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ねむの木の眠りカフェ  作者: ちょこだいふく


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19/24

つい口出ししてしまう

午後の柔らかな光がカフェの木の床に落ちていた。


ギイ……と控えめに扉が開く音。

入ってきたのは、五十代半ばほどの男性。

きちんと整えたスーツに、やや重たげなまなざし。


どこか張りつめた雰囲気をまといながらも、彼は静かに店内を見回し、

ひとつ空いていた窓辺の席に腰を下ろした。


「いらっしゃいませ」

寧々が穏やかに声をかけると、彼は少しだけうなずいた。


ネムが湯気の立つお茶を差し出す。

ねむの木の花と葉がほんの少し浮かんだ、香りの優しいお茶。


男はそれを見つめていたが、やがて一口、そっと口をつけた。


「……落ち着くな」

小さく呟いたその声には、張っていた糸が少し緩んだような気配があった。


沈黙がしばらく流れたあと、彼はぽつりと話しはじめた。


「……俺、職場でも家でも、口うるさいって言われててな」


「言わなくていいことまで言ってるって、頭では分かってるんだ。

でも、黙っていられない。

気になっちまって、つい“それじゃだめだ”って口が動いてる」


彼はゆっくりと椅子にもたれた。


「職場じゃ、若い連中がやる気をなくすし、

家では妻や娘が俺と距離を取るようになってる。

“どうせまた文句言うでしょ”って顔をされると、

……分かってても、どうにもならなくてな」


苦笑いのような、寂しさのようなものが混じった顔だった。


「それでも、“誰かがやらなきゃいけない”って、

思ってるんだよ。

放っておいたら間違った方向に行く。

だから俺が言うしかない、って……」


寧々がそっと尋ねた。

「それは、“正しいから”ですか?」


男は少し考えたあと、ゆっくりと頷いた。


「正しいって……信じてた。

でも最近、“正しさ”をふりかざしてるだけなんじゃないかって思えてきた。

誰も感謝しないし、むしろ俺を避ける。

それが、つらいんだ」


ネムが静かに言った。

「正しさは、ときに孤独を連れてきますね。

……あなたは、“ありがとう”って言ってほしかったんですか?」


男の手が、カップを握る指先に力がこもった。


「……そうかもな。

俺のやってることを、“助かるよ”って、

“ありがたいよ”って……誰かに言ってもらいたかったんだな」


彼の目に、淡く記憶の光が差す。


──若い頃。

誰にも頼らずに仕事を覚えて、

うまくいかない部下を手助けしても、

上司はただ一言、“それが仕事だろ”。


それでも、見返りを求めなかったつもりだった。

でも――

「ずっと、誰かに認めてほしかったのかもしれない。

……自分自身が、自分を認められなかったから」


風がそっとねむの木の葉を揺らす。

やわらかな光が、テーブルに落ちる。


「誰かの役に立たなきゃ、存在する価値がない、って……

そんなふうに、思ってた」


寧々はそっと笑った。


「あなたの存在は、誰かの役に立つことだけで決まるものじゃない。

“そのままのあなた”を、自分自身が赦してあげていいんです」


「でも、見てるとつい……」

男は口をつぐんだ。


ネムが言う。

「言葉は、信じるより早く届きます。

でも、“信じて見守る”っていうのは、時間がかかるけど……温かいです」


男の目が細められる。

「……そうだな」


彼はふう、と大きく息を吐いた。


「俺、もう少しやってみるよ。

黙って見守るって、やつを」


お茶を飲み干すと、男は立ち上がった。


「“何かあったら言えよ”……それだけ、伝えるよ。

あとは、信じてみる。口を出さずにな」


ネムは微笑んだ。


「それが一番、難しくて、優しい言葉かもしれません」


男は軽く頭を下げ、カフェを後にした。


 


───そして現実。


朝の職場。

男は、いつもの席に腰を下ろしていた。

デスクの向こうには、昨日怒鳴ってしまった若い部下がいる。


何か資料に手こずっているようだ。

不器用な手つきが気になる。

言いたい言葉が喉まで来る。


けれど――

彼は、それを呑み込んだ。


「……何かあったら言えよ」


そう、ただそれだけを言って、

あとは黙って見守った。


部下が少し驚いたような顔でこちらを見る。


その顔に、彼はうっすらと笑みを返した。


 


ねむの木の眠りカフェでは、

その日も風が吹いていた。

“少しだけ、変わろう”とする人を、

静かに、見守るように。


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