【綾戸紗亜良】頭がふわふわの一日
朝、窓の光を浴びて目を覚ますと、妙に頭が重い。
体を動かそうとすると、妙に服が邪魔に感じる。
何だろうと思って……ああ、これ風邪かと思い当たった。
風邪の原因……風邪の原因も思い当たるなあ。
そりゃ、あんなに大雨に当たってたらそうなるよね。
部活も断れなかったし。
ふわふわする。
ふわふわ〜……なんかへんなかんじ。
「……あ、これ本当にダメなパターンだ」
起き上がってみたはいいけど、体が重くなっちゃったみたい。
学校まで行けるかと言われれば、無理だろうなあ。
念のため、熱を測ってからスマホの画面をタップする。
「……はい、38.1で……。はい、今日はお休みさせていただこうかと。……はい、大丈夫です」
学校にお断りの電話を入れて、おふとんにもそもそと入る。
……温かいようで、若干肌寒い。
妙に湿度を強く感じてしまい、気持ちよくない。
「これはダメだなあ……」
私は布団から出て掛け布団を避けて裏返し、乾燥させる。
何かできないかなと思って台所に行って、そういえばと思い出した。
「最近は、そら君のところで晩作ってるんだった。食材ないや……」
食欲もあんまりないけど、食べないと治らないことも分かる。
私の一番の楽しみである食の時間が、この体調じゃ楽しめなくなっちゃう。
まあそんな私も、新たな楽しみが出来まして……じゃなくてですね。
「ちゃんと治さなきゃ」
朝食ぐらいは大丈夫。
まだ部屋にあった乾燥味噌汁の素を入れて、お湯を注いで……。
「あちっ」
ちょっと焼いちゃった。
えーん、痛い……。
——ガチャリ、と扉が開く音がする。
私の隣に住んでいる人。
静かに鍵を閉めた音がすると、それからちょっと時間をかけてから階段を降りる音が聞こえた。
こうして行くまで見送ったのは初めてかもしれない。
そら君は、今日学校に行く。私が転校してから初めての、私が見ていない教室でのそら君になる。
髪を切ってから現れたのは、凄く綺麗な顔。
知的でありつつも、どこか愁いを帯びた瞳。
今日の横顔は、どんな顔をしているんだろう。
「……早く元気になりたいなあ」
私は冷めるまで待てず、ちょっと水を足した味噌汁を啜りながら窓の外を見た。
口の中に入れた味噌汁は、水が多すぎて大幅に薄まってしまっていた。
「……。ふわふわ……」
布団の中でスマホを開く。あんまり開いていると、眠れなくて良くないというけど……。
何だか、横になって軽く眠って、それから昼過ぎに起きてからというもの、全く眠くならなかった。
眠くならないまま目を閉じても、なんだかもどかしい。
とはいえ何か動こうにも体が怠すぎて、何かする気にもならない。
結果的に、充電器に繋いでおふとんスマホするしかなくなってしまった。
なんとなく時間が過ぎて、なんとなく日が傾く。
まだふわふわするなあと思いながら、既に二度見たニュース一覧をぼーっと見ていると……通知欄にチャットメッセージが届く。
『大丈夫? 食べてる?』
私の事情を知っていて、尚且つ連絡先を教えている人。
『眠っているならいいけど』
通知欄を急いでクリックして、既読の文字が相手のメッセージに付いた。
淡々と『飯』だけ書かれたアイコンが現れた。
飯田蒼空、そら君らしい実に堅実なデフォルトアイコンだ。
『おきてます』
その後、スタンプをぺちぺち入れていく。
なんだか本当に頭がふわふわしてて、自分が何入力してるのかわかんないや。
『ひまです、たすけて』
『分かった』
『あとそら君のアイコン見てたらおなかすいた』
『それ俺のせいか?』
困惑と苦笑が目に浮かぶようで、画面の前でふにゃふにゃと笑顔になる。
なんか変なスタンプぽこぽこ送っちゃお。
ふへへ……そら君が来てくれる。
ていうかそら君から心配してくれたのちょーうれしい。
『何かリクエストある?』
リクエストが出来るんだ。
じゃあ、じゃあ——。
『——世界一美味しいおかゆ』
すっごく曖昧な、おいしそーなもの。
えっへへへ、もう完全に何書いてるかわかんなくなってきた。
これ私、おふとん入っている間に頭の中ふわふわ悪化してないですかね?
