クモをつつくような話 2021 その7
この作品はノンフィクションであり、実在したクモの観察結果に基づいていますが、多数の見間違いや思い込みが含まれていると思われます。鵜呑みにしないでお楽しみください。
9月18日、午前2時。
オニグモのキンちゃんはねぐらの住居から水平に渡した糸の下にぶら下がっている。秋休みでも引きこもる気はないらしい。夜露で水分補給でもしているんだろうか?
午後5時。
ジョロウグモの15ミリちゃんが1本の糸に第四脚2本を添えてぶら下がって、脚を軽く広げたりすぼめたりしていた。何かを始めるつもりらしい。
経験不足の作者はここで大きなミスを犯してしまった。直径15センチ、横糸がたったの7本という変な円網を張っていたナガコガネグモのお姉ちゃんにアリをあげている間に、15ミリちゃんが脱皮を始めていたのだ。あわててカメラを取り出して撮影を開始するが、すでにお尻まで脱皮済みで、後は脚が抜ければ終わりという段階だった。
ただ、妙だったのは同居していた雄の方で、脱皮の途中の15ミリちゃんに寄ってきて、何度も背中にタッチするのである。
買い物を済ませて、15ミリちゃんの脚が抜けた頃に戻ってみると、脚を曲げている15ミリちゃんのお腹辺りに雄がいる。交接できるかどうかを確かめているような感じだが、15ミリちゃんは女王様体型なので、おそらく体長25ミリ以上にならないとオトナにはならないだろう。完全にフライングである。それにしても、ジョロウグモの場合、雌がオトナになったかどうかは雌のフェロモンではなく、雄が直接触って判断しているということなんだろうか? それとも早く交接したくて焦っていたのかなあ……。
※ジョロウグモの場合、獲物が少ない環境では十分に成長せずにオトナになってしまうこともあるのらしい。
9月19日、午前8時。
道路には水たまりが少しあって、風もやや強い。
ナガコガネグモのナガコちゃん、20ミリちゃん、妹ちゃんにイナゴを1匹ずつあげた。下側の隠れ帯だけ付けていたお姉ちゃんには体長10ミリほどのハエだ。お姉ちゃんと妹ちゃんの体格はほとんど同じくらいになってきているのだが、お尻の模様がお姉ちゃんはやや白っぽくて、妹ちゃんは比較的黄色が強いので見間違えることはない。
なお、お姉ちゃんは何かあるごとにお尻をスイングするし。少なくともお姉ちゃんの場合は「威嚇」のためだけに円網を揺らすのではないようだ。
ジョロウグモの15ミリちゃんは17ミリほどになっていたが、まだ円網を張っていない。
午前9時。
今日も光源氏ポイントへ行ってみたのだが、15日に交接していたジョロウグモの25ミリちゃんの姿が見えない。交接していた場所の近くに黄色い糸が残されていたので、それを道路とは反対の方向へ延長してみると……いた! 豆科植物の茂みの上の方に直径20センチくらいの円網があった。ただ、その横糸の間隔はオニグモ並みに広い。弱らせた体長20ミリほどの細身のバッタにも、5ミリのガにも反応してくれない。まだ早かったようだ。
同じくらいの体長の7本脚のジョロウグモにも細身のバッタをあげたのだが、無視されてしまった。そこで体長5ミリほどのガをあげると飛びついて来た。ジョロウグモらしい小物狙いである。
体長25ミリほどの6本脚の子はバッタにも飛びついてきた。
それよりやや小さい23ミリほどの子には25ミリほどの大型のガを少し弱らせてからあげてみる。この子も最初は無視していたのだが、30分くらい後にそろそろと近寄って来て、何回もチョンチョンした後、翅に牙を打ち込んだようだった。当然暴れ出すガから距離を取った23ミリちゃんはガがおとなしくなってからもう一度近寄ってさかんにチョンチョンしてから今度はガの胸部辺りに牙を打ち込んだ。ジョロウグモに聞いてみたわけではないが、彼女らは大型の獲物がかかったと判断した場合には、十分に時間をかけてつま弾き行動をしてから近寄って、チョンチョンしてさらに安全確認、それでも獲物が暴れないようなら牙を打ち込むことにしているようだ。ただ、ジョロウグモは大型のガに対しては翅に牙を打ち込むことが多いような気がするのだが、ガの翅にも血液は流れているんだろうかなあ。それともオニグモのように頭部から腹部にかけての部分を正確に狙う能力がないということなんだろうか? わからん。
さらに7本脚ちゃんには車に轢かれたらしい体長25ミリほどのガをあげてみた。この場合も数十分かかったが、慎重に近寄って口を付けていた。大型であってもまったく抵抗しない獲物だといくらか積極的になるようだ。
セスジスズメの幼虫が歩いているところにも出くわした。この子はお尻に生えている棘のような1本角をピコピコと前後に振りながら歩くのだな。大型のイモムシだが、かわいいところもあるのだ(一部のマニアには人気のあるイモムシらしい)。
オニヤンマ、トノサマバッタ、オオカマキリなど、大型の昆虫も現れ始めているようだ。秋なのである。
本日のお土産は体長25ミリほどの細身のガが2匹、10ミリが1匹、イナゴが1匹、オンブバッタ3匹である。
午後5時。
ジョロウグモの7本脚ちゃんはガの死骸を完食したらしかった(オニグモの場合とは違って翅は広がったままだが、胸部や腹部はしなびている)。そこでさらに、そこらで捕まえた体長12ミリほどのガをあげると、すぐに飛びついて牙を打ち込んでいた。ガの場合は少なくとも自分の体長の半分くらいまではすぐに仕留めるということになるかもしれない。ガは同じくらいの体長のバッタなどよりもはるかに軽いだろうしな。
体長10ミリほどのワキグロサツマノミダマシは横糸を張っているところだったので、円網が完成してから5ミリほどのガをあげた。その時にわかったのだが、この子のホームポジションにも穴が開けられていたのだった。こういう「無こしき網」はアシナガグモでは一般的らしいのだが、オニグモやワキグロサツマノミダマシについては言及している資料を見たことがない。それでも掲載されている画像を順に見ていくと、オニグモの円網でも穴が開いている場合があるようだし、ワキグロサツマノミダマシではすべて無こしき網のようだ。しかし、アシナガグモはアシナガグモ科で水平円網で24時間営業。オニグモとワキグロサツマノミダマシはコガネグモ科で垂直円網で夜行性である。共通点は「クモである」ということくらいしかない。しかも、コガネグモ科にはナガコガネグモのようにこしきの部分に糸をびっしり貼り付けてしまうクモもいる。いったい何のための穴なんだろう? わからん。
午後9時。
オニグモのお向かいちゃんは直径約60センチの円網を張っていた。そこで体長25ミリほどのガをあげてみると、今回はガをインドのナンのような形に成形してホームポジションに持ち帰ったのだった。ナンでそうしたのかはわからない。〔…………〕
お向かいちゃんは獲物を住居に持ち帰るということをしないタイプだから、今までも棒状に成形する必要はなかったわけだが、そのことに今頃気が付いたのか? それとも気温が下がったので作業を簡略化したのか? わからん。
9月20日、午前2時。
ナン形にしたガをもぐもぐしているオニグモのお向かいちゃんに体長25ミリほどのガのおかわりをあげてしまう。わんこガである。お向かいちゃんはこれもナン形に成形したのだが、その動きが明らかに鈍い。変温動物なのだなあ。あるいは満腹で食欲がないのかもしれない。
午前8時。
ナガコガネグモのナガコちゃんにイナゴをあげた。
ナガコガネグモ姉妹は揃って留守だった。脱皮か、産卵か、あるいは食い逃げして引っ越しか、だな。引っ越しだとして、この子たちもスーパーの東側を目指すようなら、ナガコガネグモ一族には「日が昇る方角の彼方には約束の地がある」というような伝説があるのかもしれない。〔んなわけあるかい!〕
ナガコガネグモの17ミリちゃんには体長10ミリほどの細身のガをあげたのだが、寄ってこない。円網を揺らすばかりである。それならばと体長7ミリほどのアリをあげてもまだ揺らしている。相当な偏食家なのか、あるいはジョロウグモ並みに慎重なタイプなのかもしれない。ナガコガネグモなのに慎重な狩りをしていたのでは今シーズン中にオトナになるのが難しくなるだろうに。
午後1時。
ナガコガネグモの17ミリちゃんはガを食べ終えたらしかった。円網には大きな穴とぐるぐる巻きにされたアリしか残されていない。やはりこの子はジョロウグモのような慎重派らしい。これも形質の幅の範囲内ということにしてしまっていいんだろうかなあ……。
ジョロウグモの15ミリちゃんが円網を張っていたので体長15ミリほどのハエをあげてみたのだが、予想通り知らん顔である。冷蔵庫の中でほとんど羽ばたくこともできなくなるほど衰弱していた獲物なのだが、しょうがない。これがジョロウグモだ。明日の朝、円網を張り替える時までには食べてもらえるだろう。
午後2時。
ジョロウグモの15ミリちゃんがハエを食べていた。ということは、比較的大型の獲物でも力尽きてさえいればいつかは食べてもらえるのかも……いやいや、ワラジムシを捨てられたこともあったしなあ。ジョロウグモは何を考えているのかわからん。
話は変わるのだが、宮下直編『クモの生物学』には「最近、クレイグらは、アメリカジョロウグモは明るい環境では黄色い色素をもった網を張り、それが昆虫の捕獲率の向上につながっているということを明らかにした。この色素をたまたま「開発」したことが、見えやすい網のデザインの進化につながったのかもしれない」という記述がある。これは何かおかしくないか? 黄色い糸に獲物を誘引する効果があるのなら幼体のうちから黄色くしておけばいいだろう。それに、同じように24時間営業のナガコガネグモなどの糸が無色である理由も説明できまい。
