雨の後の虹
雨音の響く、しっとりとした夜だった。
空気に柔らかな香りが混じる。
ねむの木の葉は静かに、夜の静寂をまとっている。
カラン――
扉が開いた。
いつものように、寧々とネムが静かに迎える。
「こんばんは……」
来たのは、前に訪れたあの女性だった。
前よりも少し、顔がやわらかくなっている気がする。
けれど、どこか迷いのようなものも残っていた。
「また来てしまいました……ふふ、なんでだろう。
なんだか、ここ、やっぱりとても落ち着きますね。」
そう言って席につき、お茶を受け取る。
その瞬間――
カラン、と再び扉が開いた。
「こんばんは……」
目を見開く女性。
立っていたのは――夫、だった。
彼も一瞬固まり、そしてお互いに気まずそうに笑った。
だが、どちらからともなく、ゆっくりと席を近づけた。
ネムはにこやかに、ふたりの間に新しいカップを置いた。
「偶然……だね?ここは…夢?」
「……うん、偶然ね…多分…夢の中ね。」
最初少しだけぎこちない空気が流れたが、
お茶を飲んだあと、妻が口を開いた。
「私……ずっと、思ってたの。
“私ばっかり頑張ってる”って。
手伝ってくれないのも、察してくれないのも、
“私を軽く見てるからだ”って……」
夫は黙って耳を傾けている。
「お願いするのが、すごく嫌だったの。
“してあげてるのに”って思われたくなかった。
私がお願いしたり、ありがとうって言うのがなんだか負けな気がして……
悔しかった」
その言葉に、ネムが静かに口を開いた。
「……ねえ。夫婦って、戦うものなのかな?」
ふたりは、はっとしてネムを見た。
「勝ち負けを決めて、“私が上”とか“あなたが悪い”とか……
そんなふうにして、何が残るんだろう?
旦那さんを負かせたら満足する?」
女性は目を伏せる。
「…しないし、したくもないわね、そんなの」
「だったら、負ける必要も、勝つ必要もないんじゃない?」
「一緒に歩いてく相手なら、“敵”じゃないもんね」
夫が、ぽつりとつぶやいた。
その言葉に、女性の目がうるむ。
「私、あなたに…お願いって、ずっと言えなかった。
“こうして”って言うたびに、心の中で負けって、思ってた」
「……でも、違うんだよね。
お願いするって、信じるってことだったんだよね……」
彼女はそう言って、夫に小さく微笑んだ。
「ありがとう。…なんていうか、最近、私のことを信じてくれてるの、わかってる」
夫は驚いたように目を見開いたあと、ふっと笑ってうなずいた。
「……ありがとう。俺も、変わりたいって思った。
君の笑顔をまた見られて、本当に嬉しかったんだ」
ふたりのあいだに、そっと温かな空気が流れる。
寧々とネムは、何も言わずその様子を見守っていた。
窓の外で、ねむの木の花がふわりと揺れていた。
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現実世界――
休日の朝、夫婦でスーパーに向かう道すがら。
「今日、あれ作るんだよね?」
「うん、でも多分、また手際悪いよ」
「ううん、大丈夫、その気持ちが1番嬉しいから」
ふたりの間に、雨上がりのようなやわらかな光が差していた。




