愛したつもり、伝わってるつもりだった
その夜は、月が雲に隠れていた。
カフェの灯りだけが、ふわりと優しく揺れていた。
ねむの木の葉がかすかに揺れ、ひとひらの花が寧々の前に舞い落ちる。
「……ネム、見せてくれるって」
寧々が小さくつぶやくと、
花の中心が淡く光り、映像がふわりと現れた。
写ったのは、女性の横顔だった。
落ち着いた髪型、深い目元――寧々はすぐに気づく。
「……あの人のお母さんだ」
映像の中で、母は娘の前で笑っていた。
「あなたのためよ」「いい子に育ってほしいの」
そう言って、先回りして服を選び、習い事を決める。
「私はあなたのためにしてるの」
「あなたがこの先苦労しないように、失敗しないように」
娘が言葉を飲み込んでいることにも、気づかずに。
ネムと寧々は、その様子を黙って見ていた。
やがて、扉がそっと開く音がした。
「……こんばんは」
その女性が、今、ここに立っていた。
雨の名残を背に、まっすぐ中に入ってくる。
寧々が静かに言う。
「いらっしゃいませ。……どうぞ、こちらへ」
女性は少し戸惑いながらも、ネムの淹れたお茶を受け取り、席につく。
「ここ……なんだか、不思議なところですね。
夢の中なのかしら。だけど、すごく落ち着く……」
しばらく沈黙が流れ、
彼女が、ぽつりと語り始めた。
「実は…最近、娘の態度が変わったんです。
なんていうか……ちょっと距離を置かれてるような気がして」
ネムが、静かに応じる。
「寂しいですか?」
「……はい。でも、私が何かしたのか、分からなくて」
寧々が、お茶を差し出しながら言う。
「お母さまは、娘さんのことを、とても愛しているんですね」
「もちろんです。
私なりに、一生懸命やってきたつもりです。
この子が傷つかないように、失敗しないように……
“いい人生”を歩めるようにって、ずっと願ってました」
お茶の湯気が揺れる。
その言葉は、嘘じゃない――寧々にも、ネムにもそれが伝わっていた。
「でも、最近疎遠になってふと思うんです。
私は…“この子の人生”を生きさせてあげられてたのかって」
その声には、かすかな震えがあった。
「私の“こうあってほしい”って気持ちを、
“あなたのため”って名前にして押しつけてたのかもしれないって……。
ずっと“愛してきた”つもりだった。
でも、“愛されてた”って思ってもらえてなかったのかもしれない」
寧々が、やさしく答える。
「それでも、あなたの愛情は確かに届いています。
ただ、望んだ形ではなかっただけで――」
女性は静かに頷いた。
「愛された記憶って、本当はすごく繊細なんでしょうね。
私の“良かれ”が、あの子の中では“痛み”になってたのかもしれない。
でもそれでも……あの子が、あの子自身の人生を生きてくれるなら、
私は、ほんとうにうれしいと思えるんです」
寧々がそっと言う。
「愛しているからつい心配してしまいますよね。でもお母さんが心配している姿って、子供には、自分は信頼されていないってふうに伝わっちゃう事もあるんです。」
女性はハッとした顔をした。
「でも大丈夫ですよ。あなたは“あなたの願い”ではなく、“娘さんの願い”に寄り添えます。」
女性の目に、ふっと涙がにじんだ。
「……できるかしら。私に、そんなふうに……」
「きっと、できます」
寧々の声は、まっすぐだった。
ーーー
現実世界で目覚めた母親は、
その日、娘に一通のメッセージを送った。
「最近、あなたが笑ってるのを見ることが増えて、うれしい。
どんな道でも、あなたが自分で選んだなら、それが一番いい道だと思ってるよ。」
返信はすぐにはなかった。
でも、それでもかまわなかった。
その日、女性は久しぶりに
自分のために花を買って、リビングのテーブルに飾った。
「この子は、この子の光の中で咲いていけばいい」
母親の中にも、そっと芽吹く“手放す愛”があった。




