予想外のサプライズ返し
「ただいま」
「おかえり! 待ってたよ!」
アパートの自分の部屋に戻ると、サーラの元気な声が聞こえてくる。
換気扇を回し始めると、エプロン姿で玄関まで出迎えてくれた。
……自分の部屋に戻ってきたのに、お帰りと言われるは……いや、考えないようにしよう。
恐らくこれからは、こっちが日常になるだろう。
慣れなくては。
……慣れる日が来るのか?
「遅くなってしまった、すまないな」
「それが私も食べる料理のためなんだから、いくらでも待てますとも! と言いつつ、そら君が作り置いてくれてた金時豆をいただきました!」
さすがにこの時間まで待たせるのは申し訳ないと思っていたが、作り置きを間食代わりに食べていたとのこと。
甘く煮た豆は緑茶に合うし、自分で作れば食べる量も調節しやすい。
俺の作ったものを食べてくれていたのなら、俺自身の罪悪感も薄まるというものだ。
サーラは俺が私服に着替えているうちに、コンロに火をかけた。
「今から何か作り始めるのか?」
「温め直してもおいしくないものは、やっぱり作りたてが一番だからね」
その言葉に並ぶように、ジュワッという音が一気に耳に流れ込む。
高い音でパチパチと鳴るそれは、俺にこれが何であるかを如実に語ってくれる。
「フライか」
「そら君がお野菜担当してくれたから、私はちょっとパンチのあるお魚さんの方にしようかなって」
「それは嬉しい。自分の一人暮らしじゃ、絶対揚げ物とかしないだろうなと思うから」
「だよねー」
サーラは油が跳ねないように、ステンレス製の網を片手にフライパンの上を覆うようにしている。
俺の部屋が汚れることにも細心の注意を払う、どこまでも気の回る人だ。
「ごめんね、後でちゃんと拭くから」
「じゃあ、洗い物は俺に任せてもらっていいか」
「おっけー、任せるね」
こういう時に掃除の担当を奪うと、サーラ自身が不要な申し訳なさを感じるかもしれない。
ただ、俺も料理から片付けまでやらせっぱなしはさすがにサーラに負担が大きすぎて悪い。
だから、これぐらいの関係がお互いに一番だろうと思う。
そういった互いの距離の掴み方も、すっかり慣れたものだ。
サーラが引っ越してきて、三ヶ月ぐらいか。
かつて過ごした昔の記憶は今や遠い過去、すっかり今のサーラのこともよく分かるようになったな。
変わったこと。
変わらないこと。
そして——出会ってから変わったこと。
どちらもサーラと俺にあるものだ。
まあ出会う前の変化は圧倒的にサーラの方が大きいし、俺の変化もサーラの影響が大きいんだけどな。
更に自分の趣味の原点までサーラが始点だったと最近になって分かった。
……もしかして、飯田蒼空という存在を形作っているの、綾戸紗亜良の影響が大半なんじゃないか?
「……ん? 何?」
「何でもない」
俺は顔に出ないように、テリーヌを取り出して切り出す。
ゼリー状の物体が現れた瞬間、隣から「ふわあっ!?」と驚嘆の声が出た。
「こんなに綺麗なんだ、凄すぎない!? ゼリー寄せとか、どこで学んだの!?」
「フレンチで出た時覚えてな、検索したことがあった」
「それで作っちゃうのが、もーほんとそら君って感じだよね」
サーラは呆れ気味に笑いつつ、キッチンペーパーの上でフライの油を吸い取っていく。
揚げたてのフライは、本当に美味しそうだ。
俺の腹も急に思い出したように空洞の補給を訴えてきたな。
早速サーラはお皿に盛り付けて……冷蔵庫の中から何かを出した。
「それは?」
「自家製タルタルソースです!」
そりゃ美味しそうだ。
こういう調味料関係は市販品のクオリティが凄まじく高いので、なかなか自作しようという気にならないんだよな。
俺のテリーヌも載ったところで、サーラが出来上がったものを撮影する。
「おいしそう! いただきます!」
「いただきます」
まずは自分の料理を一口。味見しながら作れるタイプではないものの出来は心配だからな。
とはいえ、杞憂だったようだ。十二分に美味い。
「完璧。そら君マジ女子力マックス、絶対私より上。むしろ存在そのものが究極美女」
「それは褒めてるのか?」
「私が姫ならそら君は女王だから」
「親子になってしまったな……」
相も変わらず、褒め方のボキャブラリーが独特なサーラである。
こんな会話も毎日が楽しくなる。
それに……料理の感想を言われるだけでもいいのに、誰も言わないような感想が飛び出してくるのは新鮮で面白い。
俺自身が調理部に足を運ぶようになったのも、間違いなくサーラの影響だろう。
しみじみ思いながらタルタルソースをフライに載せ、口に運ぶ。
揚げたての食感と熱さが下唇に、冷たいタルタルソースの温度が上唇に。
口の中で調和の取れたハーモニーが胃を刺激し、咀嚼を重ねるごとに味が——。
——な、何っ!?
俺は顎を動かし、舌と鼻でその味を確かめるごとに、驚愕に瞠目する。
このタルタルソースは、普通のタルタルソースではないぞ……!
正面を見ると、ずっと俺が食べる姿を凝視していたサーラが、口元に手を当てて肩を震わせている。
「……っ、っ! ふふ、ふふふ大成功っ!」
その姿は、まさに引っ越し当日のわさび漬けを食べさせた時のサーラそのものだった。
清楚系美少女が覗かせる、いたずら好きの顔。
「最初に料理を作ったときから、そら君のことをずーっとずーっと、驚かせる気満々でいたんだよ」
「あ、ああ……」
「でもさあ、こんなに豊富な準備をして不意打ちされて、驚かされたままじゃーいられないよね」
サーラは自作したタルタルソースを箸で掻き分け、小さく切られた粒を器用に摘まんだ。
「なので、今日は私の番です。いつまでもやられっぱなしの私じゃないよ〜?」
その、どこか色気すら感じる捕食者の目に、俺はごくりと生唾を吞んだ。
完全に油断していた。
アヤトは、元々俺にわさび漬けおにぎりを出して驚かせて喜んでいたのだ。
サーラは、元々俺に料理を作って世話をし、驚かせるために頑張ってきたのだ。
そのサーラが、俺に驚かされたままで終わるはずがなかったのだ。
料理のバッティングをしないよう連絡し合っていたのが裏目に出た。
食卓の料理の量には影響の少ない、自作調味料によるサプライズは全く予測できなかった。
どうやら今日は、サーラの反撃ターンになるようだ。