会社に向かうOL、若き石油王と出会い「石油買って下サーイ!」と泣きつかれる
27歳のOL、国木田美紀は会社に向かっていた。
すると、声をかけられる。
「そこのアナター」
美紀が振り返ると、そこにはターバンをつけた男がいた。顔立ちは端正で、どこか中東を思い起こさせる。
「私のことですか?」
「そうデース」
怪しい勧誘かなとも思ったが、好奇心の方が勝り、つい話に乗ってしまう。
「なんでしょう?」
「石油買って下サーイ!」
「へ?」
ターバン男はタッパーに入った石油を差し出してきた。
「今ならお安くしときマース!」
「安くする……って、石油なんかいりませんよ! 失礼します!」
美紀はタチの悪いイタズラだと思い、会社に向かおうとする。
歩き始めると、背後からすすり泣く声が聞こえてきた。
「ワタシの石油すごいのに……全然売れないデース……。どうしたら……」
体育座りになって泣き出すターバン男。美紀はなんだか放っておけなくなってしまった。ため息をつきながら、話しかける。
「あなたはいったいなんなの?」
「ワタシ? 石油王デース!」
「せ、石油王!?」
「ワタシの土地で巨大油田発見され、この石油はすごいって分かりマシタ。だけど、こうして日本で売っても全然売れまセーン……」
「それはそうよ。石油ってこうやって路上で売るものじゃないし……」
「そうなんデスカ!?」
そんなことも知らなかったのかと美紀は呆れる。
「お願いデス! ワタシどうすればいいか、教えて下サーイ!」
「……分かった。出来る限りのことはしてあげる」
とても力になれるとは思えないが、異国の地で石油片手に右往左往している青年を、ますます放っておけなくなってしまった。
「ありがトウ!」
「私は国木田美紀っていうの。あなたは?」
「ワタシはストーナー・オイルと言いマース!」
「名前まで石油っぽいのね」
こうして美紀は若き石油王ストーナーに協力することにした。
***
「……ふぅ、これでよし」
美紀は会社に電話して、しばらく休みを取った。本格的にストーナーに協力するなら、中途半端ではダメだと判断したのだ。美紀のこれまでの功績もあり、課長は快く休暇を取らせてくれた。
「ミキ、ワタシのためにありがとうございマース!」
「いいのよ、乗りかかった船だし。こうなったらとことんやるわよ」
美紀はストーナーに営業心得を話すことにした。
「物を売るのに必要なのはね、まずはちゃんとそれを必要としている人を把握すること。そして、相手が欲しがるようなプレゼンをすることよ」
「なるホード」
美紀の言ってることは会社での受け売りである。彼女は営業マンではなくあくまでアシスタント事務員なのだが、課長が朝礼でいつも言っているので覚えてしまった。
「通行人に石油なんか売ろうとしたって売れるわけないわ。ちゃんと必要としているところに行かなきゃ」
「必要としてるところってどこデースカ」
「石油の用途といったら……まず車を動かすガソリンや、ストーブに使う灯油とかよね。あとはプラスチック製品の原料になるともいうわね」
「ふむふむ」
「つまり、ガソリンを扱う会社やプラスチック製品を作ってる会社に行けば、あなたの石油を欲しがってくれるかも……」
「分かりマーシタ!」
「えっ」
ストーナーは美紀が止める暇もなく、とある大手ガソリン会社に乗り込んでいった。そしてあっけなく門前払いされる。
「駄目デーシタ……」
「当たり前でしょ! 勝手に飛び出さないでよ!」
「ごめんなサーイ!」
ペコペコ謝るストーナー。
すぐ反省できるのはこの男のいいところだな、と美紀は思った。
「まず、最初の標的はガソリン会社ね。あなたの石油からできるガソリンがいかに優れてるかプレゼンできれば、きっと売れる!」
「ナイスアイディア!」
「あなた、石油をガソリンに精製できる?」
「できマース!」
ストーナーはあっさり答えた。
「あまりにあっさりだから、ちょっとビックリしたわ。じゃああなたはガソリンを作ってちょうだい。私はプレゼン資料を作るから!」
「分かりマーシタ!」
さっそく美紀とストーナーはそれぞれの作業に取りかかった。
***
美紀とストーナーはきちんとアポを取り、ガソリン会社の担当者と会っていた。
この企業では石油のガソリンへの精製及び、ガソリンの販売を行っている。ストーナーの石油の強みを示せれば、顧客になってくれる可能性はある。
「石油を売り込みたい? あいにくウチはすでに大手から石油の供給を受けていてね。今更新しい石油を買うつもりはないよ」
美紀とストーナーは必死に食い下がる。
「ですが、私たちの石油で作ったガソリンは一味違うんです!」
「そうデース!」
美紀の粘り強いプレゼンの効果もあり、ようやく向こうが折れた。
「ふうむ……そこまで言うのなら、君らのガソリンの凄さを見せてもらおうか」
美紀は窓の外に一台の乗用車を見つけた。
「あそこにボロ車がありますよね」
「私の車じゃないか!」
担当者は憤慨するが、美紀はかまわず続ける。
「あの車に私たちの石油から作ったガソリンを入れて、性能を見てもらいましょう」
担当者としても自分の愛車はすでに限界を迎えていると感じていた。次の車検では間違いなく買い替えを勧められるだろうし、実験台にしても惜しくない気持ちはあった。
「いいだろう、やってみてくれ!」
外に出て、美紀はストーナーが作ったガソリンを注入する。
すると――
「な、なんだ!?」
くたびれた中年といった風情だった自動車が輝きを取り戻した。
「眩しい! ……わ、若返っている!?」
「ワタシの石油で作ったガソリンは凄いんデース!」
ストーナーが鼻を高くする。
「乗ってみてもいいかね?」
「どうゾー!」
