なんでもできてしまう
朝露に濡れた石畳を、まっすぐに踏みしめて歩いてくる女性がいた。
背筋を伸ばし、視線はぶれず、まるで地図のある世界を知っている人のようだった。
「ここで、合ってるみたいね」
入店しても物怖じせず、彼女はすぐに空いているテーブルに腰かけた。
その所作にも迷いがない。
「こんにちは。初めての方ですね」
寧々が声をかけると、彼女はにこりと笑った。
「こんにちは。すてきなお店ですね。夢の中とは思えない」
「そう言ってもらえると嬉しいです。おすすめはネムの花のお茶です」
「じゃあ、それを」
運ばれてきたティーカップを手に取り、彼女は静かに一口、口に含む。
「……ふしぎなお茶ね。落ち着くわ」
「よかったら、少しお話ししませんか?」
少しだけ迷ったあと、彼女は言った。
「……私、東南アジアの孤児支援プロジェクトに参加していたんです。
現地で倒壊した建物の下敷きになって、足を怪我して……帰国しました」
「それは……大変でしたね」
寧々の声に、彼女はうなずいた。
「でも、足が動かなくても、やれることはあるって気づいたんです。
帰国してからも、翻訳や企画書作り、支援物資の調整……
家にいても、できることは山ほどある」
「すごいですね」
寧々が素直に声をあげると、彼女は少しだけ黙ってから、言葉を続けた。
「“すごいね”ってよく言われます。
“かっこいい”“尊敬する”“あなたみたいになりたい”って。
……でも」
窓の外を見ながら、彼女の声が少しだけ低くなった。
「私はただ、動いていないとダメなだけ。
立ち止まると、何かに押し潰されそうになる。
“誰かのために”って言いながら……
本当は、“無力な自分”を見たくなかっただけかもしれない」
寧々がゆっくり頷いた。
「……誰かに頼ること、苦手なんですね?」
「……はい」
彼女は笑って、少しだけうつむいた。
「なんでも自分でできてしまうから、
“人に任せるくらいなら、自分でやったほうが早い”って思ってきました。
けど、気づいたら周りに誰もいなかった。
みんな私を“すごい人”として見て、頼ることはあっても、
誰も私の弱さを見ようとはしなかった……いえ、
たぶん、“見せてこなかった”のは私なんですよね」
ネムが、静かに口を開く。
「……そのままでいたら、誰にも寄りかかれないまま、
どこまでも頑張り続けなきゃいけないかもしれない」
「本当に、そうなんです」
彼女は苦笑して、少し涙ぐんだ。
「私ね、支援先で一度だけ、“ありがとう”って抱きつかれたとき、
咄嗟に固まってしまったんです。
“心を開かれる”ことに、どうしていいかわからなかった」
寧々は、お茶を差し出しながら言った。
「あなたはずっと“与える側”で、“受け取る”ことに慣れてなかったんですね」
「……そうかもしれません」
木漏れ日のなか、ネムの木がそよそよと葉を揺らしている。
「“支える人”だって、支えられていいんですよ」
ネムがそっと言う。
「“できる人”も、“できない日”があっていい。
誰かの前で弱さを見せることは、負けることじゃない。
それってきっと、“信じる”ってことなんです」
彼女はティーカップを両手で包み込み、静かに涙を拭った。
「……誰かを信じるの、少しずつ、やってみたいです。
まずは、目の前の人から。
“なんでもできる”じゃなくて、“一緒にやってみたい”って、言ってみようかな」
その言葉が、ネムの木の花びらに乗って、
優しく風に溶けていった。




