蒼空の中にあった原点と、素直な気持ち
温かい手。
その熱が手の甲から、俺に伝わってくる。
……相応しい、か。
「サーラ、いろいろと話してくれてありがとう」
「うん」
「一言でまとめられそうにないから、俺の話も最後まで聞いてほしい」
サーラは黙って頷き、名残惜しそうに手を離した。
「最初にサーラがあのアヤトだと知った時、あまりに変わっていて驚いた。良い変化をしているサーラを見て……俺は、自分と比較した」
俺の知らないうちに、以前とは比べものにならないほど自分を磨き上げたサーラ。
それに引き換え、俺は昔の平行線上のまま育ち、中学三年を迎えた。
三年で、あの件があって……人から目立たないように、隠れるようになった。
当たり障り無く、過ごしていくことができればと。
だが、サーラはどうだ?
今の話で、分かったこと。
サーラの境遇は、俺と同じだった。
標的にされ、クラスから奇異の目で見られて。
ただし、同じなのは境遇だけだった。
サーラはその境遇に対し、奮起して変化した。
「ひどく自分に失望した。今から思えば、あんな嘘告白なんて相手が悪いんだから堂々としていればよかったんだ。それを逃げて、高校まで引き摺ったのは俺の心が弱かったからだろう」
「そ、そんなこと……」
「少なくとも俺は、そう思った」
大きな体で、引っ込み思案の丸坊主。
そのお気に入りの友達の手を、他の園児の誘いを断って俺が引っ張る。
ずっと俺の後ろをついてくるだけの男友達。
遠い遠い、記憶。
今のサーラは、学園一の美少女で文武両道の姫。
誰も誘わない俺を、皆から誘われるサーラが真っ先に気にかける。
ずっと目立つことを避けた俺と、皆の前へと歩く彼女。
サーラが引っ越してきてからの、今の生活。
言ってしまえば、俺はサーラに『追い抜かれた』のだ。
言葉にするのを避けていたが、きっとそれは劣等感であり、敗北感であり……嫉妬にはあまりに遠い、羨望。
前髪で視界が暗くなければ目を焼きそうなほど、眩しい彼女の輝き。
「相応しいかどうか。その答えはきっと、俺が君に相応しくないという結論になる——」
「っ……!」
「——んだが、多分サーラは俺が薄々そう結論付けるであろうことも予想しているし、それが嫌であろうことも分かっているので、俺は俺の思うように正面から行かせてもらう」
一瞬眉根を寄せたサーラが、はっとしたように瞠目して俺を見る。
「ある日、ふと思ったんだ。なんで俺、こんなに料理してるんだろうって」
「料理のこと?」
「俺は自分のことを普通で、それこそ本当に目立たない無個性な方だと思っていた。思っていたんだが……どう考えてもこの食材や調味料の多さは、俺にしかない個性だと思う」
調理部に入る前から、こうだった。
俺は何故か、調味料や薬味に凝っていたし、珍しい食材に目がなかった。
「サーラは俺の炊飯器や調味料を見て、驚いていたよな」
「そ、そりゃ驚くよ。そもそも私、絶対自分の方がこういうの詳しいと思って用意してきたんだもん」
「そうか、驚いたか。…………ようやく果たせたな」
「へ?」
突飛な言葉に驚くサーラ。
まあ、そうだろう。この話は俺にしか分からない話だから。
「ごくごく最近まで、珍しいもの好きも料理好きも、単純に俺の趣味なのだと思っていた。だけどな、違ったんだよ」
「……違った?」
「俺はな、きっとリベンジしたかったんだよ」
やられたら、やり返したい。
子供の時なら特にそうだ。
「ずっと俺が振り回していた奴が、わさび漬けなんてものを入れて俺を出し抜いたことを」
「……!」
「その日、俺は『次は自分が驚かせる側になりたい』と思った。だが、わさび漬けよりインパクトのあるおにぎりは、最後まで出せなかった」
そうだ。
沢山の具材を試したし、母親も全てを許していた。
だが、結局は親が好きなものを買い集めただけ。俺に用意できる具材には限界があった。
結局一度もその願いを果たせないまま、アヤトの引っ越しが決まってしまった。
アヤトは泣いて嫌がっていたが、俺もすごく嫌だった。
離れ離れになるなんて考えられない。
まだ自分は、やり返していない。勝ち逃げなんて許さない。
もっと一緒に。俺が勝つまで一緒に。ずっと一緒に——。
「何もないと思っていた俺にあった、俺だけの個性。わがまま姫の『世界一美味しいおかゆ』なんてリクエストに答えるだけの能力と準備。その原点はずっとサーラ自身だったんだ」
「そ、そら君……!」
ここまで話したんだ。そろそろ俺も、自分の気持ちをはっきりさせるべきだろう。
「人が二人いれば、必ず優劣はつく。君に釣り合う男なんて、この学園にいないだろう。その上で言いたい」
俺はサーラがそうやったように、サーラの小さな手を包み込む。
素直な気持ちを話すのは、恥ずかしいものがある。
それでも俺は、今すぐ伝えたい。
「サーラにとって一番相応しい男は、俺じゃないと嫌なんだ」
「……!」
「たとえ公言しなくても、今のままで十分でも。俺は……俺はサーラと、恋愛関係だとお互いが認識できる関係になりたい」
顔が熱い。
手が熱い。
だが、サーラの手の方が熱いかもしれない。
サーラはやがて……俺の手を半分包み返し、涙を流し始めた。
「わ、私……私も……! そら君にとって相応しい女の子、私じゃないと嫌だって、ずっと思ってて……!」
「……ああ」
「そうじゃなかったら、どうしようって……とっくにそら君には相手がいるかもって想像しただけで、怖くて、怖くて……!」
……そうか、サーラは俺をずっと覚えていたから。
「よかった……! なんにもなかった、私、のっ……十年、ちゃんと、報われ、た……!」
「……あんまり自分を下げるなよ? 俺が凹むから」
「う、うんっ……こんな性格で、ごめん、ね……」
「だからさあ……」
そんなこんなで、サーラが泣き止むまでは結構な時間を要した。
しばらくお互い喋らないまま、再び温かいお茶を淹れて……ようやくお互いに実感できたように、二人で笑い合った。
他人から見たら、あまりにも早く。
俺達から見たら、あまりにも遅い。
そんな二人の関係。
この日、サーラと俺は、正式に恋人関係となった。
季節はそろそろ、夏が始まろうとしていた——。