真剣を維持できない村上先生
「頻繁に来てくれて実にいいね! 専業主夫の飯田君は、一体誰に愛妻弁当を作るのかな?」
「知っていますか村上先生、生徒に対してだろうとセクハラは即有罪であることを」
「最近飯田君は先生に対する当たりがきつくないかい……?」
部活ですっかり聞き慣れた村上先生の話を右から左に流し、軽く料理を作っていく。
冷めてもおいしい、野菜のテリーヌ(ゼリー寄せ)だ。
冷やす時間もかかるので、そこまでは早めに作る必要がある。
とはいえ、冷やす時間は三十分から一時間前後で、放課後は大体四時半から。
十分間に合う時間である。
問題は、冷えるまで待つ必要があるってことだな。
軽く和菓子でも作るとするか。
村上先生は俺に絡んだ後、他の女子部員の料理を見ている。
丁寧に見本の動きを見せた後、隣で見たり後ろからサポートして動き方を教えている。
本当に料理に関しては真面目な先生なんだよな——、
「そうか、狙ってる男子がいるんだね。それでお昼に届けている弁当に新たな驚きを……実にいい、青春だねえ」
——この生徒に対する野次馬根性さえなければ。
料理を愛する先生ではあるものの、一に恋愛話に首を突っ込むことで、二に料理ってぐらいにはお喋りである。
以前他の先生に怒られていた気もするんだが、まあこの村上先生がその程度で反省するはずもなく。
お陰様で俺もよく絡まれるが、俺以外もああやって絡まれる。
今のうちに、ちゃっちゃとゴマ団子でも作っておくか。
中は餡子。備品の白玉粉を使わせてもらい、ゴマは遠慮なくふんだんに……。
——ゴマ団子が合計七つ出来上がった頃には、テリーヌも冷えてきていた。
七つか……。少し考え事をしていたから半端な数になってしまったな。
六つを袋の中に仕舞ったところで、ぶらぶらと歩いている村上先生と目が合った。
「どうしたー飯田、こっちを見て。プレゼントでもあるかー?」
「そうですね、では折角なので一つどうぞ」
「おっ、マジで? 言ってみるもんだね!」
先生は俺のゴマ団子を摘まむと、外見を眺めた後に半分にするようにかじりつく。
咀嚼しながら、断面を真剣な顔で見る姿はかなり先生らしさがある。
いや実際先生なんだけどなこの人。
なんか話してると、料理の上手い佐藤さんぐらいの存在にしか思えないけど。
「んー、良い出来だ。ベーシックだが丁寧だね」
「果物でも入れようかと思ったんですが、この金ゴマが香ばしいため邪魔しないよう活かしたいと思いまして。あとゴマの食感のことも考えて、普段はつぶあんの方が趣味ですが今回はこしあんにしました」
「そこで踏みとどまったのは素晴らしいね。独創性ってものを考えてあれもこれもと入れてしまいがちになるんだけど、引き算の結果を予測するのが一番大事な能力だよ」
そうそう。
創作料理ってのも面白いものだが、それにはちゃんと味が良くて初めて意味があるものだ。
毒物や塩分油分の過剰摂取でもなければ、料理は全ての食材を混ぜても調味料を混ぜても食べて死ぬことはない。
ただそれを、創作料理という範疇に入れるのには抵抗がある。
やはり、ある程度広く受け入れられるものでなければ納得はできないだろう。
それこそサーラがわさび漬けにわざわざ米菓を合わせてきたのと同じように。
食べて、味がちゃんと合って初めて意味がある。
「赤も青も黄色も鮮やかだけど、三色混ぜると黒になる。エキゾチックなインテリアも十カ国も並べれば、全ての国が平等に意識から霞み『多国籍』という一色になる」
……こういう時の村上先生は、本当に勉強になるんだよな。
普段からこうならな。
「生牡蠣と和牛と酢漬けで吞めても、三種を混ぜた練り物じゃ美味しい酒も喉を通らない。……おっと、ついつい喋りすぎてしまったね」
「むしろずっとその調子の方がいいと思うのですが」
