2話:迷宮の主
最下層には迷宮の主以外に敵はいない。
一つ前の階層でパーティーメンバーと別れた俺とリアは、一本道の通路を無言で歩く。
彼らとは迷宮の主との戦闘が終わった後、俺たちが生きていれば合流する段取りになっている。
仮に全滅しても……迷宮の主の討伐の成否に関わらず、侯爵家当主であるリアの父へと結果が報告されるだろう。
歩き始めて一分もしないうちに行き止まりに突き当たる。
正面に大きな黒塗りの両扉が現れた。
道幅四メートルはある通路を埋め尽くすくらい巨大で、とても人の手で押して開くような扉には見えないが……。
俺たちの接近に反応したかのように、巨大な両扉の片側が地響きを立てながら開く。
そして人が通れるくらいの隙間が出来た。
隙間からは踏み込むのを躊躇する程の、濃密な気配が漏れ出ている。
間違いなく迷宮の主のものだろう。
「覚悟を決めろ」
「はい」
自分を奮い立たせるための独白だったが、後ろからリアの力強い返事が聞こえてきた。
リアのほうが肝が据わっている事実に苦笑いしつつ、俺は扉の中に入る。
その部屋を一言で表現するなら玉座の間だろう。
壁際には芸術品のような燭台が火の灯った状態で等間隔に並び、足元には踝まで埋まりそうな真っ赤な絨毯。
そして中央の一段高くなっている場所に玉座がある。
入口の扉と同じく黒一色で、その造形は禍々しい。
玉座の足は湾曲した獣の爪のように鋭く、触れるだけで何もかも切り裂いてしまいそうだ。
座面と背もたれは無数の人骨のようなもので組み上げられている。
そんな玉座に青白い顔の中年の男が座っていた。
豪奢な飾りや刺繍が施された燕尾服姿で、夜のように真っ黒な髪をオールバックにしている。
口ひげを生やしたその顔は整っていて、服装も相まって高位の貴族のようだ。
男の血のように赤い眼が、つまらなそうに侵入者である俺たちを見下ろしていたが、やがて外見に相応しい低い声が流れた。
「ふむ、久しぶりの挑戦者はたったの二人か。随分と舐められたものだな。それとも定員が五名だと知らなかったのかね?」
「……いいや、知っていて二人で来た」
俺の声は絞りだしたかのように掠れていた。
部屋に入る前から感じていた圧倒的な存在感が、本人を前にして増している。
「ほう、ならば己の腕を過信する愚か者か、力量も分からない愚か者というわけか。嘆かわしいことだ。そうは思わないかね、後ろのお嬢さん」
男に話を振られて、背後から息を飲む音が聞こえた。
「そこの優男にそそのかされて連れてこられたのであろう? 我を倒し迷宮を踏破するという栄誉に釣られたのだろうが、それは夜を歩く者が昼を歩く以上に困難なことだ」
「私は、私の意志でここに来ました。そして彼がこの迷宮を踏破すると信じています」
男はわざとらしく肩をすくめて俺たちを挑発していたが、リアの返事を聞くと笑い出した。
「ふははは、それは失礼した。ふうむ、成程。二人は固い絆で結ばれているのだな。最近はすっかり挑戦者が減ったものだから、我の見る目も衰えていたようだ。愛する男女が試練を乗り越えるために訪れたのだ、礼節を以て迎えるとしよう」
不意に男が玉座から飛び出した。
まるでワイヤーアクションのように、真横へスライドしながらこちらに向かって移動してくる。
そして俺から五メートルほど離れた場所に優雅に降り立った。
いつの間にか男の背中からは巨大な蝙蝠の翼が生えていて、絨毯の上に巨大な影を落としている。
「我は迷宮の主にして吸血鬼の王ヴィルダンテ。名を聞こう。挑戦者たちよ」
「アルトリウスだ」
「リアラスティアです」
「よろしい。ならば決闘を始めよう」
こうして俺とリアの、最後の戦いが始まった。