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アデルには幼い頃から婚約を約束された相手がいた。ルシウス・ヴァルデス、侯爵家の嫡男であり、幼い頃は共に過ごす時間も多かった。かつては優しく、共に過ごす時間が楽しく、アデルにとって信頼できる存在だった。
「アデル、今日もお庭で一緒に読書しよう。」
「うん、ルシウスの持ってきた本を読むのが楽しみ!」
会う度に笑顔が溢れ、アデルはルシウスに会えるのがとても嬉しかった。大好きなルシウスと結婚すれば、この家からも離れられる、アデルにとってはその日がとても待ち遠しかった。
しかし、レティシアとアリシアの策略によって、ルシウスは次第にアデルに対して態度が変わっていった。
「アデルはいつも自分が一番だと思っているんだろう?」
「え……?」
「家の者や使用人たちを顎で使って、わがまま放題に振る舞っているらしいな。」
「そんなこと……私は……」
「義母上やアリシアは、お前がわがままで家の仕事を怠けていると言っていたが。」
「そんな……違うわ!私は…私は…」
「僕の母も、君の振る舞いに心を痛めている。君の父上も頭を悩ませていたぞ?」
レティシアたちは巧みに嘘を吹き込み、アデルを悪者に仕立て上げた。そして何よりも、彼女が家の中で酷使されている姿をルシウスに見せることは決してなかった。掃除をしている時には彼を決して近づけず、食事の場では「体調が悪い」などと理由をつけてアデルを欠席させた。
アデルがどれほど弁解しようとしても、ルシウスは冷たい目で彼女を見るばかりだった。
ついに、最悪の瞬間が訪れた。
「アデル、話がある。」
ある日、ルシウスが屋敷を訪れた。彼の表情は硬く、まるで決意を固めたようだった。
「君との婚約を破棄する。」
「……え?」
信じられなかった。これまで冷たくされることはあったが、婚約破棄を言い渡されるなど夢にも思わなかった。
「君の態度は以前とは違う。わがままで傲慢だと皆が言っている。僕の家族も、君との婚約を続けるべきではないと……。」
「そんな、違うわ!それは全部、嘘よ!」
「嘘をついているのは君の方じゃないのか?」
ルシウスは完全にアデルを信じていなかった。アリシアが流した嘘の話を鵜呑みにし、アデルがいくら説明しても彼は耳を貸さなかった。
「どうして…?」
「アリシアから聞いた。お前は家族に嘘をつき、家の仕事も怠け、僕を騙していたと。」
「違う!違うのよ、ルシウス!」
「もういい。君の言葉は信じられない。」
「そんな…」
「アリシアが君の本性を知ってしまって、苦しんでいた。僕は彼女を守りたい。」
「アリシアが……?」
すべては仕組まれたことだった。
アデルは最後の望みをかけて父に訴えた。
「お父様、お願いです!どうか話を聞いてください!」
「くだらない泣き言を言うな。お前がそんな娘に育つとは、恥ずかしい。」
だれにも信じてもらえず、ついにアデルの心は砕けてしまった。
その夜、アデルは自室でひとり静かに涙を流していた。もう誰も私を信じてはくれないのではないか。悔しくて,悲しくて、もうどうしていいかわからなかった。
そこへ、小さくノックの音が聞こえ、老齢の使用人マリアがそっと現れた。
「お嬢様……。」
「マリア……。」
「お嬢様、どうかこのままではいけません。お母上様のご実家へ行かれるべきです。」
マリアは義母達に見つからぬよう、簡素な服とわずかばかりの金貨を差し出した。
「これは……?」
「これは、見て見ぬ振りしかできなかった使用人達の気持ちです。どうか、これを持って逃げてください。お嬢様には、もっとふさわしい場所があるはずです。」
アデルは涙をこぼしながら頷いた。
「ありがとう、マリア……。」
そして、夜明け前。使用人達の協力で、義母達にみつからないようにアデルは静かに屋敷を後にし、祖父母のもとへと向かった——。