ほつれる
─ゆるやかに、ほつれ始める──
その日、ねむの木の葉はやわらかく風に揺れていた。
カフェの空気は、いつもより少し静かに感じられる。
木の精霊・ネムと、カフェを営む寧々は、少し多めにお茶を用意していた。
──予感がした。今日、この場所に集う人たちの、心の色がよく似ている気がしたから。
最初に扉をくぐったのは、整った身なりの女性。
落ち着いた雰囲気の中に、どこか“張り詰めたもの”を抱えているようだった。
次に現れたのは、SNSでボランティア活動を発信している若い女性。
カフェの空間に一歩入った瞬間、肩の力が少し抜けたように見えた。
最後に、小柄で控えめな雰囲気の女性がそっと入ってきた。
名札をつけたままだった。どこかで働くNPO職員だろうか。
三人とも、互いに面識はなかったが──
空いている席に自然と並び、ネムの花のお茶を手にした。
しばらくの沈黙。
カップのふちに唇を当てる音だけが、ふわりと流れる。
「……このお茶、すごく優しい味がしますね」
NPOの女性がぽつりと呟いた。
「ネムの花には、心を落ち着ける作用があるんですよ」
寧々がやさしく笑う。
その言葉が合図だったかのように、SNSの女性がそっと口を開いた。
「最近……自分が何のためにやってるのか、
少しわからなくなってたんです」
彼女は自分の手元を見つめながら言った。
「ずっと、活動を知ってもらいたくて。
“見られること”が、支援につながるって信じてた。
だから工夫して、注目されるように、伝わるように……」
NPOの女性が、静かにうなずいた。
「わかります。私も……“してあげる側”でいようと、どこかで思ってたのかもしれません。
自分を満たすより、誰かを助けることが先で……
でも、なんでだろう、最近ずっと、疲れていて」
三人の言葉が、少しずつ、絡まった糸のようにほどけていく。
「私、なんでもそつなくやれる方なんです」
と、最初に来た女性が小さく笑った。
「だから……人に甘えるとか、できなくて。
“助ける側”じゃないと、自分の価値がなくなるようで、怖かったんです」
ネムがそっと言った。
「それでも……“誰かを助けたい”と願った気持ちは、本物だったはずです。
でも、それが“義務”になってしまったら……自分の心が、置いてきぼりになるかもしれません」
SNSの女性が、ゆっくり頷く。
「……フォロワーのコメントに、
“あなたの笑顔を見ると元気になる”って書いてあったんです。
でも、その頃の私は、笑うのがつらくて……
なんでかな、笑えば笑うほど、すり減ってくみたいで」
寧々が小さくつぶやいた。
「その笑顔、きっと“守らなきゃ”って思った誰かのためだったんですね」
三人の肩の力が、すこしだけ緩む。
NPOの女性がぽつりと言った。
「……“まず自分を満たさないと、本当の意味で誰かを救えない”
頭ではわかってるんです。でも、心が追いつかなくて」
「“助ける自分”に、自分の価値を全部託してしまったら、
それ以外の自分が見えなくなるのかもしれません」
ネムの言葉が、静かに落ちる。
「無理に“意味のある自分”でいようとしなくても、
この場所には、ただ“いる”だけで、ちゃんと意味がありますよ」
寧々が笑った。
三人は、少し顔を見合わせて、笑った。
まるで、その一言で、許されたように。
“がんばっているから、愛される”んじゃない。
“何かしているから、大切にされる”んじゃない。
ただ、そこにいるだけで、あなたは大切な存在なんだ──
ねむの木の葉が、そよ風に揺れて、やさしく光った。




