最後の部活 ~203X年の風景~
カキーン!
打撃音と共に春の空に白球が舞う。雲一つない青空に降り注ぐ春の陽気がグラウンドの際に生えている木々を包んでいる。
「センターバック!バック!」
高校球児が声を掛け合いながら、高く上がった打球を追いかけセンターが無事外野フライをキャッチすると、大きな拍手が沸き上がった。俺の他にも多くの見物客がフェンスの外から、部活に励んでいる球児たちを応援していたのだった。
「いや~平日の昼間だというのに、結構人が集まってますね、先輩」
観客の合間をかき分けて男がやって来た。こいつは大学時代の後輩で軽い所があるが、その分気楽に付き合え何かとつるんでいる間柄である。
「こんな時間に呼び出してすまんな」
「この後先輩のおごりで、御相伴に預かれるのなら気にしませんよ!」
相変わらずにこやかな顔をている。まあ今の俺にはこいつの軽さが必要だ。
「それにしても高校の部活見学にしては人が多いですね?ここってそんなに有名校でもないし…」
「周りに居るのは野球部のOB連でな…今日は野球部最後の活動日という事で、皆集まっている」
そう…俺が後輩を呼び出してまでここに居るのは、慣れ親しんだ母校の後輩たちの勇姿を見ておこうと思ったからだ。春休みの平日と言う事もあり、集まれる同期も居ないので付き合ってもらう腹積もりだ。無論個人の感傷だが、その分飲み食いで埋め合わせる予定だが。
「へえ~先輩って高校生の時は野球部だったんですか?大学じゃそんな気配すらなかったんですがね?」
「まあ…大学で続けるには思うところがあったしな」
「汗臭いと女の子にもモテませんしね!」
「ちょっとは回りに気を付けて発言しろよ?野球好きの集まりだぞ」
「こりゃスイマセン」
後輩を軽く注意しつつ、目の前の現役を見ていると白球を追いかけていた青春が蘇えってくる。と同時に歳を重ねずいぶん遠くまで来たと感慨に耽る。
「それにしても最後の活動日って、なにか問題でもあったんですか?」
こちらの感傷を気にせず後輩が語りかける。
「野球部の廃部が決まってな…」
「…そりゃまたどうして?」
興味深そうに後輩が質問を投げかけてくる。
なんらかの理由で、一次的な活動の休止なら休部と言う手段もある。しかし廃部と言うのは言葉通り廃止して以後活動を一切しない事である。廃部とはそれだけ重い決断と言う事だ。
「まあ色々あるんだが…まず部員が集まらん」
「それでも、九人居れば試合は出られるんですよね?」
「出来ないことはないが…勝つのは難しいだろうな。甲子園に出たい生徒は有力校に行ってしまう」
「野球が人気ないとは思えないんですけどね…」
相変わらず野球の人気は根強い。プロで活躍して、いずれば大リーグに挑戦と言う野球少年は居る。とは言えプロを視野に入れず野球を楽しむとなると、前提が変わってくる。部活と言う上下関係…これは野球部に限った事ではないが、体育会系の気質を遠慮したいという気質もある。
少し気まずく言葉をつつける。
「今時丸刈りとか流行らんさ」
「という事は先輩も昔は丸刈り?」
「おい…変な想像するなよ」
後輩のからかいに軽く怒りつつも、現状は後輩の言う通り。
そう球児は丸刈りと言うイメージが付きまとい、多感な少年には意外と忌避感を持たれることもある。サッカーやバスケのイメージの良さは意外と馬鹿に出来ない。とは言え、廃部の理由としてはさほど深刻な部分ではないのだが。
「そう言えば先輩この学校の先生でしたよね?野球部の顧問をやらないんですか?」
「そういうのは若手の先生に譲る事にしてる…あそこで指導してるだろ」
「二十代の先生かな?確かに先輩より若いや」
「あの世代は丁度コロナ直撃だろう?修学旅行やら文化祭やら、学校生活を余り楽しめなかったからな」
「後輩の先生に、楽しむべき青春を少しでも取り戻させようと?」
楽しむべき青春が、学校にしか無いってのも酷い話ではあるが、社会が学校に期待している部分が多いのも事実だからな。それに歳が近い方が、生徒としても何かと親近感がわき易いだろう。だが、俺の心情を無視して後輩が突っ込みを入れてくる。
「本当の所は?」
「四十を超えると何かとしんどい…」
「まだまだ老ける様な年齢でもないでしょ先輩」
後輩が笑いながら気楽に言ってくる。スポーツの世界では三十で老いを意識しだす。真正面から若者を相手にするのは馬力が要るのだ。それ以外にも理由はある。
「そうは言うが、部活の拘束時間は長いは土日潰して試合をやっても手当てがそんなにつかないわ、書類仕事は山ほどあるわ」
「でもやりがいはあるでしょ?」
「それで乗り切れるのは若いうちだけだ」
「けど先輩が選んだ道でしょ?」
「定年前の先輩教師が言うにはOA化だの、IT化だの、インターネットだの、効率化が進むほど仕事が増えてるって…年々やることが増えてるんだよ」
