初めて語られるサーラの過去と、本当の気持ち
皆と別れて、俺とサーラは帰路につく。
もう隣同士だと知られたのだから、駅で別れた時には随分生温かい目で見られたものだ。
そりゃまあ、帰宅まで一緒なのがみんなにも知られたからな……。
「何か飲むか?」
「んー、あったかいのなら何でも」
「そうだな……食べた後だし昆布茶よりは玄米茶の方がいいか」
やかんの水を沸かし、ガラスの急須にお湯を入れる。
振り返ると、机に肘を置き、両頬に手を当てて俺を見るサーラと目が合った。
「別に俺を見ても面白くないだろ?」
「そら君はさ、料理をしている私を見るのはどう?」
「サーラを見るのは……まあ、そりゃ皆にとっても姫だしな。見ていて面白い、という言い方は変かもしれないが、面白いぞ」
「私にとってのそら君は、それ以上だよ」
「持ち上げすぎだっつーの」
俺はサーラの手元に湯吞みを置き、自分のものに口をつける。
サーラは両手を温めるように、湯吞みを掴んで水面を見つめていた。
「話があるって言ったよね」
「ああ」
「それなんだけど……どうしても、私から話をしたいの。いいかな」
どうしても、か。
そこまで言うのなら、断る気はないな。
俺が俺の、何というか……ステレオタイプな男らしさのようなものを押しつけて先に喋るのは、きっとサーラにとってエゴでしかないだろう。
「ん、構わない」
「優しいね」
「何でだ? 別に先に喋らせることぐらいそうでもないだろ」
「今返答で一瞬迷って、私に譲ったよね。考えた上で判断してくれる」
サーラは両手で握った玄米茶を、静かに飲む。
小さく息を吐き、「温かい」と呟いて微笑んだ。
「先輩の時も、後輩の時も、クラスメイトともめた時も。私がどう思うかを考えてくれる」
「それは当たり前のことだろ?」
「当たり前じゃなかったんだよ」
サーラは断定口調で……それでいて、過去形で話した。
「——私、引っ越し先でいじめ、みたいな感じになってたんだ」
突然の告白に、心臓がどくんと跳ね上がる。
サーラが……小学校の時に?
「ううん、嘘。きっと本当は幼稚園の時から」
早鐘を打ち始めた心臓が、喉の方まで持ち上がるような気持ち悪い感覚を覚える。
俺が、いた時にも?
住んでいる場所も違うのに?
「坊主頭で肥満の女の子って、標的にされやすかったみたいで。道徳の授業なんていっても、本質的にはやっぱり分からないものだよね。授業で仲間はずれをやめようって教わった後に、私を無視するの」
「担任に、相談は」
「お母さんから先生に相談を持ちかけたんだけど、なあなあで対応されなくて。特にお母さん、昔から綺麗な人だったから、余計にからかわれて」
「……」
「ちょっと仲も悪くなってた時期、あったんだ」
このサーラが親を嫌うということが、全く想像できないが……それぐらい、サーラにとって大きなことだったのだろう。
「幼稚園の頃の話だけど……そら君って、人気だったんだよ」
「俺が?」
「みんなそら君に話しかけようとしてたの。だけどそら君っていつも『アヤトと遊ぶ』って返してたから」
「ああ……そんなだったか? だった気がする」
もううろ覚えだが、俺の中でアヤト抜きで遊ぶという発想自体ができないぐらいだったからな。
「不思議だと思わない? どうして私と他の女の子が一緒に、そら君の家で遊ばなかったか」
……そういえば、その通りだ。
俺は別に、中学三年の出来事があるまで全く友人がいないという生活を送っていたわけじゃない。
それなりに遊びに誘っていたし、誘われていた。
幼稚園の頃もそのはずなのに……俺の記憶には、アヤトしかいない。
「あれはね。他の子が、私と遊びたがらなかったから」
「……そうだったのか」
「うん。アタマジラミで偏見も流されたらしいから。みんな、私と一緒が嫌だった。だからね、そら君の幼少期は私が奪っちゃったようなものなの」
「いや、別に俺は自分が一番やりたいようにやらせてもらっただけだぞ」
「それが『私の内面』に起因するものだから、嬉しいんだよ」
サーラは、続けて小学校時代のことを話し始めた。