そこでアメリカジョロウグモについて調べてみると、この子のお尻は黒地に黄色い水玉が2列に並んでいるようだった。オオスズメバチはインドから東アジアにかけて分布するハチらしいから、それに擬態する意味はあまりなかったのだろう(2020年にはアメリカ合衆国ワシントン州でオオスズメバチの営巣が確認されたらしいが)。
アメリカジョロウグモが「ジョロウグモとは違うのだよ。ジョロウグモとは!」と言うようなら取り消すが、アメリカジョロウグモもジョロウグモと同じように安全第一の狩りをするのだとすれば、ただ単に獲物を増やすのではなく、狩られる確率を下げつつ小型の獲物を狩ることを考えるはずだ。〔それはラマルクの進化論だぞ〕
そこで問題になるのは昆虫の色覚だろう。昆虫に見えるのは紫外線からオレンジ色くらいの波長域らしい。ということは、黄色はギリギリで見える色になるだろう。これも昆虫たちに聞いてみないと結論は出せないのだが、黒地に黄色の水玉模様だと黄色い糸の円網に溶け込んで見えにくくなるのではあるまいか。
念のために黄色いハエ取り紙についても検索してみると、「ハエはどこにでも止まる性質があるので、その習性を利用してはえ取り紙が作られているのです」ということだった。意識して黄色にしているのではなく、原料や製造法によって黄色になっているだけのことらしい。アメリカジョロウグモの円網にどんな獲物がかかっていたのかまでは書かれていなかったのだが、ハエの気持ちになってみれば、薄ぼんやりと黄色い平面が見えればそこにとまってみたくなってしまうのではあるまいか? それでいて、クモを捕食できるような大型昆虫にはアメリカジョロウグモの姿が見えにくくなるのだろうというのが当面の作者の推理である。ナガコガネグモはジョロウグモのように高い場所に円網を張らないから捕食者に見つかりにくいので黄色い糸にする必要がなかったのか、ハエなどを狙っていないかだろうな。クモについて考える時には、獲物や捕食者、さらに気温や天候などについても考慮することが必要だと作者は思う。
さらに進化論的な面にまで話を進めれば、まず黒地に黄色い水玉模様のアメリカジョロウグモが迷彩効果を持つ黄色い糸を獲得したのだろうと思う。その後、オオスズメバチやアシナガバチのいるユーラシア大陸東部に進出したアメリカジョロウグモの一部のお尻が黄色の横縞になる。このオオスズメバチに擬態することができるジョロウグモの方が生き残る確率が高かったためにユーラシア大陸のアメリカジョロウグモは駆逐されてしまったのだろう。そうなると、現在のジョロウグモにとって円網が黄色いことは何の意味もないが、たいしたデメリットもないので淘汰されずに残っている、ヒトで言えば尾骨のようなものだということになる。早ければ10年以内にアメリカジョロウグモとジョロウグモのミトコンドリアDNAを比較してみようという物好きな研究者が現れるだろう。そうすればすべてが明らかになるはずだ。いやあ、ドキドキするねえ。
体長3ミリほどのマルゴミグモ2匹は水平円網を張っていたので、その1匹に体長4ミリほどのアリをあげてみた。するとこの子は数歩近寄ってつま弾き行動した後、いったんホームポジションに戻ったのだが、しばらくするとすると円網の下側に抜けて獲物に歩み寄り、捕帯を巻きつけたのだった。そこでよく見ると、この子の円網のホームポジションには横糸が張られているのだが、その外側に縦糸だけのスリット状の部分があり、その外側でまた横糸が張られているのだった。その縦糸だけの部分から円網の下に抜けたのだ。なるほど、こしき(ホームポジション)に穴を開ける代わりに、その周囲に横糸のないスリットを設けてあるのだな。ここからは例によって作者の思いつきだが、クモの中には円網の反対側へ出る必要を感じている子たちがいて、そういう子たちはこしきに穴を開けたり、円網にスリットを設けたりするということなんだろう。
しかし、ここで話は終わらない。新海栄一著『日本のクモ』のマルゴミグモのページには「網には中心より一方向にゴミを付けていくが、それに伴いゴミの周辺の横糸を切っていくため、ゴミの列が伸びるに従いキレ網になっていく」という記述があるのだ。ウィキペディアによると、キレ網とは「縦糸3本分の横糸のない空白」だそうだ。多分、ホールのケーキからごく狭い角度のピースを切り取ったような形だろう。しかし、作者が今日観察したマルゴミグモの円網はどう見てもキレ網ではない。それにゴミは12時と3時の方向に付けられていたのだ。この円網は未完成だったのかもしれないが、それでもゴミは1列ではない。どうなっているんだろう?
午後9時。
オニグモのお向かいちゃんに昨日と同じ種類の大型のガをあげた。今日もお向かいちゃんはナン形にしてから食べるようだ。
午後10時。
オニグモのキンちゃんが小さくなってしまった……わけではなく、キンちゃんが円網を張っていた場所に体長5ミリほどの別のオニグモが円網を張ってしまったのだった。のんびり秋休みなんかしているからこういうことになるんだぞ!
9月21日、午後1時。
ナガコガネグモ姉妹の姿が見えない。どうも引っ越したようだ。
慎重な性格のナガコガネグモの17ミリちゃんにはイナゴよりはおとなしいバッタ(後脚が細いのでキック力が弱いらしい)を投げてあげた……のだが、これが17ミリちゃんの円網のど真ん中に反対側から命中してしまったのだった(野球の素質はまったくない作者である)。これで17ミリちゃんは「えっ……」という感じで硬直してしまった。いつもの円網揺らしさえ忘れている。
作者がナガコガネグモが硬直するのを見るのは2回目である。2つだけの観察例で仮説を立ててしまうというのも乱暴な話だが、あえて言おう。ナガコガネグモは円網の中央部に大型の獲物がかかることを想定していないのであると。〔長いぞ〕
ナガコガネグモはホームポジションの上下にI字形の隠れ帯を付けていたり、白い糸を楕円形に取り付けていたりするのだが、これもやはり大型の獲物に回避してもらうためのものなんじゃないかと思う。あまりにも獲物が少なければ、危険を承知の上で隠れ帯を付けない場合もあるようだが。
しばらくして我に帰った17ミリちゃんは、獲物に捕帯を巻きつけてから牙を打ち込んでいた。
午後3時。
昼前に捕まえた体長10ミリほどのハエ2匹をポケットに入れて光源氏ポイントに行ってみた。体長25ミリクラスのジョロウグモ2匹を選んでハエをあげてみると、1匹はすぐに飛びついて牙を打ち込んだのに対して、2匹目の子は駆け寄る途中で引き返し、ホームポジションに戻ってからまたハエに駆け寄って牙を打ち込んだのだった。というわけで、ジョロウグモの場合は自分の体長の40パーセント辺りに、すぐ仕留めるか、様子を見るかのボーダーラインがあるようだ(実際の判断基準は獲物の体重なんだろうと思うが)。3匹目の子にはそこらで捕まえた体長20ミリほどのハチをあげたのだが、近くに寄ってきただけでホームポジションに戻ってしまった。
もう1匹の体長25ミリほどの子はセミの胸部を外して食べていた。どういう状況で仕留めたのかわからないが、ジョロウグモがセミを食べることもあるということだ。円網にかかった後、力尽きるまで待って仕留めたというところかなあ。逃げられなければスズメバチでもオニヤンマでもいつかは仕留められるのだろう。
コガネグモのおにぎりちゃんが円網を張っていた場所に居着いた体長23ミリほどのジョロウグモには体長20ミリほどの細身のバッタをあげてみた。この子は意外に積極的で、獲物に近寄ってチョンチョンしてから牙を打ち込んでいた。この子のお尻はソーセージ形になっていたから体重がある分強気になっているのかもしれない。
午後4時。
ついでにジョロウグモポイントまで行ってみた。ここには予想通り体長25ミリクラスのジョロウグモが3匹、15ミリほどの子が1匹いた。その他にコシロカネグモらしい体長10ミリほどのクモが2匹だ。この場所には何かクモに好まれる要素があるんじゃないかなあ。例えば、去年ここにいたクモたちの匂いのようなものが残っている、とか。
9月22日、午後3時。
体長30ミリほどのオンブバッタを捕まえたので、光源氏ポイントにいる同じくらいの体長のジョロウグモにあげてみた。するとこの子は、まずつま弾き行動をして、さらに脚先で円網をチョンチョンしながら少しずつ獲物に歩み寄り、獲物もチョンチョンできる間合いに入ると、さらに触肢でもしょもしょしてからパッと踏み込んで牙を打ち込み、すぐに距離を取ったのだった。なるほど、捕帯を使わずに大型の獲物を仕留めるとしたらこれがベストなやり方だろう。しかし、これでは暴れ続けるイナゴやコガネムシは近寄る前に円網から外れてしまうんじゃないかなあ……。確かにジョロウグモの円網はオニグモなどの横糸の間隔が広い円網よりは大型の獲物を支える能力が高そうに見えるのだが、多数の細い糸というのは、糸が1本切れると他の糸の負荷が増えることによって次々に切れていくことになりそうな気がする。クモの円網には大きすぎる獲物や暴れる獲物は放っておけば勝手に外れてくれるという機能も持たせてあるんだろうか?