「維持できないんだよー、私の息が詰まっちゃうよ」
そんな村上先生に呆れつつ、テリーヌが仕上がる時間になった。
出来上がったそれを、まずは撮影。
器に盛るのは、帰ってからだ。
もちろん事前に何を作るか伝えてある。手作り料理のバッティングは失礼なサプライズだからな。
「SNSに上げたりするのかい?」
「上げたことはないですね」
「ふむ……では盛り付け前に、何のために?」
そりゃあサーラに、今日はこれを作ったと報告するためだ。
……なんて言えるわけはないので。
「親に報告ですね。部活を真面目に受けてないと思われてるので」
「いい親御さんじゃないか。普段から部活に飯田君の学園生活を心配なさっているのだろう」
「過保護なだけですよ」
「そう思うのなら、もっと部活に出ることだね」
ぐうの音も出ない正論に肩を落とす。まあ先生にとっても、去年の俺は超不真面目生徒だっただろうからな。
サーラのこともあるし、今年はもっと顔を出すとするか。
一通りの調理も終わった。
俺はテリーヌの器に保冷剤を当ててタオルで巻く。
「教科書を濡らすわけにはいかないし、レジ袋もあげよう」
「助かります」
「その代わり……」
テリーヌを冷やしている間に部員も皆帰った部室で、先生はニッと笑う。
「筋トレ用の超たんぱく質メニューだった飯田君が、甘味やお洒落な野菜料理を作るようになった理由は、実に気になるね」
「……」
「特に、ゴマ団子をわざわざ偶数個にした辺りは」
やっぱこの人、気付いてるんじゃないか?
少なくともここ最近の俺は、急激に変わりすぎたとも思われても仕方がないし。
誤魔化すにも限界はあるか。
「一応、言わない約束にしているので言うわけにはいきません」
「そっかー。ま、そりゃ仕方ないね。引き下がるよ」
「……珍しいですね、引き下がるなんて」
「校内の相手と考えると、相手方の女子に迷惑かかるっしょ? そっちに迷惑かけてまで掘るのはポリシー違反。ま、とりあえず」
一歩下がって、村上先生は優しげな瞳を揺らして微笑んだ。
「私が目にかけていた学園内いい男ランキング上位の飯田君の良さを、ちゃんと理解できるいい女子がいてくれて良かったよ」
「買いかぶりすぎです。相手に関しては……本当に。俺には圧倒的に上の存在で勿体ない相手です」
「ハハ、そうかそうか。……ところで飯田」
先生は一旦笑うのをやめると、溜息を吐きつつこめかみを押さえる。
何だよ先生、今日は表情差分が随分と多いな。
村上先生は最後に、呆れ気味に俺の言動の指摘を始めた。
「君は成績も良く体格も良く料理も上手い。その上で先ほどの料理のように、物事を客観的に見られる冷静さもあると評価している」
「はあ、どうも」
「客観視できるのは、君自身もだろう。——その君が『圧倒的に上』と言い切れる女子、先生は一名しか思い当たらないんだよね」
そう言われて、ようやく自分がとんでもない失言をやらかしてしまったことに気がついた。
この学園でそこまで極端な存在は、俺も一名しか知らない。
「秘密の関係にしたいのなら、発言内容には気を遣うことだ」
「肝に銘じておきます」
「うむ! 君の心臓に私の名前の焼き印が入ったな!」
「意味はその通りなんですが、途端にサイコホラーですね……」
最後まで一言多い先生は、笑いながら職員室へ戻っていった。
会話するだけで疲れる人だ……。
さて、少し遅くなったがサーラにメッセージを送ろう。
盛り付け前だが、大体の完成図は分かるだろうし。
写真を送った直後、すぐにスタンプの連打がやってきた。
ただ、以前のチャットとは大幅に毛色の違う絵柄だった。
味わいのある絵柄で描かれたハイテンションな熊、両腕を挙げた変な顔の犬、最後に親指を立てた犬の『良し』というスタンプ。
それを見て、俺はすぐに理解した。
……絶対うちの母、サーラとチャットしてるな。