既読がついてから、返事が来ない。
……あ、あれ? もしかして怒った?
不安になって、断ろうかと思った瞬間——。
『分かった』
淡々と、了承のメッセージが届いた。
ふわあ……安心したあ。
なんだか緊張が一気に解けて、また頭がふわっとしてしまった。
そら君が来てくれるんだ……。
私はそら君のことばかりふわふわ考えていて、スマホは別のところに置いてぼーっとし始めた。
やがて、隣の部屋でガチャリと音が鳴るのが聞こえて。
しばらく待つと、自分の部屋がガチャリと明確に音を立てて鳴った。
「起きてる?」
「おきてます」
もそもそっと起き上がり、小さなローテーブルの前にちょこんと座る。
そら君はゆっくり一人用の土鍋を持ってきて、テーブルの上に置いた。
ちょっと視線が迷っているけど、私はここだよー。
「無茶振りもいいところだけど、ご要望のものをお持ちいたしましたお姫様」
「ふははー、よきにはからえー」
そんな冗談を交わしつつも、鍋の蓋を開けると……!
「わあっ……!」
もう、風邪の私でもすぐに分かるぐらい、すっごくいい香りがするの!
混ぜ込まれたおかゆの中には、細かく切り刻まれた野菜がたくさん入っているのが分かる。
「熱いのは大丈夫?」
「どちらかというとダメなので、ふーふーしてくださぁい」
「マジか、参ったな……いいよ、やればよろしいんでしょお姫様」
「そうでございますよ、私が姫です」
そら君は苦笑しながらも、掬ったれんげに息を吹きかけてくれる。
もくもくと立つ湯気が暴れて、風が僅かに私の顔にもかかる。
それからそら君は、れんげを私の方に差し出した。
「はい」
「あーん」
「……え?」
ここまで来たら、これでしょ?
「あーん」
「……どうしても、やらないとダメ?」
「前もしてくれたもん」
子供の時だけど。でも、やってくれたなら今もやってくれてもいいと思うんだよね。
そら君は頭をカリカリと掻きつつも、私の口にれんげを入れてくれた。
口を閉じると……舌に広がるのは、すっごい味!
柔らかいものを口の中で咀嚼しているうちに、急に胃が空腹を訴えてきた。
——めちゃめちゃお腹すいてるじゃん!
すごい。一口で、私の食欲が全部戻って来た。
これは世界一美味しいおかゆだ!
「さすがに全部これだと日が暮れちゃうから、いい?」
「はぁい、ありがとー」
「はいはい」
私にれんげを渡したそら君は、そのまま私が食べ終わるまで待ってくれた。
「ごちそうさま」
「はい、お粗末様」
「めちゃおいしかった……ねむくなってきた……」
「それは良かった、そのまま眠ってくれ」
私はそら君にゆるゆると手を振って、布団の中に入った。
まだ日が沈んだ直後だったけれど、転入後からの疲れもあった私の体は、その全てを回復させるぐらいに朝まで起きることなく深い眠りについた。
翌朝。
すっかり体から全ての疲れと病気が吹っ飛んだ私に、唯一の問題が起こった。
「私……。あ、あれ!? 私、昨日……!」
チャットアプリには、やり取りが残っていた。
意味不明なスタンプの連打と、その後の自分の行動。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
思い出される、とんでもない失態。
無茶な要求、アホな言動、物凄いワガママ!
私は、全部、覚えていた……!
や、やや、やっちゃったぁ〜〜〜〜〜!