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ねむの木の眠りカフェ  作者: ちょこだいふく


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8/25

昔の思い出

夜。

風はなく、虫の声もない。

まるで時間が眠っているような、静かな夜だった。


 


カフェの中では、寧々が焙じ茶のポットを片付けていた。

その横で、ネムは木のテーブルを軽く拭いている。

けれどその手が、ふと止まる。


 


「……変だな。今日は多分夢を見るかもしれない…」


 


寧々が振り返ると、ネムは少しだけ宙を見上げていた。


「夢をみるかもってわかるの?」

「うん。たまにだけど。…なにか今日は特別な夢を見そうな気がする。」


 


 


その夜、ネムは夢を見た。


 


あたたかい布団の感触。

そばに置かれた湯たんぽのやさしいぬくもり。

火鉢のはぜる音と、湿った木の香り。

そして――なにより、あの声。


 


「ネム、ごはんよ。起きて」


 


その声に目を開けると、

あの“昔の部屋”がそこにあった。


 


囲炉裏のある、あの古い家。

ふすまの向こうには、朝の光が差し込んでいる。

その隙間から、ふわりと、ねむの木の香りが漂ってくる。


 


夢の中で、ネムは幼い姿だった。

自分の足手が小さくて、でも胸の中にある気持ちは、今と同じだった。


 


台所に立つあの人――

名前も思い出せないけれど、懐かしいぬくもりがそこにあった。


 


「…あ……」


 


そう口にした瞬間、景色がゆっくりと薄れていった。


 


 


目を覚ますと、ねむの木の花が一輪、落ちていた。

それはまるで、誰かが記憶の欠片をそっと差し出してきたかのようだった。


 


ネムは、しばらく花を見つめていた。


 


(あれは……僕が“生きていた頃”の記憶?)


 


言葉にしようとした瞬間、また霧のように曖昧になっていく。


 


(どうして、思い出しそうになると、こんなに胸がぎゅっとするんだろう……)


 


 


そのとき、キッチンの奥から寧々の声がした。


「ネム、お湯、わいたよー」


 


「……うん、今いく」


 


花をそっと手に取り、

ネムはもう一度だけ、その色を見つめた。


柔らかなピンクと白がまじりあった、小さな花弁。


その香りは、

かつて「名前」をくれた人の胸の中にいたときの、あの優しい日々を――

ほんの少しだけ、思い出させるようだった。


 


 


それが、ネムが「自分が精霊としてここにいる理由」を

ほんのわずかに思い出し始めた夜だった。



ーーーー


静かな夜。

カフェの奥の灯りはもう落とされて、

ランプの柔らかな明かりだけが、木のテーブルにあたたかい影を落としていた。


 


「ネム。……そういえば、ねむの木って、

 うちの…おばあちゃんの庭にもあったんだ。子どものころ、大好きだった」


ネムが顔を上げる。


「小さな裏庭に一本だけ。

 毎年、夏の終わりになると、ふわふわの花が咲いた。

 おばあちゃんと、一緒に見たの」


 


ネムの手が、拭いていたテーブルの上で止まる。

胸の奥で何かがかすかに鳴った。


 


寧々は少しだけ笑って、マグカップを両手で包んだ。


 


「……あ。でも、正確には“ひいおばあちゃん”なんだよね」

「ひいおばあちゃん?」

「…私のおばあちゃん――つまり、ひいおばあちゃんの娘さんは、私が小さいときに亡くなっちゃって。

 だから、私はずっと“ひいおばあちゃん”のことを“おばあちゃん”って呼んでたの。

……だから、私にとっては、ひいおばあちゃんが“おばあちゃん”」


 


ランプの灯りが、寧々のまなざしを静かに照らす。


「おばあちゃん、優しくて、ちょっと変わった人だった。

 昔の歌をよく歌ってくれたり、古い本を大事にしてて……

 なんていうか、時代に取り残されたみたいなところがあったけど、

 私はその空気がすごく落ち着いたの」


 


ネムは、そっと頷いた。

その声、その言葉の端々に、

確かに知っているような匂いが混じっている気がして――

記憶の奥底で、何かが揺れた。


 


寧々は小さく笑った。


「おばあちゃんがね、『人はね、思い出すだけで心があったかくなる場所があれば、きっと大丈夫なの』って言ってたの。

 ……だから、私、ここに来たのかもしれないなって、思ったりする」


 


 


ふと、カウンターの上に置かれたねむの花が、

誰にも触れられていないのに、そっと揺れた。



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