西の大国 エルダス王国の王子
…胡妃、貴女は貴女らしく…
「凜と胸を張って生きていくのですよ」
人は生まれなどよりももっと大切な事があります
「心を豊かに」
心を大切に
「明るく一生懸命生きていくのです」
…胡妃、私は何時でも貴女を見守っていますよ…
ずっとずっと貴女を愛していますよ
それが母である春麗の最後の言葉であった。
胡妃の母は後宮に入って胡妃を産み、目立たぬようにひっそりと暮らしていたが徐々に弱り胡妃が5歳を迎える寸前にこの世を去った。
亡くなっても美しかった母。
優しかった母。
その死が毒殺…とも噂が立っていたが何かを憎み恨み生きていくことを母は喜ばないだろうと思い胡妃は母と同じようにひっそりと後宮で生きてきた。
胡妃はその母が作ってくれた髪飾りを手に暫く立ち尽くした。
決して華美なものではない。
だが咲き誇る蓮の細工のされた綺麗なものであった。
女官は頭を下げたまま
「どうか」
ご理解ください
「西の大陸に東の大陸のモノを持って行くことはできません」
胡妃さまはこれから西の大陸の人間になるのです
と告げた。
もう母の墓に行くことも。
母と暮らした部屋に帰ることも。
二度とできないのだ。
二度と。
胡妃は潤みだした視界を閉ざすように目を閉じて暫く立ち尽くし、やがて、そっと母である春麗がくれた髪飾りを籠の中へと置いた。
「お母さまは何時もわらわを見守っている」
髪飾りが無くても
「ずっと…きっと…」
わらわが真っ直ぐ生きて行けばきっと笑顔で見ていてくれている
そう言い、すっと青い湖を見つめた。
湖は深く無く胡妃は何一つ身に着けることなくそっと足を入れるとゆっくりと対岸にある西の城に向かって歩き出した。
覚悟をしていた。
だが、もっと。
だが、もっともっと。
意を決して覚悟を決めなければならない。
「さようなら、わらわの国」
さようなら、聖竜帝…わが父
「さようなら、今までのわらわ」
胡妃は心で呟き前を見つめて目を見開いた。
向こう岸から白い騎士の服を纏った一人の男性が同じように中央に向かって歩いて来ていたのである。
白磁の肌に青い瞳。
髪は陽光を受けて黄金色に輝いてる。
ちょうど湖の真ん中で向かい合い胡妃はコクリと固唾を飲み込んだ。
「ようこそ、我が妃」
胡妃殿
ニッコリ笑って胡妃を見下ろすように見つめていた。
エルダス王国の第2王子アルフレッド・トゥール・エルダス。
その人であった。
胡妃は大きく目を見開き上を向いて彼を見つめた。
「なんじゃ、この生き物は…」
髪が黄金に輝いておる!
「人の成りをしているが髪が金糸とは!」
胡妃は初めてみる西の大陸の人間に
「ぬしは人か?」
と聞いた。
…。
…。
アルフレッドは目を見開くと
「は?」
と思わず声を零して、小さな己の正妃を見つめた。
大きく黒い瞳に夜を溶かし込んだ長い黒髪。
それが水面に広がりゆらりゆらりと揺れている。
一見、人形のような愛らしい容貌であった。
が、その表情は驚きと好奇の色に彩られて…人形ではないのだとアルフレッドに感じさせた。
アルフレッドは苦笑を零しながら
「人間だよ」
と思わず答え、咳ばらいをすると
「エルダス王国第2王子アルフレッド・トゥール・エルダスです」
我が正妃
「これから仲良くしていきましょう」
と告げてマントを外すとそっと胡妃の身体を包み込んだ。
胡妃はそのマントを掴みながらコクコクと頷き
「は、はい」
宜しくお願いする
と答えた。
アルフレッドは西の城で心配そうに待っている従者を見ると笑みを浮かべて、そっと、胡妃の手を掴んだ。
全てが違う西の大陸への一歩であった。