6話:押しかけ令嬢
「なあアルト見ろよ、灰色狼の群れだぜ。ひと狩りして稼ごうぜ」
「今は護衛中だから駄目に決まってるだろ」
「そうだよ。もし灰色狼を追いかけた先に群れ長がいたらどうするんだい。お貴族様を無駄に危険に晒して処罰されるのは御免だよ」
「君子危うきに近寄らず、だな」
「くんし、とは何ですか? アルトリウス様」
俺がパーティーメンバーのギドとカサンドラと会話していると、馬車の窓からリアがにゅっと顔を出して質問してくる。
馬車内の側仕えのメイドが「危ないですお嬢様っ」と慌てているがお構いなしだ。
「君子は確か学識や人格の両方に優れた人、ですね。賢い人は無駄に危険なことはせず、慎重に行動するという意味です。というか身を乗り出すと危ないですよ、リアラスティア様」
「私のことはリアと呼んでください」
「いえいえ、そういうわけには。はは……」
不満そうに頬を膨らませているが、メイドが凄い形相で俺を睨んでいるので勘弁してほしい。
リアを助けてから数週間後、俺たちは護衛として雇われていた。
彼女は王都の貴族学院の生徒で、普段は寮生活をしているが、休みになると実家である侯爵領に帰っていた。
その際にあの蟷螂型の魔獣に襲われたのだ。
あれは殺人蟷螂と呼ばれる狂暴で強力な魔獣で、王都近郊では滅多に遭遇しない。
滅多に、なので可能性としてはゼロではないし、実際に遭遇してリア以外の命が奪われたこともあったため、通常の護衛に加えて冒険者の俺たちが雇われたのであった。
加護のせいで対人は不得意だが、対魔獣なら条件さえ整えれば冒険者の中でも上位に食い込めると自負している。
最初は純粋に実力を買われたと思っていたのだが、どうやらそれだけではなかったらしい。
雇われる際の、侯爵家当主であるリアの父親の妙に険しい表情から察するに、リアの強い要望が反映されていたのだ。
可愛い娘に手を出すなよ、と遠回しにプレッシャーをかけられたからな……。
勿論そんなつもりはなかったので、月に一度の護衛はそつなくこなしていた。
のだが、リアの攻勢は護衛の時以外にも及んだ。
王都の冒険者ギルドで出待ちされたり、貴族学院の野外講習の護衛に呼ばれたりと、それはもうぐいぐいと来た。
リアは元々はこんなに積極的な娘ではなかったそうだ。
母親とは小さい頃に死別し、父親に後妻もおらずたった二人の家族だったこともあり、過保護に育てられてきた。
リア自身も過保護を受け入れ、貴族学院の図書館に籠るような大人しい娘だったらしいのだが……。
「お気持ちは嬉しいのですが、リアラスティア様と私では住む世界が違います」
「私にとって世界は、実家の屋敷と貴族学院だけでした」
その日も冒険者ギルドまで俺に会いに来ていたリアを貴族学院の寮まで送る道中、猛攻に堪らず俺は諭そうとした。
するとそんな言葉が返ってきた。
「ある日、私は貴族学院の図書館で冒険者の英雄譚を読みました。それは灼熱の砂漠、氷に閉ざされた山脈、どこまでも続く海、様々な世界を冒険する物語でした。世界には見たことのない場所、生き物がたくさんいることを知って私の心は踊りました。それまで友人に勧められてなんとなく読んでいた、貴族同士の恋愛小説がいかにつまらなかったか」
年頃の貴族令嬢なら後者を好みそうなものだが、リアは違ったようだ。
「それ以来、私は外の世界に憧れを抱き、実際にこの目で見てみたいと思うようになりました。ですが私は侯爵家の一人娘なので、それは叶わないことも理解していました。憧れは憧れのまま終わるんだと。そんな時、魔獣に襲われたんです」
襲われた時の事を思い出したのか、夕焼けの中、前を歩くリアの肩は小さく震えていた。
「魔獣に殺されそうになって初めて、外の世界がどれだけ危険か思い知らされました。私のような小娘ではあっという間に世界に飲み込まれてしまうと。だから鍛えることにしました」