担当者は若返った愛車に乗ってみた。するとポンコツだったのが夢だったかのように元気に走り回る。
「なんて素晴らしいガソリンなんだ……!」
敷地内を走り終えた担当者は涙を流していた。
「君たちの石油……ぜひ購入を検討させてもらうよ! いや、絶対購入する!」
***
好感触を得られ、ストーナーは美紀に感謝する。
「ミキ、ありがトーウ!」
「まだ礼を言うのは早いわ。もう一仕事あるんだから。次の会社に行きましょう」
「次?」
「プラスチック会社よ。あなたの石油ならきっと素晴らしいプラスチック製品を作れるもの!」
「なるホード!」
ストーナーはこれまた自分の石油からプラスチックを作る。このプラスチックの性能を証明できれば、メーカーはストーナーの石油を欲しがるはずである。
プラスチック会社の担当者もやはり対応は冷たかった。
「ふん、今さら新しい石油なんて……」
「とにかく私の説明を聞いて下さい」
美紀はストーナーの石油で作ったプラスチックがいかに素晴らしいかを訴えた。
従来のプラスチックより軽く、頑丈で、そのくせ環境にも優しい。
いいこと尽くめのプレゼンで、担当者の心も動いてきたのを感じる。
そして――
「確かこの近くには海がありましたよね。そこのクジラさんに話を聞いてみましょう」
美紀たちは担当者とともに海辺に行き、近くを泳いでいたクジラに話しかける。
「クジラさん!」
「なんだい?」
美紀に声をかけられたクジラが応じる。その声に隠された体調不良を、美紀は見逃さなかった。
「体調はどう?」
「あまりよくないなぁ」
「どうして?」
「こないだ医者に行ったら、“マイクロプラスチックの取りすぎ”っていわれてね」
マイクロプラスチックとは、文字通りごく微細なプラスチックごみのこと。海には無数のマイクロプラスチックが漂っているとされ、環境への影響が懸念されている。
「人間の出したマイクロプラスチックのせいで、僕は長生きできないんだろうなぁ。マイクロプラスチックのせいで……。マイクロプラスチックって恐ろしいなぁ……。ああ、人間がマイクロプラスチックを排出しなければ……」
やたら“マイクロプラスチック”を連呼するクジラ。
最近覚えた単語なので、使いたくて仕方ないのかもしれない。
とはいえプラスチック会社の担当者はバツが悪そうな表情をしている。こうも露骨にプラスチックによる被害を訴えられれば無理もないだろう。
そこで美紀は、ストーナーの石油で作ったプラスチックを取り出す。
「クジラさん、これを食べてみて!」
「これは?」
「私たちが作った新しいプラスチックよ」
「おいおい、人間たちが生み出したマイクロプラスチックに苦しめられている僕に、またプラスチックを食べろっていうのかい?」
「そうよ」
美紀ははっきりと告げた。
「お願い、食べてみて!」
「分かったよ……」
クジラは巨体のわりに押しには弱かった。美紀の迫力に飲まれ、プラスチックを飲み込む。
すると――
「むむむ!?」
クジラの目に活気が宿った。肉体も心なしか隆起している。
「分かる……分かるぞ! 今のプラスチックを食べたら、僕の体内のマイクロプラスチックが完全に消滅した!」
「えええええ!?」驚く担当者。
「ありがとう! 今の僕なら、北極から南極までだって泳げる! やるぞおおおおお!!!」
クジラは凄まじい速さで北極を目指す。あっという間に水平線の彼方に消えた。
「どうです、私たちのプラスチックは?」
「す、すごい……! こんな素晴らしいプラスチック、まさに素材の革命だよ!」
二人の売り込みは大成功し、瞬く間に評判は広まった。ストーナーの油田から採掘される石油は飛ぶように売れるようになった。
こうして大富豪となったストーナーは美紀に言った。
「ワタシがここまでになれたのも、全てミキのおかげデース」
「そんなことないわ」
美紀は、あくまで自分はほんの少し手伝ったに過ぎないと謙遜する。
だが、ストーナーは燃えていた。彼の心には石油ストーブ以上の熱が宿っていた。
「いいえ、ワタシはミキに惚れマーシタ!」
「ええっ!?」
「結婚しまショウ!」
あまりに突然のプロポーズ。
だが、美紀の心もすでに決まっていた。彼を手伝いながら、石油王でありながら素朴なストーナーに心惹かれていたのだ。
「はい!」
美紀とストーナーは、お互いの体を抱きしめた。
***
ストーナーと結婚した美紀は、幸せな生活を送る。
潤沢な資産がありながら決して過度な贅沢はせず、二人で過ごす時間を特に大切にした。
しかしある日、美紀のスマホに電話がかかってきた。美紀が「何かしら」と画面を見る。その顔が驚きを帯びた。
「ミキ、どうしマーシタ?」
「課長からだわ!」
「オー、課長サン!」
「そういえば休みを取るって言ったままになってたわ! ずいぶん心配させちゃったわ……」
すぐに電話に出る。無断で休んでいたわけではないが、やはり罪悪感はある。
「もしもし、国木田君かい」
「課長!」
「すまんね。ずっと休みを取っているから、どうしてるか心配になってしまってね。電話をかけてしまったよ」
「申し訳ありません、課長!」
課長は「大丈夫だよ」と前置きしてから、
「ところで君ほどの女性が、これほど長い休みを取るなんて、差し支えなければ事情を教えてもらってもいいかな?」
美紀としても説明責任はあるだろうと答えようとする。
しかし、ストーナーと出会ってから結婚するまでの長いいきさつをどう説明したものか。
悩んだ末、美紀はたった一言で一連の事情を説明することにした。
「えーと、油売ってました!」
完
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