初めての提供と、無防備お姫様のとんでも提案
何だか一気に疲れた。
このまま帰っていこうか……と思ったが、思い直す。
毎晩作ってもらっている。
その上、今朝も作ってもらっている。
いくら彼女の希望だからとはいえ、さすがに労力的には負担が大きい。
何より、サーラは今日も部活動だ。
昔の運動音痴と同一人物なのかってぐらい、バイタリティの塊。
それでも、先日の告白断りみたいなのは精神力が要るはず。
体力とは違う部分がガリガリ削られて、それは体力の方に大きく影響する。
……ちょうど、今日の俺みたいにさ。
サーラは、ほぼ毎日だ。
優しい奴だし、申し訳ないと思いながら断るのは大変だろう。
なら——今日は決まりだな。
◇
隣の部屋の扉がガチャリと開いて、それから程なくして。
「ただいま!」
「ん、お帰り」
チャイムを鳴らして即ドアを開く、すっかり慣れた様子のサーラがやってきた。
……さっきの挨拶、なんか変じゃなかったか?
まあいっか。
「そろり、そろり……」
「口で言いながら来なくても。ほら、出来てるよ」
「わあ……!」
というわけで、今日は俺が夕食を作った。
反応から分かるように、サーラには連絡済み。
入れ違いで食材を買わせちゃうと悪い気がするからね。
帰宅と同時に皿に載せたのは、煮魚。
今日良さそうなのが入っていたから、思い切ってみた。
「これは、お魚さん!」
「真鯛のいいサイズの切り身があってね、煮付けにした」
「えっえっいいの? 今日記念日か何かだっけ?」
「おめでたい日でなくても鯛ぐらいは食べるって」
コメントが面白いサーラに笑い、調味料棚を取り出す。
少し早いが、夕食を始めるか。
「いただきまーす!」
「ん、いただきます」
サーラは食べる度に「おいしい! おいしい!」と元気よく反応してくれた。
自分も食べてみたけど、まあ久々にしては上出来かな。
日本酒とみりん様々である。
「後は、これ」
半分ほど食べたところで、棚の中から一つの調味料を取り出す。
「味を変えてみよう。試す?」
「うん、試したい」
それは、山椒。
ミルで挽く山椒で、かなり舌が痺れるほどのもの。
どこか柑橘系でありながら、粉山椒と同じタイプの味。
最初に買って以来、出番は時々でもお気に入りのものだ。
「……! あっ、これ、すっご、すっごい痺れた! えっ何これ凄すぎて笑っちゃうんだけどンフッ」
「ああすまん、かなり強いから気をつけて、と言おうと思ったんだが……」
元気よくたっぷりかけたサーラは、楽しそうにお茶を飲んで「お茶も変な感じ!」と笑っていた。
いやもう何でも楽しそうに反応するから、元気すぎてこっちが笑いそうなんだが。
「味覚を鋭敏にするという話から、減塩用の万能調味料ということで話題になった」
「知らなかった、山椒すごい。私も買おうかな」
「あ、これは結構高いよ」
「毎日食べに来させていただきます」
そこだけ丁寧に礼をして、サーラは完食した。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
こちらも同時に夕食を食べ終わったところで、サーラのスマホが鳴る。
「あれ? お母さんだ」
サーラのおばさんか。
当たり前だけど、まだ会ってはいないな。
「あっ、そら君のおばさんとお喋りしてるみたい」
「いやマジかよ」
そういや仲良かったとか言ってたもんな。
それにしても一緒にいるとか一体何を喋ってるんだ?
先日うちに来たばっかりだし、変なこと吹き込んでないだろうな……。
「やれやれ。そういえばサーラ、うちは引っ越してないけどそっちはどこに住んだんだ?」
「うち、以前のところからそこそこ近くだよ」
あー、そりゃ近いわな。
小さい俺とサーラが徒歩で家に来て、最後はサーラのおばさんが車で迎えに来てたから。
「あ、そうそう」
サーラはここで、バッグの中から鍵を取りだした。
「はい」
「何だ、やっぱり返却するのか?」
それは……まあ、普通に考えたらそうか。
男の一人部屋とはいえ、いつも来るつもりはないだろうし……ちゃんと健全な関係にしておこう。
「え?」
ところが、サーラは首を傾げた。
鍵を指で摘まみながら、視線の先のサーラの顔を見る。
俺は、もしかしたらサーラのことを、まだ少しはかり損ねていたのかもしれない。
サーラは次に、とんでもないことを言った。
「そうじゃなくて、うちの」
「うちのって……まさか」
「私の部屋の合鍵。これでお互い様だよね」
健全な関係どころか、不健全へ全速力だった!
「お前、それはまずいだろ!」
「なんで?」
「なんでって、そりゃあ……」
そりゃあ俺も男だしな、とは言いづらい。
つーかなんでそんなに信頼あるんだよ。
「昔も一緒に身を寄せ合って寝たりしてたじゃん」
そりゃお前のこと男だと思っていたからな!
何より幼稚園児だったんだから、異性を意識するような感性はまだ持ち合わせていなかったわけだし。
いやマジで誘ってるのかそれは。
なんつーか……危ういなこの子は。
「……分かった。これでお互い様だ」
「やった!」
本当にこれでいいのか、なんとも困りながらもキーチェーンにサーラの鍵を追加する。
同じデザインの鍵が、ペアのように揺れた。
サーラは頭も良いし見た目も大人びているが、うちで喋っていると極端に幼く感じる時がある。
心配だ。サーラのおじさん、娘のこの緩さ知っていたら絶対一人暮らし許可出してないだろ。
とはいえ、それが彼女の希望なら、それに沿うよう俺がしっかりしていけばいいか。
いざという時は、俺が守るぐらいの気概がないとな。
「えへへ、改めてよろしくね」
「ああ、よろしくな」