「えっ、なんて?」
予想外の言葉に思わず素で聞き返してしまう。
振り向いたリアの碧眼は夕日に照らされ、まるで闘志を燃やしているかのように赤く輝いていた。
「私、神聖魔術に適正があったみたいです。攻撃には向きませんが、回復魔術と補助魔術は貴族学院の魔術講師から筋が良いと褒められました。それにアルトリウス様も知っての通り、私の加護も補助に特化しています。だから冒険者の後衛職に適していると思いませんか?」
ふんすと鼻息荒く語るリアの表情からは、魔獣に襲われたことに対する恐怖は微塵も感じられない。
先程の肩の震えは何だったのだろうか? もしかして武者震いだったのだろうか。
「だから貴族学院を卒業後は、私をアルトリウス様のパーティーに入れて欲しいです」
「いやいや、リアラスティア様のお父様が許さないですよ」
「大丈夫です。説得してみせます」
「ええ……いくらなんでも無理では。それに仮に冒険者をするなら、私どものような木っ端冒険者ではなく、もっと高位で有名なパーティーに入るべきです」
「冒険者なら誰でもいいわけではありませんよ? 私はアルトリウス様と一緒に冒険したいんです。助けてもらった時のことは今でも鮮明に覚えています。私が読んでいた英雄譚の主人公みたいで格好よくて……そっ、それにアルトリウス様はなんだか他の冒険者とは違って不思議な感じがします。言葉遣いや所作が綺麗なんだけど、貴族ともまた違うというか」
話すにつれて恥ずかしくなったのか、リアは俯いてもじもじしていた。
今は夕日に照らされているから分からないが、顔も赤くなっているに違いない。
「と、とにかくそういうわけで、私は貴族学院に通いながら冒険者になるための訓練をしています。あと一年で貴族学院は卒業です。それまでにお父様を説得し、アルトリウス様の足を引っ張らない、最低限度の力をつけた冒険者になってみせます。パーティー加入のお返事はその時で構いません」
俺を見上げるリアの瞳は力強く真剣そのものだった。
しかし俺が黙っているものだから、次第に不安がこみ上げてきたようで瞳が潤みだす。
「ごめんなさい。こんなこと言われても迷惑ですよね」
「……はあ、アルトです」
「えっ」
「前々から思っていたのですが、リアラスティア様は貴族なんですから、私の事は呼び捨てでいいんですよ」
「えっと、それはつまり」
「リアラスティア様の真剣な気持ちは十分伝わりました。一年後にお父様の説得と、最低限度の冒険者の能力を身に着けているという条件を満たしているのであれば、私からパーティーメンバーにリアラスティア様の加入を説得しましょう。それと先輩冒険者として指導するのも、まあ、こちらの依頼の合間で良ければお付き合いしなくもないです」
「……!? ありがとうございます! アルトリウス様。いいえ、アルト!」
花のように咲いた笑顔を眺めつつも、リアの願いは叶わないだろうと俺は思っていた。
大事な侯爵家の一人娘が冒険者になるなんてありえないし、平民冒険者のパーティー加入も許されないだろう。
たった一年で貴族の令嬢が冒険者としての能力を身に着けるのも不可能に等しい。
しかし成功するにせよ失敗するにせよ、冒険者の俺に彼女の挑戦を止める権利はない。
人の冒険を邪魔するなんて、それこそ冒険者失格だ。
だから彼女の冒険を、一年間のモラトリアムを見届けることにしたのだが……。
「あと私のこともリアと呼んでください。あとかしこまらないで、普通に喋っていいですから」
「いや、身分の違いは依然としてあるわけで」
「二人の時だけでいいですから」
「……わかったよ、リア」
「にへへ」
この侯爵令嬢らしからぬ、年相応の少女らしい笑顔にあっさり絆されることを、この時の俺はまだ知らない。