そこから少し離れた場所には、すでにお尻がソーセージ形になったジョロウグモもいたのだが、この子の黄色い円網には体長1ミリ前後の羽虫がびっしり付いていた。こういう小型の獲物を毎日円網ごと食べるというのは安全を最優先とするジョロウグモ向きの狩りだと思う。1グラムもある大型の獲物を1匹仕留めるよりも0.01グラムの獲物を100匹食べる方が安全なのである。
で、この子にもオンブバッタをあげてみると、やはり慎重に獲物に近寄ってきたのだが、それに合わせて同居していた体長6ミリほどの7本脚の雄がこの子の腹側へ潜り込もうとして振り払われていた。だめだろ、それは。ちゃんと雌が獲物を食べ始めてからでなくちゃさあ。円網から放り出された雄はしおり糸を伝って円網に戻るのだった。
なお、この日もお尻の後端を太陽に向けている子が2匹いた。ジョロウグモにも暑がりの子がいるのらしい。
9月23日、午前10時。
右肘の下辺りが少し腫れて赤くなっている。肘を伸ばすと痛い。昨日バッタを捕まえようとして地面に右手をついた時にビッという痛みを感じたから軽い肉離れだと思う。直立二足歩行は地面にいるバッタを捕まえるのには不向きなようだ。〔捕虫網を使え!〕
捕虫網は草地にいるイナゴ向きではないのだ。どうも捕虫網を被せられたイナゴは草の根元まで降りて、水平移動してから改めて飛び立つらしいのだ。そういうわけで、最近ではイナゴを狙う時には捕虫網を持ち歩かないことにしている。イナゴもガも手づかみで十分だし、捕虫網を使うのは体長10ミリ前後のハエを狙う時くらいなのである。問題はハチで、今のところ、厚手のビニール袋の口を開けておいて、そこへ誘導するようにして捕まえているのだが……刺される前にやめた方がいいかなとも思う。
ナガコガネグモのお姉ちゃんは戻って来ていたのだが、どうもおかしい。円網を張り替えていないし、体が全体に小さくなってしまっている。そして17ミリちゃんの姿がない。これは17ミリちゃんが引っ越しをして、お姉ちゃんがいた場所に居抜きで入居したという状況ではないだろうか。とりあえず小型のイナゴをあげると、ややためらいながらも捕帯でぐるぐる巻きにしてくれた。17ミリちゃんならただ円網を揺らすだけのはずなのだが、引っ越しをした分空腹だったということなのかもしれない。
オニグモのお向かいちゃんは円網を張り替えずに下半分だけ回収したらしかった。これは産卵前のパターンだと思うのだが、どうなんだろうかなあ。
午後9時。
オニグモのお向かいちゃんは今日も円網の残骸にたたずんでいる。もしかすると、産卵する能力を使い切ったのかもしれない。デンちゃんも三回産卵した後に姿を消したから、一般的にオニグモの産卵限界は3回である可能性もあるだろう。
9月24日、午前7時。
ナガコガネグモのナガコちゃんと20ミリちゃんは円網を張り替えていなかった。お尻の大きさから判断すると産卵前の絶食だろうと思うのだが、どうなんだろうかなあ。
ナガコガネグモの17ミリちゃんはほとんど食べた様子のないイナゴを残して姿を消していた。やはり引っ越しの途中で立ち寄っただけだったらしい。しかし、そういうことならイナゴを仕留める必要もないだろうに……。
ジョロウグモの15ミリちゃんの円網の糸はごくわずかに黄色くなっているようだった。しかし、体長10ミリ以下の子たちの円網はいまだに無色だ。黄色い糸はオトナの印なのかもしれない。ちなみにスーパーの南側の植え込みには体長2ミリほどの子もいる。この時期にこの体長で今シーズン中にオトナになれるんだろうか?
体長4ミリほどのマルゴミグモが水平円網の横糸を張っているところだったので観察させてもらったのだが、この子もホームポジションから直径5センチまでの範囲には横糸を張らなかった。ちなみに円網の直径は約20センチ。ゴミは12時と4時と6時の位置に付けられている。このゴミの意味もわからない。ゴミグモのようにゴミの中に紛れ込んではいないのだが……飛行中の昆虫はゴミが3個付いていたら4個めもゴミだと思い込むんだろうか?
午前11時。
近所の草地にイネ科植物の葉を折り曲げて作ったちまきのようなものがあるのに気が付いた。巻き終わりの葉先が下を向いているので、これはカバキコマチグモの産卵用の住居だろう。あるサイトの説明では、このクモはかなり強い毒を持っていて「かまれると非常に痛く、死ぬことはないそうですが、数日は激痛が続いたり熱が出たり吐き気などの症状が出るといいます」「住居の中で孵化した数十匹の子グモたちは、2回目の脱皮を終えると母グモの体を食べはじめます。母グモは、自分の体を栄養分として子どもたちに与えて死んでいくのです」と書かれている。作者はこの草地でイナゴやバッタを捕まえていたのだが、かなり危険なことをしていたのだな。まあ、死なない程度の毒なら「失敗したなあ」で済むことだろうが。
※同じフクログモ科のヤマトコマチグモもイネ科植物の葉を巻いて産卵室を作るらしいのだが、こちらは巻き終わりが上向きになるらしい。そしてマキフクログモはやや細長い形になるんだそうだ。ややこしい。迂闊な事は言わない方がいいかもしれない。
午後9時。
オニグモのお向かいちゃんが姿を見せない。黄色いワイヤーカバーの中にもいないようだ。これはやはり、オニグモの墓場へ……。〔んなわけあるかい!〕
冗談はともかく、卵巣内の卵を使い尽くし、しかも新たに造ることもできないということならここで静かに土に還っていけばいいはずだ。旅立つということは、空になった貯精囊にもう一度精子を満たすために雄を求めて旅に出たとしか思えないんだが、どうなんだろう? どこかの大学で3回産卵したオニグモを解剖して、空になっているのは卵巣か貯精囊かを調べてもらえないものだろうか。
9月25日、午前11時。
ナガコガネグモの20ミリちゃんとジョロウグモの15ミリちゃんの姿が見えない。20ミリちゃんは産卵かもしれないが、15ミリちゃんの方は引っ越しの可能性が高いだろう。置いて行かれたらしい雄がウロウロしているのが哀れである。というか、交接が済んでいるのだとしたら、もう用はないからあっさり捨てていくということなのかもしれない。
もう10月も近いし、オニグモのお向かいちゃんもどこかへ行ってしまった。大量のイナゴの在庫を抱えておく必要もないかもしれない。
マルゴミグモの1匹は円網にゴミを点々とY字形に取り付けて、その周辺の角度にして60度くらいの範囲には横糸を張っていなかった。これもキレ網ではある。ゴミに気が付いた獲物はそれを回避しようとするだろうから、ゴミの周辺に横糸を張ってもあまり意味がないという判断なのかもしれない。ということは、このゴミはナガコガネグモの隠れ帯と同じような効果を持っているということになる。その横糸が張られていない部分の面積が広いということは「オトナになんかなりたくないもん」というタイプなんだろうかなあ……。そしてマルゴミグモのルールで決まっているのは、できるだけ水平に円網を張ること、その円網にはゴミを付けること、ゴミの周辺はキレ網にすること、それくらいなんじゃないかと思う。後はその範囲内で好きなようにアレンジしているんだろう。
午後3時。
今日も光源氏ポイントへ行ってみた。
25ミリクラスのジョロウグモの1匹に体長20ミリほどのハチをあげてみると、この子はすぐに駆け寄って牙を打ち込んだ。自分より小型の飛行性昆虫に対しては強気なのである。
2匹目の子にはそこらで捕まえた体長10ミリほどの甲虫。この子は甲虫を盛んにチョンチョンしていたのだが、最終的には円網の糸を噛み切って獲物を落とした。「こんなのいらない」である。何故なんだろう? ナガコガネグモやオニグモなら問題なく仕留めてしまいそうな獲物なのだが……ジョロウグモの牙は弱いのか? 甲虫の外骨格を貫けないのか? 気の毒なので抵抗の弱いバッタをあげておく。
3匹目の子には少し弱らせた大きめのイナゴ。この子は駆け寄って来て獲物の直前で立ち止まり、何回かチョンチョンしたのだが、イナゴが暴れるとあわててホームポジションに戻ってしまった。イナゴは円網にかかったままなので、10キロほど走ってからまた様子を見に行くと、イナゴがない。円網から外したか、暴れている内に外れてしまったかしたようだ。そこで新たに小型のイナゴを少し弱らせてからあげると、今度は獲物をチョンチョンしながら間合いを詰めて牙を打ち込んだのだった。この子の限界は少し弱らせた小型のイナゴであるのらしい。ガのように脚力が弱い獲物なら別かもしれないが。
実はトンボでも実験するつもりでいたのだが、曇っているせいかトンボが飛んでいなかった。残念。
9月26日、午前10時。
ナガコガネグモのナガコちゃんの円網が垂れ下がっていた。お尻が丸いままのナガコちゃんはそれにぶら下がっている。力尽きたのかもしれない。これも不思議なのだが、オニグモは姿を消すのに、どうしてナガコガネグモはその場で力尽きてしまうんだろう? 24時間営業している分老化も早いということなんだろうか?