「すぐに不登校になって。家で勉強をしながらも、お母さんは諦めていなかった。厳しくても食事制限して、家でも体を動かして……それから髪が伸びて痩せた頃、お父さんが上司と異動で掛け合って、私のために更に引っ越ししたんだ」
やはり母親はもちろん父親も、そんなサーラを気に掛けていたんだな。
娘のために何が出来るか。どうすれば変われるか。
その結果が、見た目を一新して新しい地で心機一転、一から学校生活を始めるというもの。
「変化は顕著だった。……顕著すぎた」
上手くいくと願った新生活。
それは両親の願い通り、サーラにとって良い変化をもたらしてくれた。
ただ、サーラにとってはそうも言えない事情があったようだ。
「男子が寄ってきて、スカートとか狙いに来たりね。男性教諭はすぐに味方するようになったけど」
「典型的な奴だな……好きな子だから嫌がらせするみたいな話はあるが、普通に一生嫌いなままだよなそういうの」
「だよねー。私も謝られたとしても多分一生好印象持てない」
苦笑しながらばっさり当時のクラスメイトを切って捨てたサーラは、「でも」と続ける。
「中学の頃、女子の方もまた色々あって」
「……女子もか?」
「遠足の時、私のお弁当はお母さんに中身リクエストしたりしてたんだけど。そら君と一緒に食べたものを入れたんだ」
あの頃の、おにぎりの具材か。
家にあった和食の珍しいおかずの数々だな。
「女子から一番多かったコメントは『紗亜良には似合わない』だった」
サーラには、か。
小学生の感想ではあるが、しかしそれは……。
「……うん。人づてに聞いたけど、その子が好きな男の子が私のことをみたいな話もあったから、ただの嫌味だったのかもしれない。だけどね……その子の言う『私らしさ』って、結局何から来てるのかなって」
疑問形で話したが、もうサーラの中で答えは出ているのだろう。
そう、『見た目』だ。
サーラが好きなものを好きということが、何故第三者に否定されなければならないのか。
似合うか似合わないかという話に、サーラ自身の『どうしたいか』は入っていない。
「私はね。普通に友達がいて、普通に交流できて、ただ私の好きなものを否定されない……そういう生活を望んでたんだ」
「……」
「私が、どう思うか……それを当たり前のように考えてくれる相手。思い出の中にいたのは、いつも一人だった」
ここでサーラは、手を叩いた。
昔の話を、これで終わりとするように。
「今日ね。みんなに私達のこと話したよね」
「思いっきり話してしまったな」
隣に住んでいるところは、盛大な誤爆だったが……。
「そら君はさ。私の姿がどうであっても最終的に同じ関係になると言ったよね」
「ああ、言ったな」
「すっごく嬉しかったよ。ところで……『全く同じ反応にならない』という部分は、良い意味で捉えちゃってもいいかな?」
少し悪戯っぽい目つきで、こちらを覗き見る。
う、今の流れでそう反応されると……。
「い……いい意味に決まってるだろ。お前、そこらじゅうで姫姫言われるだけあって本当にすげえ美少女なんだよ、無防備すぎてハラハラするぞ」
「あはは、やっぱりそうなんだ」
「からかってるのか」
「——本気なんだよ」
ここでサーラは、雰囲気を変えて語気を強めた。
「私の外見を見て、そこだけ好きになった人は……もし私が将来過食して太ったら、きっと私に価値を見出さなくなる」
「……それは……そう、なってしまうんだろうな」
「そら君は、私が太っていても、勉強も運動も料理もできなくても仲良くしてくれるって分かってた。でもね、だからこそ……だからこそなんだよ」
サーラの言葉に、熱が籠もる。
彼女の本気と緊張が、俺にも伝わってくる。
「私は、内面を見てくれる人のためにこそ、内面以外も全部大切にしなくちゃ誠実じゃないと思った。そら君の優しさに甘えてしまうだけの私を、私が許せなかったから。だからここまで、頑張れた」
そうしてサーラは、身を乗り出して俺の手を掴んだ。
「ただの男友達だったアヤトは、あなたに相応しい女の子になれたでしょうか?」




