隣にお姫様がやってきた
「食べていいよ?」
今、目の前で起こっている現象の整理がつかない。
そんな俺の気など知ったことではないと言わんばかりに、正面の人物は優雅な微笑みを湛えていた。
――初対面の美少女が、俺の部屋にいる。
帰宅前に母から電話があり『知人が挨拶に来るので、丁重にもてなすように』と随分と楽しげに言われたことを思い出す。
間違いなく、この人のことだろう。
目の前の人物は、ちょうど俺が私服に着替えたタイミングで現れた。
淡い色をした長髪はつやつやで、CMでしか見たことがないような天使の輪を幾重にも作っていた。
整った顔立ちは知性と理性を、それでいて愛嬌も感じさせる不思議な魅力がある。
スタイルも良く、女子の中でもやや背が高い方に入るだろう。
一言で喩えるなら『お姫様』と言った感じ。
欠点らしい欠点がない。
それが第一印象だった。
『今日、おばさまから連絡が行っていると思うけど……。隣に引っ越してきた、綾戸紗亜良だよ』
確かにそれは、母さんから聞いていた名前と同じだった。
ただし、貰っていた情報は名字だけだ。
絶対俺が驚くことを想像して名前伏せてたな……。
『そら君だよね?』
『えっ、あ、はい。飯田蒼空で合っています』
『……同い年なんだし、そんなにかしこまってたら変でしょ?』
その情報も今知ったばかりだよ。
正直、学校でも女子と話すことそのものが少ない俺からしたら、体験したことのない距離に困惑するしかないんだけど。
『それじゃ、上がらせてもらうね?』
すっかりその場の勢いと事態の意味不明さに吞まれ、俺は頭を真っ白にして頷いた。
めちゃグイグイ来るな、このお姫様。
部屋に上がり込んできた綾戸さんは、持ってきた手荷物を四人がけのテーブルの上に広げた。
円形のビスケットの次に、ディップ用のペーストが入った小瓶。
最後に、亀の甲羅のような紋様をした瓶に入った、琥珀色の液体を出した。
……おいおい、マジか?
同い年なら互いに高校二年生なんだが。
綾戸さんは『二人の出会いを記念して』と、てきぱきとキッチンのものを使って飲み物をストレートロックでグラスに注ぎ、ビスケットの封を開ける。
この子、これで案外遊んでいるのだろうか。
「食べないの?」
「いや……その、何もかもが色々いきなりのことで」
「もう、固いこと言わないで」
綾戸さんはそう言うと、手元のビスケットを一枚取り、瓶の中に直接入れる。
中は、アボカドとか、何かチーズのディップだろうか。
瓶の中に入った白っぽい緑色のそれは、お洒落なものに見えた。
彼女の白く細い指に摘ままれたそれが、俺の目の前に差し出される。
見ると、彼女はテーブルから身を乗り出していた。
こ、これはまさか……?
「口を開けて?」
やっぱり、思った通り『あ~ん』だった!
この子、直接俺に食べさせる気だ。
誰も見ていないとはいえ、さすがにこれは恥ずかしい。つーか、本当に距離感どうなってるんだこの初対面のお姫様。
そもそも母さんは一体どこでこの子と知り合ったんだ?
「どうしたの? このままだと顔にくっついちゃうよ。ひょっとして顔面パイ投げになる方が好きだった?」
「んなわけあるか――もごっ」
「隙あり」
綾戸さんが突然変なことを言うものだから、反論しようと口を開いた。
彼女はその瞬間を完全に狙って、一気に俺の中へビスケットを突っ込んできたのだった。
否応がなく、口の中の物を咀嚼する羽目になる。
女子から『あ~ん』で食べさせてもらうの、幼少期の母親を除くとさすがに人生初だ。
口の中に、アボカドディップの濃厚な味が――――。
「――――わさび漬けだこれ」
わさび漬け。
それはわさびと酒粕をベースとした、日本の伝統食の一つ。
わさびの根や茎と酒粕を合わせたシンプルなもので、言わば和食版タルタルソースのようなもの。
めっちゃ洋風な瓶に入ってるけど、完全にわさび漬けだこれ。
酒粕多めで緑色強めだから気付かなかった。
癖は強いものの、昔から好きで時々食べていた……のだけど、今は容器と味がミスマッチすぎて頭がパニックを起こしている。
つーか下のビスケットも小麦のじゃなくて、米のせんべいだこれ。
市販のプレーンビスケットの箱から取り出したから分からなかったけど、完全に中身すり替えた米菓商品だこれ。
白く薄い米のせんべいは、わさび漬けに実によく合っていた。
最初からこの組み合わせをするために用意したのだろう。
「ということは……」
俺は手元にあるグラスに入った飲み物を、やや注意しながら呷る。
ロックで冷やされた琥珀色の液体は、強いアルコールで俺の喉を焼く――ことはなかった。
麦茶だこれ。
大手メーカーのウィスキーボトル角瓶の中に入った、ただの麦茶だこれ。
つーことはわざわざ空瓶作って麦茶入れて持ってきたってことか?
あまりに凝った悪戯だったので、完全に騙された。
並べられたものの視覚情報全部が洋風なのに、味覚が訴える情報が完璧に和食。
参ったことに味だけはすごくいい。ただ俺がパニックになっているだけで。
もう考え込むように首を傾げるしかない。
これを、目の前のお姫様がわざわざ用意したのか?
ってお前さっきから何『いたずら大成功!』みたいに声を殺して肩を震わせてるんだよ。
最初の印象を返せ、とんだおてんば姫じゃねーか。
――ふと、俺の頭の中に幼少期の記憶が現れる。
それは、突然過去を思い出した……というよりは、目の前の笑顔から連想したように唐突に『そういえばそんなこともあったな』と記憶が現れた。
俺は、この笑顔を知っている。
「お前…………もしかして、アヤトか?」
「だからアヤトじゃなくて、アヤドだよ」
これと同じ台詞を、確かに俺は十年前にも聞いていた。
久々に新作を書き始めました!
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