20ミリちゃんも円網を張り替えていない。ナガコガネグモのシーズンは終わろうとしているのかもしれない。
9月27日、午前7時。
ナガコガネグモの20ミリちゃんが帰って来ていた。お尻が少し細くなっているから産卵したんだろう。そこらにいた体長5ミリほどのコオロギの子虫をあげておく。
午後2時。
捕虫網を持って光源氏ポイントへ向かう。ジョロウグモがトンボに対してどういう対応をするかを知りたかったのである。しかし、体長50ミリほどのトンボとオニヤンマを捕まえ損なってしまった。しょうがないので体長30ミリ弱のジョロウグモに同じくらいの体長の活きのいいイナゴをあげてみた。この子はイナゴに近寄っては来るものの、脚先でチョンチョンするだけで牙の間合いに入ろうとしない。そのうちに暴れ始めたイナゴは円網から外れて落ちてしまった。それをまた捕まえて、弱らせてからあげてみると、ビンゴ! 少々時間はかかったが、ちゃんと牙を打ち込んでくれた。やはり大暴れする獲物は苦手のようだ。他にもバッタの触角や脚に牙を打ち込んだらしい子もいたのだが、これでも効果があるんだろうか? まあ、獲物の血液の流れに毒を乗せることさえできれば、いつかは動けなくなるんだろう。
今日の光源氏ポイントにはバッタを捕らえたナガコガネグモが4匹いた。いずれも地上から30センチまでの高さに円網を張っている子たちである。捕帯の幅広さから予想できるように、ナガコガネグモは本来、この程度の高さを飛ぶ(跳ぶ?)バッタを狙っているクモなんだろうと思う。近所のスーパーの周辺にいる子たちは地上80センチ(ツツジの梢辺り)から地上1.5メートル(ツバキの梢の下)くらいまでの高さに円網を張るのだが、これはバッタがいるような草地が不足しているので仕方なくガなどに狙いを変更しているんじゃないかなあ。
さて、その先でトンボが多いポイントを見つけたので、体長50ミリほどのトンボ2匹を捕まえてジョロウグモポイントへ向かう(光源氏ポイントのほとんどのジョロウグモたちにはイナゴやバッタをあげてしまったのだ)。
ジョロウグモポイントでは体長25ミリクラスの子を2匹選んでトンボをあげてみた。実はこれだけ大きな獲物だと仕留めるのに手間取るだろうと予想していたのだが、大ハズレだった。トンボに駆け寄って来た2匹はトンボの背面側からその頭部辺りに牙を打ち込んでしまったのだ。ここで背面側からというのには大きな意味がある。トンボも捕食者なので、脚で抱え込んだ獲物を噛み砕くための大顎を持っている。したがって、腹面側から近寄るのは危険なのだ。たった2回では実験の精度が低すぎるのだが、現段階ではジョロウグモはトンボを積極的に狩る、そしてトンボの背面側と腹面側を識別している可能性があると言えるだろう。また、トンボをこうも躊躇なく仕留めてしまうということと、イナゴに対する消極性からは、少なくともナガコガネグモやオニグモが難なく仕留められる程度の重さの獲物に対してもひどく慎重に対応しているような気がする。
※その後、トンボの頭部腹面側に牙を打ち込むジョロウグモを観察することになる。
ジョロウグモにとって、すぐに仕留めるか様子を見るかの基準は獲物の長さではなく、その重さにあると思う。ある限度を超えて重い獲物が暴れるようならあっさり諦めるのだ(もちろん、この「限度」はその個体の体重や空腹度によって変化するだろう)。
さらに付け加えるならば、円網にかかった獲物が甲虫だとわかった場合には円網の糸を切って外してしまうのかもしれない。成体のジョロウグモにコガネムシをあげてみる必要があるな。この場合、円網から外れる前に力尽きてくれれば捕食できるかもしれないが、ジョロウグモの牙でコガネムシの外骨格を貫けるのかという問題もあるだろうなあ。
※宮下直編『クモの生物学』の第7章には「筆者がさまざまな生息地でジョロウグモの摂食量を評価したところ、成体期には1日あたり0.1~0.4ミリグラムの餌を摂食していることがわかった。このうち、2ミリ以下の小型餌を除いた値は、全体の約70パーセントなので0.07~0.28ミリグラムとなる。この値は、すべての餌を込みにしたギンコガネグモの約0.13ミリグラムよりやや大きい。したがって、ジョロウグモの網は小型の餌を効率よく捕らえる機能があると同時に、他の垂直円網のクモと同等かそれ以上に大型餌に対しても有効であるといえる」という記述がある。これは上手な論理展開だと思うし、ジョロウグモの円網については正しいのかもしれない。この「体重あたり」という言葉の意味はわからないのだが(「体重1ミリグラムあたり」というように数字が付いていれば別だが)、作者が観察した範囲では体長25ミリ前後のジョロウグモは体長10ミリくらいのガに対しては躊躇なく駆け寄って牙を打ち込んでいたことから考えて「小型餌」の範囲は「体長の40パーセント以下」くらいにするべきなんじゃないかと思う(もちろん、ジョロウグモにとっての基準は獲物の体重で決められているはずだ)。その後には「ジョロウグモについては、おそらく飛翔力の強い大型昆虫を捕らえるためにエネルギー吸収効率の高い網が進化したのだろう」とも書かれているのだが、ジョロウグモの円網とジョロウグモ自身の進化の方向が一致していないということは……ないとは言えないかなあ……。いずれにせよ、ジョロウグモの個体数はナガコガネグモやオニグモよりも多い。繁栄しているということは正しい道を歩んでいるということだ。繁栄しすぎはよくないのだが。
午後11時。
ワキグロサツマノミダマシのワッキーが円網を張っていたので、そこらで捕まえた体長10ミリほどのよく太ったガをあげた。ワッキーの体長は6ミリほどなので体長で2倍近い大物なのだが、ワッキーは果敢に飛びついて牙を打ち込んだ。さすがにガの抵抗が弱くなるまで時間はかかったが、ワッキーは円網の糸を切ってガを宙吊り状態にすると、縦のバーベキューロールからDNAロールへという必殺技のフルコースでガをナン形に成形してしまうのだった。ワキグロサツマノミダマシはオニグモなどと比べると小型のクモなので、進化の途上で大型の獲物を仕留めるテクニックも身につけたのだろう。
ナガコガネグモの20ミリちゃんにはイエバエ(多分)をあげたのだが、さすがにハエ1匹では足りないだろうと、これまたそこらで捕まえた10ミリほどのガもあげておく。
今夜はコガネムシを4匹捕まえた。これは光源氏ポイントのジョロウグモたちにあげてみようと思う。
9月28日、午前11時。
スーパーの近くにいる体長3ミリほどのマルゴミグモの水平円網にガガンボをそっと置いてみたのだが、3ミリちゃんが近寄ってつま弾き行動をすると、獲物の重さに耐えられなくなった糸が切れてガガンボが落下してしまったのだった。このガガンボを拾って近くにいたゴミグモの円網に投げてあげると、この子はちゃんと飛びついて捕帯でぐるぐる巻きにした。
考えてみればこれは当たり前で、水平円網の場合、ある1本の糸が獲物の重さに耐えられずに切れてしまうと、荷重が増えた隣の糸も次々に切れていってしまうわけだ。それに対して垂直円網だと獲物の重さによって糸が伸びると、その下にあった糸も荷重を分担するようになるので、結果的に獲物の重さに耐える能力が高くなるのだろう(円網の最下部だけは別だが)。そうなると水平円網は垂直円網に対して大きなハンディキャップを背負っていることになる。アシナガグモの仲間もオニグモなどと比べると細い糸で水平円網を張るのだが、アシナガグモの場合は、水中で生活していた幼虫がサナギを経て羽化した成虫が重力に逆らってゆーっくり上昇してきて、そーっと円網にかかるから糸の強度はあまり要求されないのだろう。しかし、このマルゴミグモはゴミグモたちと一緒に2種類のツツジによる段差の部分に円網を張っている。ここでは水辺のメリットがまったくないのだ。マルゴミグモはなぜ水平円網を張るんだろう?
ここで作者はウィキペディアを開いてみた。さすがに「マルゴミグモ」のページなど存在しなかったので「ゴミグモ」のページを開いてみると「生態など」として「ほとんどは垂直円網を張り、常に網の中心にクモが陣取っている。網は比較的目の細かいものである。しかし、たとえばマルゴミグモは水平円網を張り、しかもその網の上に乗る形で定位する。これは円網を張るクモ全体でも珍しい形である」という記述があった。そうか、珍しいのか。それは面白いじゃないか。
というわけで、新海栄一著『日本のクモ』も開いてみる。すると、マルゴミグモのページには「海岸地帯に多く生息。海浜植物の枝葉間、建物の周囲、岩や流木の間などに水平または斜めに正常円網を張る場合が多い」という記述があった。エウレカ! 謎はすべて解けた……と思う。〔弱気だな〕
あえて言おう。マルゴミグモの水平円網は強い風に対する適応であると。海岸地帯では強い風が吹くことが多い。人間が防風林などを植えたり、家の周りに石垣を築いたりするのはそのためだ。しかし、クモ場合はそういう手は使えない。垂直円網に強風をまともに受けると円網が破れてしまうのだろう。そこで獲物を捕獲する機能が低下するというデメリットを円網が破れないというメリットが上回るのなら水平円網にする意味もあるはずだ。「網の上に乗る」のも風で暴れる円網から振り落とされないためだろう。また、直線的に並べられたゴミやその周囲に横糸がないのも、そこから風を抜くことで円網が暴れないようにしているのかもしれない。この辺りは風洞さえあれば簡単に実験できるから、興味がある人はやってみてもいいだろう。また、この水平のキレ網が恐怖の強風対策であるのならば、ゴミは内陸部側に付けられているんじゃないかと……いやいや、わからんな。空力学は専門外だ。興味がある人は実際に海岸へ行ってゴミの位置を観察してくれたまえ。
9月29日、午前10時。
ナガコガネグモの20ミリちゃんに体長20ミリほどのハチのような体型のハエ(多分)をあげた。
その隣の体長3ミリほどのマルゴミグモの水平円網にも力尽きた体長4ミリほどのハエを置いてあげたのだが、マルゴミグモがつま弾き行動をしているうちに円網の糸が切れて落下してしてしまった。水平円網は苦手だ。
午後4時。
コガネムシを入れたポリ袋を持って光源氏ポイントへ行ってみた。
まずは体長30ミリ弱のジョロウグモにコガネムシをあげてみる。すると、この子がコガネムシに近寄って脚先でチョンチョンしているうちにその爪が暴れ続けているコガネムシの脚の爪に引っ掛かってしまった。これはまずい! このままだと脚を自切することにもなりかねない。手を出してコガネムシを外すしかなかった。捕帯を巻きつけていない獲物に近寄るというのはこれほど危険なのだ。トンボやスズメバチならもっと危険な大顎の間合いに入ることにもなりかねない。それでもジョロウグモは捕帯を使えるナガコガネグモやオニグモよりも個体数が多いのだからたいしたものである。30ミリちゃんには迷惑料として体長10ミリほどのガをあげておく。
