから。私は次に積み上がる死体の山の上で、『あの時、追放しておけばよかった』なんて後悔はしたくない」
「お前……っ!」
一人の団員が掴みかかろうとするのを、別の者が慌てて止めた。
ガランが、ゆっくりと頭を振る。
「俺は、お前のことも家族として扱ってきたつもりだったんだがな……」
確かに、良くしてもらった。他人と馴れ合わないでいるアニエッタに率先して声をかけてくれたのも彼らだ。
だからこそ汚れ役を買って出たつもりだったのに。気が付けば裁かれる立場が入れ替わっていた。
「いざとなったら仲間を平気で見捨てる。結局お前は、そういう女だったということだ」
その言葉が、彼らの下した判決だった。
「そう見えるなら、それで構わない」
「違う! アニエッタ、あなたは……あなたはそんな人じゃ……!」
リーリエが泣き叫ぶ。彼女の失態はいつの間にかうやむやにされ、今やアニエッタこそが和を乱す裏切り者として扱われている。
これ以上は時間の無駄だ。
アニエッタは灰梟の紋章が刻まれた剣帯を解く。共にここで生き、戦い、守ってきた証を床に投げ捨てた。
「副団長の座は返す。支給された装備もすべて置いていく。……それが、私なりの最後の手向けだ」
背を向けた瞬間、背中に刺さる視線の熱が増した。
恨み、失望、怒り。
そして、これで元通りだと思い込んでいる者たちの、卑小な安堵の吐息。
夜の空気は冷たかった。星は小さく、耳が痛くなるほどの静寂が辺りを包んでいる。
アニエッタは、五年という月日を削ぎ落とすようにただ一人歩き続けた。教会の灯火が揺らめく間も、一度として振り返らずに。
どこか遠くから、梟が鳴く声だけが追いかけてきた。
*
数ヶ月後。
小国の北にある丘陵地帯に再び灰梟の旗が立った。
部隊を立て直したのだと、街の人々は噂した。
赦しは美談になり、失敗は語り手次第で聖歌にもなる。
――だが。聖歌を奏でたところで、飛来する矢は止まらない。
アニエッタがその報せを聞いたのは、国境付近にある辺境の酒場だった。薄い安酒の匂いの中で、帝国兵たちが戦利品を片手に自慢話に興じている。
それを横目に見ながら、アニエッタはグラスを傾けた。
「前線が崩れた。あの灰梟も……全滅だ」
向かいに座る男がフードを深く被ったまま呻くように呟いた。グラスを掴む指先が、わずかに震えている。
「……何かあったのか?」
アニエッタが尋ねると、男は小さく頷いた。
「偽情報を掴まされて、灰梟は沼地へ誘い込まれた。退路も補給も、完全に断たれてな……」
そこで男は言葉を切り、苦く笑う。
「その偽情報を信じて部隊に持ち込んだのは、古株の衛生兵……リーリエだ」
アニエッタは、ゆっくりとグラスを置いた。酒の匂いが意識から薄れる代わりに、あの教会に満ちていた血の匂いが蘇る。
「笑えるだろう?」
男は短く息を吐き、おもむろにフードを外した。現れたのは見覚えのある傷だらけの顔。かつて同じ焚き火を囲んだ、灰梟の傭兵の一人だ。
「俺は運良く生き延びた。沼地に入る前に、伝令役を命じられていたからな。……だが、戻った時にはもう、何もかもが終わっていた」
酒場の喧騒が遠のき、沈黙が二人を包む。
「灰梟だけじゃない。この国そのものが、もう終わりだ」
アニエッタは何も答えなかった。結果は、あの夜にすでに出ていたのだから。
「……なあ、アニエッタ。お前が正しかったよ。俺たちはただ良い人間でいたかったんだ。この苦難を乗り越えれば絆はもっと深まると、本気でそう思っていた」
その声は、悔恨と疲労で今にも擦り切れそうだった。
アニエッタは無言のまま、ただ一度だけ瞬きをした。男は力なく笑い、グラスを置く。
「皆はお前のことを冷たい女だと罵っていたけれど……そうでなければ、守れないものもあったんだな」
返事はしなかった。
慰めも、否定も、今さら何の意味もなさない。
簡単な話だ。
分かりきっていた結末が、ほんの少し早く訪れただけのことだった。
*
帝国城内の軍部は、あの血生臭い戦場とはまた異なる世界だった。
回廊を歩くアニエッタの姿はもはや傭兵のそれではない。暗い色の外套を纏い、無駄を削ぎ落とした立ち振る舞い。その瞳にはかつてあった熱も迷いも残されていなかった。
執務室の重厚な扉の前に立つと、兵が短く告げる。
「入れ」
部屋の奥、巨大な机の向こうに、帝国の知を司る軍務卿が座していた。三十半ばの男。目は鋭利な刃のようだが、その奥には、すでに結論を得た者の余裕が滲んでいる。
室内に並ぶのは紙と蝋、各地の地図、積み上げられた書簡の山。血の通わぬ作戦が練り上げられ、理詰めの判断だけが下される場所だ。
「報告を」
軍務卿の促しに、アニエッタは一歩前へ進み、簡潔に述べた。
「傭兵団『灰梟』は壊滅。国防線は予定通り瓦解しました。偽情報をリーリエが持ち込み、団長ガランがそれを受理した結果です」
「こちらの被害は」
「最小です」
軍務卿は指を組み、しばしアニエッタを値踏みするように眺めた。
「お前の読み通りだったな」
「ええ。リーリエは、また仲間を売った。本人にその自覚はないのでしょうが、結果は同じことです」
正確には、密かに接触をしたアニエッタが「償いの機会になるだろう」と偽情報を与えたのだが――過程など、今となっては些事に過ぎない。
軍務卿が低く笑う。
「『絆』という言葉は便利なものだ。無能の判断をいとも容易く狂わせる」
「そして、誰も責任を取らない」
淡々と返すと、軍務卿の笑みがわずかに深まった。
「……一つ聞こう。なぜ、帝国に来た。お前の仲間はお前を冷酷だと罵って追い出したそうだな。復讐か?」
「違います」
「ほう。では、何故だ」
「見限った。それだけです」
アニエッタは、顔色一つ変えずに言い切った。
「上から下まで判断の甘い集団に未来はありません。ただ、それだけのことです」
軍務卿は指先で机を叩いた。規則正しい、冷たい音が室内に響く。
「……なるほど。一度裏切った人間は、また裏切る。それがお前の持論だったな。ならば、お前自身にもそれは当てはまるのではないか?」
室内の空気が、わずかに張り詰めた。
外様であるアニエッタへの戯れにも似た試問だ。
彼女は一拍も置かず、薄く笑って答えた。
「上が無能だと分かったら、そうするかもしれませんね」
忠誠心の欠片もない、悪びれない声音。
軍務卿はそこで初めて心底愉快そうに口角を吊り上げた。
「大した国ではなかったが……いい拾い物をした」
アニエッタは、もう目を伏せない。
冷酷だと追われた夜の教会も、リーリエの涙も、灰梟の旗も、すべては遠い残像に過ぎない。彼女の内に残るのは情でも絆でもない。研ぎ澄まされた合理だけだ。
帝国はそれを好む。
そしてアニエッタもまた、この寸分の狂いもない冷たさを好んだ。
扉が静かに閉まる。
梟の鳴き声は、もうどこからも聞こえなかった。




