新たな一日、最初の一歩
月曜、新たな気持ちで学園へ向かう。
去年一年は、ずっと前髪を伸ばし続けていた。
髪の毛は、ずっと長かった。
綺麗さっぱり、切ってもらった。
自分にしては、思い切ったことをやったと思う。
でも、後悔は全くしていない。
「おはようございます」
堂々と胸を張り、校門をくぐる。
待機していた先生が「おう、おはよう!」と元気よく叫び、幾人かが俺の方を振り返った。
……変じゃ、ないよな?
クラスの扉を開く。
既に生徒はほとんど登校を終えていた……というか、ぶっちゃけ担任とほぼ同時に教室に入った。
「……」
教室に入ったと同時に、一斉に視線が俺に集まる。
いつもならそのまま皆がそれぞれ自分のしていることに視線を戻すが……今日はそれがなかった。
「飯田君! おはよう!」
そんな中で、真っ先に大きな声で挨拶したのが、すっかりクラスの中でも存在感を放つようになったサーラだ。
「ん、おはよう綾戸さん」
いつもどおり挨拶をしたところで、担任が手を叩いて皆に着席を促した。
ホームルーム中に右隣のやつがちらちら見てるし、時々斜め前の女子が振り向いて目が一瞬合うんだが、すぐに逸らされてしまう。
……変だろうか。ちょっと分からん。
朝のホームルームが終わった直後、真っ先に綾戸さんが顔を寄せてきた。
「あの交差点にある理髪店でお任せしてみたけどどう?」
俺の問いに、ものすごくいい笑顔で両手の親指を立てたサーラ。
うん、要望を出してくれた彼女が満足してくれたのならいいことだ。
「ヘイヘーイ! 飯田君、めっちゃいいじゃん! 完全ノーマークだったんだけど! おねーさん許さんぞー!」
「佐藤さん朝から元気すぎるし同級生だぞ」
「私から元気を取ったら、陰湿駄文女要素しか残らないからね!」
それはそれでどうなんだ、という佐藤さんの無駄に高いテンションに苦笑する。
「……」
ふと前を見ると……山本さんが俺を見ていた。
眉間に皺を寄せて何か言いたそうにしていたけど、佐藤さんの方をちらと見ると、すぐに前を向いた。
◇
放課後、再び運動部からの拝み倒しに遭って体験入学となったサーラを見送る。
「あんまり無理なら断ってもいいんじゃない?」
「まだ大丈夫だよ。でも、そろそろ考えないとね。ありがと」
と会話をして別れた。
さて……ここからいつもなら帰るところだが。
(今日は、行ってもいいかな)
折角の機会だ。
調理部に顔を出してみるか。
この学園の調理部は、かなり自由に活動している。
大抵は週一で皆が同じ物を作ったりするものだが、ここでは食材とレシピが沢山あり、そこから自由に作るのがメインとなっている。
周りに人がいることと、顧問の指導を除けば、個人個人で料理しているようなものだ。
部室の調理室に入ると、ちらほらと既に料理を作り始めている部員がいた。
そのうち何人かが、俺を見て手を止める。
「おっ、もしかして……飯田か!」
顧問の教師が、俺に向かって手を挙げた。
「村上先生、お久しぶりです」
「もう久々すぎて今学期初だよなー」
村上先生は、調理部の顧問だ。
短髪で眼鏡をかけた、明るい女性教師。
若いながらも腕の立つ顧問として有名だ。
「それにしても……」
村上先生は、俺の顔をじっと見ながら顔を寄せる。
……いやいや、近い近い。
「コレか?」
「違いますよ」
小指を立てた村上先生に溜息を漏らす。
つーかそれで通じない生徒もいるぞ。
「そうか。でも、いいじゃないか。断然そっちのがいいよ」
「そうですかね、ありがとうございます」
「切っ掛けとかあったのかい?」
その質問に、サーラ……と答える寸前で名前を吞み込んだ。
周りにも人がいるんだし、何人かはこっちを向いている。いや俺を見ても面白くないだろ。
「母に、そろそろ前髪を切った方がいいと言われまして」
「へえー? それだけで切るのは反抗期だったからかい?」
「違いますよ。後は隣に住んでいる人にも切るべきだと言われましたし、よっぽど長かったんだろうなって」
嘘は言ってない。サーラは文字通り隣の人だからな。
村上先生は「ほーん」納得したようなしてないような曖昧な返事をすると、開いているキッチンを顎で指した。