2匹目の子は体長25ミリほど。この子は近寄っても脚が届く間合いには踏み込まずに脚を振り上げている。そのうちに暴れ続けていたコガネムシは円網から外れて落ちた。この子にもガを1匹。
3匹目の子も4匹目の子もコガネムシを仕留められない。やはり手に負えないんだな……と思ったら大間違いだった! 10メートルくらい先にいた25ミリほどの子は腹側のバリアーにメタリックグリーンの食べかすを付けていたのだ。2日前にはなかったはずだが、これはどう見てもコガネムシである。
さて困った。ジョロウグモがコガネムシを補食することもあるのは間違いないのだが、捕帯を使えないジョロウグモがどうやって仕留めたのかが想像できない。ミステリーで言うと、鎧を身につけた大男の被害者と毒を塗ったナイフを持った容疑者の女の子はいるものの、どうやってナイフの間合いに入り込んだのかがわからないという状況だ。30ミリちゃんのように危険を承知の上で間合いを詰めて牙を打ち込んだのだろうか? それともコガネムシが円網にかかったまま力尽きるのを待ったのか、あるいは、コガネムシの脚が届きにくい腹部後端辺りを狙ったのか……。いずれにせよ、「ジョロウグモがコガネムシを補食することもまれにある」とは言えそうだ。
それでは過去2回、ジョロウグモが小型の甲虫を円網から外して捨てていたのは、やはりゴミだと思い込んだということになるんだろうか? もしそうなのだとしたら、なぜコガネムシは脚を縮めてじっとしていないのか? わからん。機会があったら脚を縮めた状態で死んでいるコガネムシをジョロウグモにあげてみようかなあ。まったく抵抗しない獲物なら喜んで食べてもらえそうだし。
なお、3匹目の子と4匹目の子には弱らせたイナゴをあげたのだが、3匹目の子は最初にイナゴの翅に牙を打ち込んでいたようだった。その直後には腹部にも打ち込んでいたから、ギリギリの間合いからだと踏み込みが半歩足りないというようなこともよくあるのかもしれない。
9月30日、午前10時。
ナガコガネグモのナガコちゃんが復活した! というか、死んでなかったわけだ。お尻は細くなっているが、ちゃんと隠れ帯付きの円網を張っている。何があったんだろう? 産後の肥立ちが悪くて寝込んでいたのか?〔クモは寝込んだりしない!〕
冗談はともかく、気温が下がった分、胚の発生が遅くなって産卵前の絶食期間が長くなったということなんじゃないかと思う。
午後1時。
イナゴを10匹捕まえてから光源氏ポイントへ行く。
今回の目的はお尻が鉛筆のように細いジョロウグモ2匹(体長はどちらも20ミリクラス)にイナゴを食べさせることだ。この2匹は危険を冒して大型の獲物を狩るくらいなら飢えた方がマシと考えているらしくて、弱らせたイナゴなど見向きもしないのだ。ではどうするかというと、体長30ミリほどのイナゴを少し余計めに弱らせてから円網にくっつけてあげるのである。これでビンゴ! 獲物をチョンチョンしている時間は長かったものの、ちゃんと食べてもらえた。大型の獲物でも抵抗が弱ければ手を出すのである。
そこで気になったのが2匹ともイナゴの背面側に牙を打ち込んでいたことだった(1匹はイナゴの羽に打ち込んでいたが、これは踏み込みが数ミリ足りなかっただけで、狙ったのは腹部背面だろう)。これには何か意味があるのではないだろうか?
というわけで、さっそく実験を開始する。なにしろ台風が接近中で今夜から雨らしいので、忘れないうちにやってしまいたいのだ。光源氏ポイントとジョロウグモポイントなどで合わせて7匹のジョロウグモ(いずれも体長20ミリクラス)に小型のイナゴを弱らせてからあげてみた。その結果は、背面側に牙を打ち込んだ子が6匹、腹部後端が1匹だった。背面側に打ち込んだ1匹は腹面を上にしているイナゴに脚先の爪を引っかけて半回転させてから牙を打ち込んでいた。これは統計的に有意なデータと言えるかもしれない。あくまでも、今のところは、だが。
ここから先は例によって作者の思いつきだが、ジョロウグモはより安全に仕留めるために、大型の獲物の場合は背面側を狙うのではあるまいか。ジョロウグモはナガコガネグモやオニグモのように捕帯を巻きつけて獲物の動きを封じるということをしない(できない?)。そのために最初から牙を打ち込んで獲物を仕留めるのだが、この時、大型の獲物だと毒がまわって動けなくなる前に大暴れすることが多い。その場合に特に危険なのが大顎と脚先のフック状の爪なのだろう(今日も不用意に脚を出して、イナゴに脚の先を噛まれていた子がいたし、昨日の30ミリちゃんはコガネムシの爪に自分の爪を引っかけてしまっていた)。そういう昆虫の武器の死角に当たるのが背面側なのだ。大型の獲物に牙を打ち込む前にはしつこいくらいに脚先でチョンチョンするのも獲物の姿勢を探っているということなのかもしれない。なお、バッタなどであれば、腹部後端も強力な後脚の攻撃範囲内ではある。中平清著『クモのふるまい』にはコオロギの後脚の一撃を食らったらしいハラクロコモリグモの話が出てくるくらいだ。そんなわけで、作者はジョロウグモにイナゴをあげる時には後脚を外してからにしている。捕帯が使えるナガコガネグモやオニグモなら後脚付きのイナゴでも難なく仕留めてくれるのだがね。
午後4時。
光源氏ポイントに寄ってみると、体長20ミリほどのジョロウグモの円網に残っていたイナゴを体長40ミリほどのスズメバチが囓っていた。体格差が大きいだけに20ミリちゃんも手が出せないようだ。一方、スズメバチも円網の上では踏ん張りがきかなくて苦労しているようだったが、気が付いてから十数分後には脚と羽の先端辺りに貼り付いている円網を振り切って飛び去った。ウィキペディアの「ジョロウグモ」のページには「大型のセミやスズメバチなども捕食する」という記述があるのだが、これは多分、飛行中にジョロウグモの円網に突っ込んで羽の動きを完全に封じられてしまったというようなドジっ子のスズメバチがいたということなんじゃないかなあ。まあ、「~も」と言える範囲ではあるのだろうけど。
今日はアケビの実を見つけた。まだ皮が裂けていないので食べ頃になるのを待とうと思う。
10月3日、午前7時。
路面には水たまりが残っている。
ナガコガネグモのナガコちゃんと20ミリちゃんにイナゴをあげた。気温が低めのせいか、2匹とも今ひとつ動きが鈍い。なお、いまさらだが比較的小柄な20ミリちゃんの頭胸部はナガコちゃんよりもやや小さかった。オトナになるのが遅れたので大きくなるのを諦めたのか、それともジョロウグモのように最初から個体変異に幅が持たせてあるんだろうか?
午後1時。
今日もイナゴをポケットに入れて光源氏ポイントへ行ってみた。今回は30ミリ弱の子の他に25ミリクラスの子6匹と20ミリクラスの子2匹に弱らせたイナゴを順にあげていく。その結果は30ミリちゃんと25ミリの子の1匹がイナゴの胸部背面に牙を打ち込んだ。あとは腹部背面が2匹、脚が2匹、腹部先端が2匹、チョンチョンしているうちに暴れ出したイナゴが円網から外れてしまったのが1匹だった。どうも特定の部位を狙うというよりも牙が届く所に打ち込んでいるように見える。
ジョロウグモの場合は、まず牙を打ち込んで、獲物の動きが止まってからホームポジションに持ち帰るという仕留め方をするから、特に大型の獲物の場合はできるだけ遠い間合いから牙を打ち込みたいのだろう。それでも頭部には誰も手を出していないから、危険な大顎だけは避けているということかもしれない。だいたいジョロウグモがイナゴを抱きしめて牙と大顎でキスをするなんて、そんなことになったら攻めと受けの設定に困る……。〔やめんか! 第一、少なくともジョロウグモの方は雌だぞ〕
30ミリ弱の子はろくにチョンチョンもせずにイナゴに牙を打ち込んだのだが、今回は食べ残した。それをまた4時頃にスズメバチが食べに来たのだが、このスズメバチはイナゴを食べている途中で足を滑らせて翅の先端が円網にかかってしまったのだった。それでも力強く羽ばたいて、円網の糸を引きちぎって飛び去った。ウィキペディアのジョロウグモのページには「大型のセミやスズメバチも捕食する」と書かれているんだが、いったいどういう状況ならスズメバチを捕食できるんだろう? 老衰でよたよたしているおばあちゃんスズメバチか?
そして、前回少し余計めに弱らせたイナゴを仕留めた子は、今回の弱らせたイナゴでもより短時間で仕留めていた。自分よりも大きなイナゴでも一度経験すれば難なく牙を打ち込めるようになるのらしい。初めての子にはやさしくしてあげなくてはいけないのだな。〔ヤ・メ・ロ〕
目を付けていたアケビの皮が裂けて半透明な果肉に包まれた種子が見えていたので蔓からもいで食べてみた。これがまあ、ほんのり甘いのだが、その後にしつこい渋味がやって来るのだ。まるで熟していない甘柿である。ちゃんと熟してから食べるといいのかもしれない。アケビはあと8個残っているのだが、今年はもういいや。種子も多くて食べにくいし。
10月4日、午後3時。
今日は体長50ミリほどの行き倒れのトンボを2匹拾ったので、体長25ミリと20ミリほどのジョロウグモにあげてみた。この2匹はすぐに飛びついてきたのだが、25ミリちゃんはトンボの腹部後端に牙を打ち込んだのに対して、20ミリちゃんは触肢で探りながら腹部の前端から中央辺りまで移動してそこに牙を打ち込んだのだった。
ジョロウグモがトンボを捕食するのを詳しく観察するのはこれで4回目なのだが、今のところ、頭部から胸部にかけての腹面に牙を打ち込んだ子は1匹もいない。胸部の腹面には脚があるから胸部まで牙が届かないのだろうし、トンボの頭部には危険な大顎がある。そんな所に牙を打ち込んだりしたら、良くて相打ち、下手をすれば逆に食われてしまうだろう。そういうことをやらかすようなドジっ子は何億年も前に淘汰されてしまったんだろうな。
※この時点ではそう思っていたのだが……。
10月5日、午前3時。
オニグモのキンちゃんの住居から1本の糸が近くの平屋の屋根まで張り渡されていた。その先には直径約30センチの円網があって、そこにいるのがキンちゃんらしい。どうやら秋休みは終わったようだ。ここで十分な量の獲物を食べて、冬休みに春休みを繋げ、来年の5月頃から本格的にオトナになるための狩りを再開するつもりなんだろう。「オトナになるのは来年の夏になってから」と決めて、成長しすぎないように絶食するというのはオニグモにとっては合理的なんだろうが、恒温動物であるヒトには想像しがたい生き方である。
午前6時。
ナガコガネグモの20ミリちゃんが姿を消していた。このタイミングだと産卵……だと思うんだが、どうなんだろう?
