表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ねむの木の眠りカフェ  作者: ちょこだいふく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/24

心の中の声は誰の声?

雨の夜だった。

細くやさしい雨音が、カフェの屋根に静かに降り続いていた。


 


扉が開いたとき、ほんの少しだけ冷たい空気が流れ込んできて、そしてひとりの女性が入ってきた。

30代半ば、雨に濡れた傘をたたむ手が少しぎこちない。


 


「こんばんは。どうぞ、お好きな席へ」

寧々の声に、彼女は小さく頭を下げ、

カウンターの端にそっと腰を下ろした。


 


ネムが湯気の立つお茶を差し出すと、

ふわりとねむの木の花の香りが広がった。


 


「……なんだか、懐かしい香り」


 


ぽつりとこぼれた言葉に、

ネムも寧々も、声をかけずにそっと耳を傾ける。


 


しばらくして、彼女は静かに話し始めた。


 


「……私、何もかも中途半端で。

 やりたいことも分からないし、何もできない気がするんです。

 昔から……“いい子”だったから、大きな失敗もなくて。

 でも、何も自分で選んでこなかった気がする」


 


お茶を見つめたまま、言葉が続く。


 


「母は優しかったんです。私が困らないようにと先回りして、守ってくれた。私のため、私のためって…でも……それがずっと、苦しかったんです。

 “そんなふうに思う私のほうが悪い”って、ずっと思ってきました」


 


寧々が、そっと言葉を返す。


 


「“優しい誰か”から離れることって、すごく怖いですよね」

「……はい。

 でも最近、そんな母に対して怒りが湧いてくるようになって。

 私は、私の人生を生きてきたのかなって、わからなくなって」


 


雨音が静かに響く。

ねむの木の葉が、窓の外で風に揺れていた。


 


ネムが、ゆっくりと口を開く。


 


「君の中の“母親”を、手放すことはできますか?」


 


「……え?」


 


「母親の声じゃなくて、君の声を選ぶんです。

 きっと、ずっと心の中にあったはずです――でも、ずっとかき消されてきた。

 “こんなこと言ったら怒られる”とか、“こんな自分じゃだめだ”って思ってたんじゃない?」


 


女性は、目を伏せる。

震える指が、湯飲みの縁をなぞっていた。


 


「……それでも、母は私を愛してくれたんです」

「もちろん。それは事実でしょう。

 でも、“愛された”ことと、“自由でいられた”ことは、同じじゃない」


 


寧々が、そっと言葉を継いだ。


 


「自分のために、少しずつでも歩いていっていいんです。

 “いい娘”じゃなくても、“誰かの期待通り”じゃなくても……

 それでも、ちゃんと愛される存在のままでいられる」


 


女性の瞳に、じわりと涙がにじんだ。


 


「……怖いです。母を否定してしまいそうで……。

 それに、もし自分の人生がうまくいかなかったら……全部、自分の責任になっちゃう……」


 


ネムが、やわらかく言った。


 


「それでも。――“自分の人生”を、生きたいと思ったんでしょう?」


 


彼女は、カップを両手で包んで、深くうなずいた。


 


「……はい。

 私は、私を選びたい。

 怒りも悲しみも、誰かのせいにせず、ちゃんと…ちゃんと失敗もしてみたい。」


 


その言葉が口からこぼれた瞬間、

ねむの木の花が、ひとひら――ふわりと棚から落ちてきた。


 


寧々が、笑った。


 


「花が、聞いてたみたい」


 

ーーー

 


現実に戻った女性は、少しずつ変わり始めた。

母との距離を取り始め、

初めて自分の“好きなこと”を紙に書き出してみた。


 


完璧じゃなくていい。

“自分のため”に選ぶ一日を、生きてみよう。


 


そんな日記の一行が、彼女の小さなスタートだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