番外編②アリシア視点
私はアリシア。モンテヴィダ侯爵家の娘……といっても、本来の血筋ではない。母であるレティシアが侯爵と再婚したことで、私はこの家に迎えられた。
最初にこの広大な屋敷へ足を踏み入れたとき、私は歓喜した。母と二人、裕福な生活を手に入れたのだから。それまでの生活とは比べものにならない豪華な調度品、美しいドレスの数々、美食の饗宴。そして何より、この家の本来の娘であるアデルよりも、私が優遇されていることが何よりの誇りだった。
「アリシア、お前は私の娘も同然だ。何不自由なく暮らすといい。」
侯爵のその言葉に、私は満面の笑みを浮かべた。母の計画通りだった。侯爵は私を本当の娘のように可愛がり、好きなものを好きなだけ手に入れ、使用人たちは彼女の機嫌を損ねぬよう常に気を配った。しかし、それと対照的に、義姉であるアデルはいつも冷たい扱いを受けていた。
「お姉様、どうしてそんなに惨めな格好をしているの?」
幼い頃は純粋な疑問だったが、成長するにつれ、母の行動の意味を知り、その立場の違いを楽しむようになっていた。私は彼女に対してどんどんわがままを押し付けるようになった。
「お義姉様、お茶を淹れてちょうだい。」 「お義姉様、このドレスを直して。なんだか着心地が悪いわ。」 「お義姉様、掃除が終わってないわよ。さっさとやって。」
彼女が我慢しているのがわかったからこそ、私はますます彼女を使用人のように扱った。母もそれを咎めることはなかったし、むしろ私がやることを後押ししていた。
アデルが領地の経理や雑務に追われる中、私は華やかなドレスを身にまとい、舞踏会や社交界での生活を満喫していた。
そして、私の夢はもうひとつあった。侯爵家の跡継ぎの座を手に入れること。そのためには、アデルが婚約していたルシウス様を私のものにすればいい。幸い、母が巧妙に彼に嘘を吹き込んでくれたおかげで、ルシウスは次第にアデルを遠ざけ、私に関心を寄せるようになっていった。私はルシウスには、いつも健気な姿を見せていた。
「ルシウス様、実は…お義姉様が私に冷たく当たるのです。」
「アデルが?」
「ええ…私が何かお義姉様の気に障ることをしたのかもしれませんが…」
そう言ってしおらしく目を伏せると、ルシウスは困惑しながらも、彼は私を慰めてくれた。次第に彼は私に心を向けてくれるようになった。そしてついに、アデルと婚約を破棄し、私と婚約することとなったのだ。勝った。そう思っていた。
しかし、すべてが崩れ去ったのは、アデルが家を出た後だった。
最初は気にしていなかった。むしろ、これで私が正式に侯爵家の娘として認められ、その立場が揺るぎないものになると考えていた。しかし、世間の噂は私の思い通りにはならなかった。
「モンテヴィダ侯爵家の長女が不当に虐げられていたそうだ。」 「本来の嫡子を追い出して、義理の娘を優遇していたらしい。」 「そんなことをして、侯爵家の信用はどうなるのか。」
そう、私の知らないところで、アデルの祖父母であるラモンテ公爵夫妻がこの事実を広めていたのだった。
屋敷に出入りする人々の態度が冷たくなり、ルシウスもまた私に対してよそよそしくなった。
王家主催のパーティで久しぶりにみたアデルは別人のように輝いていた。隣にいたルシウスがアデルに魅入られるように立ちすくんでいたのが悔しくて、私は、焦りを隠せなかった。
「ルシウス、早く私と踊ってちょうだい。」
だが、ルシウスは私の言葉が耳に入っていないようだった。彼の視線はアデルへと向けられたままだった。
「……どうしてよ。」
無意識に拳がぎゅっと握られる。私はこれまで、何もかも思い通りにしてきた。なのに、どうしてアデルばかりが注目を浴びるのか。
「私の婚約者なのに……。」
腹の立った私はアデルに近づいた。
「お義姉様、あなたどういうつもり?!」
私の声が会場に響き、数名の貴族たちがこちらを見たがそんなことは気にもならなかった。
「どういうつもりとは?」
アデルは微笑を保ったまま問い返した。その態度が、さらに怒りに火をつけた。
「あなたがこの場に来るなんて……! まさかまだルシウスに未練があるの?」
アデルはふっと笑みを深めた。
「まさか。私は正式に招待されてここに来たまでのこと。お二人に関しては、興味も関心もございません。」
「なっ……!」
私は言葉を詰まらせた。一方でルシウスの表情が苦く歪む。
「君が虐げられていた、などという噂が広まっている。まさか……」
彼は呟くように言った。
「噂のことは知りませんが、虐げられていたのは本当のことですよ?」
アデルは静かに言い放った。
「ルシウス、あなたが信じたのは常にアリシアの言葉でした。私は何度も訴えましたのに、一度も耳を傾けようとはしませんでしたが。」
「それは……」
ルシウスは口を開きかけたが、すかさず口を挟んだ。
「そんな話、嘘よ!お義姉様が自ら家を出て行ったのでしょう?それなのに今さら被害者ぶるなんて滑稽だわ!」
「それが嘘かどうか、あなたが一番わかっているでしょう?忘れたとは言わせないわ。」
アデルは毅然とした態度で言い放った。
ルシウスはその言葉の意味を測るようにアデルを見つめたが、そこに両親がやってきて、話は終わってしまった。去って行くアデルをルシウスが未練がましく見つめているのが気に入らなかった。
「お義姉様に今さら何の用だったのですか?」
しかし、ルシウスが口を開く前に、彼の両親であるヴァルデス侯爵と侯爵夫人に声をかけられた。
「ルシウス、これはどういうことなの?」
侯爵夫人の厳しい声が響く。
「アデル嬢が虐げられていたという話は本当なの?」
「そんなはずは……」
ルシウスが挙動不審に言葉を濁すと、侯爵が低くため息をついた。
「私たちは公の場で恥をかくような真似は許さない。ルシウス、お前はこの件についてちゃんと説明しなさい。」
ルシウスの表情が険しくなる。その様子を見て、私は焦りを隠せず声を上げた。
「そんな話、嘘よ!お義姉様のわがままで勝手に家を出て行ったのよ!」
侯爵夫人が眉を寄せる。
「あなたには聞いていないわ。そのように声を張り上げるなんて。マナーがなっていないわ。
ルシウス、あなたから聞いていた話と違うわ。アリシア嬢はアデル様より素晴らしい令嬢ではなかったの?」
「・・・・・・」
ルシウスは何も言い返さなかった。私は信じられない気持ちでルシウスを見つめていた。
そしてついに、ヴァルデス侯爵家から正式に婚約破棄が言い渡されることとなった。
「君とはもうやっていけない。これ以上、関わるつもりはない。」
ルシウスはそう言い捨て、私の前から去った。侯爵である父は焦り、母も憔悴していった。使用人たちの態度も次第に冷たくなり、家の財政は悪化。ついには借金がかさみ、侯爵家の没落が決定的になった。
私は叫んだ。
「こんなの嫌よ!私はこんな生活をするためにここへ来たんじゃない!」
しかし、もう誰も助けてはくれなかった。あれほど豪華だった屋敷は売り払われ、私と母はすべてを失った。
あのとき、アデルを見下し、嘲笑い、彼女のものを奪った私の姿が、今になって思い出される。だが、それを後悔しても、もう遅かった。
私はただ、崩れ落ちる家の前で、泣き叫ぶしかなかったのだった。