ここぞとばかり、仕事の不満を吐露してしまった。教師は聖職と言うが、労働者としての立場もある。
「まあなんやかんだで、部活に割く時間が厳しくってな」
「なら人手を増やせばいいのに」
「まあ部活でも、茶道とかちょっと特殊な活動は師匠を呼んで、稽古して貰ったりはしてるんだがな」
「そういうの月謝が必要なんです?」
「ケース・バイ・ケースかな…ほとんどボランティア…みたいな謝礼で来てくれる人も居る。教育や文化への貢献とか」
一部の学校では外部から指導者を呼んで活動する流れもある。しかしながら、謝礼をはじめとする諸費用や責任問題の所在など、問題がなくもない。
ただ教師による指導も、経験のないスポーツを教える事になったりと負担もある。それだけにゆるい文科系の部活の顧問を希望する教師もいる。
もっとも、手のかからないと思われてる文科系の部活は学校で活動しなくとも、ネット上で済む場合もある。マンガや小説…あるいはバンドなどは個人単位で発表できるからな。
「だから先生の働き方改革って奴かな…部活は外部委託しようってのが流れだ」
「外部委託ですか?想像がつかないですね」
「簡単に言えば周辺の生徒を対象にした、野球クラブとかそんな物だ。先生はノータッチで」
「リトルリーグの高校生版みたいなものですか?」
「そんな感じかな」
「そうなると、全国高校野球大会…甲子園とか寂しくなりますかね?」
「まあな…私学なら野球部は存続してるだろうが…公立からの参加は減るかもしれんな」
話に夢中になっていたので、グラウンドの方を向いて後輩たちの姿を追う。最後の活動と言う事で紅白戦を行っており、そろそろ終盤に差し掛かろうとしている。周りの観客も試合が始まった頃よりも増え、追い追い声援も飛び交っていた。
隣の後輩は喋り足りないのか言葉を続けて来た。
「そうなると、俺が子供の頃に見た甲子園を目指すマンガとかアニメとか、そのうち創作上の話になりますね」
「俺が爺さんになるころには昔ばなしと言われるかもな」
「それじゃあ学校って、単に授業を受けるだけの所になりませんかね」
「まあ文化祭や修学旅行とか、イベントはあることはあるがな…」
「部活が学校生活の華とは言いませんが、楽しみにしてる生徒は拠り所が無くなりますね」
「言い訳できるのなら、学校に何もかも期待するのではなく、学校の外で何かを見つける機会になるとは思いたい」
俺が高校生の頃はどうだったのだろうかと、改めて振り返ってみた。自宅と学校以外に居場所はあったのだろうかと。野球漬けで、美味い飯屋の一件でも開拓した事もなかったか。そう思うと、学校以外の居場所を見つけろとは人に言えた義理ではない。
目的意識を持って過ごせる高校生と言うのは大人の願望なのだろうか。
「けど、学校にもある程度頑張って欲しいもんですよ。初対面でタメ口きく礼儀もなってない若い奴を見てると、強制的に上下関係教えた方が良いと何度思った事か」
「おいおい、殴られて一人前になったなんて、昭和の爺さんの理屈だぞ?」
「友達感覚の奴からが多いんですよ」
後輩が文句を垂れているが、本心ではないのは見て取れる。
「次で最終回ですね。均衡していい試合じゃないですか」
「ああ、このまま楽しくやって欲しいものだ」
「野球部が無くなったら、サッカー部とか伸び伸びやれそうですね」
「いやサッカー部も陸上部も軒並み廃部が決まっている」
「ええ?そこまで」
後輩が一瞬驚いた表情を見せ、まじまじと俺の方を向いた。
「言ったろ?学校から部活を切り離して、地域に任せるって」
「じゃあ、これからは放課後はその高校の合同チームみたいなが、活動する訳ですか」
「あ、いや…学校と切り離す以上学校の施設は使えん」
「市民グラウンドとか体育館は社会人が使ってるのに、取り合いになりませんかね?」
「課題は山積、問題は先送り…今に始まった事じゃないさ」
高校時代には部活動など行っていなかった後輩だが、流石に手当ても無く放り出される高校生には同情したようだった。そしてそのまま後輩は黙るように、試合を眺めていた。
試合は九回の裏ツーアウト。打者はツーストライクまで追い込まれ、次の球を豪快に空振り。
「ゲームセット」
審判が試合の終了を宣言する。
「一同礼」
顧問が互いの健闘を称え挨拶を促す。
「「ありがとうございました」」
部員の挨拶と同時に周囲から拍手が沸き起こる。
顧問から挨拶があり、部員たちが観客の方に向かって深くお辞儀をする。
何処からともなく万歳三唱が起こり、やがて校歌がグラウンドの内外から斉唱されていた。力強い声もあれば万感の思いにあふれ、涙交じりの声もある。
三月は別れの季節とはいうが雲一つない清々しい青空にやるせなくため息をつく。そして――
(結局、甲子園で一度も校歌斉唱ができなかったな…)