体長10ミリ以下のジョロウグモ3匹の円網はいずれも無色だった。ちなみに光源氏ポイントでは15ミリほどの子がやや黄色い円網を張っているし、25ミリほどでもわずかに黄色いだけの子も1匹だけいる。
10月6日、午前5時。
お尻がだいぶ大きくなったナガコちゃんは「どすこーい、どすこーい」というリズムで横糸を張っているところだった。まだまだ食欲旺盛だ。20ミリちゃんは帰ってきていないから、スーパーの周辺ではナガコちゃんが最後のナガコガネグモになってしまうかもしれない。
久しぶりにワキグロサツマノミダマシのワッキーにも会えた。この子は多分夜行性なのだが、夜明けが遅くなった分だけ営業時間が延びているらしい。体長7ミリの子にあげるような獲物が手元にないのが残念だ。
午前11時。
またナガコガネグモの新顔が現れた。体長17ミリほどの子がナガコガネグモの妹ちゃんのいた場所に円網を張っていたのだ。もう10月だというのに、冬が来る前にオトナになれるつもりでいるんだろうか? とりあえず、体長7ミリほどのアリをあげておく。
午後3時。
体長40ミリ弱の行き倒れらしいスズメバチが車道に転がっていた。指先で仰向けにしてみると、脚を動かすのだが起き上がれない。ちょうどいいのでバンダナで包んでジョロウグモポイントへ持って行くことにする。〔危険です。スズメバチを拾ってはいけません〕
道路から手の届く所にある円網ということで、体長17ミリほどのジョロウグモを選んでスズメバチをあげてみた。するとこの子は数回つま弾き行動をしただけでスズメバチに近寄ってきた。体長で2倍以上の大きさなのだが、飛行性の獲物だと積極的になるのかもしれない。高い場所に円網を張るのも羽を持つ獲物を狙っているからなんだろうし。
慎重にスズメバチに近寄った17ミリちゃんは数回チョンチョンしてから獲物の腹部後端に牙を打ち込むと、いったんブレークしてホームポジションに戻った。
午後3時10分。
17ミリちゃんはまたそろそろとスズメバチに近寄って今度は胸部の右の翅の付け根辺りに牙を打ち込んだ。
午後3時20分。
スズメバチは大顎を開いたり閉じたりしながら右の前脚を何回も背中にまわすのだが、ギリギリで17ミリちゃんには届かない。ここしかないという位置取りなのだが、これは意識してそこに牙を打ち込んだのだろうか?
午後3時40分。
スズメバチはまだ抵抗している……のだが、よく見ると17ミリちゃんの右第一脚がスズメバチの右前脚に当てられている。まるで柔道の寝技である。しかも17ミリちゃんは牙を打ち込む位置を1ミリほど頭部寄りにしたようだった。前脚を封じたのはこのためだったのか? 残念ながら観察したのはここまでである。日没が早くなっているのでね。
いやあ、スズメバチはタフだわ。ジョロウグモに牙を打ち込まれてから40分経ってもまだ暴れられるんだから。念のために言っておくと、少しずつ抵抗が弱くなっていくのだから毒が効いていないわけではないと思う。ただ、効きがひどく遅いのだ。
そして17ミリちゃんは、獲物の大顎や前脚を避けつつ頭部近くに牙を打ち込もうとしているように見えた。脳を麻痺させないと安心できないということなのかもしれない。
午後5時。
玄関に現れたクロゴキブリを捕まえた。ワキグロサツマノミダマシのワッキーにあげてみようかな。
午後9時。
ワッキーは円網を張っていなかった。残念。
しょうがないので、その近くにいたナガコガネグモの17ミリちゃんにクロゴキブリをあげようとしたのだが、円網を突き抜けてしまった。そこでお詫びの印にイナゴをあげたのだが、これも17ミリちゃんが円網を揺らすのとイナゴが暴れるのとで糸が次々に切れて、円網の下端からぶら下がった状態になってしまう。「これはまずい」と思った作者はイナゴを回収して円網の穴が開いていない部分にそっと置いてあげたのだが、17ミリちゃんは円網を揺らし続けているので、また糸が切れていく。結局、今回もイナゴが止まったのは円網の下端だった。まあ、円網から外れてしまわなければ食べてもらえるだろう。
ナガコガネグモの円網の横糸の間隔が広めなのは、手に負えないような大型の獲物がかかった場合には糸が切れるようにしてあるということなのかもしれない。
10月7日、午前11時。
路面には水たまりが少し残っている。
ナガコガネグモの17ミリちゃんはイナゴの後脚に口を付けていた。「どうして?」と思ったのだが、これは人間で言えば、いままで普通の食事をしてきた女子高生がいきなり牛の丸焼きを出されたようなものなんだろう。小型の獲物ばかり食べてきたので、どこから食べればいいのかわからなくて、いままで食べてきた獲物と同じくらいの大きさの後脚を選んでしまったのだな。迷惑だったかもしれない。来シーズンはもう少し小さめの獲物も常備しておこうかと思う。
午後4時。
ジョロウグモポイントへ17ミリちゃんの様子を見に行った。
17ミリちゃんはスズメバチの頭部を外してその胸部に頭を突っ込んでいる。スズメバチの大顎は強力だからそれを支える頭部の外骨格も相当硬いんだろう。ああっと、これは去年、オニグモの姉御がコガネムシを食べた時と同じ食べ方だな。
日没まで少し時間があったので、その先のまだ渋いアケビを食べたポイントにいるジョロウグモの所にも行ってみた。このアケビちゃんの円網には枯れ葉の中を歩いていた体長10ミリほどの甲虫をくっつけてみた。作者はアケビちゃんも甲虫は食べずに捨てるだろうと思っていたのだが、アケビちゃんは甲虫の腹部に牙を打ち込んだのだった。うーん……イナゴやコガネムシほどの大きさ(重さ?)で、強力な脚を持つ獲物以外は捕食するということなんだろうか? しかし、そうすると去年のコメツキムシを捨てたジョロウグモは何だったんだということになる。コメツキムシの外骨格は硬いらしいから、それを仕留めるのに必要な労力に見合うだけの栄養が得られないと判断したのか? それとも、ただ単に食欲がなかっただけなのか? 今シーズンは無理だが、コメツキムシと弱らせたコガネムシで追試をするようだなあ。
アケビちゃんの円網にも雄が1匹いたのだが、獲物に牙を打ち込んでいる最中のアケビちゃんの腹面側に潜り込むのだ、こいつは! アケビちゃんに邪険に払いのけられた雄はすごすごと円網の隅に帰っていったのだが、だめだろ、それは。人間で言えば、キッチンで料理をしている奥さんのエプロンの中に潜り込むようなもんだぞ。気持ちはわかるが、せめてアケビちゃんが獲物を食べ始めてから「ねえ、いいかい?」と声をかけるべきだろう。どうにも、ジョロウグモの雄は交接することしか考えていないような気がする。もう成長する必要がないのだから当たり前ではあるのだが。
※ジョロウグモの雌は複数の雄と交接できるらしいから、他の雄に交接させないためにアタックし続けるのかもしれない。雌にしても、より強い雄の精子の方が望ましいから、うるさくまとわりつかれても払いのけるだけで、追い出したり、食べてしまったりはしないのだろう。原則的には、だが。
アケビの実が3個落ちていたので、アリがたかっていないのを選んで食べてみると、これが渋くない。ちゃんと熟している。なるほど、アケビは拾い食いに限るのだなあ。〔よい子は真似……してもいいけど、何があっても自己責任だぞ〕
10月9日、午前7時。
ナガコガネグモのナガコちゃんは円網を張り替えなかったようだ。17ミリちゃんも円網ごと姿を消していた。これでナガコちゃんが産卵すれば今シーズンのナガコガネグモ観察は終了……かと思ったら、体長12ミリほどの新顔が現れるんだ、これが。うーん、ナガコガネグモは越冬しないということになっているらしいんだけどなあ。
もしかして、ナガコガネグモはもともと暖かい地域の生まれで、四季のある温帯の気候に適応しきれていないということなんだろうか? 一年中暖かい環境とか、明るい時間が長い環境とかで飼育してみるような実験をするのも面白いかもしれないなあ。
10月10日、午前7時。
ナガコちゃんが姿を消していた。もう帰って来ることもあるまい。
午前11時。
とか言っていたらナガコちゃんが帰って来ていた。またハズレだ。もうクモについて予想するのはよそう。〔ああ、よせよせ〕
午後2時。
水田の脇ではアキノキリンソウが満開になっていた。
光源氏ポイントに残っているナガコガネグモは体長17ミリほどの子1匹だけだった。この子の円網に体長30ミリほどのバッタをくっつけてあげると、捕帯を少し巻きつけてから獲物の下側で円網の糸を切り、縦のDNAロールでぐるぐる巻きにするのだった。大型の獲物に対してはよく使われるテクニックであるのらしい。
ジョロウグモポイントに行ってみると、スズメバチをあげた子は体長20ミリ近くになっていた。ただし、大きくなったのはお尻だけなので平民体型ではある。この子にも体長50ミリほどのトンボをあげてみると、牙を打ち込んだのは胸部腹面だった。何かもう、実験の度に違う結果が出てくるのだなあ。最後の砦は頭部だけになってしまった。まあ、人生なんてそんなものだが。
その隣にいる体長20ミリほどの子には体長40ミリほどのイナゴをあげてみたのだが、この子はイナゴの腹部後端に牙を打ち込んだ10分後には捕帯を巻きつけ始めた。体長が違えば一度に注入できる毒の量も変わるのだろうが、その分まで考慮しても「スズメバチはイナゴよりタフだ」くらいのことは言えるだろうと思う。
10月11日、午前11時。
ナガコちゃんが円網を張り替えていた。暖かいせいかもしれないが、まだまだ元気だ。小型のイナゴをあげておく。
