【お題で小説:月】 曇りあるのは剣か心か
中原の諸国の中で最大の繁栄を謳う古王国、それを支える王国貴族の雄たる公爵家では継承の際に伝統的にある儀式が行われている。
公爵家に代々伝わる宝剣を使った剣舞。
儀式は領内外の有力者たちを集めて行われ、新当主が差配する最初の大仕事である。
遥か祖王より公爵家に下賜されたという宝剣、銘は『月影』。
振るわれた剣身の照り返しが虚空に見事な三日月を描くことからその名が付けられた。
希少な魔銀鋼で造られているため扱える研ぎ師はそういないが、儀式の前には必ず研ぎに出されるのが慣例である。
公爵家のお抱え鍛冶師であるドワーフのマテウスは宝剣を前に頭を抱えていた。
彼の役職と実力からしてこの仕事が回ってくるのは当然と言ってもよかったが、実物を目の前に彼は手を出しあぐねていた。
宝剣の状態は良いか悪いかで言えば、良い。
前回の儀式で研がれたのが30年ほど前だというのを考えれば、驚くほど綺麗である。
研ぎ以外の日頃の手入れは非常に丁寧に行われていたのだろう。
でなければ、この状態を保つのは難しかったはずだ。
しかし、厳しい目で見れば、やはり経年による劣化の曇りは多少ある。
半端な腕の鍛冶師なら見逃してしまう程度のものだが、このままでは銘に相応しい月影は姿を見せないだろう。
ならば研がねばならない。
(それは分かっている、分かっているのだが……)
脳裏に浮かぶのは、前回の儀式。
宝剣による剣舞で浮かぶ光の軌跡はまさに空に輝く三日月の如く、曇りなき剣身はまるで底冷えする冷気を纏っているようにすら見えるほどだった。
前回の研ぎを行ったのは先年に亡くなったマテウスの父、ルドガーだ。
自分に、親父のような研ぎができるのだろうか。
その思いが、彼に仕事に取り掛かることを躊躇させていた。
魔銀鋼は扱うのが難しい金属だ。
ただ研ぐことすら生半可な鍛冶師には難しいが、それだけならマテウスにも十分な自信がある。
だが、相手は虚空に月影を映す宝剣、研ぎ過ぎれば反射は度を越え、光は下賤なものに成り下がるだろう。
それを踏まえて見るなら、前回は本当に完璧だった。
力強く、それでいて儚い月光を思わせる軌跡。
あれを思い出すたびに、マテウスは己が宝剣に手を入れることを尻込みしてしまう。
徐々に納期が迫る中、他の仕事を断りながら自問自答を続ける日々が続く。
そんなある日の早朝、目覚めたマテウスはなぜか鍛冶場に明かりがついている事を訝しみ、急いで中へと向かう。
そこには仕舞ったはずの宝剣と研ぎの道具があり、彼の娘のフィリーネが髭も整えず鍛冶場の床で寝ていた。
「フィ、フィリーネ!? お前、なんてことを!」
マテウスの大声にフィリーネは「フガッ!?」と妙な声を出し、自分のしでかしたことの重大さを感じない緩慢さで目を覚ました。
「んぁ~? あ、親父、おはよ~。今日は早いね」
「おう、おはよう……じゃない! フィリーネ、お前、自分が何をしたか分かってるのか!?」
欠伸をしながら瞼を擦っていたフィリーネは、怒鳴られて目をパチパチしながら答えた。
「何って……親父が仕事を溜めてるから手伝ったんだよ。亡くなる前は祖父ちゃんもあたしは筋が良いって褒めてくれたんだから!」
「お前は、なんてことを……」
自慢げに言う娘を見て、正直マテウスは死を覚悟した。
並の鍛冶師が宝剣を扱えば、刃毀れどころか、剣身に瑕を入れかねない。
そんな仕事をしたとなればお抱え鍛冶師だとて、いやだからこそ、命はあるまい。
せめて、娘の咎を自分が背負って、責が及ばぬようにせねば。
悲壮な決意でよろよろと宝剣に近づき、鞘から抜いて状態を確かめると、彼はまた仰天した。
瑕が、ない。
曇りはまだ取れきっていないが薄くなり、刃毀れなどは出来ていない。
それでいて過分な研ぎは入れられておらず、確かな技術がそこには感じられた。
「どう? なかなかのもんでしょ! それにしても、こんなに綺麗な剣、あたし初めて見たよ」
何もわかっていない娘の脳天気な言葉に応えず、彼は無言で宝剣を鞘に仕舞い、彼女を抱きしめた。
「え? え!?」と困惑する娘を余所に、マテウスは彼女を強く抱きしめる。
安堵と、感心と、蛮勇への怒りと、ほんの少しの羨望。
彼女は知らないとはいえ、鍛冶師の本分に従って行動し、しっかりとした基礎技術でもって自分のできる限りのことをした。
ならば父親の自分も、踏み出すことを恐れずに己のできる限りを尽くすまでだ。
まだまだ未熟な娘のできたことを、自分が出来ないとは言えない。
それ以上の技を、仕事をこなしてみせる……!
彼の心は今、風を入れた炉のように燃え上がっていた。
まあ、でも…………勝手をしたからフィリーネは今日の朝飯抜きだな。