「ま、深くは聞くまい。来た以上は作っていくんだろ?」
「はい」
「何か決めてるのかい?」
ふーむ。
夕食を作っても良いけど、もしも生肉などを既に買っていて、仮に今日明日ら辺りが消費期限なら使っておきたいだろうし。
自炊の難しさって、料理が出来るだけではなく、消費期限を把握しつつ食材を使い切ることなんだよな。
母さんもそれをやっているので、父さんが何かしら一品買って帰ったりすると『事前に教えて!』と怒るのだ。
出来合いの惣菜とかは、消費期限が基本その日のうちだからなあ。
俺はサーラの今の冷蔵庫を知らないから、迂闊なことはできない。
となると、だ。
「そうか、これなら——」
◇
今日の夕食は、シンプルな肉じゃがだった。
話を聞くと『セールの牛肉、使い切っておきたかったから』と言っていたので、どうやら放課後の俺の判断は正解だったようだ。
偉いぞ俺。
味付けは言わずもがな、じゃがいもの扱いの巧さを褒める。
これ、下手したらすぐにじゃがいも崩れたりしちゃうんだよな。
そういう失敗談を話の共有も、面白いものだ。
「やったやった、私も『ふはは熱さえ通れば良いぞよ!』という感覚で男爵突っ込んで煮詰めまくって、最終的に牛肉に絡みつくマッシュポテトのペースト作った」
いや、それは俺もさすがにやらなかったぞサーラ姫……。
「そういえば、今日はどこに出ていたの?」
「テニス部。なんかネットの外にギャラリーできてて恥ずかしかった」
「転校初月からタレントみたいじゃないか……」
「最初の内だから珍しがってるだけだって、すぐに飽きるよ」
いやー、その認識は甘いと思うな。
実際今のサーラは本当にタレントのような活躍っぷりだし、プレイはもちろん容姿も目を惹きまくる。
運動嫌いで男の子っぽかった頃のサーラを覚えている俺としては、気易く絡んで良いのかお姫様扱いしていいのかちょっと迷う。
彼女そのものに対して、翻弄されている、という感じがするな。
ま、そういう意味では今日はお姫様扱いだろう。
「ちょっと待っててくれ」
「ん? どったの?」
まずは用意する前に、やかんを火にかける。
「飲み物、この時間ならほうじ茶でいいか?」
「うん、ありがとー」
いちいちお礼を言ってくれるサーラを微笑ましく思いつつ、冷蔵庫へ。
……おっと、聞かなくちゃだめだな。
サプライズは、相手のことを考えないといけない。
「この後、甘いものとかいけるか?」
「えっ、あるの!? ほしいほしい!」
よし。女の子に食後の甘い物は別腹で大丈夫だとは思ったけど、それも百パーセントではないからな。
何事も確認を怠ってはいけない。
冷蔵庫の中で冷やしたものを、取り出す。
「こ、これは……!」
「部活。久々に軽く作ってみた」
テーブルの上に載ったのは、白いまんじゅうの中に赤いものが存在感を放つもの。
「苺大福! えっ待って大好きなやつ!」
「そりゃ良かった、好き嫌いは知らないからな。何を作ろうか迷った」
「私は好き嫌い全くないです! そして和菓子は! 超! 大好き! です!」
「実に結構、作った甲斐があったよ」
いい反応をしてくれて、俺も嬉しくなるな。
お茶を淹れて、テーブルへ。
ついでにもう一品、盆に載せて紹介。
「……。あの、こちらは?」
「抹茶栗きんとん。明日の朝か昼にいただこうと思う」
「はいはい! 朝食べましょう!」
元気よく手を挙げて応えるサーラに、苦笑しながら頷く。
なら、明日は朝から一緒だな。
「さて、こっちは冷やして……苺大福、さっさと食べてしまおう」
「はーい!」
サーラは俺の苺大福を、とてもおいしそうに食べてくれた。
やっぱ食べて貰って笑顔でいてくれるの、作りがいがあるな。
「美味しい。天才。神」
「和菓子ひとつで過剰すぎだっつうの。天才はサーラの方でしょ」
「んなわけないじゃんもー。普通だよー」
お前のような普通があってたまるか、と内心で突っ込みつつ、俺も自分のものを口に含む。
今日から、思い切って変わってみたが……いい一日だった。
切っ掛けを与えてくれたサーラには感謝だな。