雨の日にあった姫の受難
アラームの音が鳴る前に、ぼんやりと目覚めるいつもの朝。
さすがにサーラも立て続けにうちに来るほどではなく、今日は朝食を自分で作る。
作るといっても、乾燥した野菜と液体味噌、あとは小分けの豆腐を使った味噌汁といった具合。
それでも味噌汁に入れると豆腐は大きいので、半分は冷や奴。
実にシンプルな朝食だ。
「いろいろ便利になったけど……」
それなりに美味いし、それなりにちゃんとしている。
だが、昨日の朝食を思い出すと、その内容の差はどうしても感じてしまう。
静かな朝だと思う。
いつも一緒に食事している彼女がいないことが、段々と不自然に感じるぐらいに。
妙に、彼女のことを意識してしまう。
ただ幼馴染みというだけの、学園の姫となった彼女のことを。
「いかんな。元々俺は、こうだったじゃないか」
去年一年は、何事もなく過ごした。
良い事もなければ、悪い事もない。
あまりに出席頻度が低くて、部活を退部したぐらいか。
静かに、目立つことなく、無難に切り抜ける。
頂点を取るような成果を上げることもなければ、試験で下位に落ちるようなことも一度もない。
一人暮らしの部屋も、勉強したり、遊んだり。
それから、自分一人で考えに耽ったりするのに向いていた。
友人と呼べる存在もいなかったし、誰も呼んだことはなかった。
そう。
いつも通りの朝。
いつも通りの朝食。
いつも通りに着替えて、登校するだけ。
俺はいつも通りにドアを締め、ポケットからキーチェーンを取り出して——仲良く揺れる瓜二つの鍵を見て、頭をドアにごつんとぶつけた。
(いや意識するなとか無理に決まってるじゃねーか!)
もう登校したよな?
俺が鍵を使って中に入るとか思ったりしないんだろうか?
……しないんだろうな。
「……ったく、こっちの気も知らないで」
俺は溜息を吐いて、学園まで足を進めた。
◇
その日の放課後、急に大雨が降ってきた。
天気予報では確かに曇だったが、降水確率はゼロではなかった。
ということは、悪い方向に天気が崩れてしまったということだろう。
「なんか作るか」
俺は、雨が止むまで調理部で時間でも潰していようと思い、サーラにメッセージを送ってから部室に顔を出す。
「おっ、飯田。また部室に来てくれたか。これは先生に気があるな?」
「知ってますか村上先生、アメリカでは女性教師が男子生徒に手を出して逮捕されるニュースがあることを」
「的確に恐ろしいことを言ってくるね……思春期の男の子は先生に恋するものだと思ったんだけど」
「保育園児が保育士に対しての間違いでは?」
「そうか、飯田には保育園の頃に狙っておくべきだったか」
「余計に犯罪でしょ」
村上先生は、若干この押しの強さと遠慮のなさが残念な感じだ。
むしろキリッとしている見た目なので、黙っていたらモテると思う。
ただ大人しい村上先生とか、知ってる人からしたら悪い物でも食べたんじゃないかと思うな。
「今日も今日で、誰かの為に作るのかなー? 先生のためかな?」
「録音して教頭のところまで持っていっても?」
「ごめんそれはマジで死ぬ」
ま、俺も村上先生の実力は信頼しているし、こんな地味な俺にも絡んでくれることは有り難い。
有り難いが、サーラのことを考えるとあんまりな……。
……いやいや、何故この流れでサーラなんだよ。
俺とあいつは幼馴染みの隣同士、それ以上でもそれ以下でもない。
鞄の中で鍵同士が当たって揺れてるけど、無視だ無視。
「それにしても、凄い雨ですね」
「うんうん、そうだねー。雨濡れお姉さんモードになると、モテるかな?」
「PTAの母親方にはモテますね」
「わーお、マジでありそう……」
そんな会話を絡めつつも、俺は料理に取りかかった。
途中村上先生が幾度となく手伝いに来てくれた。
調理中の姿は寡黙で格好良いんだけどなこの人……。
料理を作っているうちに、外は小雨になっていた。
これなら傘を差さなくても大丈夫だろう。
◇
「ただいま!」
「おかえり」
少し遅くなったサーラを家に迎えると、タオルで頭を拭いていた。
「濡れたのか、大丈夫か?」
「うん。ハンドボール部でね……『どうしても!』って頼み込まれちゃって」
「あの雨でか?」
「私、体験入学の予約が多いから、今日を逃すと一つずつずらすわけにもいかずかなり後ろに回っちゃうから」
マジかよ、人気者は大変とはいうが、あまりに想像を絶するな……。
「大雨は避けられたんだろ?」
「あー、えーっと……」
「……まさか、あの大雨の中で部活なんかさせたのか?」
「ち、違うよ! そうじゃなくって、えっと……後輩の、男子からね……」
あ……あー、そういうことか……。
「放課後、グラウンドの隅でって言われて行って、倉庫はあるけど屋根のないところだったから思いっきり降り始めのゲリラ豪雨を浴びて」
「うわ、大変だな」
「……ねえ、そら君がもし相手を呼び出したとしてたら、そんな時どうする?」
そりゃ、豪雨なんだから決まってる。
「告白とかそんな場合じゃねーだろ。自分の服を頭に被せて倉庫に入れて、傘取ってくるわ。好意を伝えるとか相手のこと考えりゃ別の日でいい」
「……」
俺が答えると、サーラは「ふふっ」と笑った。
「何だ、おかしかったか?」
「ううん、私は一番そうしてほしいかなって思っただけ。そうだよね、気遣えない相手と長続きなんて出来ないよね」
ま、そりゃそうだよな。
……ってことは。
「あのね。なんか私がびしょびしょの中で喰い気味に好きですって言われた」
「嘘だろ?」
「だから『なんで今言ったの?』って聞いたら、『次のチャンスが来るまで順番待ちだから』だって」
「失礼にも程があるだろ、サーラを並んだら買える限定アクセサリーか何かかと思ってんのか」
あまりの扱いに眉間に皺が寄るし、溜息も出る。
サーラ姫は、既に学園で有名人だ。
だけど——普通の一般生徒なんだ。
テレビの中のタレントみたいな遠い存在ではない、普通の女の子なんだよ。
「……ふふっ」
「どうしたんだ、さっきから。たとえ話が面白かったか?」
「んーん……まあ、そんな感じ? ふふふ……食べよっ」
そこで話を切り上げた。
なんだろ、変なヤツ。
ま、失礼な相手に嫌な気持ちになってるわけじゃなさそうでよかったよ。




