襲い来る過去
ランチでの一騒動後、予定通り服の店へとやってきた。
高校生の予算で服を見るというのはハードルが高いが、都内には比較的安価で良い店もいくつもある。
この辺りはあまり詳しくないが、当然引っ越してきたばかりのサーラも詳しいわけではない。
というわけで、主にサーラの勘で選んだ店に入ることになった。
「ここなら、良さそうだね」
そこは、カジュアルで明るい雰囲気の店だった。
フォーマルな固さも、ストリート系の軽さも、スポーツ用品店のような派手な色もない。
うん、サーラに合うとすればこういう店かな?
「何が似合うかなあ」
サーラが真っ先に手に取ったのは、爽やかさを感じさせる白色のジャケットだ。
次に手に取ったのは、ライトブラウンのワイドパンツ。「うーん」と唸って、すぐに棚に戻した。
次に赤のインナーを手に取り、ジャケットと合わせて俺の方を向く。
今の服とは違って、かなりボーイッシュなセレクトだ。
「それじゃ、試してみようか」
「ああ、いってらっしゃい」
「えっ」
「えっ」
俺の言葉に、何故か疑問で返されて、思わず俺も疑問で返した。
いや、何でそこで『えっ』なんだよ。
ここで俺は、自分がとんでもない勘違いをしていたことに気がついた。
「試着だろ?」
「そら君のね」
サーラが服を見に行きたいと思っていたのは、俺に着せたいと思っていたからか!
だから念入りに聞いてきたのか……。
「主語がないんだよ主語が、俺の服を買う話とは思わなかったぞ」
「言ってなかったからね」
くっ……こいつ、よりによって初日の悪戯成分をここで出してきやがった!
「ダメかな?」
「いや別にダメではないが」
「やった! じゃあはい」
何がそんなに嬉しいのか、俺に自分が選んだ服二つを渡してくる。
やれやれ、仕方ない。着替えてくるとするか。
試着室で上着だけ着替え、試着室内部の壁面に張られた鏡を見る。
——目立つ容姿だ。
サーラが求めているのは、こういう感じの俺なのだろうか。
先週の俺からでは、想像もできない姿だな。
「まだー?」
外から催促するサーラの声に返事をすると、カーテンを開けた。
「……! いい! 店員さん、これ良くないですか!?」
「はい、大変お似合いです!」
似合ってんのか、これ。自分じゃこういうの全く分からないんだよな。
あと店員は十中八九似合ってると言ってくると思うぞ。
「……もう脱いでいいか?」
「そのまま着てようよ」
「マジかよ」
あんまり着ているのも迷惑になるんじゃないか?
「私が決済するよ、先日のお礼ということで」
「さすがにそこまでしてもらうのは」
「むしろ払わせて。あのおかゆの代金としては、全部買っても安いぐらいだから」
マジかよ、俺のおかゆ高すぎるだろ。
世界一美味しいおかゆ(自己基準)、一体サーラの中でどんな金額なんだ。
結局押し切られて、その場で決済してその場で服のタグを切られた。
髪を切った翌週、僅か六日間でカジュアル系飯田蒼空の完成である。
「もー、今まで顔隠してたの勿体ないよ」
そのサーラのコメントには無言で肩をすくめて返し、店員の方を見る。
——このまま悪戯姫にやられっぱなしではいられないからな。
「むしろ俺よりあっちの方がいろんな服を試すべきだと同意を得たい」
「あっ、私もそう思っていたところなんですよ!」
「ふえっ」
サーラの容姿はマジお姫様だ。
そりゃあ店員としても、この素材を逃す手はないよな。
「お客様、こちらなどいかがでしょうか!」
「えっ、えっ、ええと」
「俺は着た姿を見てみたい」
「うっ! き、着ます!」
それから、サーラのファッションショーが始まった。
結論から言うと、素材が良ければ似合わないものはないということがハッキリと分かった。
きっとストリートファッションも、派手なスポーツトレーナーも、サーラが着たら似合うことだろう。
結局サーラも押しに負けて、自分の服を買ったのであった。
◇
日はすっかり傾いていた。
空は茜色、都会の白い建物はすっかり夕焼け色に染まる。
買い物って、やり始める前はちゃっちゃと終わりそうな気がするのに、いざ店内を見て回った後だと信じられないぐらい時間経過しているんだよな。
「はー、遊んだねー」
「ホントな」
ただ、本当に充実した一日だった。
こっちの方に出てきて買い物することはあっても、こんなに楽しいと感じることはなかったんじゃないだろうか。
そうだな、楽しかった。
こういう休日の外を楽しいと思ったのは、本当に久しぶりだ。
それこそ、二年ぶりだろうか——。
「あれ? 飯田じゃね」
その男の声に、嫌な感情が思い出と共にぐっとまとわりつく。
声のした方を振り返ると……やはり、いた。
二人組の男だ。
「猿渡に、青木か……」
「おう、覚えてんじゃん。へー、結構雰囲気変わってんね」
「中学以来じゃね。つかそれより」
二人は俺より、隣のサーラに目を向けた。
「飯田のツレかよ、レベル高えなおい」
「いやそれはねえわ、あの飯田だし」
あの、という言い方に眉間に皺が寄る。
「ね、君。今度俺らとも遊ばない?」
「お断りします」
俺が返答を返さないでいる間、サーラは一切迷うことなく断った。
その言動の強さに驚いていると、サーラはなんと俺の腕を取って自分の腕に絡めた。
「私は今のところ、そら君としか外に出ないつもりですから。それでは」
「あっ、おい待てよ!」
手を伸ばしてきた青木が、サーラの肩を掴む。
その無思慮な手首に腹が立ち、俺は強めに掴んだ。
「っ、てめ……!」
「この子は両親から預かっていてな。無事に送り届ける責任があるんだ」
「……覚えてろよ」
「忘れる」
青木は猿渡とともに、肩越しに睨み付けながら去っていった。
サーラの方を急いで気に掛けると……組んだ腕が、震えていた。
「大丈夫か、サーラ」
「……ごめん」
「どうしたんだよ」
「ごめん、ごめんね……」
何故か謝るサーラをなだめながら、電車に乗る。
この流れで、どうしてサーラがここまで申し訳ない顔をする必要があるのか。
春の風が吹き、俺の髪を揺らす。それでも前髪は目にかかることなく、頭皮に涼しさを感じさせてくれる。
視線を向けると、彼女の今日の服とよく合う明るい色合いのジャケットが自分の視界にも映る。
どちらも、サーラに会ってから変わったものだ。
積極的な気持ちで変わろうと思ったわけではないが、今までならその一歩目すら出そうともしなかっただろう。
「サーラ、話したいことがあるんだ」
「……うん、私も」
そろそろ、過去から目を背けるのは終わりにしよう。