体長3ミリほどのコガネグモの幼体らしいクモも見かけた。円網の直径は約10センチだが、X字形の隠れ帯は付けていない。体長4ミリほどのアリをあげると、ちゃんと捕帯でぐるぐる巻きにする。小さくても一人前である。
10月13日、午前11時。
ナガコちゃんは円網を張り替えなかったようだ。
午後2時。
ロードバイクのペダルのオイルシールがヘルニア(?)になってしまったのでペダルごと交換した。16000円。やや回転が重いという程度で、使えないという状況ではないのだが、出先で故障されると困るのだ。
10月14日、午前11時。
ナガコちゃんに冷蔵庫の中でほとんど力尽きていたイナゴをあげたのだが、活きのいい獲物ではないせいか、知らん顔をされてしまった。もう10月だから食欲もなくなってきているのかもしれない。
午後1時。
冷蔵庫に入っていた最後のイナゴをポケットに入れてジョロウグモポイントへ行った。
体長25ミリほどの特にお尻が細いジョロウグモにほとんど力尽きているイナゴをあげると、さほど迷う様子もなく近寄って、何回かチョンチョンしてから腹部の背面に牙を打ち込んだ。まあ、ジョロウグモ向きの獲物ではある。
今日もトンボを捕まえたので、これはアケビちゃんにあげる。アケビちゃんは獲物に近寄ると、なんと、トンボの脚に牙を打ち込んだ! いくらなんでもダメだろ、それは。作者は改めて別の場所に牙を打ち込むのだろうと思ったのだが、トンボはみるみる抵抗が弱くなっていく。しばらく観察を続けても、それ以上は牙を使わずに捕帯を巻きつけ始めたのだった。
昆虫もクモと同じく開放血管系である。つまり、動脈と静脈が繋がっていないのだ。心臓から押し出された血液は各組織に届けられた後、なんとなく心臓に還ってくるという小型動物らしい実にいい加減な循環系になっている。それでも血液が流れているところに牙を打ち込めば、注入された毒は血流に乗って全身にまわって行くのだろう。ということは、ジョロウグモは、どこであれ獲物に牙を打ち込めば仕留められるということなのかもしれない(スズメバチは時間がかかるようだが)。弱らせたイナゴを仕留める様子を観察すると、触肢で獲物に触れられる距離まで近づいてから一気に踏み込んで牙を打ち込んでいるようだったから、大暴れする獲物だと間合いの調節が難しくなるので手を出したくないということなんじゃないかと思う。ウィキペディアの「ジョロウグモ」のページには「成体になれば、人間が畜肉や魚肉の小片を与えてもこれも食べる」という記述があるのだが、まったく抵抗しない獲物こそがジョロウグモにとっては理想の獲物なのだろう。念のために、車に轢かれたらしいスズメバチを近くにいた体長25ミリほどのジョロウグモにあげてみると、この子もすぐに飛びついて牙を打ち込んでいた。
午後2時。
光源氏ポイントには体長17ミリほどのナガコガネグモが5匹いた。お尻の背面の模様が鮮やかだからオトナになる一歩手前か、オトナになったばかりの子たちだろう。幸いなことにイナゴを6匹捕まえてあったので1匹ずつあげていく。
体長30ミリのイナゴをあげた子たちは第四脚で叩きつけるように捕帯を巻きつけたのだが、体長40ミリのイナゴをあげた子はDNAロールまで使ってぐるぐる巻きにしていた。そして1匹だけ捕まえたガをあげた子は、まず牙を打ち込んで、ガがおとなしくなってから捕帯を巻きつけていた。
ガには危険な大顎や強力な脚がないのだから、遠い間合いから捕帯を巻きつけて動きを封じる必要はない。その代わり、鱗粉付きの翅には粘球が効きにくいから、まず牙を打ち込んで飛べなくしてしまうのが正解だ。しかし、何度も言うようだが、先に捕帯を巻きつけるべき獲物と牙を打ち込むべき獲物をどうやって識別しているんだろう? 体重か? それとも円網の振動パターンか? 実験できるかなあ。イナゴにガの翅を移植するとか……。〔迷惑だろうな〕
なお、ジョロウグモポイントでも光源氏ポイントでも最も大きい体長30ミリクラスのジョロウグモが1匹ずつ姿を消していた。ジョロウグモは一度産卵すると引っ越しをするのかもしれない。あるいは……もともと個体数が多いので、これ以上増えないように産卵回数を制限をしているのか、だな。何億年も捕食動物をしてきたのなら、個体数を増やしすぎた種は獲物の捕りすぎで自滅していったとしてもおかしくはないだろう。
10月15日、午前11時。
去年、多数のジョロウグモが円網を張っていた手入れされている様子がない庭付きの廃屋には道路から確認できた範囲で30匹のジョロウグモがいた。体長はだいたい15ミリから25ミリの範囲で、そのお尻はほとんどの子がソーセージ形だ。なお、真っ昼間だというのに円網で待機している体長15ミリほどのオニグモも1匹いた。
オニグモについては休眠前の食いだめなんだろうが、ジョロウグモのクモ口密度には不自然さを感じる。ただ単に、そこはジョロウグモにとって快適な環境なのだというだけでは説明しきれないのではないか……と思っていたら、中平清著『クモのふるまい』の中に手がかりがあった。
この本の「卵の殻に見られた2つの形」の章には、オオヒメグモの一つの卵囊の400個から500個の卵の中に孵化が遅い卵があるらしくて、「早く脱皮して活発にうごけるようになった子グモが、発生の遅れた卵にかみ付いているのが見つかった」「その様なのが24個体いたのである」と書かれている。その他にも「チリグモ、イエオニグモ、ヤマシロオニグモでも共食いを確認した」のだそうだ。残念ながらジョロウグモも共食いをするとは書かれていなかったが、ここではジョロウグモの子グモも共食いするものとして話を進めさせてもらう。
卵囊内で共食いをすると、その子の体重が2倍近くになることが予想される。体重が増えればバルーニングしても遠くまで飛べないだろう。しかし、それは必ずしも欠点とは言えない。ジョロウグモの場合で言うと、その子のお母さんは卵囊があった場所から数メートルの範囲内で産卵できる大きさにまで成長できたということになる。バルーニングによって分布域を広げるというギャンブルも必要だろうが、母親が育った豊かな環境を引き継ぐという安全確実な生き方を選ぶのもありだろう。そのために共食いして体重を増やす子がいたり、共食いされるための孵化が遅い卵、あるいは無精卵が用意されていたりするのも合理的だ。種を存続させていくためには、こういう面での形質の幅広さも有効なのだろう。ちなみに卵胎生のサメの中には子宮内で孵化した仔魚が後から生まれてくる卵や他の仔魚を食べるものがいるというし、ヤドクガエルの中には母親が無精卵を産んでオタマジャクシに食べさせる種もいるらしい。
午後11時。
体長10ミリほどのカメムシの死骸を拾ったので、近所にいる体長5ミリほどのオニグモの仲間にあげてみた。この子は慎重に近寄って脚先でチョンチョンした後、カメムシの下側で円網に穴を開け始めたので「生きていないのがバレたか」と思ってカメムシをツンツンするとパッと跳び退いた。それからまたそろそろと近寄ったかと思ったら、カメムシの触角に捕帯を巻きつけるのだった。大型の獲物のせいなのだろうが、なんとも腰の引けた狩りである。
その後、カメムシの胸部辺りを触肢で探って、そこで始めて大型の獲物だとわかったらしい5ミリちゃんは「よーいしょ、よーいしょ」とカメムシの全身に捕帯を巻きつけ始めたのだが、その時に使ったのはバーベキューロールだった。2倍程度の体格差ではDNAロールを使うまでもないということなのかもしれない。
10月16日、午前6時。
ナガコガネグモのナガコちゃんは円網を張り替えた様子がないので食欲がないのだろうと判断して、そこらにいたワラジムシをあげておく。ナガコちゃんは予想通り知らん顔をしているが、気が向けば食べてもらえるだろう。
午後2時。
今日もジョロウグモポイントへ行ってみた。今回は以前イナゴをあげたことのある体長25ミリほどの6本脚ちゃんに弱らせたイナゴをあげてみる。
6本脚ちゃんはいったんは避難したものの、しばらくしてから慎重にイナゴに近寄って何回かチョンチョンすると、またホームポジションに戻って、円網の反対側に抜けてからまた近寄って、円網越しにチョンチョンした後、イナゴの腹部後端辺りに牙を打ち込んだのだった。この結果から、少なくともこの子は円網の防御力を信じているようだとは言えるだろう。ジョロウグモにとって危険なほどの大型飛行性昆虫は翅も大きいだろうから、その円網を突き破れないのかもしれない。
そして、このやたら慎重な狩りは生まれつきなのか、脚を2本失うような経験から学習した結果なのかもわからない。多くのデータを集めれば何かが見えてくるんだろうかなあ……。
光源氏ポイントにいるジョロウグモ3匹(いずれも体長25ミリクラス)にも弱らせたイナゴをあげてみた。その結果は、食べようとしなかった子が1匹、脚に牙を打ち込んだ子が1匹、腹部後端辺りが1匹だった。ジョロウグモがイナゴを狩る場合には脚か腹部後端を狙うのが一般的であるようだ。確かにそこなら獲物から反撃される危険は少ないだろう。しかし、そうするとアケビちゃんがトンボの胸部腹面に牙を打ち込んでいたのはどういうわけだということになる。体長で半分以下の獲物ならともかく、慎重に脚でチョンチョンするような大型の獲物の胸部腹面に牙を打ち込むというのはどう考えても危険だろう。うーん……空腹だとかで時間をかけたくなかったとか、生まれつき大ざっぱな性格の子だったとかだろうか?
