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ねむの木の眠りカフェ  作者: ちょこだいふく


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18/24

ただ出来るだけ

小さなカラン、と鈴の音が鳴る。

それは、まるで誰かの心がふと揺れたような音だった。


今日も、ねむの木の眠りカフェに一人の来訪者がやってきた。


 


落ち着いた服装の女性。

目立たないように、でも乱れのない姿勢で椅子に座る。

その動作はとても丁寧で、けれどどこか、張り詰めている。


 


「いらっしゃいませ」

寧々の柔らかな声に、女性は小さく会釈する。

ネムがそっとお茶を差し出すと、彼女は驚いたように言った。


 


「……なんで分かったんですか。お茶、飲みたい気分だったんです」


「わかるんじゃなくて、そういうふうになってるんだよ」

ネムはそう言って、笑った。


 


しばらく沈黙が流れたあと、彼女はぽつりと呟いた。


「最近、“ありがとう”って言われるんです。よく」


 


「気が利くねって」「助かったよって」

「すごいねって」「才能あるねって」


 


「でもそれって……私、別に頑張ってないんです。

意識してやったわけじゃない。自然にやっただけで。

だから、褒められると……モヤモヤするんです」


 


「――本当に、私がすごいの?」


 


ネムは黙って彼女を見つめ、頷くでも否定するでもなく、

ただその言葉を受け止めていた。


 


「私、本気で頑張ったことがあるんです」

彼女はお茶に目を落としたまま、続けた。


 


「時間も労力も使って、必死で作ったもの。

でも、全然評価されなかった。

“すごい”って言われたのは……むしろ片手間で、なんとなくやったものの方で」


 


「それって、なんか変じゃないですか……?

頑張ったものが報われなくて、

頑張ってないものが褒められるなんて……

それって、私の“価値”じゃないんじゃないかって思っちゃうんです」


 


彼女の手が、お茶の湯のみをぎゅっと握る。

心の奥にずっと押し込めていた感情が、言葉となってにじみ出る。


 


「……努力しないと意味がない。

何かを“ちゃんと”しないと、それはただの偶然で、

本当の自分じゃない気がして。

だから褒められても、うまく受け取れなくて。

嬉しいより、怖い。怖くて、苦しくなるんです」


 


静かな沈黙。


 


ネムはゆっくり口を開いた。


「“がんばった自分”だけが、本当の自分……かな?」


 


彼女は一瞬言葉に詰まる。


 


「君が自然にできてしまうことは、

きっと君の中に深く根付いてる力だよ。

それはね、誰かが“頑張っても届かない”部分なんだ」


 


「努力って大事だけど、

“努力したことにしか価値がない”って思ってると、

本当の自分を否定し続けちゃう」


 


寧々も、そっと言葉を重ねた。


 


「褒められるって、不意に自分を映されるような感覚かもしれませんね。

でもその“ありがとう”や“すごいね”は、

あなたの想像を超えて、誰かに届いてるからこそ、返ってきたんです」


 


「――それは、“頑張った”って証明よりも、ずっとすごいことかもしれませんよ」


 


彼女は、お茶を一口すすった。


湯気の向こうで、ねむの木の花が、ふわりと風に揺れた。

そこから、やさしい記憶の断片が舞い降りてくる。


 


彼女が、何気なく「これ、やっておきました」と書類をそっと渡した日。

時間ギリギリで間に合った後輩が、深く安堵した顔。


 


誰にも気づかれずに用意していた備品が、

「助かった……」と呟いた誰かの支えになっていた瞬間。


 


「……私の“普通”が、あんなふうに……」


 


「ありがとう」

「気が利くね」

その言葉が、今ようやく、心にしみこんでくる。


 


「……それでも、やっぱり“がんばってないと”不安なんです」

「頑張らないで得たものは、自分にふさわしくない気がして……」


 


ネムはにっこりと微笑んだ。


 


「じゃあ、ひとつ聞くね。

君が“ありがとう”って言われたとき、心から“嫌だ”って思った?」


 


「……それは、ないです」

「ただ、うまく……受け取れなかっただけで」


 


「じゃあ、次はちょっとだけでいいから、

“ありがとう”を、そのまま受け取ってみよう」

「“ありがとう”って、もしかしたら、

 誰かが一生懸命勇気を出して、伝えたくてやっとしぼり出した言葉かもしれないから」


 


お茶の湯気がふわりと昇る。

香りが少し、甘くなった気がした。


 


「……はい、ありがとう」

彼女がぽつりと呟いたその言葉は、

まるで誰かから誰かへ届いた“ありがとう”を、

やっと受け取れた瞬間のように聞こえた。


 


その目の奥が、少し潤んでいた。



カフェを出るころには、

彼女の肩が少しだけ、軽くなっていた。


努力の有無に縛られず、

自分という存在を、すこしずつ赦していけますように。

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