10月18日、午前5時。
ナガコちゃんが円網を張り替えているところだった。しかも横糸の間隔がやや狭くなっている。これでは獲物をあげないわけにはいかない。うちへ戻って冷蔵庫の中のイナゴを温めることにしよう。
午前11時。
ナガコちゃんにイナゴをあげた。駆け寄って来たナガコちゃんは、いったん捕帯を叩きつけるように巻きつけると、円網を切り開き、イナゴを宙吊りにしてから縦のDNAロールまで使ってぐるぐる巻きにしたのだった。これは空腹だったので確実に仕留めようということなんだろうか? 気温が下がると食欲もなくなるということではないんだろうかなあ……。
午後2時。
光源氏ポイントでガを3匹捕まえたので、体長25ミリクラスのジョロウグモで実験をしてみた。
1匹目の子の円網には体長10ミリほどの細身のガを力一杯投げつけてみた。つまり質量が小さい獲物に大きな速度エネルギーを与えることで大物だと思い込ませようというわけである。この子は予想通り逃げた。
2匹目と3匹目の子には体長15ミリほどの太めのガの片方の翅をつかんだまま円網にくっつけてみた。つまり円網にパタパタ震動を起こさせたのである。この場合は2匹とも駆け寄って来た。ただ、3匹目の子は勢い余って作者の指まで抱え込もうとしたので焦ったけど。〔危険です。よい子は真似しないでね〕
今回の結果からは、ジョロウグモは獲物が円網に衝突した時のエネルギーの大きさによって大物か小物かを推測して対応を変えている可能性があるということと、パタパタ振動なら迷わず飛びついて来るようだ、ということが言えると思う。
なお、ナガコガネグモは3匹しか確認できなかった。これからはジョロウグモのシーズンだな。
午後3時。
アケビちゃんの隣に円網を張っているジョロウグモ(体長17ミリほどで7本脚)に体長30ミリほどの弱らせたイナゴをあげてみた。この子はゆっくりとイナゴに歩み寄り、何度も何度もチョンチョンした後、イナゴの腹部後端辺りに牙を打ち込んだ。安全を優先するならこれが正解だろう。後は獲物の脚とか、とにかくジョロウグモが大型の獲物を仕留める場合には、大顎がある頭部から脚が生えている胸部にかけての腹面を避けるのがセオリーであるはずだ。
体長20ミリほどのアケビちゃんにもイナゴをあげた。そうしたら、アケビちゃんはさんざんチョンチョンした後、わざわざ脚先の爪をイナゴに引っかけて、頭部を下に向けていたイナゴを水平にしてから胸部背面に牙を打ち込んだのだった。まあ、やるんじゃないかとは思っていたのだが……。おそらく、アケビちゃんは獲物の胸部に牙を打ち込むのが好きなんだろう。ヒトの雄でもやたらおっぱいが好きな奴がいるように。〔アケビちゃんは雌だぞ〕
いやいや、女性でも「巨乳の谷間に顔を埋めるのが好き」という人がいるんだよ。
10月20日、午前9時。
ナガコちゃんが姿を消した。お尻がだいぶ丸くなっていたから産卵だろうと思うのだが、円網は張り替えてある。ナガコガネグモはジョロウグモやオニグモのようにイベントの前にはいつもと違う行動をするということが少ないので困る。
午前11時。
ナガコちゃんが帰ってきていた。お尻が小さくなったようには見えないから産卵ではなかったようだ。
午後2時。
トンボが目に見えて増えてきた。そこで光源氏ポイントで1匹、ジョロウグモポイントで3匹捕まえて、体長20ミリから30ミリほどのジョロウグモたちにあげてみた。結果は胸部の背面に牙を打ち込んだ子が3匹、胸部腹面が1匹だった。これはいったいどういうわけなんだ? ええと……左右の翅の間には今日も冷たい雨が……。〔そうじゃないだろ!〕
もとい、必ず胸部がある。したがって、そこを狙うのはとても合理的であるわけだ。そして作者がイナゴを投げた場合、イナゴは翅をたたんだままの状態で円網にかかる。そうすると、大型の獲物であることはわかるが、どこが胸部なのかわからないのだろう。何回も何回もチョンチョンしていたのも翅や胸部の位置を探ろうとしていたのかもしれない。そしてチョンチョンしているうちに腹部の位置がわかったので、より安全な腹部に牙を打ち込んだ、というところだろうかなあ……。いずれにせよ、ジョロウグモにとってイナゴが円網にかかるのはかなり迷惑なことであるようだ。
なお、アケビちゃんのお隣ちゃんは幅約40センチの円網の中央付近の幅10センチの部分だけを張り替えていたのだが、その部分だけは明らかに糸が黄色かった。この子の糸に関しては2日以内に黄色くなったわけだ。
10月21日、午前11時。
今日もトンボを捕まえたので、ナガコちゃんにあげようとしたのだが、ど真ん中のホームランコース、ホームポジションに投げ込んでしまった。隠れ帯には粘着性がないのか、円網の反対側にいるナガコちゃんが反応する前にトンボに逃げられてしまうのだった。
トンボが翅を広げるとその分空気抵抗が増える。その上、イナゴほど重くないのでスピードも低下しやすい。その辺りを考慮せずに投げてしまったので狙いが狂ってしまったのだな。その結果、十分な数の粘球が翅に貼り付かなかったのだろう。トンボの場合はイナゴよりも高速で投げることが必要だったのだ。作者はまだまだ未熟者なのである。
10月22日、午前11時。
朝はまだ降っていなかったはずだが、ナガコちゃんは円網を張り替えた様子がなかった。そして気になるのがナガコちゃんの右第一脚で、脚先の爪が円網にかかっていない。ナガコガネグモはジョロウグモやイワシグモなどと違って夏のクモだ。これほど低い気温はつらいのだろう。〔いわし雲はクモじゃない!〕
10月23日、午前11時。
暖かいとは言えないような気温なのだが、晴れているせいか、白いチョウがキャベツ畑でデートしていた。
ナガコちゃんが円網を張り替えていたのでイナゴをあげた。ナガコちゃんは獲物の下に入り込むと、第四脚で捕帯を投げ上げるようにして巻きつけ、さらに短時間のバーベキューロールを見せてから牙を打ち込んでいた。
円網にかかった獲物には重力による下向きの力が働いているので、逃がさないために獲物の下に入り込むのは合理的だ。そこで疑問なのだが、例えば宇宙ステーションまで連れて行ったナガコガネグモにイナゴをあげた場合、どこに位置するのだろう? 上も下もない状態なのだから適当に脚の届く距離から捕帯を巻きつけるのだろうか? それとも、どっちが下なのかわからないのでうろたえてしまうのだろうか? ちなみにクモが実質的に無重力の状態で円網を張った時には横糸の間隔が一定にならなかったらしい。ただ、作者が観察した範囲ではクモが横糸を縦糸にくっつける位置は脚で測っているようだった。無重力状態で横糸の間隔が乱れたというのなら、それは宇宙酔いで体調を崩していたんじゃないかなあ。
午後1時。
光源氏ポイントの家一件分くらいの範囲にはナガコガネグモは1匹も見当たらなかった。どうも作者の行動範囲内ではナガコちゃんが今シーズン最後のナガコガネグモになってしまったようだ。
ジョロウグモも体長25ミリクラスの子が2匹しかいなかった。ということは、ジョロウグモは一生に一度しか産卵しない、あるいは、できないということになるんじゃないかと思う。「ニワトリと卵」という話になってしまうが、ジョロウグモはもともと個体数が多いから、それぞれの個体が何回も産卵する必要がないのか、1回しか産卵できないから個体数を増やして対策しているかだろうと思う。
今日もトンボを捕まえたのでこのジョロウグモたちにあげたのだが、慎重に近寄って来た1匹目の子は、なんと正面からトンボの頭部に牙を打ち込んだ! 牙と大顎でキス。狩る者と狩られる者の禁断の愛である。〔んなわけあるかい!〕
2匹目の子はちゃんと胸部背面に、ジョロウグモポイントの2匹もそれぞれイナゴの腹部後端と脚に牙を打ち込んでいたから、これは一般的な仕留め方ではないのだろうが、こういう危険な狩りをする子もいるのだなあ。
ジョロウグモの牙は折りたたみ式のナイフのような構造になっているので、トンボの大顎よりもほんのわずか遠い間合いから打ち込むことができる。それはそうなのだが、腹部背面などと比べれば危険度が高いのも間違いない。あえてそこを狙う意味はないだろうと思うのだが……本能のプログラムがバグっているのか、経験不足で危険に気が付いていないのか、あるいはあまりにも空腹だったので牙を打ち込む場所など選んでいられなかったんだろうかなあ。
光源氏ポイントからすこしだけ林の中に踏み込んでみると、そこには体長12ミリほどのジョロウグモが2匹いた。この子たちのお尻もラグビーボール形である。開けた場所ではないので、おそらく獲物が少ないのだろうが、この体長でオトナになってしまったらしい。獲物が少ない環境では標準的なオトナの半分以下の体長のまま産卵できる体になってしまうこともあるということなのかもしれない。ナガコガネグモやオニグモではここまでの幼形成熟(?)はできないんじゃないかと思う。このなりふり構わず子孫を残そうというシステムもジョロウグモが繁栄する要因の一つなのだろう。ジョロウグモがナガコガネグモなどよりも劣るのは捕帯を巻きつけて獲物の動きを封じることができないということくらいしかないのだが、それすらもエネルギー消費という面まで考慮すれば欠点にはならないのかもしれない。
クモをつつくような話2021 その8に続く